Le Fleur



星奏学院に近く、横浜の港を一望できるホテルの一室。白いシーツの波と、熱く濃密な空気の余韻に泳ぐベッドの船。
遠距離恋愛中の恋人・・・小日向に会うために横浜へ滞在する際、菩提樹寮に泊まることも出来たが、あえて港を一望出来る近隣のホテルに滞在するようになったのは、二人きりの時間をより多く持つためだ。


一つのシーツを二人で身に纏い、まだ火照りが残る柔らかな身体を背後から抱き締めながら横たわり、赤く染まった耳朶へ囁き甘く噛む。 久しぶりに交わす行為に疲れ果て、腕の中で眠ってしまった小日向が目を覚ましたのが、つい先程だった。まだ定まらないふわりと蕩ける瞳が俺を捕らえ、焦点を結ぶその一瞬で真っ赤に染まる染まった顔。

優しく啄む目覚めのキスを、俺にも返してくれるのかと思いきや、恥ずかしさのあまり背を向けてしまう。


「おい、かなで。背中ばかり向けていないで、俺の目を見ろ」
「だっ、だって・・・恥ずかしいんだもん。今だって、千秋さんが後からぎゅーっと抱き締めるから、心臓が飛び出しそうなの。素肌が気持ち良いのは好きだけど、目を見たら思い出して熱くなっちゃう」
「照れるのは今更だろ、お前のことは隅々まで食べ尽くしたんだ。さっきまでは千秋って呼んでたのに、もう千秋さんに戻ってるぜ。まぁいい、お前に焦らされるのも悪くない。その代わりに、あとでたっぷりと返してもらうぜ」
「んっ・・・・・・」


小さな声を上げてピクリと身動ぐのを、更に深く腕の中へ閉じ込めてゆく。羞恥心で泣きそうに潤む瞳が、抗議をしようと振り返るのも予想通りで。羞恥心を煽るように抱き締めた素肌を強く密着させ、下腹部へ自分自身を押しつけながら。首を巡らすように鼻先の角度を変えて、二つの唇と身体が隙間無く触れ合う、もう何度目か分からないキスを。


「・・・んっ。はっ・・・離して下さい、千秋さん」
「離す?この腕をか? お前に会うため、わざわざ神戸からやって来たってのに、今この状況で手離す訳がないだろ。身体の後は、余韻に浸りながら心を繋げる・・・そう言ったのはお前じゃねぇか。久しぶりすぎて忘れたのか?」
「久しぶりって千秋さん、先週末にもライブする為に横浜へ来てたじゃないですか」
「だが先週は、二人きりでゆっくり過ごす時間も無かっただろ。今回は俺だけのプライベートだ。思う存分好きなだけ、お前のことを独占させてもらうぜ。どうだ、嬉しいだろう?」 


唇に熱さを宿しながらも先程までの奪うようなものではなく、触れるほどに心までもが一つに溶けるキスは、穏やかな気持ちを届けるしっとりと優しいもの。抱き締めた身体からこわばりが解けたのを感じて、キスの合間に薄く瞳を開ければ、目を閉じながら穏やかに微笑むお前がいる。


「嬉しいです・・・すごく。でも後ろ向きに抱き締められていから、千秋さんの顔が見れないから寂しいんです。だから少しだけ、腕を緩めてもらえたら嬉しいなぁって・・・駄目ですか?」
「いいぜ、離してやるよ。ただし、もう一度俺を千秋と呼んだなら。おはようのキス付きで」


肩越しに振り仰ぐ可愛らしい必死の懇願に、にやりと悪戯な笑みを浮かべながら腕を緩めれば、もぞもぞと身動ぐ小日向が正面からちょこんと見上げてきた。耳元に熱い吐息を吹き込んだ。躊躇い揺れる眼差しを、上から静かに見下ろしながら互いに沈黙したまま見つめ合うこと数分。恋の駆け引きに勝利したのは東金で、やがて諦めた小日向は、胸に手を当てながら飛び出しそうな鼓動を押さえている。


