オトナの味を教えてあげる
初めてあんたとキスしたころは、唇と唇が軽く一瞬触れ合わせるだけでも、胸の鼓動が張り裂けそうだったのを覚えている。耳から聞こえる心臓の疼きが唇から飛び出してしまうのではと、余計な心配するくらい全ての感覚が唇だけに集まるんだ。もちろんその熱さは、視線が甘く交われば互いに引き寄せ合うようになった今でも変わらない。
だけど、羽根が掠めるみたいに啄むキスでも満足だったのに、それじゃ足りない・・・もっと欲しいと思うようになったのはいつからだろう。もっと感じたいと貪欲に求める一方では、可愛い表情で蕩けるあんたに気持ち良くなってもらいたいって、求める程に人は貪欲になってゆくんだよな。
好きな気持ちが増してくると自分自身の快楽だけじゃなくて、相手を想う気持が大きくなるから、お互いにより深く喜びを知るにはどうしたらいいだろうって考えるんだ。でもそれって、良いことだと俺は思う。
一枚の楽譜から自分の世界観を作るみたく、その答えを出すのは簡単なことじゃないし、もちろん俺と香穂子だけにしか分からない。ちょっと照れ臭さもあるけれど、あんたと奏でる音楽みたく大事にしたいから。心で感じあえば、どこからが俺であんたか分からないくらい、一つに溶け合うあの心地良さを導き出せるんだろうか。
「・・・や、桐也」
「・・・香穂子」
「やっと気付いた。珍しく上の空だったよね、どうしたの? 何か考え事?」
ソファー代わりにベッドの淵へ座ったまま、ぼんやり自分の部屋の一点をみつめる衛藤を、フローリングの床へぺたんと座る香穂子が心配そうに見上げていた。思考の海を漂っていた意識が、ふわりと現実の波間に顔を出す。水飛沫をふりほどきながら見上げれば、太陽の眩しさが降り注ぐように、温かな笑顔で見守るあんたが優しい気持ちにしてくれるんだ。
考え事してたと緩めた瞳で答えれば、いつの間に探し出したのか、このCDが聞きたいなとそう言って、数枚のCDを笑顔で胸の前に掲げた。俺の部屋に来たら、CDと楽譜と本は、好きに読むなり聞くなりしていいから・・・と、勉強の為にそう言ってあるから、ヴァイオリンを練習をしたあとで、俺の部屋にくることが多くなった香穂子は、すっかり俺の部屋を自分の空間にしつつあるらしい。
カードゲームのように衛藤がその中の一枚を選び取ると、腰掛けたベッドから立ち上がり、部屋の隅に置かれたコンポへ手慣れた手付きでセットして。緩やかなヴァイオリンソロの曲が、部屋の中へ静かに響き始めると、嬉しそうな顔で耳を澄ます香穂子の元へ戻ってくる。曲に会わせて躍るように両手を取りふわり立ち上がらせると、もういちど先程まで腰掛けていたベッドの端に座り、今度は自分の膝へ導き座らせた。
「俺が何考えてたか、知りたい?」
「うん、知りたい! 私にこっそり教えて?」
「じゃぁ・・・キス、しようぜ」
「へっ!?」
「海岸通りで練習してたときは、さすがに一目もあったし。ずっと我慢してたんだぜ。二人きりなら、いいだろ?」
興味津々に輝く瞳が驚きで丸くなり、あっという間に茹だってしまう。不安定な脚から転がり落ちないように、座りながら肩先へしっかりしがみつく指先へ力が籠もるのを合図に、支えた腰を抱き寄せ腕の中に閉じ込めた。頬を包む手をそのまま後頭部に滑らせ、頭ごと引き寄せて、初めは問いかけのようにそっと触れるだけ。
すぐ触れられる間合いを保ちながら、一瞬呼吸を止めて瞳を開き香穂子の返事を待つ。強張った身体の力がふんわり緩み、ほうっと甘い吐息が零れれば・・・ほら、拗ねていた瞳はもっと欲しいと可愛くねだるんだ。
瞳の奥と唇に微かな熱を灯らせて「俺もあんたが欲しい」、そう吐息で囁くとぴくりと跳ねる身体が愛おしいのは、俺を感じてくれる証だから。頭を傾け角度を変えながら、柔らかい唇の端から端まで少しずつ位置をずらし、丁寧に何度も口けてゆく。触れてゆくうちに、おずおずとキスを返してくれる仕草の可愛らしさに、心の中にある愛おしい気持ちが膨らんで、弾けそうになる。
