またあした

どんなに大きな喧嘩をしても一つの布団に包まり枕を並べ、絶対に同じベッドで寝よう-------。


俺も香穂子もお互い一度決めたら譲らない頑固な面があるし、生活を共にする以上は小さなものから大きなものまで時には衝突も避けられない。けれども、早く仲直りができるように・・・例え寝ている間とはいえ、身体と一緒に心までが離れないようにと。一つ屋根の下で暮らす夫婦として、俺と香穂子の二人で決めた約束がある。
以前大きな喧嘩をしてしまい、仲直りをするのに苦しい数日を送った反省から、話し合って生み出したものだ。



眠る前は心と身体の距離が最も近く、自分のありのままを素直に晒せるこの場所で、今日の出来事を振り返ったり、明日の事を語り合うひと時だ。額を寄せ合い鼻先を触れ合わせながら、甘く囁く内緒話をするように。

俺の話しに耳を傾け大きな瞳で俺を映す香穂子は、自分の事のように一緒に笑ったり怒ったりしてくれる。
他の誰にも話せなくても君になら話せるし、たまに意見が食い違っても、君のいう事なら「そんな考えもあるんだな・・・」と素直に受け入れる事が出来るんだ。俺も君の話をもっとたくさん聞きたいと思う。

俺にいろいろな事を気付かせてくれる君は、腕の中の温かさと共に大きな安らぎを与えてくれるから。


唇と身体を重ねて、このまま溶けてしまおうか・・・と。今夜も寝物語をしながら、ついさっきまでは甘い空気に包まれていた筈なのに、空模様はいとも簡単に変わりやすい。また香穂子と喧嘩をしてしまった・・・いや、俺が彼女の機嫌を損ねてしまったと言った方が良いだろうか。怒りと興奮のままベットを覆う掛け布団を跳ね除け、飛び起きるのはいつも彼女が先。シーツの上にペタリと座り俺を見下ろしながら、寒いじゃないかと眉を潜める俺の言葉などは聞こえぬ振りをして、真っ赤に染めた頬を膨らませ力いっぱい睨んできた。


そろそろ・・・来るな・・・・・・。


溜まったエネルギーが堰を切ったように溢れ出す直前だと、経験から身構えていると予想通りに。
どうして分かってくれないの!と悔しさに瞳を潤ませながら、まだ横たわったまま見上げる俺の胸を、癇癪を起こした子供のようにポスポスと手の平で叩いてきた。

振動で僅かに揺れるスプリングの波を背中で感じ、香穂子の生み出す波に呑まれ身を任せながら。
だが受け止める手の平は羽根が優しく掠めているようで、愛しさが募るけれども痛みは全く感じない。


「蓮は私のキスが要らないんでしょう? もうっ、今夜はお休みなさいのキスしてあげない! 明日の朝も知らないんだからっ!」
「だから、なぜそうなるんだ。欲しいと望んだが、いらないとは一言も言ってない。それにどちらが先かなど、明日にならなければ分からないじゃないか。香穂子が先にしたいのなら、俺は君が目覚めるまでまっていると、そう言ったのに・・・」
「またそうやって妥協する〜! どうでも良いって思ってる出しょう? 朝と夜のキスは大切なんだよ」
「主張して通すのも大事だか、どちらかが譲らずにいれば、収拾がつかなくなるだろう? お願いだから落ち着いてくれ、話がどんどんずれていくぞ」


明日の朝目が覚めたらどちらが先におはようのキスをするかと、それがなぜこうなってしまったのか・・・。
俺が先に私が先にと互いに主張し合えば譲り合い、次第に話がこじれて感情的になってしまったんだった。
君こそどうして分かってくれないんだと、言いたいのは俺の方だというのに。


