目覚まし代わり!?
「・・・っ!」
「桐也、大丈夫? 瞼がくっついちゃいそうだよ?」
ふわり眠りの海へと漂いかける衛藤の頬へ、冷たい苺ミルクの紙パックジュースがぴっとり甘いキスをする。無防備なところへ突然やってきた悪戯に驚き、目を覚ました衛藤が不快そうに眉を寄せれば、苺ミルクを握り締めた香穂子が心配そうに覗き込んでいた。ヴァイオリンを練習した後で、一際日当たりの良い公園のベンチに座りながら、他愛のない話をしていたのに、いつの間にか眠りかけてたんだな。
無邪気な悪戯を諫めようとした顔が微笑みに変わったのは、大丈夫?具合悪いの?と、潤む眼差しで心配する香穂子の優しさが嬉しかったから。ただ眠いだけ・・・そう微笑めば、ほっと安堵の吐息を零す頬が桃色に染まった。
新発売のゲームをやり込んでたら、夜中遅くまで止まらなくなってさ、ちょっと寝不足なんだ。あんたと一緒の大事な時間なのに、気を逸らして悪かったな。そう言ったそばから小さな欠伸をかみ殺せば、ベンチに並んで座る距離をいそいそと詰める香穂子が、嬉しそうに満面の笑みを咲かせながら肩を差し出してくる。
「ちょっと眠る? 私で良ければ、肩貸すよ。さぁどうぞ、いつでも来てね」
「どうぞって言われてもな・・・いや、何でもない。俺が眠いってだけで、あんた何でそんなに張り切ってるんだ?」
「桐也の為に何かできるのが嬉しいんだもん。ほら、電車で遠出をするときには、いつも私が寝ちゃうから、桐也が肩枕をしてくれるでしょ? あれが気持ち良くて大好きなの。だからね、たまには私からもしたいなって思ったの」
「サンキュ、香穂子。じゃぁ一眠りするから、ちょっと肩、貸して・・・。重くて辛くなったら、我慢しないで起こせよな」
「うん、任せて!」
自分の肩をポンポン叩き、反対側にちょこんと首を傾けながら、こっちへ来てと甘い誘い文句で招くんだ。さらりと零れる髪の隙間から、ちらりと見えたのは白い首筋。眩しさに目が覚めるぜって言ったら、どんな顔して照れるんだろうな。
あんた気付いてる? こっちへ来てなんていう誘い文句、何かその・・・食べて欲しいみたいで照れるじゃん。何よりもひたむきな想いが、真っ直ぐ見つめる澄んだ瞳から伝わるから、心と身体へもっと熱さが募るんだ。髪の毛に絡む香穂子のしなやかな指先に導かれて、最初はそっと肩にもたれかかり、ゆっくりと重みを預けてゆく。優しい香りに包まれながら目を閉じれば、あっという間に意識と体温が蕩けて・・・ヤバイくらい気持ちいい。
だけど蕩けかける寸前に大切な事を思いだし、慌てて意識を総動員。離れがたい肩から引き剥がすように起き上がると、衛藤は小さく欠伸をかみ殺しながら、両腕を空に伸ばし眠気覚ましの伸びをする。
「やっぱ、やめた」
「どうして? もう目が覚めたの?」
「だってあんた俺が眠れば、いつの間にか一緒に眠っているだろ。この前のデートで電車に乗ったとき、共倒れして終点の駅まで行ったの、まさか忘れてないよな」
「うっ・・・。あ、あれは、その・・・」
沈黙したまま見つめ合う数秒は、夕暮れが夜空に変わるみたく、あっという間な劇的瞬間。きょとんと不思議そうに目を丸くしていた香穂子が言葉を詰まらせ、真っ赤な林檎みたく染まってゆく。小さく俯き手を弄りながら、だってあれは・・・とごにょごにょ口籠もって、眼差しから無言でじっと訴える拗ねた上目遣い。そうかと思えば「ごめんね、まだ怒ってるの?」と泣きそうな瞳が潤みだすから、あんたの顔ってホント表情豊かで面白いよな。
「ほら香穂子、泣くなよ。怒ってないから安心していいよ、俺も寝てたしさ。あれは確かにアクシデントだったけど、お陰でいつもと違う海が見られたから、俺は楽しかったぜ」