「もう。突然不意打ちに迫られると・・・は、恥ずかしいよ。桐也の考え事って、キスすることだったの!?」
「あんたとする刺激的なキスって、どんなキスだろうって考えてた。舌使い?それとも唇に触れる刺激?ってね」
「・・・・っ、桐也のエッチ」
「仕方ないだろ、男なんだし。好きなあんたに触れたいって思うの、健全じゃん。もしかして、嫌だった・・・か?」
自信たっぷりに開き直ったかと思えば、ふと色を変えて不安に揺らいだ眼差し。じっと見つめ返す香穂子は、桐也のそういう可愛い顔に弱いの・・・と困ったように小微笑んで首を傾げた。衛藤の頬を両手で包み込み、チュッと音を立てて軽く啄むと、照れて恥じらう香穂子の桃色が衛藤の顔をもじんわり染めてゆく。付き合い始めた最初の頃は、恥ずかしがって自分からはキスなどしてくれなかったのに・・・な。
お互いが唇に触れ合っているキスが長いほど、心と身体の熱さが募り、さやかな刺激でも快楽へと変わるんだ。
純粋に嬉しくて、幸せで。可愛い、ヤバイくらい気持ちいい。
「桐也とキスするのは大好きだよ、とっても嬉しい。幸せで蕩けちゃいそうになるの。桐也がくれるキスは、ショートケーキの上に乗った苺なんだもの。私が大好きな、特別デザートなんだよ。ふいうちのサプライズも素敵だけど、やっぱり美味しい物は大事に取っておいて、ゆっくり幸せな気分で味わえたらもっと素敵だと思うの」
「そっか・・・サンキュ。刺激的なキスってさ、舌を絡め合うとか長くて深いものなのかなって思ったけど、そうじゃないんだよな。香穂子が恥ずかしがりながら、小さく触れてくれる一瞬でも、頭の中が真っ白に焼き切れそうになるんだ」
「私、まだまだ上手くないの。桐也みたく、ふんわり蕩けるキスができるようになりたいな」
「あんたって可愛すぎて反則、どんだけ俺を惚れさせたら気が済むの?」
「きゃっ・・・! 桐也!?」
驚きの言葉は再び唇で封じると、膝の上に座ったままの香穂子を抱き締めながら、背後のベットへ背中から倒れ込むようにダイブ。香穂子に負担をかけないよう、衛藤が背中で受け止めたスプリングの振動が収まるのを待って、ころりと寝返れば、赤い髪が白いシーツの上に華を咲かす。
今すぐにでも、白い首筋や襟元から覗く柔肌を貪りたいと、沸き上がる本能を紙一重の理性で押さえるのが、こんなにも甘く苦しいなんてあんたは知らないだろうな。
「俺だって上手くない・・・慣れてないし。こうみえてもけっこう必死なんだぜ。あんたのことをを感じて、俺の想いを届けたい。それに夢中になると、格好いいとか悪いとかが気にならなくなってくる・・・不思議だよな」
「あのね・・・その・・・」
「どうした、香穂子。言いたい事があったら、隠さずに教えてくれよな」
「受け止めた想いとキスを、大好きだよって気持ちを込めてちゃんと返したいの。でもね、えっと・・・私の中に入ってくる桐也の舌を、どう扱ったらいいか・・・分からないんだもの。どうしたらいいのかな? ついていくのに必死で、ごめんね」
「あ・・・あんたが謝ることじゃないだろ。あぁほら、泣くなって。嬉しいって言ったじゃん、あんたがくれるキス。だから、焦らなくても良いんだぜ」
恥ずかしさと悔しさの両方なんだろうな。真っ赤に染まった頬の熱さが、瞳の潤みになってかなりの表面張力。それでも零すまいと必死に大きく目を見開いている瞳は、触れたらすぐにでも零れそうだ。どうしたらいいだろう・・・かといって、練習ってのも恥ずかしいんだけど。だけどこのままじゃ、気分が沈んだまま先へ進めそうもないし・・・困ったな。
そうだ、あれがあったか!