俺が主張すれば意地っ張りと言いながら強気で返し、引けば妥協したと拗ねてしまう・・・どちらへ出ても彼女は興奮しすぎて自分でも分からなくなっているのだろう。こうなってしまっては俺の手に負えなくなる。
強引に唇を塞いで腕の中に閉じ込めるのは簡単だが、それでは益々彼女の機嫌を損ねる事になりかねない。
ならば俺は一体どうしたらいいんだ、お願いだから教えて欲しい。

いつもそうだが喧嘩のきっかけは些細なことだ。思い返せば喧嘩と言っても、真っ直ぐに熱い心のままをぶつけて来る香穂子を、俺が静かに受け止めるという事が多いように思う。


そういえばこの前は、どれくらい好きかで両者一歩も譲らず、意地を張って背を背けてしまったのでは無かったか? 他の事ではどんなに意見が違っても、喧嘩や良い争いまでにまでなはならないのは、違う事を認められるから。だが好きだからこそ譲れない物がある、俺も香穂子も・・・これだけは同じでいて欲しいと願うからなのだと俺は思う。


きっと他人が見聞きしたら、痴話喧嘩だと溜息を吐かれるのだろうな。
寝る前のお休みのキスだってまだなのに・・・今日はこのまま君に触れられず朝を迎えてしまうのだろうか。
夜にベッドの中でだけは、君と喧嘩をしたくないのに・・・。


言葉の代わりに向けられる手の平を胸に受け止めながら、肘を支えにゆっくりと上半身を起こし、そっと腕を掴んだ。動きを封じられて一瞬目を見開いたものの、絡まる視線ごとすぐに振り払って顔を背けた彼女は、自分の枕を持ちベッドから降りようと、広いシーツの上をいそいそ膝立ちで移動し始める。

俺は乱れかけた前髪を掻き揚げつつ額を押さえると、瞳を閉じて深い溜息を一つ吐いた。
ベットから降りかけ去ろうとする背中と、そうさせてしまった俺自身に向けて。
返ってくる答えは分かっているが、黙っているよりかはずっと良い。ここで引き止めなければと、そう思うから。


「香穂子、どこへ行くんだ?」
「私、今日は蓮と一緒に寝ない。隣の客間へ行くの」
「冷静になりたい気持も分かる。だが喧嘩をしても同じベッドでいつもどおりに夜を過ごす・・・二人で決めた約束を忘れたのか?」
「・・・わっ、忘れてないもん! そう、端っこ! ベッドの端へ行こうと思ったの。同じベッドなら良いでしょう?」


脚を降ろしかけていたし、客間へ行くとついさっき自分で言ったじゃないか。
という言葉は更に火を煽るだろうから、喉元まで込み上げたものを飲み込み、真意を探るように真っ直ぐ見つめる。するとうっと詰まらせ、火を噴きそうなくらいに頬を赤く染めながら、枕をぎゅっと強く胸に抱き締め顔を埋めてしまう。必死で誤魔化すものの嘘が吐けない正直な君は、慌てる程に図星だと伝えてくるんだ。


「・・・あまり端に寄ると、ベッドから落ちてしまうから危ないぞ。もう少し・・・真ん中へ寄らないか?」
「やっ、平気だもん。蓮はこっち来ちゃ駄目、あっち行って!」
「・・・・・・・・・・」


いつもは広いベッドの真ん中に枕を並べるのに、落ち着く為に距離を置きたい香穂子は一番端へ枕をポスンと置いた。落ちたら怪我をすると心配になり、近寄ろうとすれば、警戒心を露にした猫のように毛並みを逆立てムッと睨んでくる。進みかけた脚も止まり引寄せようと伸ばしかけた手も宙を掴むだけで、心が打ち砕かれるとはまさにこの事だ。


