無防備にも程がある

夏至を過ぎると太陽は冬への道を辿るのに、夏の暑さはこれからが本番だ。
サウナのように湿度も高く、うだるような蒸し暑さは楽器のコンディションにも良くないし、俺自身も得意ではない。
だが休日に香穂子と過ごしていると、不快なものでしかない暑さも、心地良いものに感じてしまうから不思議だ。


きっと君が側にいてくれるからだろう。楽しい時間や嬉しい気持が、感じる気候さえも変えてしまうのか。
子供みたいに無邪気にはしゃぎ、見て触れる全ての物に感動する・・・元気で太陽のような香穂子に、夏はぴったりだと思う。





休日になったら、一緒に出かけよう----------。


約束していた待ち合わせ場所で右腕の時計を確認すると、どうやら予定より早く着いてしまったようだ。
きっと駆け足で来るだろうとか、まず何を喋ろうかなど・・・。強い日差しを避けて木陰に佇み、これからに想いを巡らせながら心を弾ませていると、予想通りに駆け寄ってくる一人の少女が見えた。赤い髪を跳ねさせながら足取りは軽やかに、俺に気づいて大きく手を振りながら。


組んでいた腕を解き、寄りかかっていた壁から背を起こして日陰の境目辺りまで出迎えると、太陽の塊がポンと目の前に飛び込んでくる。切れた息を肩で整ながら振り仰ぐ、満面の笑顔が太陽よりも眩しい。


「蓮くんお待たせっ、遅れちゃってごめんね」
「いや、香穂子は時間通りだ。俺が早く来てしまった・・・君に会うのが待ちきれなくて。暑い中を走ってきたのか? 急がなくていい・・・ゆっくりで。足元がサンダル履きの時は特に、怪我でもしたら危ないから」
「支度する前にシャワー浴びたら、さっぱりして気持ちよくなっちゃって。バスタオル巻いたままお部屋で寝ちゃってたの。目が覚めたらもう出かける時間になってたから、慌てて家を飛び出したんだよ。間に合って良かった。それにね、早く蓮くんに会いたいって思ったら、自然に駆け足になっちゃうの」
「・・・もし俺が君の家に迎えに行っていた、どうするつもりだったんだ・・・・・・」
「インターホンじゃ姿は見えないから大丈夫。暑いから外で待たせるもの申し訳ないし・・・でもね、蓮くんならドアを開けられるって思うの。あっ・・・えっと今日はね、サンダルに合わせて夏らしくコーディネートしたんだよ!」
「・・・良く、似合っている」


本当!?と嬉しそうに瞳を輝かせご機嫌な君は、内緒話のように口を寄せてくる。蓮くんだから平気なのと、こっそり呟く照れた笑みと無防備さが、嬉しいようなちょっと複雑な心境だ。もしバスタオルを巻いたシャワー上がりの君に出迎えられたら、俺は君を抱きしめずにはいられない。熱さが込み上げるのは、俺の方だというのに・・・・。


なぜ平気なのか教えて欲しいが、口を開きかけたところで赤く染めた頬を隠すように、慌てて話題を反らしてしまう。火照りを覚まそうと木陰に吹き抜ける緑の風を受け止めながら、涼しいねと頬を綻ばせていた。ポケットから水色のハンカチを取り出し、額に薄っすらと浮かんだ汗を拭えば、もっと・・・と背伸びで問いかけ甘くねだってくる。


しかし・・・香穂子の服装は、肩ストラップのキャミソールにミニスカート。すらりと伸びた素肌の手足は健康的で、夏らしいという言葉通りだと思う。だが少々・・・いや、かなり肌の露出が多くないだろうか。
上に羽織るものは持っていないのかと手元を見たが、小さなハンドバックが一つのみ。
まさかという導き出した結論に、先を案じて深い溜息が零れるのは許して欲しい。


