目を逸らした隙にキス


カフェのテラス席には、小さな丸テーブルと二つ仲良く並んだ籐製の椅子。
一つのテーブルを前に恋人と並んで座り、愛を語り合う・・・これがカフェの基本的なセッティングらしい。テーブルが丸くて小さいから二つの椅子も自然と寄り添い、君と俺の身体もぴったり触れ合う。

カップを手に取ったり少しでも身じろぐと、擦れる肩先や触れ合う脚がくすぐったくて、感じる温もりが熱さに変わり俺の中を駆け巡る。香穂子の頬が赤いのは・・・俺の顔に熱さが昇るのは、照らす太陽のせいだろうか。
いや・・・はにかみながらも上目づかいで見つめる君の体温が、存在を伝え、内側から包み込んでくれるから。


向かい合わせの広めな店内テーブルよりも、テラスの方が好きだと、肩を預けながら頬を綻ばせる君。俺もだと微笑み返せば見上げる眼差しが甘く絡まり、照れ臭そうにそわそわと身じろぎだした。君があっと声を上げて見上げた先には、強い太陽の日差しを遮る大きな赤いパラソルの花。パラソルの下に座り空を見上げれば・・・青に包まれる赤が眩しくて、常夏の島に咲いたハイビスカスみたいだと楽しげだ。


「店内の広めなテーブルも良いけれど、ちっちゃいのも素敵だね。だって、蓮とずっとくっついていられるんだもの。それにね、カフェに来るとお部屋みたいに寛げるの」
「俺も、香穂子の温もりが心地良い。ヨーロッパで暮らす人々にとって、カフェは生活空間の一部だと思う。旅をする者にとっては、街に触れ合う扉になるだろうか。邪魔にならない周りの会話をBGMに聞きながら、写真のような景色を眺める・・・。コーヒー一杯で貴重な語らいや、安らぎの時間が得られる場所だ」


留学中は俺も一人で良くカフェに通い、君に手紙を書いたり本を読んだりしていたな。懐かしく語ると、どの辺りの席に座ったのかと目を輝かせた香穂子が、きょろきょろ周囲を見渡し始めた。一人ならば迷わず静かな店内を選ぶが、君と一緒なら日の光を浴びるテラス席も悪くない。今はこうして二人で過ごす、大切な場所なのだから。


バトラーが運んできた白いカップが二つと、小さなミルクの容器がテーブルに置かれると、香ばしく深いコーヒーの香りが漂う。そして香穂子のカップには、白いふわふわの泡が乗った、メランジェというドイツ語名のコーヒー・・・日本のカフェラテに近いだろうか。きめ細かいミルクの泡が白いハート模様を描いており、可愛いと声を上げた彼女は、いそいそと鞄から取り出した携帯電話で、さっそく記念撮影の真っ最中。ふいに名を呼びかけたと思うと、レンズを俺に向け、ついでにシャッターを切ることも忘れない。


無邪気さに苦笑を浮かべていると、満足したのか携帯を鞄にしまい、不思議そうに俺のカップを覗いてきた。
白いカップの中で揺れるのは、漆黒にj輝くブラックのコーヒーだ。だが伸ばした俺の手を遮った香穂子が、カップとミルクを自分の手元へ引き寄せてしまった。まさか二つとも飲みたくなったのだろうか。俺の料理も美味しそうだと興味を示して一口ねだるのは珍しくないが・・・。だいたい君は、コーヒーにミルクをたっぷり入れないと、苦いと顔を顰めていつも結局は飲まないだろう?


またいつもの好奇心な悪戯が始まったのかと、小さく溜め息を吐きながらも、心の片隅では期待に待ち焦がれる俺がいる。キラキラと輝瞳をじっと見守っていると、ミルクの入った小さな小瓶を握りしめながら、何か素敵な事を閃いたのだと教えてくれた。


「ねぇねぇ、飲むのはちょっとだけ待って欲しいの。今からね、私がこのコーヒーを使ってマジックをしようと思うの」
「マジック?」
「うん! よ〜く見てててね。美味しいコーヒーにフレッシュな白いミルクを加えると・・・ほらっ! 色がブラックからクリームブラウンに変わるの。どう?凄いでしょう?」
「・・・は!?」


香穂子の楽しげな心のように、カップの中で踊るティースプーンが、涼やかな音色を奏でていた。艶やかなブラックに注がれた白いクリームの螺旋が、ゆっくりと渦を描きながら、柔らかなブラウンに染めてゆく・・・。

色が変わったコーヒーは、確かにマジックと言われればそうかも知れないが・・・。予想は付いていたから別に驚かないと言ったら、君は悲しむだろうか。もしかしたら俺が気付いていないだけで、何か深い意味があるのかも知れない。ほら、眉を寄せてカップの中を覗く俺を、君は自信たっぷりの笑顔で身を乗り出しているじゃないか。分からないの?と小首を傾げ、愛らしく謎かけをしながら。


