無自覚の誘惑




「香穂子は甘いもの、好きか?」
「うん、大好き! あっでも、俺とどっちが好きかって言わないでね。甘いデザートもお菓子も、衛藤くんがくれる甘くて蕩けそうなふわふわも大好きなの!」
「・・・そっか、じゃぁ行くぞ」
「えっ!? 行くってどこ行くの?」
「他のヤツがいない、二人きりになれるとこ」


放課後の正門前で待ちかまえていた衛藤に、前触れもなく、甘い物が好きかと質問された香穂子は、迷うことなく二つ返事で即答した。どこかほっと安堵したような表情の変化に気付く間もなく手を掴まれ、じゃぁ行くぞと一言告げて歩き出す。どこへ行くのか分からないながらも、甘いもの=スイーツだと期待を膨らませる香穂子は、風がふわりと運ぶ甘い香りにぴくりと鼻を震わせ、幸せそうな笑みを浮かべていた。

おごってくれるのかと無邪気な問いかけに、ほんの一瞬沈黙を漂わせた後で「・・・まぁな」と珍しく言葉を濁し、ふいと顔を背けてしまう。手を繋ぎながら隣で見上げる横顔は、どことなく緊張しているように思う。少し驚き不思議そうに小首を傾げた香穂子は、約束は無かったのに迎えに来てくれた事や、いつもは私服なのに今日は珍しく学ラン姿なのが嬉しくて。会話のようにきゅっと手に力を込めながらふり仰ぎ、弾む心のまま自然と足取りも軽くなる。


「今日の衛藤くん、甘い香りがする。ケーキみたいで美味しそう、食べちゃいたいな」
「自分じゃ分からないけど、そんなに臭うか? さっき暁彦さんにも言われたんだ」
「暁彦さんって、理事長の事だよね。そっか、学院に来てたのは理事長に用事があったんだね・・・」
「なにしょげてるんだよ。さては、私に会いに来たんじゃ無かったんだねって落ち込んでるな、可愛いヤツ」
「・・・なっ! 違うもん。落ち込んでなんか、無いよ。約束していなかったけど、海岸通り行けば衛藤くんに会えるかなと思っていたなんて、そんなこともないもんね」


ぷぅっと真っ赤に頬を膨らませて、違うと強気に睨むけれど、あんたって本当に嘘がつけないんだな。隠すどころか、正直にそのまま言ってるぞ。でも会いたいと思ってくれた気持ちを真っ直ぐ伝えられて、嬉しくないわけないだろ? まぁ、香穂子の素直さや、真っ直ぐなところが俺は好きだけどさ。唇を噛みしめながら拗ねる顔も可愛いけど、やっぱり笑顔でいて欲しい。香穂子に渡そうと思って持っていた、甘い香りを漂わせる小さな紙袋が、あんたの所へ早く行きたいって急かすから、俺も素直に打ち明けるよ。


そうして辿り着いたのは、いつも立ち寄る小さな児童公園。公園のどこにケーキがあるのかと、きょろきょろと周囲を見渡す香穂子は、お腹が空いたと困ったように甘い瞳でふり仰ぐ。くんくんと鼻を寄せる香穂子に自分が食べられてしまいそうで、迫る愛らしい顔に思わず衛藤が後ずさってしまうのは、まだ残っている理性と戦う証。


甘いものを純粋にケーキや焼き菓子だと信じているけれど、もしも身体で感じる甘い物だったら、あんた、どうするつもりなんだ。学ランの袖に鼻先を寄せて、かすかに残る甘い香りに眉を顰める衛藤に、ね?美味しそうでしょと無邪気に微笑む香穂子が、あ〜んと口を開けて食べようとする。俺のこと、食べたいならいいぜ。あんたになら食べられても良いって思うし、俺はいつでもあんたが食べたいって、思っているからさ。

衛藤くんが隠し持っているその袋が怪しいのと、さっそく気付いた香穂子をベンチへ誘い座らせると、背中へ隠していた紙袋を手渡した。これから最高のデザートを食わせてやるよと、正面から真っ直ぐ告げて。


「暁彦さんにも用事があったけど、俺はあんたに会いたかったんだ。だからちゃんと正門前で、香穂子が練習終わるのを待ってたんだぜ。ほら、渡したい物もあったしさ。ここへ来る前に、甘い物は好きかって、言っただろ」
「うん、甘い物をごちそうしてくれるっていうから楽しみにしてたの。ねぇ衛藤くん、甘い物はどこにあるの?」
「・・・ほら、これ。あんたにやるよ。俺、飲み物買ってくるから先に食べてていいよ」
「ありがとう! 衛藤くんから甘い香りがすると思っていたら、この紙袋の中身だったんだね。開けて良いかな・・・って、あれもう行っちゃった」


