Presentiment 〜胸騒ぎ〜

あなたに出会った時から、いつかはこんな日が来ると分かってた。
ずっとこの胸の中にあった予感・胸騒ぎ。
それが確信へと変わったのは、あなたから直接に決意を聞かされた瞬間からだったと思う・・・。






「お〜い日野〜」


放課後で活気づく普通科のエントランス。
掛けられた声の方を振り向くと、金澤がこちらへやってくる所だった。


「先生こんにちは、どうしたんですか?」
「あれ、月森は一緒じゃないのか?」
「嫌だな先生、そんないつも一緒って訳じゃないですよ」
「探してもいなかったから、てっきり日野の所かと思ったんだがなぁ」


私たちって、そんな風に見られていたの!?


いつでも何処でも一緒にくっついてるように思われていたのかと、火が出そうなほど恥ずかしくなった。
でも二人の中を認めてもらっているようで、ちょっぴり嬉しくてくすぐったい感じがする。


「れ・・・月森くんに何かご用ですか?」
「あぁそうなんだ。月森に会ったら、伝えておいてくれないか?進路希望の調査票、音楽科2年で出していないの月森だけなんだ。提出期限過ぎてるから、早く出せってな」


何事にも几帳面な月森が提出物の期限を守らないなんて、今までありえなかった事だと、香穂子は驚いた。


「珍しいですね、月森くんに限って」
「う〜ん、若者は悩みも多いだろうに。悩むのは結構だが俺の仕事が終わらんのよ」


早く帰って、野球を見ながらビールが飲みたい・・・とブツブツ言い始める始末。


「そういや日野、お前さんは星奏の音大受けるんだって?」
「はい、ヴァイオリン続けようって決めたんです。普通科だから内部選考は無理だったんですけど、一般で頑張ってみようかなって」
「頑張れよ。きっと月森も喜ぶぞ〜」


じゃぁ宜しく〜と手を振りながら去っていく足取りは、どこまでも軽い。


最後の一言は励ましなのか、ひやかしなのか。
ニヤと笑っていた所をみると、恐らく後者のような気がする。


蓮くんとはこの後練習室で会うから、いいんだけどね。
進路調査表か・・・。


そういえば月森の進路について聞いたことが無かった。


ヴァイオリニストになるという夢は、月森から何度と無く聞いていたものの、進学という目先の事につては何一つ彼の口からは聞いていなかったと思い出す。
はぐらかされ、話を逸らされ・・・まるで避けているかのような。


まさかね・・・・・。


突然チクリと胸に痛みが走った。
得たいの知れない不快感がもやもやと沸き上がり、身体中を支配していく。


嫌な予感がする。
今までに感じたことがない胸騒ぎに、心が激しくざわめく。
不快感はやがて圧迫感となって襲いかかり、潰されないようにと両手で胸を押さえ込んだ。
祈るように、両手を小さく組み合わせて。


どうか、気のせいでありますように・・・・。



「香穂子、ここにいたのか」
「蓮くん・・・」


安堵したような穏やかな微笑みの月森が、背後にいた。
気が緩みそうで、思わず涙がにじみそうだった。
本当はこの不安を消し去りたくて、今すぐにでもその胸の中に飛び込みたい。


香穂子は必死でその衝動を押さえた。


「ごめんね、もしかして探してくれてたの?」
「探すという程では・・・。練習室に香穂子の鞄があるのに本人がいないから、少し心配になって」
「ありがとう。書き置きしてくれば良かったね」
「購買に何か用だったのか?」
「シャーペンの芯が切れちゃったから買いに来たの。もう済んだから大丈夫」
「じゃぁ、戻ろうか」
「うん!」




楽しいはずの練習室への道のりが、何だがやけに重く感じる。
先ほどの金澤の言葉が、心にずっと引っかかっていた。


「蓮くん、さっきエントランスで金澤先生に会ったの。蓮くんの事探してたよ」


隣りの月森が一瞬ピクリと反応した。
香穂子は、いつもと違うその表情の変化を見逃さなかった。


月森はきっと何か隠している。


香穂子は再び心に走る痛みから目を背け、あえて明るく振る舞うことにした。


「進路希望調査票、音楽科の2年で出していないの蓮くんだけだって。早く出してって、伝言頼まれちゃった。早く帰ってビールが飲みたいってボヤいてたよ〜」
「そうか・・・すまなかったな」
「私も出したよ進路希望。でも珍しいね、蓮くんが提出期限守らないなんて」


月森は黙ったまま、ただ前を見据えていた。


先ほどまでは微笑んでくれていたのに、今は自分を見てくれない。
それがこんなにも私の心を騒がすなんて、あなたは気付いているだろうか?


お互いに逃げていては、前に進めない。
たがら心に刺さった棘を引き抜き、真っ正面からあなたにぶつかって行くことにした。


「私てっきり、星奏の音大に進むものだと思ってたんだけど。蓮くん・・・もしかして進路悩んでるの?」


香穂子は、月森の横顔をじっと見詰めた。
進路のことは自分の立ち入る事ではないと分かっている。
一番不安なのは進路の事ではない。
月森が何を考えているのかが、全く分からない・・・伝わって来ないのだ。


月森がピタリと歩みを止めた。
いつの間にか練習室の前に戻ってきたらしい。


「進路の事・・・いつかは言わなければと思っていた。中で話そう」


ようやく振り向いた月森の顔は、降参したように力無なく、どこか哀しげなものだった。


練習室の重い扉がゆっくりと開かれる。
神の裁きを前にするものの気持ちとは、このようなものなのだろうか。


運命の・・・審判の扉が、開かれようとしていた。



どうかこの不安が、気のせいでありますように・・・。