「香穂子、ひょっとして上着は持ってきていないのか?」
「うん、今日は凄く暑いでしょう? 出かける時には迷ったんだけど、着るとベタベタ汗かくから持ってこなかったの。もしもクーラーが効いた部屋とかで寒くなったら、蓮くんにピッタリくっつけば温かいもん。それにちゃんとキャミソールを二枚重ね着しているんだよ。ほら見て、胸元のレースの合わせ目と色の組み合わせが可愛いでしょう?」


そう言って両手の指で綺麗に浮き出た鎖骨辺りのストラップを摘み、自慢のコーディーネトを披露してきた。
下着と変わらないようなキャミソールはただでさえ人目を引くのに、余計に胸元へ注目を集めてどうするんだ。
一枚が二枚になっても、肌の露出の多さという根本的な問題は変わらないというのに。
夏の開放な空気がこんな時ばかりは恨めしく、無防備さに頭痛を覚えて額を押さえた。


寒くないのは良い事だし、例え寒くても俺が君を温める理由があるのは嬉しい。
夏場は半袖だから肌と肌とが触れ合い、別なもう一つの熱さが身を焼き焦がすけれども・・・・。
お洒落をしたい気持も分かるし、確かに今日の香穂子は可愛い。
それが俺の為だと感じるから、余計に嬉しさが募るんだ。


お願いだから、早く気づいてくれないだろうか。俺の理性が残されているうちに、どうか早く。
さりげなく通りの外側へ回りこみ香穂子を隠すと、人目のつきにくい木陰の奥へと誘導した。
どうして奥へ行くのか不思議そうに小首を傾げていた香穂子だが、額に手を当てて溜息を吐いた俺を心配そうに覗きこみ、表情を曇らせてしまう。


「蓮くん大丈夫? 頭痛いの?」


目の前で屈まれると、先ほど自慢したキャミソールの胸元に自然と目線が行ってしまうんだ。
見えそうで見えない胸の膨らみに自然と視線が吸い寄せられ、鼓動が弾けて高鳴った。
君の熱さに眩暈がすると、いっそ伝えてしまおうか・・・。


瞳の輝きは純粋だからこそ意識を振り切って瞳を緩めると、安心してもらえるように優しく微笑を浮かべた。


「暑さで具合悪くなったのかな。蓮くん気づいてないかもだけど、さっきから顔色が良くないの。赤くなったり、青くなったりを何度も繰り返しているんだよ」
「大丈夫だ、心配かけてすまない。具合の悪さとは違うんだ・・・その、上手く言えないが」
「本当!? 私の事は心配性なくらい気遣ってくれるのに、自分の事だと全く気にしないんだもん。無理しないでね、今日はお出かけやめよう? こんな時は暑い外を歩き回るより、涼しいお部屋でのんびり過ごす方が良いかもだよ」


俺と自分の額に手を当てながら、熱は無さそうだねと神妙な顔つきで体調を探る香穂子との距離が、ふとした拍子に触れ合うほど近い。自分の事は・・・と俺の事を言うけれど、君も少しだけ自分を振り返って欲しいと思わずにいられない。お願いだからこれ以上は、あまり近付かないで欲しい・・・甘い苦しさにどうにかなってしまいそうだから。


「あっ! また蓮くんのおでこが熱くなったよ。やっぱり熱があるんだよ、今日はお家に帰ろう、ね?」
「・・・・・・・・・・・・」


その熱さは君が引き出したものなんだが・・・というのは、本当に心配しているのが嬉しいから黙っておこう。
だが外出をやめて部屋で過ごすのは、良い考えかも知れない。開放感溢れる彼女の服装を他人には見せたくなくても、俺だけの前なら話しは別だ。上着を羽織らせるのが一番良いが、俺もTシャツだけだからそうもいかないし。


