今日は離れてやらない



夏の暑さが和らいだ夜にカラコロと響く下駄の音、身体が自然と浮き立つ祭り囃子。

いつもは闇の静けさに眠る神社も、祭りの今日は夜であることを忘れてしまう明るさに溢れている。夜闇に浮かぶ祭り提灯の明かりが心にホッと優しいのは、仄かに灯る蛍の群れに似ているからかもしれない。真っ直ぐ伸びる参道には、いろいろな屋台が両脇にずらりと並び、一つお店を通る度にあちらこちらから威勢の良いテキ屋の声が降り注ぐの。


あれも美味しそう、これは何?と。落ち着き無くきょろきょろ屋台を見渡す私の隣で、はぐれないように手をしっかり握り締めるあなたも、「いいか、気になる屋台を片っ端から攻めていくぞ」と、いつになく嬉しそうだ。


お揃いの浴衣を着たカップルや夫婦、子供連れの家族。浴衣で可愛くお洒落をした女の子が、嬉しそうな笑顔で男の子と手を繋いでいるのは、デートなのかな。通り過ぎる同年代のカップルを横目で眺めながら、自分の浴衣姿と隣で楽しげに屋台を物色している東金を見上げてみる。ちょっとだけくすぐったいのは、私たちも周りから見たらお祭りデートの恋人同士に見えるだろうか、なんて甘い恋心が疼くから。


浴衣姿でゆらりふらり、夏祭りという一夜の水槽の中で、淡い光の海を泳ぐ色とりどりの金魚たち。
私もあなたも夜の水槽を泳ぐ金魚になって・・・さぁ楽しい夕涼みへ出かけましょう?





「おい、小日向。いつまでしょぼくれているんだ。そんな暇は無いぞ、巡る屋台はたくさんあるんだからな」
「うっ・・・だって可愛い金魚さん、一匹も救えなかった。何度やっても、網がすぐ水に溶けて破れちゃうんだもん・・・」
「ぽやんとしているお前に金魚が捕まるわけないだろう、あいつらの方がすばしっこいからな。屋台や駄菓子屋は甘くないってこと、覚えておけよ」


色も形も様々な金魚が泳ぐ屋台の水槽の前でしゃがみ込み、無惨に破れた網を握り締めながら、しょんぼりと肩を落とす小日向に東金が楽しげに笑いかけてくる。すぐ後に佇んで見下ろす自信溢れる笑みを肩越しに振り仰ぎ、ぷぅと頬を膨らませて睨むけれど、東金の言うことはもっともで反論できないのが悔しい。


「何度引いても当たらないクジ、網がすぐにとけちまう金魚すくい・・・。楽しい裏にはリスクだらけだが、その駆け引きが面白いんじゃねぇか。成功を自分へ引き寄せるには、まず実力を養うことだな。とはいえ諦めずに何度もチャレンジする、負けず嫌いなのは嫌いじゃないぜ」


彼の信念ともいえる人生哲学が、また一つ透明な滴になってストンと心に降り注ぐ。それはミルクの中へ落ちた一滴が王冠をつくるように、小さな驚きと感動の煌めきを生みながら、すっと染み込む潤いに変わる。


「さっきからずいぶん熱心だな。そんなに金魚がすくいが好きだとは知らなかったぜ。狙っているヤツでもいるのか?」
「東金さんによく似た金魚さんがいるんですよ、私、その子がどうしても欲しくて・・・でも一筋縄ではいかないんです!」
「俺みたいな金魚?」
「えっと・・・あ!いました。目の前を泳いでいったこの子です!」
「へぇ・・・。こいつはなかなか、堂々として派手じゃねぇか。気に入ったぜ」


いつの間にか姿を消していた金魚が近くに戻ったのを視界で捕らえると、慌てたように腰を半分浮かせて東金のジャケットの裾を掴み、揺さぶりながら指差し示す。赤と黒をした大きな金魚は頭に金色が混ざっており、たくさんの中にあっても華やかさと存在感で一目を惹く。


興奮の勢いで振り仰げば、裾を引っ張るなと眉根を寄せながらも、覆い被さるように身を屈めてくる顔が、触れるほどすぐ真上にいたことに気付き、思わずトクンと大きく高鳴る鼓動。気付かれたかな? とにかく落ち着かなくちゃ。心に言い聞かせながら、ジャケットを掴んでいた手を離し、くるりと背を向けて再び水槽を見つめた。一瞬で顔へ集まった熱は、きっと自分の頬を真っ赤に染めているだろうから。


