寝顔は天使か小悪魔か



朝一緒に登校してお昼休みと放課後にも練習をして、もちろん帰る時も一緒。休日には練習の後にデートもしたり・・・過ごす日々を重ねるうちに、私だけに見せてくれるいろいろな蓮くんを発見するのが嬉しくて。大好きな蓮くんの事を、もっと知りたいなって思うの。あなたを知るたびに一歩ずつ近づくから、私の心にあるパズルのピースが埋まってゆく。するとほら見て? そっと私の心を覗くと、キラキラな青色に輝くあなた色に染まってゆくでしょう?


恋は焦らずお互いにゆっくり大切に育もうと、優しく手を握りしめながら微笑む蓮くんがそう言ってくれた。蓮くんの心のパズルはどれくらい私色が溢れているんだろうって気になると止まらなくて、ちょっぴり心が焦る私に気づいたのかな。
好きな食べ物は無糖のヨーグルトだよね、他にはえっと・・・えっと。好きなごはんも今まで過ごしてきた日々も起きる時間も、私も蓮くんの事を本当は、まだ何も知らないんだって気づいたの。それでも蓮くんが好き、蓮くんが奏でるヴァイオリンが好き。

不思議だなと琥珀の瞳を緩めて私を映したあなたも、同じ気持ちなんだね。好きっていうのは、あなたをもっと知りたいと思う形なのかも知れない、ね?そう思うでしょう? 嬉しかったりドキドキしたり、時には真っ直ぐぶつかって衝突することもあるだろうけれど、こすりあってだんだん角が丸くなる消しゴムみたいに、これから私たちも少しずつお互いを分かり合うんだよね。


好きな気持ちが溢れてくると、あなたの事がもっと知りたくなる。好きな人の事を知るには、相手の前で眠ったふりをするのが良いって、クラスの友達が言っていたの。眠っているから気を許してくれて、いつもとは違う一面・・・硬さがほどけた本当の姿が見えるんだって。たとえば髪をなでてくれたり、寒くないように毛布をかけてくれたり、そっとキスをしてくれたり・・・本当なのかな? 


でもね、もし触れられたらびっくりして心臓が飛び跳ねるし、頬や瞼がぴくぴく動いちゃうと思うの。ときめきの予感の中に小さな不安もあってちょっぴり怖いけれど、でもやっぱり知りたいもの。あなたの心の中が知りたい・・・蓮くんが私の事をどう思っているのかを。だからね、ちょっぴり嘘をついて眠ったふりをする私を許してね。


「・・・!」


あっほら! ドアをコンコンとノックする音が聞こえるよ、飲み物を取ってきてくれた蓮くんが、お部屋に戻ってきたみたい。どうしよう、急いで眠らなくちゃ・・・えっと、どこか良い場所は無いかな? 物が少ないシンプルな彼の部屋をきょろきょろと見渡して、うたた寝ができそうな場所を探してみた。床に丸くなるのは変だよね、ベッドは・・・気持ち良さそうだけど、そのまま抱きしめられちゃいそうだから困るし。じゃぁ窓辺の陽だまりなんてどうかな? ポカポカな壁に寄りかかれば温かくて眠くなりそうだよね、そうと決まればさっそく移動しなくちゃ。


立ち上がって窓辺に駆け寄ると、陽だまりの泉にぽすんと腰を下ろして座り、窓の下にある壁に背を預けて寄り掛かってみた。温かく透明な光の羽に包まれるのが気持ち良くて、本当に眠くなってしまいそう・・・羽に包まれた私も、ふわふわ飛んで行ってしまうかも。ねぇ蓮くん、早く私を捕まえに来て?




「香穂子、待たせてすまなかったな。君が借りたいと言っていたCDを、リビングの棚から探し出すのに手間取ってしまった。紅茶と焼き菓子も用意したから、お茶にしないか? ・・・香穂子?」
「・・・・・・・・・」
「・・・香穂子、眠っているのか?」


足音を立てず静かに近づく気配が目の前でピタリと止まれば、胸の鼓動が駆け足で踊り出すの。眠ったふりをしているのが蓮くんに見つかっちゃうから、ちょっとだけ静かにしてね。自分自身に言い聞かせるけれど、鼓動が跳ねるたびに私の身体も飛び跳ねているんじゃないかと思うくらい、胸の音は更に高まるばかり。瞳を閉じていても、蓮くんが私の顔をじっと覗き込んでいるのが、ほっぺにかかる熱い吐息と気配で感じる。どうしよう、くすぐったくて顔がぴくぴく動いちゃいそう。目を開けたいけれど、ここはぐっと我慢しなくちゃ。


