恋愛感染メール
眠る前にお互いの声を交わせたら、今日は素敵な一日だったねと笑顔でお布団に潜れると思うの。だからおやすみなさいの挨拶と、電話越しのキスを届けたい。本当はちょっぴり寂しくて、会いたくて・・・せめて声が聞きたくて。夜の静寂に身を浸しながら、部屋の中で携帯電話と睨めっこ。
今電話をしても平気かな? 練習やライブ中だったら、迷惑だよね・・・もう少し後にしようかな?最初はメールをしてみて、時間が大丈夫なようなら電話をかけよう。ディスプレイに「東金千秋」と電話番号を表示させた電話番号消して、メールの送信画面を作り出す。
急ぎの用事じゃないし、声が聞きたかっただけですと、ただそれだけで留守電にメッセージを入れるのも気が引けてしまって、いつも電話を切ってしまう。でも千秋さんには私が何度も躊躇いながら電話をかけた記録が残っているから、後でからかわれてしまうの。もしも留守番電話だったら、電話越しに会えると楽しみにワクワクしていた心が萎んでしまいそうな私の気持ちを、ちゃんとお見通しなんだけどね。
「この菩提樹寮に千秋さんが居るはずはないのに、声が聞こえた気がしたんです。一緒に過ごしたあの夏のように、振り返ればすぐ傍にいて、私の名前を呼びながら、抱き締めてくれるような・・・。大好きな人が奏でる音色や声は、どんなに小さくても、私の耳に届いてくるの。不思議ですよね」
会いたいです、と募る気持ちを直接伝えるのが照れ臭くて、甘酸っぱい恋の果実をふわふわ砂糖菓子に包んでみる。メールの送信ボタンを押して、携帯をフローリングの床へ置くと、鍋を煮込むシチューを待つように、抱えた膝へ頬杖をついた。すると予想よりも早く、返信を伝えるメロディーが鳴りだした携帯を、慌てて取り上げ画面を表示させる。
『俺にも、ちゃんと届いたぜ。俺に会いたいと、甘くねだるお前の声が・・・。いつもみたく留守電に入れず、何度も着信履歴を残すかと思えば、今日はメールなんだな。なんだか新鮮だぜ、しかもやけに情熱的なラブレラーじゃねぇか、ドキッとしたぜ』
ぺたりと座り込むフローリングの床のひんやり感が、火照り出した身体に心地良い。ラブレターって、そんなつもりじゃ・・・と、両手で携帯電話を握り締めながら熱くなる頬を感じていると、「電話越しや腕の中でも照れずに、情熱的な想いを聞かせて欲しいところだが」と、そうからかう言葉も忘れない。
だって伝えたい想いはたくさんあるのに、抱き締められた近さでは、見つめられると真っ赤な茹で蛸になってしまうんだもの。電話越しだと普段は聞くことの出来ない、ささやかな吐息も直接耳朶に届くから、余計に意識をしてしまうのだと・・・思い返しただけで、ほらまた耳の辺りが熱くなるでしょう?
