待ち合わせ

ヨーロッパの長い歴史をそのまま切り取ったような石造りの建物と、近代的なビルが互いに心地良く共存している・・・そんな俺達が暮らすこの街を演出しているのは、生い茂る緑と木漏れ日が眩しい街路樹や、様々に凝った形を見せる街灯。そして最も彩を添えているのは他の何物でもなく、俺の手をしっかり握り締めて、隣に寄り添いながら楽しそうにはしゃぐ君なのだと思う。




香穂子と結婚した今でも、2人の時間を大切にしているから休日のデートは欠かさない。
君と腕を組み、あるいは指先から絡めるようにしっかり手を握り合いながら、のんびりと景色を眺めて語り合い森や街の中を散策する。ただそれだけでも、何気ない風景が全く違うものに見えてくるのだ。


マンホール蓋の模様やレトロな共用水道栓、気迫を感じる立ち姿の赤い消火栓など・・・いつもは気にもとめないが、香穂子と歩いていると目にする様々な歩道の小さな顔たち。こうして立ち止まって目を向けると、彼女に話しかけられる彼らも、何だか嬉しそうだったり照れくさそうだったり。


足元に整然と敷き詰められた石が広がる歩道は自然の石ゆえに時折凹凸があり、決して歩き易いとはいえないけれども、のっぺらぼうのアスファルトと違って、石畳には表情があると思う。
しっとりと雨に濡れた時だけに見せるいつもと違う色や、石の間から覗く雑草や苔の微笑ましい緑など・・・。


「香穂子、足元が不安定で歩きにくいだろう? 転んだら大変だ、道を変えようか?」
「ありがとう、大丈夫だよ。一歩足を置くたびに、石畳と足の裏がお話しているみたいなの。凄く楽しいよ」
「ならば、いいのだが・・・」
「それにね、嬉しいの。この道のお陰で蓮の腕に、ギューってしがみ付けるから!」


靴のヒールがはまって歩きにくそうな香穂子は、転ばないようにと俺の腕にしっかり掴りながらも、不満を漏らすどころか逆にはしゃいでいて。彼女の温もりと押し付けられる柔らかさを腕に感じながら、このままずっと石畳が続けばいいのにと思わずにいられない。降り注ぐ太陽と石畳の照り返しを受け、真っ直ぐ俺を振り仰ぐその笑顔は一際眩しく輝いているように見えた。





「ねぇ、蓮・・・。私ね、デートの待ち合わせがしたいな」
「待ち合わせ?」
「駅まで迎えに行くのは別だけど、一緒に暮らしてからお出かけの時に、待ち合わせしなくなったでしょう?」
「わざわざ別の場所で待ち合わせる必要が無いしな。俺はずっと君と一緒にいられるから、とても嬉しい。だが香穂子は、今のままでは何か不満があるのか?」
「違うよ、私だって蓮のお陰で毎日幸せいっぱいだもん。あのね、高校生の頃とか結婚する前は出かける度に待ち合わせしたり、蓮が私の家まで迎えに来てくれたじゃない」
「そうだな、休日になると良く出かけていたのを思い出す・・・懐かしいな」
「デートの前から蓮の事を考えて、会いたい気持が溢れそうだったり。今日の私は可愛いかな・・・まず会ったら何を言おうとか、鏡の前でドキドキしてたんだよ。そういう感覚を、もう一度味わいたいな〜と思ったの」


駄目かな・・・と、心配そうに眉を寄せて俺を見上げていたけれども、途中でハッと何かを気付いたのか香穂子は真っ赤に頬を染めて慌て出し、誤魔化すように絡めた腕をブンブン振り回してバタつかせる。
今でももちろん、毎日蓮にときめいているからね!・・・とこちらが照れてしまいそうな言葉を必死にそう言って。
彼女の慌てぶりの可愛らしさに小さく笑いながらも、腕を引寄せ見つめ返し、緩めた瞳と触れる肩先で温もりを伝えた。


「では、これから待ち合わせをしようか」
「えっ、本当に!? でもどうやって?」
「こういうのはどうだろう。今からお互いが別々の場所で自由に過ごし、決めた時間と場所にもう一度待ち合わせる・・・というのは?」
「あっ、それ素敵! そうしようよ!」
「今からちょうど2時間後に、市庁舎前広場の噴水の所で構わないだろうか」
「うん、いいよ。あそこなら近くて分かりやすいし・・・2時間後だね。うわ〜どうしよう、凄くワクワクする!」