「そうだな、帰ろうか。香穂子も一緒に、俺の家まで」
「へっ!? 何で私も? 側にいて看病して欲しいとか?」
「きっと熱さに当たったのだろうな。横になる程でもないから、涼しい部屋で静かにしていれば平気だろう。俺も君と過ごせるのを楽しみにしていたんだ。その・・・もし良ければ俺の部屋に来ないか?」
「じゃぁお言葉に甘えちゃおうかな。本当はね、このままサヨナラするのは寂しかったから、もっと一緒にいられるのが嬉しいの。お出かけはまた今度ね、蓮くんの身体が一番大事だもん」


そう言うとぴょんと飛びつき、俺の腕に絡め抱きついてくる。 温かい?とそう言って無邪気な笑顔で振り仰いだ。
外で人目に晒さず部屋の中で二人きり、というのは成功だ・・・だが、余計にくっついてしまったらしい。


「香穂子・・・その・・・」
「熱がある時には、身体を温めて汗をかくと良いみたいなの。だから寒くないように蓮くんにくっついてるね、こうすれば寒くないでしょう? 無理せずゆっくり歩いていこうね。ひょっとして、汗かいてピッタリくっつくのは嫌だった?」
「そんな事はない、とても温かくなった、ありがとう。君さえ良ければすっと触れ合っていたいと思う」
「良かった・・・私は平気だよ。たくさん汗をかけば熱もさっぱりすると思うの。早く元気になって欲しいから、お手伝いして欲しい事があったら何でも言ってね」
「・・・・・・何でも?」
「うん、私に出来ることなら。お料理とかは、ちょっと苦手だけど頑張るね」


頬を綻ばせて歩き出す香穂子は更に抱きついてしまい、互いに汗ばんだ肌が引き合うように吸い付いてゆく。
薄い布越に感じる温かさと、腕に押し付けられる柔らかさが心地良くて・・・薄着の君を咎めようという気持はいつの間にか消えて無くなっていた。具合が悪いと信じている優しさが心に染みるだけに、言い出すタイミングが掴めない。


黙っていようかとも思ったが、やはり伝えるべきだろうな。
出来ることなら、汗をかくなら君と触れ合い重なったままでと願いたいと。
腰に手を回し強く引寄せると、込められた力と熱さから敏感に何かを察知したのか、そわそわと身動ぎだす。
抱き寄せたままじっと瞳の奥を見つめ返せば、振り仰いだ香穂子の顔が真っ赤に染まり戸惑いを見せていた。


「れ、蓮くん・・・どうしたの?」
「すまない、具合が悪いのは嘘なんだ。本当の理由は違う、君がそのままの格好では困るんだ」
「え?でもさっきキャミソールとミニスカート可愛いって言ってくれたじゃない」
「可愛いと思うからこそ、素肌の君を多くの人の目に晒したくないんだ。見ていいのは俺だけだと、そう思うから。上に羽織るものがあれば話しは別だが、あいにく用意がない。だから家に帰ろうと俺も思った。そのままでは俺から、いや男性から見たら下着姿をさほど変わらない・・・。俺だって男なんだ、君を手放せなくなってしまう」
「えっと・・・具合悪くないのなら、この腕離して欲しいな〜何て、駄目?」


上目遣いに小首を傾げてねだるけれども、すまない・・・もう手放せそうに無い。
困った分だけ愛しさに変わる無防備さが、熱い風となって俺の中の火を煽ってしまうから。


「香穂子は、俺が肌を見せる服装をしたらどう思う?」
「え、蓮くんが? う〜ん・・・やっぱり嫌かな、見せちゃ駄目って思う。でもね、ちょっと見たいっていう気持もあるの」
「今の俺は、君と同じ気持なんだ」
「そ、そうだったんだ・・・ごめんね、次からは気をつけるね。じゃぁ熱くなったのは、私のせいだったんだ・・・」


熱がある時には、汗をかくのが良いのだろう? ならば共に。
そう囁く自分の吐息が熱さを増し、真っ直ぐ受け止める彼女の瞳も潤んで揺らめき出した。
ゆっくり時間をかけてというのも、家まで持ちこたえられるか困ってしまうな。
切れそうな俺の理性の綱を握るのは、全て腕の中の君次第--------。