ちょっと待っててくれ、そう微笑みに緩めた唇で衛藤が香穂子の額に優しいキスであやすと、身体を起こしてベッドを滑り降りる。すぐ近くに投げ出してあった鞄の中から見つけ出したのは、黄色いパッケージに赤いロゴをした、白い小さな棒付きの丸いキャンディー。包み紙を枕元へ放ると、身体の重みをかけないように覆い被さり、真上から香穂子の口元へキャンディーを差し出した。
甘酸っぱい香りがする赤い透明なキャンディーは、潤んだ香穂子の唇みたいだと思う。
「香穂子、これ知ってる?」
「知ってるよ、チュッパチャプスでしょ。私も時々舐めるの。その赤い味は、ラズベリー?」
「惜しいな、チェリーなんだ。サクランボ味。弟からもらってさ、そのまま鞄に入ってたんだ。まぁ、これでも舐めろよ」
「・・・っ、桐也ってばひどいよ。キャンディーでご機嫌取るなんて、子供だと思ってるでしょ。桐也が喜んでくれるようなキスがしたいって、私・・・すごく真剣なのに!」
「まぁ、落ち着けって。香穂子気持ち、ちゃんととどいてるからさ。ほら、俺も舐めたし、次はあんたの番」
ぷぅと拗ねて頬を膨らませる香穂子に、衛藤は自身溢れる笑顔を返すばかり。俺を信じろよ、これはとびきり甘いキスの元なんだ、ただの棒付きキャンディーじゃないんだぜ。
まずは自分の口に含んで舐めたチュッパチャプスを、艶めきが残るまま香穂子の口元へ差し出した。真っ直ぐ見つめる笑顔の眼差しで「ほら舐めてみよ、美味しいぞ」と語りかけるけれど、それでも拗ねて口を噤んだまま。小さく溜息をつきながらも諦めず、ベッドで組み敷きながら、もう一度今度は舌を出してぺろりと舐めて見せる。
「・・・・・・っ!」
「ほら、香穂子。あ〜ん・・・」
「あ〜ん・・・んっ。美味しい!」
「だろ? 棒の先に付いてるから、二人で交互に食べられるのが、ありがたいよな。次は俺が舐めて、ほらあんたの番」
香穂子が微かに目を見開き、喉元がコクンと動いたのを衛藤は見逃さなかった。最初は躊躇いがちに小さな舌が舐めるだけだったのに「美味しい!」と、たちまち頬を綻ばせたら、ひな鳥のように口を開けて自分から求めてくる。ぱくりと食いつき口の中で転がしたり、棒の先に付く丸いキャンディーへ吸い付いたり。
キャンディーの甘酸っぱさが気に入っただけじゃなくて、二人でこうやって食べ合うのが楽しいみたいだな。本当の目的はこの後にあるのに、楽しくて止められなくなる。あんた、デザートに飾られてあるチェリーを幸せそうに食べながら、いつも言ってたよな。サクランボは、キスをしたくなる恋の実、なんだろ?
「そう、その調子。じゃぁそろそろ、このキャンディーが無くても、大丈夫そうだよな」
「え!? ねぇ桐也、どういうこと?」
「つまり、今食べたキャンディーと同じようにすればいいんじゃないの。舐めたり頃がしたり可愛く吸ったり・・・さ。舌でキャンディーを転がすあんた、すごく楽しそうな顔してた。マジで可愛い。早くキスしたい・・・絡ませたいって思う」
「桐也・・・・。このチュッパチャプスは、キスの練習だったの?」
「はっきり言われると、照れるじゃん。ま、つまり・・・そういうこと。って、おい、香穂子!」
重みをかけないように両肘で支えていた身体は、持ち上げられた香穂子の腕に捕らわれ、あっという間に抱き寄せられた。慌てて起こそうとしても抱きついて離れず、伝わる振動から、胸にしがみつきながら涙を堪えているのが分かった。苦しくないように様子を見ながら少しだけ重みを預けて、穏やかな呼吸を導くように髪をゆっくり撫で梳いてゆく。
「ねぇ桐也・・・」
「どうした、香穂子」
「キスして・・・いい? 私ね、桐也にキュンとする恋するトキメキを、ドキドキの緊張感じゃなくて、嬉しい気持ちや幸せな気分に変えたいの。それを桐也にも伝えたい」
「いいぜ、しっかりうけとめてやるから。ちゃんと舌、挿れてくれよな」
今にも火を噴き出してしまいそうなのに、真っ直ぐな想いを届ける眼差しは逸らさずに、コクンと小さく頷いた。心も頬も唇も、何もかもが緩むままそっとキスを重ねれば、薄く開いて迎えた隙間から、ぎこちなく忍び込む小さな可愛い舌。
美味しいねとそう笑ってチェリー味のチュッパチャプスを舐めたように、無邪気な舌が悪戯に刺激する。
ささやかに触れるキスの刺激もいいけれど、柔らかな舌と腔内熱さに包まれて、溶けそうになる。二人で絡め合いながら溶け合うこの感覚、あんたの中に俺を挿れた時に似ている。なるほどね、どうりで気持ち良いわけだ・・・あんたも、そう思うだろ?
心で感じる開放感と一体感、溶け合う身体への近道だと想う。そうすれば心だけじゃなくて唇も身体も・・・触れられる全部が自然と柔らかくなれると思うから。