「最初はドキドキが止まらなくて、ちゃんと起きていたんだよ。でも大好きな桐也の隣にいると、身体の力がスッと抜けて安心するの。眠る桐也の頭を受け止めながら、可愛い寝顔を見るうちに幸せが満腹サインをだしてきて。触れ合う身体と一緒に心も温まっちゃったの。ほら、食後にポカポカだと眠くなるでしょ?」
この時間がずっと続いたらいいな、そう思っていたら寝過ごして本当になっちゃった。そう言って照れる微笑みと、きらきらしたヴァイオリンの音色みたいな言葉たちが、心の中へ降り積もる。温かさが膨らみ溢れたら、注ぐ器を求めて頬を包み、桐也?と呟く唇にそっと掠めるキスを届けた。
小さな重みを預け、寝顔を無防備に晒せるのは信頼の証・・・大切な人にだけ。眠るほど身も心も、全てを委ねてくれて嬉しいのは、俺だって同じなんだぜ。
「今度は途中で寝ないって決めたの。ずっと起きてる! 目覚めた桐也に、おはようの挨拶とキスを先にするんだもん!」
「ふ〜ん、強気じゃん。じゃぁ香穂子が寝てたら、おはようのキス、俺から三倍返しな。覚悟しなよ」
「えっ! ちょっと、どうしてそうなるの。そうだ、もし眠っても桐也より早く起きていれば良いんだよね。携帯で目覚ましアラームかけておこう、うん」
勝手に一人で自己完結した香穂子が、鞄から携帯電話を取り出すと、数分の時間差で目覚ましをセットしてゆく。10個あるアラームの枠を全てセットし終えた香穂子は、これで大丈夫だと満足そうだ。本当に大丈夫なのか? でもまぁ時間差っていうのはいいかも。一度で気付かなくても、鳴っているうちに意識が覚めてくるし。何より目覚ましがあれば、香穂子が眠っても携帯が起こしてくれるから、安心だよな。
香穂子はぷぅっと頬を膨らませて睨むけれど、可愛い顔しても俺が喜ぶだけだぜ。緩めた瞳で抱き寄せた耳にそっと吐息を吹き込むんだ。やっぱ一番の目覚ましはあんたのキスだよな、ってさ。頬の赤みが拗ねた赤から、恥じらうピンク色に変わるけど、それでも上目遣いな甘い挑戦は続く。
「どんなに桐也の温もりが気持ち良くても、寝顔につられそうになっても、寝ないもん。負けないよ、桐也にいっぱいキスするのは私だからね」
「おい香穂子、少し眠るから起こせっていう話だったのに、いつからキスを賭けた熱い勝負になったんだ。でも悪くないかも。勝負なら、俺は絶対に負けないぜ」
「ふふっ、後は目が覚めた時のお楽しみだよ。お休み、桐也。いくら今日が天気良くて海風が穏やかでも、外だから風邪引いたら大変、寒くないように二人でぴったりくっつこうね」
人混みから外れた木陰に守られるベンチで、海と空に包まれながら。寄りそう膝の上で手を繋ぎ、どうぞと差し出される華奢な肩へそっと頭をもたれかける。ワックスで固めた髪を崩さないように注意しながら、ゆるゆると髪を撫で梳く指先の心地良さに、意識がふわりと溶けてゆく。
あんたの寝顔を見るのを、俺だって楽しみにしてるんだぜ。この世で最高に可愛くて、大切な宝物。それにずっと寝顔見られるのも照れるんだけど・・・まぁいっか。いくら俺の寝顔が可愛いからって、悪戯すんなよ。
「ほら、やっぱり眠ったじゃん。誰だよ、絶対寝ないって言ったヤツ」
香穂子が鳴らした携帯の目覚ましが、ぴろぴろと軽やかな音楽を奏でいる。1回目ですぐに目が覚めたのは、携帯をポケットに入れている香穂子ではなく、寄り添って眠っていた衛藤だった。ふわりと意識が浮上すると肩に感じるのは、身に覚えのある小さな重さと温もり。まさかの予感にそっと隣を見ると、視界いっぱいに大きく映ったのは、すやすや心地良さそうに眠る香穂子の寝顔。
時間差でセットした携帯電話のアラームは、「おはよう、起きて?」とさっきから何度も呼びかけているのに、本人は一向に起きる気配を見せない。携帯電話があるのがキュロットスカートの前ポケットってのは、卑怯だよな。座るとデリケートな場所だから、アラームを止めようにも迂闊に手出しできないじゃん。