「・・・凄いのかどうかは、俺には分かりかねるが・・・・・・」
「あっ、もしかして当たり前だろう?とかって呆れているでしょう。ミルクを加えても、ブラックコーヒーの風味や美味しさは変わらないし、ミルクの新鮮やとか柔らかさはそのままなんだよ。これって凄いと思わない?」
「なるほど・・・確かにマジックだ。白いミルクと、ブラックコーヒーの本格的な味わい、その二つがあるからこそなんだな。一番の魔法は、香穂子が混ぜてくれるだけで、美味しさが増すという事だ」
「黒くて苦いコーヒーも大人な味で美味しいんだろうけど、ミルクと混ざって優しくまろやかになった方が、もっと素敵。蓮みたいだなって思ったの」
「俺? ・・・このコーヒーが?」


驚きに目を見開くと、さぁどうぞと召し上がれと笑顔を綻ばせ、カップを俺の元へ差し出した。受け取りざまに指先が重なれば、初めて恋を知った時のように胸が高鳴る。一緒に暮らせるようになった今でも、いや・・・だからこそ、毎日君に恋しているのだと、この気持ちを伝えたい。そうか・・・俺の心の中に広がった温かさと柔らかな色彩は、ブラックコーヒーだった俺の中に注がれた、君という優しいミルクだったんだな。

妥協なく追い求めつつ、互いに思いやる二つが混ざり合うからこそ、美味しさが生まれるのだと俺は思う。深い味わいと香りを胸いっぱいに吸い込んでから、カップに口を付けて中身をすする。その間も俺をじっと見つめる香穂子に、美味しいと瞳を緩めて微笑めば、光溢れる笑みが俺に幸せを運んでくれた。


「ん〜っ、あれ?」
「どうした? 香穂子」
「家にいる蓮は紅茶のイメージだと思っていたけど、カフェではコーヒーも飲むんだね? 今気付いたの」
「ヨーロッパではコーヒーの方が主流で、値段も手軽だし種類も多い。紅茶や緑茶が貴重だと言うのもあるが・・・留学するうちに、コーヒーもよく飲むようになったんだ。香穂子も、店ではカフェラテを頼むことが多いな。ふわふわの泡が好きなのか? 風呂の泡が好きなように」
「ミルクが多めで、ふわふわしているのが好きなの。一口飲むとね、ミルクの優しさとコーヒーの深い味わいが蓮に抱きしめられているみたいに、ほっと安らぐんだよ。他のコーヒーじゃ駄目なの、どうしてなんだろうね。紅茶は蓮が入れてくれたのが一番美味しいから、お家でゆっくり飲みたいんだもの。ほらみて、ミルクでハートの絵が描いてあるの、可愛いよね」


両手でカップを包み持つ香穂子は、大切な宝物を披露するように掲げて見せると、口元に引き寄せふぅっと吐息を吹きかけた。ハートが笑っているよと、ふるふると揺れる泡を楽しむ君に心が緩み、俺まで笑顔になってしまう。だがあまり近くで飲む仕草を見つめていると、赤く熟れた唇から目が離せなくなって・・・キスがしたいのだと眼差しから伝わってしまうから、気をつけなければいけないな。


忙しない駆け足の鼓動と熱さを、触れ合い並ぶテラスの席で隠すのは、少し・・・いや、かなり難しい。
落ち着くんだと言い聞かせるものの、勘の良い香穂子はさっそく気付いてしまったらしい。ほら、カップを握りしめたまま、じっと俺を見ているじゃないか。落ち着かなければと、一つ呼吸をしたところで目に入ったのは、香穂子の口元に残る白い泡の欠片だった。


「蓮、どうしたの? じっと見て」
「え? あ、いや・・・すまない」
「蓮にじっと見つめられると、ほっぺが熱くなっちゃうの。あ、もしかして私の唇に何か付いてる?」
「・・・その、香穂子。口元に、カフェラテの泡が付いているぞ」
「え!本当? やだもう〜子供みたいで恥ずかしいよ・・・・・・んっ」


たちまち頬を赤らめ、慌ててハンドバックからハンカチを取り出すよりも早く、俺の指先は君の唇に触れた。吸い付く柔らかさの感覚をキスをするように、輪郭を辿り撫で拭いてゆく。指先に閉じ込め確かめながら、時間をかけてゆっくりと。固まる香穂子を見つめながら指先を唇に含むと、はっと息を飲み、赤へと染まった。
頬だけでなく耳や首筋まで赤らめ、きゅっと膝の上で手を握り合わせる君は、ケーキに添えられたチェリーのような食べ頃な果実。


