言葉を封じるキス 




例えば君と一緒に青い空を眺める。
空を泳ぐのは、綿菓子の魚たち。青い紙から取ったように鮮やかなコントラストを見せる、真っ白な二羽の鳥。



君と俺の二人だけしかいない屋上では、ベンチに並んで座る距離も、森の広場やカフェテリア・・・学院中どこよりも互いの距離が近い。幸せそうに寄り添う二つのものを見ると、温かく幸せな気持になるからというのもあるな。ずっと一緒にくっついて飛んでいる白い鳥たちを、嬉しそうに指さし示す香穂子がいそいそと距離を詰めてくる。私たちもと、愛らしく上目遣いではにかみながら。

ふり仰ぐ青空の広さと吹き抜ける風に身を任せれば、心が寄り添い触れ合うのを感じるだろうか。届きそうだねと精一杯背伸びをしながら、しなやかな腕を伸ばす君の手が風を掴み、瞳は降り注ぐ眩しい光を捕らえるんだ。同じ色を見て同じように感じる・・・綺麗だね楽しいねと、音楽を感じるような心地良さで。


ベンチに座る二人の膝や腕、くるくると表情が変わる君の頬へ、あと少しで届くのに。触れそうで触れない微妙な隙間というのは、ぴったりとくっつき合っている時よりも、くすぐったい熱さを生むのはなぜだろうか。楽しそうな横顔に魅入りながら、大きな瞳の次に、唇へ視線が吸い寄せられてしまうのは、きっと潤すリップクリームが太陽の光を浴びて艶めきを増しているからに違いない。

キスがしたい気持がそう見せているのではと、霞む脳裏を理性で引き締めるの必死だと君は知らないだろうな。だが蓮くんと名前を呼ばれふと隣を見ると、予想よりも遙かに近くにあった香穂子の瞳と鼻先に、顔へ熱さが昇ってしまう。


「蓮くんどうしたの? 顔が真っ赤だよ」
「・・・すまない、その・・・空を見ながら考え事をしていたんだ。香穂子も楽しそうだな、何を考えていたんだ」
「あのね、雲がふわふわして綿菓子みたいだなって思ったの。青くて広い空は蓮くんで、綿菓子な雲は抱きしめられる私なの。ふわふわな気持良さに似ているなって思ったら、幸せになっちゃった。ねっねっ蓮くんは? 私にも教えて?」
「・・・小さくて赤い実が食べたいなと、そう思っていたんだ」
「小さくて赤い実? 苺にサクランボ、真っ赤なラズベリー! え?違うの? ん〜なんだろう・・・」


きょとんと不思議そうに小首を傾げる香穂子は、人差し指を顎に当てて少し上を向き、俺が食べたい小さくて赤い実を考えのに夢中だ。いちご?さくらんぼ?と、答えが思いつく度にきらきらした瞳で身を乗り出す、君の唇だと素直に言っても良いだろうか。

ヴァイオリンの練習や合奏、一緒の登下校など、いつも近くにいる筈なのに急に強く意識してしまう瞬間がある。君の事だけしか見えなくなってしまう心地さの中は、まるで例えば突然生まれた穴へ、すっぽり吸い込まれてしまったように。自分の心だけでなく、俺を包む周囲全てが君色に染まり、大きく膨らみながら甘く優しく溢れてゆく。恋は落ちるものだと聞いたことがあるが、まさにその通りだと思わずにいられない。


「ココロ丸くて小さな赤い果物はとっても可愛いよね、指先に摘むとキスをしたくなるの。きっと唇と同じ色をしているから、ちゅっと吸い付きたくなるのかな」
「甘酸っぱくて赤い実、どれも香穂子が好きなものばかりだな。だが俺が食べたいのは違うんだ。雰囲気は似ている・・・と思う、キスをしたくなるところも」
「ますます分からないよ、ねぇヒントちょうだい? 甘酸っぱくて赤い実は、とっても小さい子が多いよね。苺やサクランボは一度だけじゃ足りいから、たくさん食べたいって思うよね。蓮くんが食べたい赤い実も、いっぱい食べたくなるのかな?」
「・・・そうだな、一つでは足りない。ずっと食べていたいと、俺は思う。あの果実よりも甘くて柔らかいものは、この世に無いだろうな」
「え!? 蓮くんが夢中になるくらい美味しいのなら、私も食べたいな。甘酸っぱい果物って大好き。例えばね、長い睫毛が影を落とす蓮くんの横顔とをじっと見つめたときとか。ふいに微笑んでくれた柔らかい瞳みたいに、胸の奥がキュンと締め付けられる感じがするの」
「・・・・・・っ!」