でもまぁ、あんたの可愛い寝顔が見られたから、いいか。 しなやか髪と無邪気な寝息のくすぐったさ、鼻先が触れ合う近さにあるあどけない寝顔。呆れた溜息が愛しい吐息に代わり、頭を少しだけ傾けてコツンと触れ合わせてみる。目覚めた最初に映るのは、やっぱりあんたの寝顔なのが一番幸せだって俺は思う。
「ほら香穂子、時間だぞ。そろそろ起きろ」
「・・・んっ・・・・・・」
「携帯の目覚まし鳴ってるぞ。起きて俺に、おはようのキスするんじゃなかったのか?」
「んっ、桐也・・・・・・」
せっかく気持ち良さそうに眠っているんだから、できればこのまま起こさず、腕の中に抱き締めていたい。だけど今は、ずっとこのままって訳にはいかないよな。指先にしっとり吸い付く頬をぴたぴた軽く叩いたり、揺すったり声をかけても「ん・・・」と小さく身動ぐだけ。僅かに身動いだ頭がころりと肩から零れると、一瞬期待したものの傍にある温もりを求めるように、横抱きで衛藤にきゅっとしがみついてしまった。
幸せそうな微笑みを浮かべながら、ゆるゆる動く唇に耳を傾けると、寝ぼけているのか夢を見ているのか。微かに聞こえたのは、「もうダメって言ったのに・・・」と甘く拗ねる吐息。ちょっとあんた、一体どんな夢見てるんだ!? 身に覚えのある可愛いおねだりに、一瞬で身体中が熱く沸騰して胸の鼓動が走り出す。これは早く香穂子を起こさないと、俺の方がヤバイな。
おい起きろよ香穂子! 寝ても俺を煽るなんて、無意識なんだろうけど、どうなっても知らないぞ。
さぁ、どうやってあんたを起こそうか。目覚ましアラームで目が覚めなければ、時間差で何度も呼びかければ良いんだよな。最初はそっと囁くけど、少しずつボリュームを大きくして激しくって・・・香穂子だけの特別な方法でさ。
「・・・んっ、ん〜・・・」
まずは頬にキス、様子を見てから鼻先にもキスを。変わらない寝顔に唇を寄せて、鼻先をぺろりと舐めてみる・・・ここまでやってもまだ駄目なのか? まさか寝たふりじゃないよな、恥ずかしがり屋のあんたは正直に顔へでるから、間違いなく寝てるんだろう。起きないのなら、止まらない唇の目覚ましは、だんだん大きくなってくぜ。さぁ、次はどこへキスして欲しい?
肩を預ける耳朶に唇を押し当て甘く噛むと、吐息を優しく吹き込む。あんたが一番弱い場所、ここなら一発で起きるだろ。
「おはよう、香穂子」
「・・・っ、ひゃぁっ!」
「やっと起きたな、このねぼすけ。携帯のアラーム、10回全部鳴り終わったぜ」
「へ? 桐也?」
「ははっ驚いてるな、変な顔。勝負は俺の勝ちだな」
「・・・! ご、ごめんなさい! 私、やっぱり寝ちゃったみたい・・・」
最初は状況が分からず、不思議そうにきょろきょろ見渡していたけれど。目覚ましを全てスルーするほど寝過ごした事に気付くと、バネ仕掛けの人形みたく慌てて飛び起き、乱れた髪の毛を必死に手串で整え出す。寝起きでまだ上手く回らない舌と、蕩けた瞳がたまらなく愛しさを募らせるから。肩を抱き寄せ腕に閉じ込めて、最後にもう一度、おはようのキスを唇に。
「香穂子が寝たから、約束通り三倍返しな」
「え! やっぱり・・・するの? 私、酸欠でまた寝ちゃうかもだよ」
「寝させないぜ。眠さも吹き飛ばして、バッチリ目覚めさせてやるよ。ほら、まず香穂子から」
きょろきょろと周囲を伺い、誰もいないのを確認してから深呼吸をして。頬を真っ赤に染めながら恥じらう香穂子が、小さな背伸びで俺の唇を啄むと、始まりの合図みたく静かに目を閉じる。頭を抱きかかえるように覆い被さり重ねたキスは、時間差で響くアラームのように、何度も何度も、だんだんと大きく深く求めてしまうんだ。
携帯の目覚ましアラームは10回分鳴っても気付かなかったけど、俺のキスは三回で目が覚めたんだぜ。
どう、この目覚まし優秀だろ? 毎朝、あんただけの目覚ましになってやっても、いいよ。