止まらない何度目かの溜息を零し、仕方なく同じように反対端へと枕を移動させた。
持ち上げる気力も無くてシーツの上を引きずるように、シュルリと擦れるだけ音が静かな寝室に響き渡る。
俺が移動したのを見届けるとプイと背を向けてしまい、布団を頭まで引き被ってしまう香穂子のと広さがやけに遠く寒い。背中を見つめるのも辛く、心に吹き抜ける隙間風に凍えてしまいそうで、温もりが恋しいと求めずにはいられない。手の伸ばせば触れられる近さにいるのに、それが出来ない葛藤に引き裂かれ重く圧し掛かる。


俺たちのベッドはダブルよりも大きめなキングサイズで、いろいろ身動きしても不自由が無いようにとの密かな配慮からかなりの広さとゆとりがある。だがこんな時ばかりは狭いベッドにするんだったと後悔が込み上げるんだ。
例え端に寄って背を向けても触れ合え、温もりを伝える事が出来るだろうから・・・ごめんの言葉の代わりに。



再びベッドに横たわり、はだけた布団を掛けなおすと反対側へ引っ張られたのは、香穂子が包まろうといているからなのだろう。こんなに強く引寄せるのは、きっと布団ごと自分を深く抱き締め、耐えるように身を硬くしているからに違いない。俺からの返事のように、少しだけ優しく引き戻してみた。


もう眠っているだろうかと気になって肩越しに振り返ると、切なげな光りを宿してじっと俺を見つめていた香穂子と視線が絡む。しばし無言で見つめ合っていたが、ふと我に返った彼女が慌てて反らしてしまった。

本当は腕の中に抱き締めたい、ごめんと直ぐに謝りたいのに、素直になれないのは俺も同じ。
明日の朝目覚めたら、一番に君へ謝ろう。だから今は---------。


背中合わせの温もりが、どうか俺の心を乗せて大切な君へと届いて欲しい。
抱き締められない腕の代りに、君を包もう。



「お休み、香穂子」
「・・・・・・おやすみなさい・・・」


聞こえた返事は、まだほんのちょっぴりむくれた呟きだったけれど、きっと大丈夫。
また明日・・・と、向ける背中と心の中で優しく語りかけ瞳を閉じた。






同じベッドで寝ていれば殆どの喧嘩は翌朝になれば収まってしまうから、今日もきっと大丈夫。
そう揺ぎ無く思うのは、離れていても朝になれば、いつの間にか真ん中で寄り添い合っているからなんだ。
枕はベッドに端と端に置かれたままなのに、身体だけはいつものようにいつもの場所で、互いの温もりを求めあいながらしっかりと抱き締めあっている。不思議な事に俺も君も眠っている間、無意識に移動してしまうらしい。


目が覚めると俺の腕の中には柔らかくて温かな君がいて、最初は互いに驚き、そしてどちらとも無くはにかんだ微笑が浮かんでくる。そう・・・今日もまた、いつの間にか仲直りしている俺たち。
やはり俺たちは離れられない、君が好きだと・・・求める想いが魂にまで刻まれているのだと実感させてくれる。


「おはよう、香穂子。目が覚めたか?」
「・・・おはよう、蓮」
「昨夜は・・・すまなかった」
「うぅん私こそごめんね、蓮はちっとも悪く無いの。本当は蓮の事大好きなんだよ。いっぱいキスしたいし欲しいのに、私ってば意地っ張りで全然素直じゃなかったから」
「良かった、じゃぁ仲直りだな」
「ごめんねと、おはようと・・・昨夜出来なかったお休みの分。今朝のキスは三回だね!」


額と鼻先を愛撫するように触れ合わせれば、甘えるようにしがみ付き、くすぐったそうに頬を緩める。
小鳥のさえずりよりも愛らしいくすくすと漏れ聞こえる小さな笑いの吐息が、俺の首元を熱くくすぐりながら。




昨夜もめたように俺からでも君からでもなく、二人一緒に唇を寄せ合いキスをして、啄ばむようにまた一回。
そして最後には閉じ込めていた一夜分の情熱を解放させ、吐息を奪い噛むように絡めて深く深く・・・。