ひょっとして中身を見られるのが照れ臭いんだろうかと、少し先の自販機で飲み物を買っている背中を見ながら思う。自分へのプレゼントを選んでくれた気持が、くすぐったいような嬉しいような幸せに満ちてくる。戻ってきてから開けるつもりだったが好奇心には敵わず、シンプルな茶色の紙袋をそっと開けると・・・。香穂子の瞳が驚きと興奮に見開かれた。


「うわ〜美味しそう、可愛いカップケーキだね。これってもしかして手作り!?」
「美味しそう、じゃなくて美味しいんだよ。俺が作ったんだから、当然だろ」
「・・・! 衛藤くん、戻ってたんだ。手作りって・・・凄い!でもこれ私がもらっていいの?」
「今日、家庭科の授業が調理実習だったんだよ。一人3個作ったから一つは自分で試食、もう一つは暁彦さんに差し入れして、あんたにもお裾分けって訳。クラスの中じゃ、味も見た目も俺が一番上手かったぜ」


手の平にちょこんと収まる丸いカップケーキは、生クリームと苺でデコレーションされていて、どこから見ても可愛らしい手作りケーキ。香穂子のはスペシャルサービスだぞと自信たっぷりに胸を張るのは、スポンジの真ん中にも好きな苺がたっぷり挟まっているから・・・らしい。


「衛藤くんと家庭科、衛藤くんとカップケーキ、衛藤くんとエプロン・・・」
「香穂子、何ブツブツ言ってるんだよ。悪いかよ、星奏学院だって家庭科は男女必修だって聞いたぜ」
「そっか、可愛い手作りケーキを他の人に見られたく無かったから、誰もいない所に行くって行ったんだね。へへっ実は私ね、ちょっとだけドキドキしていたの。甘いものでもケーキじゃなくて、キスとかの甘いものなのかなって」
「・・・なっ! ほら・・・いるのか、いらないのかはっきりしろ」
「いる! 食べます。衛藤くんの作ったカップケーキ、食べたい!」


勢いのまま身を乗り出し、コクコクと頷く香穂子に、むっと口をへの字に曲げていた衛藤も可笑しそうに微笑み、ベンチの隣に腰を下ろした。空の端を染めるオレンジ色を漆黒のベールが少しずつ覆い隠し、小さな星の瞬きが鈴の音色で歌い始める。外灯に照らされたベンチに座る香穂子へ、自販機で買った缶入りのココアを差し出せば、手渡すときに触れる互いの指先は、温かい缶よりも熱く心に焼き付き二つの鼓動を震わせる。

ありがとうと微笑む唇から零れる白い吐息と、香穂子が空を見上げるたびに好きだと頬を緩める綿菓子は、どっちが甘いんだろう。食べてみたら分かるなんて一瞬浮かんだ考えも、赤く染まった頬も顔も薄闇が優しく隠してくれるから、そっと寄り添い合えるのかもしれないな。なぁ、こっちこいよ、握ってる缶よりも俺の方が温かいぜ。


温かいココアの缶を包みながら、夜気に冷えた身体の暖を取る香穂子は、嬉しさと恥ずかしさを溶け合わせた桃色でこくんと頷く。いそいそと座る距離を詰めた膝が触れ合い、二つの熱さが溶け合えば、近くに誘ったのは自分なのに、ぐっと迫る近さと、甘えるようにもたれかかる頭の重みと痺れのように身体の芯へ駆け上るような気がした。ふわりと漂う甘い香りに、心も頭の中も霞んでしまいそうだ。


気恥ずかしいからなるべく見ないように視線をそらせるものの、本当は気になって一口囓る度に、じっと見つめてしまう。満面の笑顔でジタバタと悶えながら、美味しいねと心から生まれる上がる素直な想いを全身に表す感想に、じんわり温かい波が押し寄せてくる・・・そうか、俺はこの笑顔が見たかったんだ。


はじめは何となくだったのに、いつの間にか寝ても覚めても、あんたのことばかりを考えるんだ。自分でも分からない心のむずむず缶が、少しずつ熱い鼓動に変わって、ふいに甘く苦しく胸を締め付ける。高鳴る胸から頭に気持が伝わると、あんたが好きだって気付くんだ。何度でも。