絡めた腕からするりと抜け出すと俺の正面に立って手を取り、心と同じく足取りも軽い彼女は後ろ向きに歩きながら、早く早く〜とせがんで道の先へと導く。後ろ向きでそんなにはしゃいでは危ないからと優しく宥めて隣に肩を並べ、温かく包まれ引かれるままだった手を、指先の一本一本から絡めて握り合わせた。





少し先の交差点で立ち止まると指先から絡めた手をゆっくり解い向き合って、私はこっちと香穂子が右を指せば、では俺はこちらにと左の道を指す。


「香穂子、くれぐれも気をつけて。人通りの少ない場所や、路地裏には絶対に行かないように。何かあったら直ぐに俺の携帯に連絡するんだ」
「は-い! 蓮も気をつけてね。寂しくなっても、約束の2時間後までは絶対に我慢しようね」
「・・・・・・・・・」


今にも弾け飛んで行きそうな彼女は、俺の手をしっかり両手で包み込みながら、痛い所を突いて逆に宥め励ましてくる。俺の心配は君に届いているのかいないのか・・・それより俺はもう既に、君と離れがたい寂しそうな顔をしていたのだろうか・・・と。様々な想いが入り乱れて、向ける微笑みの裏では気付かれないように、込み上げる苦笑を漏らすしかない。

振り返りながら手を振る彼女に俺も小さく手を振り返し、人の波に埋もれて消えるまでその背を見送った。






そして2時間後、市庁舎前広場。
この街に暮らす人々の憩いの場や待ち合わせの場所でもある大きな噴水を囲む石枠の淵に腰を下ろし、香穂子を待ちながら、絶え間なく噴き出す水飛沫のメロディーに耳を傾けていた。


出かける為に君と待ち合わせをするなんて久しぶりだから、随分早く来てしまったけれども、市庁舎正面の大時計を見ば、待ち合わせ時間までようやくあと僅か。

座った脚の上に置かれた手の中にある小さなブーケを眺めながら、もうすぐやってくる彼女へと想いを馳せれば、花たちも早く彼女に会いたいと俺に微笑みかけているようにも見えて、同じように瞳と頬が緩んでしまう。
ピンク色の花を基調に数本束ねられたそれは、両手にすっぽり収まるほどのコンパクトで同色のラッピング。一人で時間を潰している時に通りかかった花屋で、作ってもらったものだ。

恋人に贈るのかい?と訪ねてきた店の主人に、いえ・・・妻にと言ったら、おまけだよとそう言って。青い小さな小花をあしらってくれた。こうして眺めるとなぜだろう・・・ピンク色だけの時よりも、指し色に青が加わった今方が生き生きとしてみえるのは。


俺たちもきっと同じだと良いと思う・・・この小さな花束のように・・・。






「蓮、お待たせ!」


ふと目の前が暗く陰り、視線を上げると後ろ手に組んで俺を覗き込む笑顔の香穂子がいた。
たった2時間ぶり・・・それだけなのに、君に会えた瞬間に感じた言葉に出来ない嬉しさで、心が弾けてしまいそうになる。声を聞いただけでこんなにも心踊り、待ち遠しくて堪らなかった感覚を味わったのは、確かに彼女の言うように随分久しぶりだと思った。


「ごめんね、待った?」
「いや、俺もちょうど今来たところだから」


そう言って俺が立ち上がると互いに顔を見合わせて、堪えきれずに小さくプッと噴き出した。
何だか変な気もするけれど、やはり・・・たまにはいいものだなと思う。
共に歩く事の出来る幸せと、俺にとってどれだけ君が大切で愛しい存在かを、改めて俺に教えてくれたから。


「遠くから蓮が見えた時には凄く嬉しくて、駆け寄って飛びつきたくなっちゃった。私は蓮が大好きだよ〜って言いながらね。早く会いたくて、一人でいる時もずっと蓮の事ばかり考えてたの・・・」
「俺もだ。君と一緒にいる2時間はあっという間なのに、一人だとこんなにも長いものだとは思わなかった」
「あれ!?そのブーケ・・・・・・」
「あぁ・・・これか? 香穂子の事を想って街を歩いていたら、花屋の前を通りかかった時に、ふと呼びかけられたような気がしたんだ。君に似合うといいのだが・・・良かったら、受け取ってもらえるだろうか?」


喜ぶ笑顔が見たい・・・君の為に何かしたいと、そう想って花の一本一本から選び、心を込めた大切な贈り物。
持っていた小さな花束に両手を添えて、彼女の胸元へと俺の心ごとそっと差し出した。