「まったく君は・・・いくら陽だまりでも、こんなところで眠っていたら風邪を引いてしまうぞ。壁に寄りかかった床の上では、身体も痛いだろう。もし傷めてしまたら、ヴァイオリンの演奏にも影響するぞ。・・・ほら香穂子、起きてくれ」
「・・・・んっ・・・・すぅ・・・・・・」


私の肩を掴んでゆさゆさと揺すぶってくるけれど、ここで負けちゃ駄目だから私も必死に眠ったふりを続けなくちゃ。最初は厳しいお叱りから入るのは、起きていても眠っていても同じなんだね。きっとむぅっと眉を寄せて難しい顔をしているんだろうな。眠ったふりって難しいんだね、目を閉じていても指先や吐息であなたの気配を感じるから、じっとしている嬉しくてくすぐったくて。いつもみたいに緩む頬のまま、子猫みたいにすり寄りたくなる自分を抑えるのに必死なんだよ。

あれ・・・どうしたんだろう? 蓮くんってば急に黙っちゃったけどどうしたのかな?


「・・・まるで子猫だな。陽だまりに丸くなる君は、とても気持ち良さそうだ。眠っていても、くるくる表情を変えるのは、香穂子らしいな」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「香穂子の寝顔を見ていると、安心する・・・無邪気であどけなくて、可愛らしい。どんな夢を見ているのだろ。できることなら、俺も、君の夢路の傍にありたいと思う」


くるくる顔が変わるのは、じっとしていられずに動いたからだというのは、蓮くんには内緒ね。あっほら・・・蓮くんが動いたよ。私のほっぺがひんやりする彼の手に包まれて・・・そのまま髪の毛を指先が撫で梳く感触がとっても気持ちいの。お風呂の湯船に付かているみたいにポカポカな心は、だんだん真夏の日差しみたいに暑さを増すから火を吹いてしまいそう。このままじっとしていたら私が壊れちゃうかも、ドキドキ跳ねる心臓が破裂寸前だよ。


「どうして君は・・・俺の部屋で無防備に眠るんだ、警戒心というものが無いのか。俺だって男なんだ。君に触れたいという想いをずっと心の奥に押さえているのに、いとも簡単にその堰を破ろうとする。・・・眠っている君に話しかけても答えは返ってこないのに、どうかしているな俺は。いや・・・だからこそ、普段言えない想いを伝えたいのかもしれない」


いつも蓮くんがまとう透きとおるミントの香りが、ふわりと羽のように私を包み込んだ。香りに乗って運ばれる見えない言葉が一緒に伝わり、心を震わせるの。抱きしめられるように前から覆う温もりは、ブランケット? うぅん違う・・・目を閉じていても分かるよ、すっぽり包み込むこの感触と大きさは、蓮くんが来ていた制服のジャケットだと思うの。風邪を引かないように、そっとかけてくれたんだね・・・嬉しくて幸せだよ。ありがとうと心の中で微笑むと、ほんのり残っている彼の温もりを、しっかり閉じ込めるように心の手で自分を抱きしめた。


私に語りかけるように、自分自身に言い聞かすように・・・優しく穏やかに語りかけながら髪を梳いてくれる。穏やかな鼓動を導くように、ゆっくり穏やかな速さで。蓮くんはヴァイオリンの代わりに、私の髪へ指先を絡めながら、子守唄を奏でてくれるの。あんなにドキドキ飛び出しそうだった心臓は・・・ほら、膝の上で丸くなる子猫みたいに、すっかり穏やかな寝息を立てているよ。不思議だね、大好きなあなたの指先は私の心も奏でてくれるみたい。


いつどのタイミングで目を開けようかなと迷っていたけど、眠ったふりをしたまま、本当に眠っても良いかなと思えてくる。光の羽をまとった意識がふわふわと空へ舞い上がりかけたその時、唇に触れたのは振りかかる吐息と、しっとり柔らかな唇の感触。蓮くんがキスをしたんだ・・・眠っている私に、そう気づいた瞬間に火を噴いた私の顔が熱く疼きだした。

軽く触れるだけだけど、唇から流れ込む蓮くんの想いが熱さになって私の中へ流れ込んでくるのを感じる。吸いつく唇から伝わるのは、大好きだよの温かく幸せな言葉たち。背筋を駆け抜けた甘い痺れと恋の媚薬に、酔わされてしまいそう・・・もう駄目、あなた色に染まった心の中が溢れてしまいそう!


