言葉を遮る

季節の変わり目特有の激しい気温の変化や、秋から冬にかけての乾燥した空気のせいで、学校や身の回りでは風邪が流行っていた。高熱や喉の痛み、長引く咳や鼻水などたちが悪いと聞いているから、俺も用心しなくては。香穂子にも気をつけるようにと注意を促したものの、声をかけた時には遅かったようで。
いつも元気な香穂子も、くしゃみの合間に風邪を引いたと呟きながら鼻水をすすっていた。


悪化しなければ良いのだがとの祈りも届かず、その数日後には風邪をこじらせてしまい、彼女はここ2〜3日ほど学校を休んでいる。

具合は大丈夫だろうか・・・心細くはないだろうか、明日は学校へ来るのだろうか。
授業中も考えるのは香穂子の事ばかりで、体調の心配と会えない寂しさが重苦しく俺の心に圧し掛かる。

せめて気分だけでも近い場所にいたくて、昼休みに自然に足が向いたのは屋上。
君を想いながら広い空を見上げ、取り出した携帯でメールを送ったらすぐに彼女から返事が来た。



From 日野 香穂子
Sub  つまんな〜い!

熱も下がったし、すっかり元気だよ。
まだちょっと喉が痛いけど、明日には学校に行けそう。
心配させてごめんね。
昼間は面白いテレビもやってないし、何もする事がありません。
寝ているだけは飽きちゃったよ、ヴァイオリンが弾きたい。
蓮くんに会いたい・・・。



具合を案じていたがこの文面を見る限りは、元気そうで安心した。
暇を持て余しているのは、それだけ彼女が元気になった証拠だと思うから。
安静を言いつけられながらも、今頃は動き回りたくて退屈に耐えているのだろうな。
会いたいという最後の一文を何度も読み返しては、携帯の画面に向かってつい頬の緩んでしまう自分がいる。



From 月森 蓮
Sub  君に会いたい

元気そうで安心した。
退屈だろうが、動き回らずに大人しくしていてくれ。
迷惑かもしれないが、お見舞いに行ってもいいだろうか。
身体に障らないように、すぐに帰るから。
もしも駄目なら、一目窓越しに姿を見るだけでも構わない。



心のままにそうメールを返すと、数秒後にすぐ彼女から返事が届いた。
浮かべる微笑は文章の向こう側にいる君へ向け、言葉ごと想いを閉じ込めるようにモニターを折りたたむ。
大切に握り締めて携帯を制服のポケットにしまい、右腕にはめた時計を見ると放課後まであと数時間。
昼休み終了の合図が、これほど待ち遠しいと思ったのも初めだった。



◆◇◆◇



放課後、授業が終ると直ぐに香穂子の家を訪れた。
俺を玄関で出迎えたのは、パジャマに上着を羽織った姿の香穂子本人。風邪で少しやつれたとはいえ、メールの文章で受けた印象と同じく元気そうに笑顔を見せている。j彼女の部屋を訪れたのは何度かあるのだが、さすがにパジャマ姿は初めてだ・・・寝ていたのだから当然なのだが。
久しぶりに会えた嬉しさと、奥深い所へ踏み入るような緊張感が鼓動を高鳴らせ、俺は動揺を隠せずにいた。


視線が離せずにいる俺に気付いた香穂子が、こんな格好でごめんねと恥ずかしそうに頬を染めている。
他の人なら見せられないけど蓮くんだから特別にと、そう言う君が可愛い・・・と思わずにはいられない。
まるで内緒話を俺だけに話してくれる感じに似ているから、もっと君に近付いたようで嬉しくなるんだ。

パジャマ姿でベットに横たわる君に、果たして冷静でいられるかどうか。
今は病人なんだと言い聞かせて、玄関先で早々に立ち去る決意をした・・・それなのに。


「じゃぁ。俺はもう帰るから、ゆっくり休んでくれ。また明日の朝、迎えに来るから」
「え!? 来たばかりなのに、もう帰っちゃうの? せっかくだからゆっくりしてってよ」
「いや、でも身体に障るし・・・ご家族にも君にも迷惑がかかってしまう」
「今ね、家に誰もいないの。お母さんは用事があって、夜にならないと帰って来ないし・・・けほっ。お部屋に上がって一緒にお話ししようよ。ちょっとだけで言いから側にいて欲しいの。ねぇ、駄目?・・・・けほっ、こほっ!」