だが俺の予想に反して笑顔どころか、信じられないものを目にした時のたように、目を見開いている。最初は驚くだろうと思い、様子を伺っていたけれど・・・固まった表情が緩む気配は少しも現れない。


ひょっとして、気に入らなかったのだろうか・・・。
何故そんなにも、隠し切れない程に驚いているのだろうか・・・。


急に不安が過ぎり、息が詰まる苦しさを感じて眉を寄せると、じっとブーケに視線を注いだまま固まっている香穂子に勤めて冷静を装い穏やかに声をかけた。
今は俺の事よりも、彼女に何かあったのではという方が心配だから・・・。



「香穂子、どうか・・・したのか?」
「ご、ごめんね・・・ボーっとしちゃって・・・。偶然ってあるんだなって、ちょっと驚いちゃったの・・・。実は私も・・・蓮にあげようと思って・・・・・・」


呼びかけにハッと我に返った彼女は後ろ手に組んだままポツポツと言葉を紡いでゆくと、気持を落ち着かせる為か、深く大きく深呼吸をした。蓮も驚かないでね、と言ってふわりとはにかみながら、大切そうにそっと背に隠していた物を俺の前に差し出したものは・・・。

ちょうど俺の持つピンク色と同じ大きさの色違いで、まさに対になるような、青い花を集めた小さなブーケ。
青色の花たちの間にピンク色の小花が散りばめられ、愛らしさを添えていた・・・まるで君のように。俺がそうであったように、君も花の1本1本を俺を想いながら選んでくれたのかと思うと、どうしようもなく胸が熱くなるんだ。



本当に、何と言う偶然なのだろう。
俺も香穂子も目を丸くして互いに差し出した花束を見つめていたけれど、いつの間にか驚きに見開いた瞳が柔らかく緩み出し、どちらとも無く小さな声を立てて笑い出した。


「俺達、同じ事を考えていたんだな」
「ね・・・ビックリでしょう? ふふっ・・・やっぱり夫婦だよね」
「もしかしたら、俺と君が立ち寄った花屋も同じ店かも知れないな。 さぁ、デートの仕切りなおしだな。どこか行きたい所はあるか?」
「じゃぁ、足の向くまま気の向くままに! 蓮と一緒なら私はどこに行っても楽しいし、きっとまだ私たちが見つけていない素敵な場所に出会えると思うから」
「2人で創る新しい道・・・と言う事だな」


くすぐったさが込み上げる中、ありがとう・・・とそう言って微笑を交わしながら、お互いにブーケを渡し合う。
では行こうか・・・と差し出した手をするりと身軽に交わした彼女は、俺の腕にぎゅっと絡めてしがみ付き、擦り寄るように頬を寄せてくる。ゆっくりと歩き出しながら、見て?と嬉しそうにピンクのブーケを目の前に差し出してきた香穂子へ、俺もグラスで乾杯をするように、彼女から受け取ったブーケを差し出し触れ合わせた。





ここは一人で歩くよりも好きな人と二人、腕を組みながら歩くのが似合う街。
そして俺たちも、この風景の一部になって語り合うのが、きっと一番素敵な過ごし方なんだ。


「香穂子・・・・・・」
「なぁに?・・・・・・っ!」



幸せそうに頬を綻ばせながらブーケに鼻先を寄せて花の香りを楽しんでいた香穂子が、その幸せそうな笑みのまま俺を振り仰ぐ。一瞬立ち止まり、彼女の腕を強く引寄せ懐に抱くと身体を屈め、驚く間も与えない程の早さと自然さで、そっと触れるだけのキスを贈った。笑みを湛えたままの唇に、俺も微笑みを唇で返しながら・・・。



口付けを交わす俺達のシルエットは一つに重なり、光り輝く大きな噴水の前に長く黒い影を映している。
そして背後で一際高く音を立てて吹き上がった水飛沫は祝福を奏でる鐘を鳴らし、賑やかに宙を舞い踊る欠片たちは、優しい歌を歌いながら温かく俺達に降り注いでいた。




どんな時も・・・いつでも想っているよと優しく想いを伝えてくる手の中のブーケと、すぐ側にある温もりと笑顔。

俺の手には君がくれたブルーのブーケを、君の手には俺が渡したピンクのブーケを持って。そして湧き上がる温かさに包まれた心の中には、いつまでも枯れる事の無い想いの花を胸いっぱいに携えながら・・・。