マシュマロ・ハニー
「今日はね、おやつを持ってきたの。蓮くんも一緒に食べよ?」
「・・・今、ここでか?」
「うん?ダメかな。きっと美味しいと思うの」
眉を寄せて考え込む俺を、子犬のような眼差しでひたむきに見つめる香穂子が、ね?とねだりながら愛らしく小首を傾げてくる。ここというのは俺の部屋で、白く広がるマシュマロのシーツに二人でくるまっているのだと、君だって知っているだろう? 抱き締めた腕の中でキスを受け止めていた香穂子が、蕩けた眼差しで甘い吐息を零す・・・。その吐息を唇で吸い取り、飽くなきキスを交わしていた、まさに息継ぎで突然おやつを食べようと言われても、困ってしまうんだが。
薄く桃色に染まった頬と赤く色づく唇はそのままで、無邪気な輝きを瞳に取り戻した香穂子は、何か楽しい遊びを思いついたのだろう。頭の脇に両腕をつき、重みをかけないよう支えたままでいる俺の隙間を縫うように、もぞもぞと身動ぎ抜け出そうと必死だ。心の奥に潜む情熱に火が付いてしまったから、このまま君を手放す事は難しいし、衝動を止めることなど不可能だ。だがそれでも、微かに残った理性を総動員して再び君を自由にするのは、惚れた弱みと・・・小さく灯る予感が何かを知らせてくれたから。
身体を起こすと、傍にあったタオルケットを身体に巻き付けた香穂子がひょいとベッドを身軽に飛び降り、ドレスのように引きずりながら鞄に駆け寄っていく。がさがさと中身を探し、あった!と嬉しそうな声を上げて、いそいそと戻る彼女の手には、コンビニで買ったらしい菓子の袋が握られていた。胸元を押さえながら乱れかけたシーツの上にペタリと座り込み、彼女のタオルケットの反対端を引き寄せ腰に巻き付けて。互いに離れないよう、一つに繋がる君と俺。
「蓮くんの家に来る途中、コンビニでマシュマロを買ったの。中にはビターチョコが入っているけど、甘さは控えめだから安心してね。蓮くん知ってた? マシュマロにはコラーゲンがいっぱい含まれているから、お肌にとっても良いんだよ」
「柔らかさや軽い甘さだけでなく、美容に良いことは分かった。だがなぜ、今マシュマロを食べるんだ? その・・・もう少し後で、ゆっくり食べれば良いと思うんだが」
「えっとその・・・中にチョコとかソースが入っているマシュマロはね、恋人達のお菓子なんだよ。中身のビターチョコが蓮くんで、白くてふわふわなマシュマロが私。純真な心であなたの想いを優しく包み、ありがとうと大好きの想いを贈りますという意味なんだって。この間読んだ雑誌に載っていたの、だから私から蓮くんに、マシュマロを贈るね」
大好きだよと照れた微笑みを浮かべながら、 蓮くんもどうぞと差し出された袋には、白くてふわふわなマシュマロ・・・まるで青空に浮かぶ白い雲のような君。指先で一粒摘んだ感触が、君を抱き締めた素肌に似ていると思った動揺を、気付かれてしまっただろうか。ほんのり甘く柔らかいものに触れると、幸せな気分になれるのはなぜだろう。きっと俺を包むこのマシュマロが、香穂子の優しさと想いの形だからなのだろうな。
袋から取り出した一粒を、ぽいと口の中へ放り込む香穂子の顔が、たちまち幸せそうな笑顔に代わる。美味しいね柔らかいね、今口の中でしゅわっと蕩けたのだと。頬を押さえ、美味しさに身悶える仕草の愛しさに、甘い痺れが走り胸が締め付けらる。
「本当はヴァイオリンの練習が終わったら一緒に食べようと思っていたのに、すっかり忘れちゃったの・・・ごめんね。蓮くんがキスをしてくれたときに、柔らかい唇ががマシュマロみたく甘いなって、うっとり蕩けたったときに気付いたの」
「それで今・・・マシュマロが食べたかったのか。すまない、おやつが食べたいと君が言うから、てっきりお腹が空いたのかと思ってしまったんだ」
「すぐ口の中へ入れちゃうのはもったいなから、まずは指先で摘み持った感触を楽しもうね。ふわふわだけど、弾力があるでしょう? マシュマロみたいな場所が、私たちのどこかにきっとあると思うの。いろんな所にチュッとキスをしながら探したら、楽しそうだよね」
「マシュマロが君の想い、包まれた中身が俺・・・か。ありがとう香穂子、大切に頂こう」