ゆっくりと息を吸って吐いて・・・と、深呼吸で自分を落ち着け瞳を開き、両腕をそっと東金の首に絡めて。シュルリとシーツの擦れる音と共にぐっと近くに迫る、熟した果実よりも甘い唇。優しく大切にしたいのに、壊れるほどに強くお前の全てを奪いたいと、理性が焼かれるようになったのはいつからだったか。


「ち・・・ちあき?」
「ん? 聞こえないぜ」


消えそうな小ささで、だが確かに俺の心へ真っ直ぐ届いた声で告げる名前。ただ名前を呼ばれただけなのに、こんなにも甘く熱く胸の奥を疼かせるのは、お前だけだぜ。真っ赤に照れる可愛い顔が見たくて仕掛けておきながら、恋しさが溢れて熱い渦が駆け巡る。一瞬で飲み込んだ熱に、身も心も理性までもが焦がされちまう。


「もう、聞こえてるくせに。イジワルする千秋は、嫌いだもん。からかって楽しむのなら、キスしてあげない!」
「ほら、普通に言えたじゃねぇか・・・って、俺の方が照れてきたぜ。大体二人きりになれるベッドの中でだけしか、俺を千秋と呼ばない癖、そろそろ直せよ。・・・突然呼び方が変わると、ドキッとさせられちまう。俺も慣れなきゃいけねぇな」
「あ! 本当だ。まだちょっと恥ずかしいけど、言えたよ。フフッ、何度でも呼びたくなるの。ちゅっとたくさんキスを啄むみたいに。あの・・・千秋?」


身体の重みをかけないように両肘を支えに覆い被さる頬へ、桃色の頬ではにかむむ小日向が、ふわりと手を伸ばしてくる。額を触れ合わせ、鼻先でキスをしながら「かなで・・・」と名前を返せば、どちらとも無く微笑みが生まれ、胸の奥に生まれる温かい小さな灯火。


「ん?なんだ?」
「千秋・・・大好き」
「かなで・・・」
「でもね、みんなが居る前で呼ぶのは、まだ照れ臭いかも。だから二人きりのときには、たくさん呼ばせて下さいね」
「あぁ。もちろんだ」
「・・・また、すぐに会えますよね」


上に掲げた両腕を滑らせ頭を包むと、ゆっくり頭が引き寄せられて、「千秋・・・大好き」と。内緒話みたく囁く吐息で重なる甘い唇。好きと言葉を伝える唇から想いが流れ込み、温かさに満たされてゆくのが分かる。

大胆に誘ってきたかと思えば、我に返るとこれ以上ないくらい真っ赤に顔を染めて。恥ずかしいよと泣きそうに瞳を潤ませながら胸にしがみつき、顔を隠してしまうんだ。まったく、大胆なのか初心なのか分からんやつだな・・・だからお前は面白い。



薄い闇の中に包まれたベッドルームで白い光を放つのは、枕元のナイトテーブルに飾られている、丸く小振りなオールドローズ。甘い可愛らしさと、不意打ちのようにドキリとさせられる艶やかさと。凛とした気高さと清楚な表情、心休まる温かさを持つオフホワイトは、シーツがさざ波や大きなうねりを描く度に甘くほのかに香り、ひととき身体を休める俺たちを優しく包み込む。

暗がりで妖しく香る白い花に、惹かれてしまう。先程まで身体を焼き尽くした、快楽までもが呼び起こされるのは、大切な恋人に似ているからだと・・・腕の中にある白い輝きを放つ素肌を求めて唇を寄せた。


熱い交わりの中で咲く、二つの花。乱れるシーツの上で、お前自分が咲かせる艶やかな花が白なら、俺が咲かす花は赤だな。惹かれずにはいられない、花。だが、もっと官能的な甘い痺れで俺を酔わせる花がある。
そう・・・この腕の中に咲く、お前という花がな。