面と向かっては照れ臭いことも、ちょっぴり勇気を出して素直な想いをメールに乗せてみる。すると『俺もお前に会いたい、会って抱き締めたらこのまま神戸に攫っちまうかもしれねぇな』・・・と、飾らない気持ちを真っ直ぐに伝える返信が。
『我慢はするなよ。メールも良いが、泣きたくなる前に電話しろ、いいな?』なんて、 心配する気持ちが嬉しくて、我慢していた涙腺がふわりと緩んでしまいそうになるよ。潤んだ涙を零したら例えメール越しでも、伝わってしまいそうだから、元気な笑顔を浮かべつつ言葉の最後に心の青空・・・太陽の絵文字を添えてみた。
「遠くに離れていても、まるで違う世界から届くように私の心へ直接響いてくるの。賑やかな街の雑踏の中にいても、すぐ傍を通り過ぎる人の声に遮られそうになっても・・・大好きな千秋さんの声は私を捕らえて離さない。それはきっと、あなたに会いたいと・・・声が聞きたいと強く願う、私の想いなんですよね」
空耳だなんて笑わないで下さいね? 言葉の一つ一つに大切な想いをぎゅっと詰め込みながら、送って受け取る度に更に大きく膨らんでゆく。私の事を心配してくれたり、飾らない気持ちを真っ直ぐに伝えてくれる・・・大好きなあなたからのメールは特別な宝物なの。読み返すたびに心に刻まれ、温かな想いが笑顔に変えてくれる、距離を超えて届く元気の贈り物。
当たり前にあるものほど気付きにくくて、離れてからその大切さに気付く。夏の太陽みたく強烈に現れたのに、いつの間にか、あまりにも傍にいることが当たり前に・・・心地良くなっていたから。神戸と横浜と、お互いが離れて暮らすようになった今でも、奏でるヴァイオリンの音色と声と、抱き締めてくれる温もりだけが、心の奥底まで余韻が残っているの。
『可愛いお前が熱く告げる想いに、ここで応えなくちゃ男がすたるってもんだ。と言うわけで、これから会いに行ってやる。部屋に籠もってないで、ラウンジに降りてこい。出迎えのキスを忘れるなよ?』
え!? これからって会いに来るって千秋さん、今はもう夜ですよ? これから神戸を発つと横浜へ着くのが、ぎりぎり最終の新幹線になるかもだけど・・・うぅん、千秋さんなら来ると行ったら絶対に、いつどんな時でも会いにくるもの。ラウンジってまさか、実はもう菩提樹寮にきているんじゃ!?
閃いた予感を知らせるように、騒ぎ始めた胸の鼓動が急に高く走り出した。弾かれたように部屋のドアを開き、脇目もふらずラウンジへと駆け出せば、いつもあなたが座っていた椅子にいたのは、間違いなく東金千秋その人だった。神戸にいると思っていたのに、と言うことは千秋さんはずっと、部屋にいた私と菩提樹寮のラウンジからメールをしてたということになる。
「千秋さん・・・! もう〜黙っているなんてズルイです!」
「約束通り、会いに来てやったぜ。って、ほら泣くな・・・驚かせて悪かった」
「・・・っ、これは、嬉し泣きですっ。千秋さんが来てるの知ってたら、恥ずかしいメール送らなかったのに」
「ここから電話をしたらすぐにバレそうだったからな。電話に切り替えずに、メールで返してたんだ。お陰でかなでから熱い想いが聞けて、俺は嬉しかったぜ。こうして抱き締めていたら、真っ赤に茹だって黙っちまうだろう?」
「そ、そんなこと無いです! ちゃんと、大好きですって伝えられますよ。久しぶりに会えるからこそ、素直になるのは大切だって思うから」
ソファーから立ち上がって出迎えた胸の中へ飛び込み、ここにいるのだと確かな存在を感じたくて、強くしがみついたまま温もりに頬を埋めた。返事のように私の背中を抱き締め返す腕の強さを、心地良く感じながら振り仰ぎ、頭一つ分の距離をも埋めようと精一杯つま先立ちで背伸びを。
触れ合う吐息に焦らされながら求め合う唇が、背伸びで啄むように重なれば、出迎えのキスを離すまいと覆い被さるように深く返してくる。大胆な事をした直後に我に返り、意識も沸騰するほど羞恥に染まるのはいつものことで。そんな私を嬉しそうに抱き締めるあなたは、耳元で囁くの「さぁ出かけるぞ、さっさと支度しろ」ってね。
どこに行くのかと不思議そうに問う私へ、差し出されたのは、新幹線の切符。日付は今夜、新横浜発、神戸行きの最終便・・・大変、急がなくちゃ乗り遅れちゃう! 「さっきメールで、神戸に攫うと言っただろう?」と、携帯電話を示しながら、さも当然のように自身溢れる笑みを浮かべて。あっという間に心ごと連れ去る、甘く優しいキスと共に。