「もっ、も〜っ! いくらカフェがお家みたいに居心地良いからって、心臓張り裂けるかと思ったじゃない。蓮ってば時々、びっくりするくらい大胆で意地悪だよ」
「意地悪? 俺が?」
「そうだよ。甘くおねだりしたり、恥ずかしくて火を噴いちゃいそうなくらいに、私を困らせるんだもの。昨夜だって今朝だって・・・今だってそうだよ。私が困るの知っててやるのは、意地悪なの」
「意地悪・・・だろうか。俺は君の唇が欲しいと、そう思っただけなんだが。香穂子が好きなカフェラテが、俺も好きだ。こうして君の唇に、何度も触れる事が出来るから」
「そ・・・そんな事言って。私が飲むと、真っ白なお髭が付くから楽しんでるでしょう? もういいもん。今晩お風呂に入ったらお返しに蓮を、白いあわあわまみれにしちゃうんだからねっ」


ぷうっと唇を尖らせた香穂子は、泡帽子を被る白いカップに口を付けると、温かいカフェラテをすすり始めた。だが勢いが良すぎてしまい、泡の下にある熱さに小さな悲鳴を上げると、赤い舌を覗かせ瞳に涙を潤ませてしまう。ほら・・・君は猫舌なのだから、ゆっくり冷ましながら飲まなくては駄目だろう? 
周囲を見渡しテーブル担当のバトラーを呼び、彼女の為にコップ一杯の冷たい水を運ばせる。困った上目づかいで俺を伺いながら、しゅんと肩をすくませる穂子へ微笑みと共に差し出した。


仕返しにと風呂で俺を泡まみれにするのだと、強気で言い張る君が愛しくて・・・ますます拗ねると分かっていても緩む頬が止められない。先に泡まみれになり、動けなくなるのは、いつも君の方だというのに。


「すまなかった、機嫌を直してくれないだろうか? 香穂子が好きなカフェラテが、俺たち二人の関係のように思えたんだ。ブラックコーヒーにミルクを加えると、柔らかなブラウンに変わり、味も香りも優しくなるんだろう? 一つに混ざっても、互いが持つ良さや魅力は変わらない。俺がブラックコーヒーなら、ミルクは君だ」
「深い味わをもっと追求してほろ苦くなったコーヒーの蓮は、新鮮でまろやかなミルクになった私だね。解け合う私たちはクリームブラウンの美味しいコーヒーになるの。どちらも美味しくなくちゃ駄目なんだね。でもそれなら、泡の無いカフェオレでも良いと思うの」
「唇にふわりと触れるきめ細かいミルクの泡は、君とのキスを思わせる・・・甘くて蕩けてしまいそうだ。楽しげに揺れるクリームの泡は、無邪気で愛らしい君の笑顔。君というミルクと解け合うコーヒーの俺は、内側で燃える熱さを湛えているんだ。心地良さという泡を少しずつ溶かすほどに・・・」


寄り添い並ぶ椅子で触れ合う互いの肩先が、燃えるような熱を伝えている。この胸に沸き、狂おしいほどに駆け巡る熱さは、君が伝える想いかそれとも俺の想いなのか。大きく澄んだ瞳の奥をじっと見つめると、恥ずかしさに耐えきれなくなった香穂子が茹で蛸に頬を染め、ふいと顔を逸らしてしまった。


呼吸も止まる一瞬が過ぎ、忙しなく上下する胸に手を当てながら呼吸を整えている。
視線を逸らせば空気を求めて穏やかに呼吸が出来る・・・はずなのに。余計に甘く苦しくなるのは何故なのか。
視界の端に移る黒服のバトラーが背を向け、後ろの席から俺たち隠す壁になったその一瞬に、瞳を逸らした香穂子の腰を捕らえて腕の中に引き寄せた。

逸らせはしない、俺だけを見つめて欲しい。


はっと振り向き、大きく目を見開いたままキスを受け止める君は、驚くあまり閉じることを忘れてしまったのだろう。重ねた唇は熱く潤んで熱を持ち、元から一つであったかのように、しっとり俺の唇へと吸い付く。
ほら、やはり甘い・・・君というミルクに蕩けてしまいそうだ。俺を熱くさせる唇の感触は、カフェラテに浮かぶ柔らかな白いミルクの泡。君の全てが欲しいと強く求め、俺を包むその可憐な泡帽子さえも、熱さの中に取り込んでしまうんだ。


一つ一つのテーブルに小さなドラマがあって、そこで交わされる会話はやがて大きな交響曲となる。
君と俺がいるこのテーブルから生まれる会話や空気も、カフェという場所をつくる音楽になっているのかも知れないな。心も体も解け合い、甘い旋律を奏でながら、二人の時間をゆったり味わい歌おう。
カフェという第二の我が家で過ごすひとときと、君が楽しみにしている、もう一つの泡の生まれる場所で。