瞳を緩めながらマシュマロを一口頬張れば、泡雪のように溶けるマシュマロの中からしみ出す、ほんのり苦みが利いたビターチョコがゆっくり心を染め上げた。大好きだよと笑顔の花を綻ばせた香穂子が、頬にふいうちのキスをして。顔に熱が吹き上げるのを嬉しそうに微笑むから、まるで俺が食べられているようで照れ臭いじゃないか。真っ直ぐ届く声が俺を熱くするから、君というマシュマロを食べたら、きっとすぐに溶けてしまうに違いない。
「蓮くんあの・・・あのね、えっと」
「どうしたんだ、香穂子」
「ココロだけじゃなくて、私も、マシュマロになって良いかな?」
「・・・マシュマロに? 香穂子が?」
どういうことだろう。生まれたままの素肌がマシュマロのような、君を食べても良いということだろうか。真っ赤に顔を染めながら小さく俯き、両手に持ったマシュマロの袋をもじもじと弄んでいた香穂子が、決意を込めた眼差しで真っ直ぐ俺を射貫く。トクンと鼓動が高鳴り、駆け巡る血が炎に変わったその時、ふわりと羽ばく白い翼に包み込まれたんだ。
そう・・・香穂子がしがみついたのだと気付くまで、くるりと回った視界の背中にスプリングの揺れを感じながら、君を抱き締め暫く漂っていた気がする。
「・・・っ、香穂子!?」
「ふふっ、やっぱり蓮くんの方がマシュマロだね。ふわふわなマシュマロになって、蓮くんを包み込もうと思ったのに、私の方がすっぽり抱き締められちゃった。ねぇ蓮くん、恋人同士でマシュマロを食べると、キスがしたくなるってみんなが話していたの、本当かな?」
「・・・・・・そうだな。キスだけでなく、君ごと食べたくなる」
腕を支えに身体を反転させ、腕の中からふり仰ぎながら無邪気に笑う香穂子を、そっと仰向けに横たえて。枕元に転がるマシュマロの袋から一粒取りだし、唇に挟み込んだ。ゆっくりと覆い被さるように顔を寄せれば、ひな鳥のように小さく口を開けて待つ彼女が、マシュマロの反対側からぱくりとかじりつく。新しく見つけた遊びに喜ぶ瞳が、心を震わす笑顔で全てを受け止め応えてくれる、それがこんなにも嬉しいとは思わなかった。
お互いの唇が持つ熱で泡雪のように溶ける白いマシュマロが、あっという間に二人の壁を取り除くから、甘く色づく唇が触れ合うんだ。中にあるビターチョコも、重なるキスで最高の甘さに変わるんだな。
「ここかな・・・う〜ん、ちょっと違うかも。こっちかな・・・」
「香穂子、くすぐったいじゃないか」
「蓮くん、ちょっとだけじっとしててね? このマシュマロさんと同じ柔らかさが、蓮くんにどれだけたくさんあるか、見つけているところなの。身体は筋肉で堅いし、あ!耳たぶ発見。ふにふの感触が同じだよ、ねっねっ、両方触ってみて?」
「・・・っ! 香穂子、頼むから耳は・・・悪戯は止めてくれ。これ以上は我慢が出来なくなる・・・」
「え? 蓮くん、聞こえなーい」
ぴたぴたと伸ばした手で顔を触りながら楽しむ君は、本当は聞こえているのだという事は知っているんだ。少し前まで抱き締めていた熱が、未だ収まらない身体には、邪気のないささやかなスキンシップさえも刺激が強いのだと、早く気付いてくれないか。
うっとり瞳を閉じながらマシュマロに唇を寄せる香穂子は、少し溶けかかったそれを、あ〜んと言いながら身を乗り出し口元へ運んでくれる。嬉しさと戸惑いと限界と、いろいろな想いが複雑に混じり合った葛藤も、押し当てられる柔らかな胸と素肌、吐息を零す熟れた唇・・・とびきり甘い君のマシュマロには敵わなかったらしい。抱き締めている俺の方が、確かに君に包まれていたんだ。白いふわふわのなかに潜む、ビターチョコのように。
何かがぷつりと途切れた感覚の後、驚きに目を見開く香穂子の手首ごと掴み、腕の中に閉じ込めていた。差し出すマシュマロごと指先まで唇に含み、始まりの合図である、蕩けゆく甘さを纏わせたしっとりとキスを。
「きゃっ! ちょっと、蓮くん!」
「マシュマロは火で熱しても美味しいのだろう? 」
「えっと、それってどういう・・・んっ・・・」
一口食べたら君にキスを、そして素肌に唇を這わせ確かめよう。白く広がるシーツは大きなマシュマロ、愛しい想いを込めて今度は俺が全てを包み込むから。だが・・・すまない、もう待つのも限界だ。
ふわふわな菓子のように、これ以上君を優しく抱き締められそうにない。恋人同士でマシュマロを食べると、キスがしたくなるのは、きっと理性までまで泡雪のように蕩けてしまうからだと、そう気付いたときには既に遅かったようだな。
情熱の炎に身を焦がし、マシュマロになった俺たちが蕩けようか。