「じゃぁあいつの周りをちょろちょろしている、赤い小さな金魚は小日向、お前だな。しかし・・・俺に似た金魚が欲しいだなんて、遠回しに俺を誘ってるのか? フッ、お前もようやく、俺のものになる決心が付いたか」
「え、そんな・・・私、あのっ・・・」
「いいだろう。可愛い小日向のために、その派手なヤツ捕ってやるぜ。俺がやれば大漁だ、待ってろよ」


似ている金魚が欲しい=(イコール)あなたが欲しい、という意味にどうして気付かなかったんだろう。でもそれは金魚さんなんだよと、必死に言い聞かせるほどに早くなる鼓動が飛び出しそうになる。否定できないのは好きだという気持ちがあるからで、心の中を言い当てられた恥ずかしさに慌てるほど、顔の熱が募って火を噴き出してしまいそうになる。


水の中を泳ぐ赤い金魚と同じくらい、真っ赤に染まる小日向をみつめる東金の眼差しも甘い。さっき食べたチョコバナナや杏飴と、どちらが甘いだろう。なんて桃色に霞んだ脳裏でふわりと考えいる間にも、嬉しそうに小銭を取り出し隣へ腰を下ろして、真新しい網で獲物を狙っていて。桃色に霞む霧を吹き払ったのは、隣でぱしゃんと勢いよく跳ねた水音だった。


「・・・っ! おい小日向、いきなり抱きつくな。もうすぐ大物が仕留められそうだったのに、網が破れちまったじゃねぇか。お前の相手は後でたっぷりしてやるから、ちょっとの間だけ我慢してろ」
「ご、ごめんなさい、東金さん! でもすぐに止めないと、金魚さんが捕まりそうだったから・・・」
「はぁ!?」
「あの、上手く言えないんですけど。金魚さんたちには、このままで居て欲しいなって思ったから。どちらか一匹だけだと、きっと一人じゃ寂しいと思うし。もしも二匹一緒でも、それを眺める一人の私が・・・会いたくて、寂しくなりそうだったから」
「小日向・・・」


屋台の下に広がる大きな水槽を泳ぐ金魚たちに自分を重ねて、切なさに胸が押し潰されそうになる。こんなにも楽しく煌めいて見えるのは、夏祭りの夜という魔法があるからだろうか。この水槽はコンクールの夏と同じで、いずれみんながそれぞれの場所へ戻ってしまう・・・私もあなたも。ずっと一緒に居られたらいいのにと、願う気持ちが止められなくなったのは、いつからだろう。


「・・・馬鹿。馬鹿だな、お前」
「・・・東金、さん?」


抱きついていた腕をゆるゆると解き、唇を噛みしめながら小さく俯いた頭にポスンと乗せられたのは、大きくて温かい手。
馬鹿、と呼びつつも言葉に秘められた響きと自分を映す瞳は、泣きたくなるほど甘く優しい。呼吸を忘れて見つめていると、ほら行くぞ・・・と、すっと立ち上がり手を差し伸べてくる。


「誰がお前を手放すと言った。お前が寂しくなる前に、すぐ会いに来てやる。一人で声を殺して泣きたくなったら、必ず俺に連絡しろ・・・例え夜中でもだ、いいな?」
「はい・・・! 先のこと心配するよりも、まずは今を楽しむことを考えなくちゃですよね」
「あぁ、そうだ。ほら手、貸せよ。これ以上はぐれないように、手を繋いでてやる。すぐ余所見して立ち止まるし、ぽやっとしているから人混みに流されるし・・・危なっかしいからな。言っておくが拒否権は無しだぜ、俺がお前を感じていたいんだ。本当は、可愛いお前を腕の中でずっと抱き締めていたんだが」


立ち上がって浴衣の裾を整えたら、差し伸べられた手にそっと重ねて握り締めた。強く握り返される力と導く強さが、全身を包むような暖かさと心地良い安心感になって、心を繋く絆になる。このまま繋いでいたら、もっと遠くへ行きたくなる・・・。


「私もこの手を離しませんよ、今夜はずっと、一緒ですからね」


照れ臭さを堪えて、そう真っ直ぐつげた言葉を受け止めた瞳が驚きに見開かれて、嬉しそうな笑顔に変わった。


夏祭りはきっと一夜幸せな夢を見せてくれる水槽の中で、ここにに集う誰もが、淡い光の海を泳ぐ色とりどりの金魚なのかもしれない。鮮やかに彩る浴衣も、楽しげな笑顔も大切な人と一緒だから輝くの。心に温かく灯る、恋の色で。

でも夢だけでは終わらない、未来を夢見る力があるから・・・小さな水槽という世界飛び出した金魚たちは、二人手を取り合って大きな海を目指すんだよ。あなたも私も、ね?そうでしょう?