乙女心と秋の空

彼女の音色だ・・・。


森の広場で、ふと耳に届いたヴァイオリンの音色。
どんなに多くの中でも遠くかすかでも、日野の音だとすぐに分かる自分が、少し誇らしかったりする。
惹かれるように、導かれるように、音色の糸の先を辿っていった。



どこまでも高く、果てしなく広く。
雲一つ無い、青く澄んだ秋空の下に、彼女はいた。
響き渡る音色が秋空に溶け込む様を心地よさそうに浸りながら、ヴァイオリンを奏でている。
日差しを浴びながら凛とたたずむ彼女の美しい立ち姿に、思わず目が奪われた。


鮮やかではっきりしている空と、春のような暖かさを併せ持つ、爽快で気持ちの良い秋の気候。
それはまるで、彼女自身。
君が生み出す音色のようだと思う。


音は瞬間、そして永遠。
青空の声を、秋風の囁きを、溢れる光のさえずりを、そして大地の歌を。
心の耳で聞いてごらん・・・・・・。


音の衣を纏い、楽しげに舞うような君の声が、俺に優しく呼びかける。
流れ星のように輝いて、飛び込んだ心の中に溶けていく響きを、抱きしめるように受け止めた。


綺麗だな・・・・・。


惹き付けられて、離れない・・・・。
甘く優しい音色だけでなく彼女の全てから、ずっと視線を反らせずにいた。


女性の立ち姿に強い印象を受けるのは、やはりヴァイオリンをやっているからかもしれない。
柔らかさを保ちながらまっすぐに伸びた背筋と、延長線上にそっと置かれた頭部、整ったバランス・・・。彼女の心と体を、調和させたようだと思った。




「月森くん」


呼びかけられてハッと我に返ると、笑顔の君が、屈むようにして俺の顔をのぞき込んでいた。
触れてしまいそうなほど、すぐ目の前で。


「聞いてくれてたんだね、ありがとう。ヴァイオリンに夢中になって、気がつかなかったよ」
「・・・・・・・・・・」
「どうしたの? ボーッとしちゃって。あっ、もしかして、私の音色に聞き惚れてくれたとか?」


俺を覗き込んでいた顔を離して体を起こしつつ、クスリと軽やかに笑う。
まぁ、それに近いかもしれない。


「・・・すまない。その・・・つい、君に・・・魅入ってしまったんだ。綺麗だなと、思って・・・・」
「えっ・・・綺麗!?」


驚いて目を見開きつつも、紅葉のようにほんのり頬を赤く染めて照れる君。ヴァイオリンを抱えたまま、はにかんだように微笑む姿が、とても可愛らしい。
なぜか、一緒に連られて顔が熱くなってしまう。


あ、でも主語が抜けていたな。
伝わっているのかもしれないが、言葉でも、ちゃんと伝えた方がいいだろう。


「あ・・・いや、姿勢が・・・・」
「へっ!? し・・・せい?」


小さく呟いた途端に、日野の表情が急変した。
むぅ〜っと俺を睨んで頬を膨らませ、先ほどとは別な感じで頬を真っ赤に紅潮させていく。
仕舞いには俺に背を向けて、さっさとヴァイオリンを片づけ始めてしまった。


「日野?」
「何でもないっ!」
「一体急にどうしたんだ。何でもなくは、無いだろう?」
「月森くんなんて、知らないっ!」
「あっ・・・・・おっ・・・おい、日野っ!」


俺に背を向けたままヴァイオリンケースを抱え、プイとそっぽを向いて駆け去ってしまった。
呼び止める為に伸ばした手が、空しく秋空に漂うままに・・・・。


俺は何か、君の気に障ることを言ってしまったのだろうか?
言葉が足りなかったのか?
君が誰よりも綺麗だと、心からそう思ったのは、本当だったんだが。



爽やかで心地良いのも秋の空なら、ふとしたことで変わりやすのも、また秋の空。
晴れていたのに、いつの間にか曇ったり。暖かかったのに、気づけばとても寒くなっていたり。
一瞬ごとにくるくる変わる喜怒哀楽の表情や、ちょっと分かりにい君の心と同じように、とても繊細でデリケートなもの。


女性の心は、分かりにくいな・・・・。
それよりも、彼女を追いかけなければ。




頬を膨らませながら勢い込んで走る香穂子に追い着いた月森が、ツンとそっぽを向く彼女に、必死に話かける。香穂子がチラリと彼を向き、やがてふわりと微笑み返した。


変わりやすい秋の空と同じように、きっとご機嫌斜めな彼女の心も、すぐに変わる筈。
いつまでも浸っていたい・・・爽やかで、暖かいものへと。