青空を眺めて赤い実が食べたくなった理由を問われたが、何かを思いついた香穂子がポンと手を叩きふり仰ぐ。もうすぐサクランボ日和だよね、日帰りバスツアーでサクランボが食べられるってTVで見たのだと嬉しそうだ。まぁ・・・そういう事にしておこうか、気分転換にいつか行けたら良いが。

可愛い苺やサクランボ恋する心をぎゅっと閉じ込めた赤い実を食べた恋人同士は、キスをしたくなるのだと。拳を握り締めて力説する香穂子は、その赤い実を一緒に食べようと興味津々に熱く語り始めてしまう。君が想った青空と雲の話も、もう少し聞きたかったのだが・・・どちらにせよ「大好きだと」真っ直ぐ愛を告げられてるのに変わりはなく、照れ臭い。

俺が食べたい小さな赤い実が、君の唇だと香穂子は気付いていないのに、キスがしたいのだと聞こえるのは、願望だけではない筈だ。これ以上熱く語られたら、きっと一口だけでは足りなくなってしまう。全てを食べ尽くさずにはいられなくなる前に、君の唇を塞がなくては・・・甘い実を食べても、良いだろうか。


視線を逸らすことは出来ず、同じように吸い寄せられたまま、次第に頬を染めてゆく君を見つめたまま。届くのは空だけじゃない・・・手を伸ばせばほら。身振り手振りでくるくる表情を変えながら、夢中で話す香穂子にも。背後から腰に絡めた手を抱き寄せ、香穂子の向こう側へ手をつき身体を支えながら、前からも腕の中へ閉じ込めて。少し重みをかけたしなやかな身体は自然と上を向き、何かを言いかけ開きかけた唇に、覆い被さりそっと重ねるキスを届けよう。


「え、あの・・・蓮くん、ちょっと待って・・・んっ!」


零れる甘い吐息と息づきの呼吸に、脳裏が熱く焼かれるのを感じながら。桃色に霞みかける意識の中で、あっというまに一口で食べ終わってしまう、赤い小さな果実を求めキスをもう一口。


唇を重ねている長いようで一瞬の間だけ、この世は君と俺だけしかいない二人だけの楽園に変わる。それなのに食べたいと不意打ちのようにキスを求めながらも、再び時間が流れ始めれば、気恥ずかしさに耐えきれなくなるのは、だいたい俺の方が先だと思う。

交わる視線を振り切りふいと顔を背け、目の前に広がるのは、斜め上に広がるスカイブルーの空。火照りを冷ます微を受け止めながら、ジャケットの裾を握り締める手が言葉無く俺を呼ぶ。だが君の瞳と空気がしゅんと揺らぐよりも早く、視線を逸らしたままそっと手を伸ばし・・・スカートからのぞいている白い脚に、ちょこんと置かれた君の手を、重ね包み握り締めた。


「蓮くんと一緒だからドキドキしているの。でもね、こうしてくっついているのは、とっても安心するんだよ。ドキドキなのに安心って、不思議だよね。きっとこれが恋なんだと思うの。嬉しいドキドキも、ちゅっと甘いキスも笑顔も、みんな幸せの音だよね。こんなに心が動くのは、蓮くんだけだなって思うの」
「香穂子と手を繋いだり同じ景色を眺めたり、楽しさや喜びを分かち合えるだけで気持が優しくなれる気がする。心が豊かになる・・・というのだろうな」


手を繋いだ瞬間に驚き照れる顔が、繋ぐ手からも伝わり熱い鼓動が飛び跳ねる。照れ臭さに視線を逸らしても、感覚の全てが君を伝えてくれるから、余計に強く意識してしまうと気付くのはこんな時だ。あのままじっと見つめ合っていたのと、こうして手を繋ぐのと・・・一体どちらがよりくすぐったいのだろう。


だが、難しく考えることは無いのかも知れないな。ほら・・・そっと絡められた君の手が、こんなにも柔らかく温かいから。くすくすと頬をくすぐる吐息につられて視線を戻せば、幸せそうに桃色の笑顔を綻ばせる香穂子がいる。