香穂子のことが好きだから、俺の事も好きになって欲しいと思う。子供みたく素直に喜ぶ笑顔が見たいから、何が好きだろう喜ぶだろうかって想像して考えて・・・好きになったら止まらないんだな。


「あんた、子供みたいだな」
「衛藤くん、また私のこと子供みたいって言った・・・私子供じゃないもん」
「唇に生クリーム付けてるぜ、たっぷりと」
「えっ・・・本当!? や、やだ・・・やっぱり子供みたいかも」
「ほら、取ってやるからじっとしてろ」
「・・・んっ」


瞳を潤ませながら眉を寄せる香穂子の唇へ指先を伸ばし、端に付けた生クリームをそっと拭う。一度触れてしまった柔らかさに情熱の扉はいとも簡単に開かれ、クリームの付いた指先を舌先で舐めると、再び輪郭をゆっくり撫でて・・・。そのまま顎を捕らえ唇を重ねた。ほうっと甘い吐息で息継ぎをする香穂子は、最高のデザートだねと照れながら頬を綻ばせ、肩先へ愛撫をするように擦り寄りながら、コツンと小さな重みを預けてくる。

いつもは恥ずかしがるのに、今日はやけに積極的じゃん。
溶け合う温もりに鼓動は揺れて高鳴り、熱く求め始める・・・このままだと、本当に食べられてしまうかもな。


「衛藤くん、他にはどんな料理が作れるの?」
「カレーとか、この間は授業でハンバーグ作ったぞ」
「ハンバーグ! 私ハンバーグ大好き。ねっねっ、オムライスは?」
「それは確か再来週だった気がする。・・・ってまさかあんた、食べたいなんて言うんじゃないだろうな」
「私ね、オムライス・・・食べたいなぁ。ハンバーグでも大歓迎だよ、ダメかな?」
「はぁ!? 駄目かなって、何を可愛らしくおねだりしてんだよ。それで俺が落ちるとでも・・・」
「だってオムライスにケチャップで絵を描きたいんだもの、ハートとか音符とか。だってカップケーキがとっても美味しくて幸せなんだもの。衛藤くんが作った料理なら、毎日でも食べたいなって思うの。お腹だけでじゃなくて、心がポカポカしていっぱいなんだよ」


落ちるとでも思ったのか、そう言いたかったのに言葉が続かなかったのは、じっとひたむきに見つめる大きな瞳に閉じ込められ、心も眼差しも全てが吸い込まれてしまったから。どんなときも真っ直ぐ心のままを届けてくる直球勝負は、音楽も恋も変わらない。そう・・・なんだかんだ言っても悪い気がしないって思うのは、あんたの事が好きだからなんだぜ。結局惚れた弱みで落ちるのは、俺なんだ。


「それ普通逆だろ。お前の手料理が毎日食べたいって、俺が香穂子に言う台詞じゃん」
「そうかな? 気が散る、あんた邪魔! とか怒られながら、キッチンでお料理する衛藤くんを隣で眺めるの。でね、お手伝いしながら隣でこっそりつまみ食いしたり、あ〜んって口に運んでもらうのを味見をするんだよ」
「確かに邪魔しそうな気がするな、あんたぺったりくっつくから、きっと集中できないのが目に浮かぶよ。でもまるで新婚夫婦じゃん、それ。プロポーズみたいだぜ」
「・・・・え、新婚さん!?」


きょとんと目を丸くした香穂子の顔が、言葉を思い出すうちにようやく気付いたのか、たちまち火を噴き真っ赤に染まる。毎日手料理が食べられる環境、ということはつまり同じ屋根の下で生活をすると言うこと。それだけじゃない、手料理を作るには、俺があんたの家に行くってこと、知ってるか? しかも家族が誰もいない時に二人きりで。食べたいといいながら、食べてくれと・・・そう誘っているって事なんだぜ。


食べたいなら香穂子の為だけに作ってやっても、いいよ。じゃぁそうだな、俺が料理を作る代わりにあんたがデザートを用意するっていうのはどう? 食後にとびきり甘いデザートをさ。香穂子だけずるいじゃん、俺だって香穂子の手料理が食べたい。え? 上手く作れないって?

心配ないって、ほら・・・今も俺の目の前で、食べてくれと誘う甘い実があるじゃん。
どこにあるのと不思議そうに探す赤い唇に、香穂子が手に持ったままのカップケーキから、指ですくった生クリームをルージュのように乗せてゆく。クリームを舐めようと、覗かせた小さな舌を顔を寄せた唇で吸い取り、舌先でゆっくり輪郭をなぞってゆく。キスを重ねながら何度でも食べるよ、甘い果実を。