パステルカラーに変わってゆく
柔らかい春の日差しにうとうとまどろみ、眠りに誘われてしまいそうな気分だね。一重、八重、淡い桜色から濃い紅まで・・・色や形も様々な花たちが、街を桃色のヴェールに包んでいる。身も心も蕩けてしまうこの感じは、君が笑顔を浮かべたときに似ている。緑豊かな海辺の公園を散策する休日のひと時に、降り注ぐ陽射しも隣にいる君も、夢心地と呼びたい心地良さだよ。
目線の高さに垂れ下がる枝に咲く八重桜を眺めながら、可愛いねと花の一つ一つに語りかけている。そんな香穂さんの方が僕は可愛いと思うよ。隣に並んでそう言ったら、桜に負けないくらい頬が桃色に染まってゆく。ほらね、君の頬に花が咲いたでしょう? 自慢げな桜の木は満開に湛えた花たちを、僕は香穂さんという花で互いに花くらべをしているのは、君に秘密だよ。勝負の行方はもちろん僕の方が優勢だけどね。
「開花がニュースになったソメイヨシノはもう散っちゃったけど、花びらが次の花を呼んでくれたんだね。加地くんほら見て? コロンと揺れるまん丸ピンクが可愛いの。薄いフリルを何枚も重ねた花びらのドレスがとっても素敵! くるりと回りながら裾を膨らませて踊る、お姫様みたいだなって思うの。いいなぁ〜ちょっぴり羨ましい」
「香穂さんが花のドレスを着たら、きっと綺麗だろうな。もちろん今のままでも充分に魅力的だよ。ふふっ、頬や唇のピンク色がふっくらしていて、本当に可愛いよね。だけど花芯は燃えるように赤いんだ、真っ直ぐで強い情熱の色だね」
「もうっ加地くん、私だけじゃなくてちゃんとお花見もしてね? さっきからずっと視線を感じているから、頬が熱いの」
「もちろん花を眺めているよ。この公園にはたくさんの種類の桜があるんだけど、世界にたった一つしかない花を見つけたんだ」
「え! 素敵なお花はどこどこ? 私も見てみたい」
素敵な花はどこかと嬉しそうに目を輝かせた香穂さんは、きょろきょろと周囲を見渡している、僕の視線の先にあるものはいつも君なのに、自分の事だと気付いていないのかな。 身を屈めて唇を耳に近づけると、甘く吐息を吹き込んだ・・・花びらを運ぶそよ風が頬も心も緩ませるように。
「僕だけの春に咲く花、それは君だよ」
「・・・・・・・っ。あの、えっと・・・」
くすりと微笑み、囁いたそのままの唇を耳朶に軽く触れてキスをすると、小さく声を上げてピクリと身動いだ。きゅっと握り合わせた両手を弄りながらごにょごにょと口篭り、どの花よりも鮮やかに頬を染めて、真っ赤に火を噴いてしまう。
眩しい緑が絨毯を作る芝生の上を、花びらを運ぶそよ風になった香穂さんが子犬のように駆けてゆけば、柔らかいピンク色のスカートがふわりふわりと揺れ動いた。まるで桜の花びらを運ぶ君自身が、桃色に染める花のようだね。
「・・・あっ!」
「香穂さん、どうしたの!?」
花びらが雪のように舞う桜霞の中を駆けていた香穂さんが、両手をばたつかせるように突然ぴたりと止まると、芝生にしゃがみ込んでしまった。君の身に何かあったのかと緩んだ心は一気に引き締まり、小さく丸まった背中の元へ慌てて駆け寄った。隣に膝を付き覗き込めば、膝を抱えながらにこにこと足元の芝生に微笑みかける君がいる。
怪我がなくて良かったと安堵の溜息をつく僕に、本当に無事で良かったよねと、自分ではない誰かの為に心の底から喜ぶ君がいる。彼女が陽だまりを注ぐのは、小さな太陽みたいに黄色いたんぽぽたちだった。この子たちを踏みそうになったから、慌てて踏みとどまったんだろうね。僕は君の事を心配したんだけどな、そう思いながらも彼女の優しさにまた一つ惚れ直してしまう。
「香穂さん、突然しゃがむから転んだのかと思って心配したよ。心臓が潰れそうだったよ・・・今もドキドキしている」
「加地くんごめんね。ほら見てたんぽぽだよ、お日様に向かって笑っているのが可愛いよね。走っていたら足元が見えなくて、もう少しでこの子たちを踏みそうだったの。危なかったよ、止まれて良かった」
タンポポたちと同じ笑顔で振り仰ぐ香穂さんは、僕の肩越しに何かを見つけたらしく、あっ!と嬉しそうに声を上げて立ち上がった。心奪われ無防備になった隙に、君という花びらは手の中からするりと抜け出し、ひらりひらりと気まぐれに飛んでゆく。
捕まえてね?と無邪気に誘う君を捕まえたと思っても、捕らえる寸前でひらりと身をかわしてしまい、自由な君はなかなか捕まえる事が出来ない。だからこそ追いかけたい、僕達だけの追いかけっこをもう少し楽しみたいと思うんだ。
ねぇ香穂さん。空に舞い踊る花びらを捕まえると、幸せになれるんでしょう? じゃぁ僕も花びらを捕まえようかな。
風がそよぐと嬉しそうに目を輝かせ、花びらを追って駆け回る君がそう教えてくれたから。
花びらを捕まえたくてくるくる駆け回る君というピンクの花びらを、僕は追いかける風になるよ。この腕に捕まえて、二人で幸せになるためにね。
そうかと思えばくるりと踵を返して駆け戻り、風に乗ってそよぐ花びらと一緒に僕の中へ真っ直ぐ飛び込んでくる。花びらを捕まえたのは僕なのに、心は君に捉えられてしまった。トクンと高鳴る鼓動を感じながら驚き見つめれば、加地くんのほっぺにも花が咲いたねと、悪戯な光を灯す瞳が腕の中から振り仰いだ。腕の中から真っ直ぐ見つめる笑顔と一緒に、君が捕まえたピンク色をした桜の花びらを差し出しながら。
そう・・・僕の心にも花が咲いたんだ。
優しく温かなパステルカラーの花霞が、喜びという色で街を染め上げたようにね。
ただいまと元気に振り仰ぐ笑みが教えてくれる。どんなに君という花びらが自由に空を羽ばたいていても、戻ってくる場所僕の腕の中なんだって。だけどこの腕はもう離さないよ、また飛んでいかないようにしっかり繋いでいるから。
花から花へと羽ばたく君こそが、とっておきの甘い蜜を持つ花なのかもしれないね。
ふふっ、じゃぁ君の唇から甘い蜜を貰おうかな。