誰もいないなら尚更二人っきりは駄目なのだと、無警戒な君はなぜ分からないのだろうか。
咳込みながらも帰っちゃ嫌だと、制服の裾を掴んで離さない香穂子は真っ直ぐ振り仰ぎ、咳で潤んだ瞳に俺を映す。君の大きな瞳で見つめられたら、俺は逆らえない・・・側にいたいのは俺だって同じだから。




風邪を引いて喉が痛いという香穂子は、声を出すのも辛そうだ。
口を開いて声を発しようとすると、痛みで顔をしかめながらかすれた声を必死に絞り出す。
無理して喋らなくてもいいからという俺に、大丈夫だと返す君は言った側から喉を詰まらせ咳き込んでしまう。
それなのに、喉が痛い声が出ないと言いながらも、香穂子が喋る会話の量やペースは普段とさして変わらなかった。苦しむ姿が痛々しくて、俺が今すぐにでも変わってやりたい。
出来ることなら、君の痛みを半分貰って軽くしたいとも思う。


ベッドに彼女を休ませると、枕元にある机の椅子へ腰を下ろした。初めは横になって寝ていたものの、視界が回って話しにくいからと結局上半身だけ起き出してしまう。寝ていないと駄目だろうとやんわり諌めれば、じゃぁ蓮くんが隣に寝てくれたら私も布団に潜っていると、頬を脹らませて駄々をこねてしまう。

風邪を引くと心も弱くなる分、誰かに甘えたくなるものだ。
こう言う時には心を委ねて甘えて欲しいと思うし、叶えてやりたいとも思う。
だが普段は進んで甘える事の少ない香穂子が、珍しく甘える無理難題に、俺も頬を熱くするしか出来ない。
添い寝をするのは構わないが、抱き締めるだけでは終りそうにない・・・それでもいいのなら喜んで。

伝えたい言葉は喉の手前でぐっと飲み込み、浮かぶ苦笑は愛しさを覆い隠して、穏やかな微笑みに変えた。


「香穂子、もう少し静かにしたらどうだ?」
「蓮くん、掠れた私の声は・・・けほっこほっ・・・煩くて耳障り?」
「すまない、違うんだ。喉の痛みを抑えるには、休めて負担を軽くするのが一番良いと聞いている。風邪は治りかけが肝心だろう? 余計に悪化したら食事も喉を通らなくなるし、君の声が聞けなくなってしまう。早く元通り元気になって欲しいんだ」
「風邪引いて心細かったし、寝込んでいる間は蓮くんに会えなくて寂しかったし・・・けほっこほっ。だからね、今凄く嬉しくて気持が止められないの。オーディオの音を小さくしてくれたり、飲み物を用意してくれたり、毛布をかけてくれたり・・・かいがいしく世話を焼いてくれる蓮くんが、とっても優しいから」


我慢できないのと困ったように見上げる香穂子に、俺の方が困ってしまう。
一目姿を見て声を聞いたらすぐに帰ろうと思っていたが、このまま一人にはさせたくない・・・俺が一緒にいたいんだ。だがどうしたものか、喋らせなくても良い方法を考えなければ。


椅子から立ち上がり、彼女へ寄り添うようにベットへ腰を降ろすと、ついた手を支えにしながら身体を傾けた。
指に髪を絡ませながらゆっくり撫で、頬を優しく包み込む。
見た感じもそうだが、やはりやつれたな・・・と目を細める俺にふわりと微笑み、心地良さそうに擦り寄ってくる。


「病気を治してくれるのはお医者さんだけじゃないんだね。私の心に一番効くお薬をくれて、ありがとう蓮くん」
「香穂子・・・」


なおも喋ろうと口を開きかけるものの、じっと見つめる俺の視線に気が付き、慌てて口を両手で塞いでしまう。
黙っていなくては駄目だと、彼女なりに気を使ってくれているのが愛しくて、手で口を覆ったまま俺を伺う香穂子の肩を抱いて腕の中に閉じ込めた。言葉の代わりに、温もりで伝わり合えるようにと。