すがりつけない身体の代わりに、蓮くんがかけてくれたジャケットの中できゅっと裾を掴んだ。眠っていたふりをした私を怒るかもしれないけど、でも・・・真っ直ぐ受け止めた想いは返したいの。私も蓮くんに伝えたい、大好きだよって。名残惜しげに唇が離れた後に、勇気を奮って数を三つ数えたら、閉じた瞼をゆっくり開けば、吐息が絡む近さで私を見つめるあなたがいたの。目覚めた最初に映ったのは、驚きに目を見開き、真っ赤なりんごみたいに顔を染めた蓮くんが。


「・・・・っか、香穂子! 起きていたのか! いつから目が覚めていたんだ!?」
「う、うん・・・実は最初からずっと起きていたの。好きな人の事を知るには、相手の前で眠ったふりをするのが良いって、クラスの友達が言っていたから、蓮くんの事がもっと知りたくて。大切に思われてるのが嬉しくて、優しくしてくれる幸せをずっと感じていたくて・・・目を開けるタイミングがなかなか掴めなかったの。嘘ついてごめんなさい!」
「・・・俺が香穂子に語りかけていた独り言も、全部聞いていたんだな・・・・・」
「嬉しかったの、蓮くんの気持ちも優しさも、眠った私にくれた熱いキスも。私も大好きだよって、伝えたかった。連くんが眠っていたら、私も同じことしてたと思うもの。でもやっぱり起きているときに聞きたいし、ちゃんと伝えたい」


目を開ければ、私を包んでいたのはやっぱり蓮くんが着ていたジャケットだった。顔を埋めるように俯きコクンと頷けば、赤く染まったままの口元に手を当てて、フイと顔を逸らし、思いっきり深い溜息を一つ吐いた。
どうしよう、怒ったのかな? 呆れちゃったのかな。


蓮くんの心を傷つけてしまったらどうしようと、心配と不安で胸が張り裂けそうになったその時、視線を戻した蓮くんが膝立ちのまま近づき距離を詰めてきた。伸ばされた手にぴくりと身をすくめると、私を包んでいた彼のジャケットが取り払われて、フローリングの床の上へ羽のように舞い降りる。真摯に射抜く瞳から反らせないまま、今度は不安と緊張で高鳴る鼓動を必死に宥めていると、琥珀の瞳が柔らかに緩み微笑みに変わった。


「蓮くん、ごめんね? 怒ってる?」
「怒っていはいないから、安心してくれ。だからどうか、泣きそうな顔をしないで笑って欲しい・・・俺の大好きな君の笑顔で。香穂子を不安にさせてしまうほど、上手く気持ちを伝えきれなかった俺の責任だ。何度でも君に伝えよう、心にある想いを言葉という形にして。香穂子、君が・・・好きだ。本当はずっと君を手放したくない、このま抱きしめていたいんだ」
「私も大好き。蓮くんが大好きだよ。もっともっと、蓮くんの事が知りたいの」


また新しく知った蓮くんが、ハート型のピースになって私のパズルを埋めてゆく・・・綺麗な青へ染まってゆく。

驚く暇もなく気付けば腕の中へ抱き寄せられていて、陽だまりに溶けた蓮くんが包み込んでくれている。ジャケットではなく彼自身の温もりと、すぐ目の前にあるしなやかな髪からほのかに香るミントの透明さで。顔を埋めながらそっと腕を背中にまわしてしがみ付くと、私を抱きしめる腕にきゅっと力がこもるのを感じた・・・。お願い、心にまであなたの印がつくように、もっとギュッとして欲しいな?


抱きしめられた腕の中から振り仰ぐ瞳に降り注ぐ窓辺からの光と、煌めく泉を湛えたあなたの眼差し。
奏でる二つのヴァイオリンが一つの音色に重なるように、あなたと私の鼓動も一つのハーモニーを描き出すの。
引き寄せ合うままに閉じた瞳は、恋の扉を合図。眠ったふりでも不意打ちでもなく、もう一度確かな言葉でキスをしませんか? 私とあなたの微笑みを浮かべたままの唇が、柔らかく甘い、幸せなキスを歌うから。