大人しく身を任せじっとしていたのも束の間で、腕の中の君は次第にソワソワと落ち着きが無くなってきた。
俺のシャツの裾を引っ張ったり、腕にしがみついたり、襟足をくすぐるように髪を弄ってみたり。
しまいには二本の指が座る脚や身体の上を、小さな生き物のようにちょこちょこと這い回り出す。


「・・・・・・・っ!」


君は黙った方が、俺の心を余計に騒がしくしてくれるのは何故だろう。
くすぐったさと心地良さが混じり、小さく笑いを漏らしながら身を捩ると、腕の中の君はちらりと悪戯っぽく見上げて更にじゃれ付いてくる。確かに黙っていろとは言ったが、大人しくしろとは言わなかった。
言葉の裏をかき口を割らせ、喋るきっかけを作っているのが分かるから、これでは我慢大会もいいところだ。


脚から腹を駆け上り、柔らかい部分だけを辿って這い上がる、足に見立てた二本の指。
彷徨う行き先を見届けたかったが俺にも我慢の限界がある。
首筋に辿り着いたところで強く手を掴み、きょとんと見上げる瞳ごと、身動きが出来ないように深く閉じ込めた。


「香穂子・・・やめてくれ! 降参だっ、くすぐったい」
「じゃぁ喋ってもいい? 駄目なら、このまま黙ってお話しするから」
「いや、それも・・・困るんだが・・・」
「喋っちゃ駄目、触っちゃ駄目って・・・けほっ! もう、蓮くんてぱ、私は話したい事がたくさんあるのに・・・。だって喋るのも辛いけど、黙っているのはもっと辛いんだもの。じゃぁどうしたらっ・・・けほっこほっ!!」
「・・・っ! 香穂子、大丈夫か!?」


勢い叫んだ反動で苦しそうに激しく咳き込む背中を、抱きかかえながら撫でさすると、次第に荒く早かった呼吸が収まってくる。咳のし過ぎで筋肉痛なのだと言う彼女は、泣きそうに目に涙を浮かべながらうずくまり、喉元を押さえていた。


「ほら・・・だから言っただろう? 無理して喋ろうとするからだ。苦しくは無いか?」
「ちょっと、苦しい・・・」
「話したい事があるのは俺だって同じだ。君の声をもっと聞きたい。だがそれは、もう一晩ゆっくり休んで風邪を治してからだ。寝込んだと聞いた時には、心配で胸が潰れそうだった。今は一目会えただけでも良かったと思ってる。無理をしたら、また会えない日が延びてしまうから・・・早く風邪を治す事だけを考えてくれ」
「言ったでしょう? 止められないって・・・会えなかった間の想いが溢れそうなんだよ。蓮くんが優しいからよけいに。じゃぁ私が喋ろうとしたら、蓮くんが・・・声を出さないように口を塞いでくれる?」


熱く見つめる俺をじっと受け止める香穂子は、赤く染まった頬と潤む瞳で縋るように振り仰ぐ。
尚も口を開こうとする彼女が言葉を言うよりも早く頭を抱え込み、覆い被さるように唇を重ねていた。

そうか、その方法があったか。


「んっ・・・ふぅっ・・・」


無邪気な君を大人しくさせるには・・・声を出させないようにするには。
喋りたくて仕方が無い愛らしい唇ごとふさいでしまえばいいのだ・・・俺の唇で。
言葉を語る唇も、声にならない言葉を語るその身体ごと腕に閉じ込めて・・・触れる唇も絡む舌の熱さも俺が吸い取ってしまおう、君の想いと風邪の痛みごと。こうすれば、お互いに黙っていても寂しくはないだろう?


会えなかった間に募った想いは、重なる唇と絡まる熱い舌で語り合おう。
キスと会話と、一体どちらが辛いだろうかと過ぎったが、もう止められなかった。
君が息苦しさに喘ぎ、再び咳き込み出す前に柔らかい唇を離さなければ・・・。


心の中には彼女に言い聞かせた言葉が自分へと降りかかる。



風邪を引いたら安静に-------------。