この奇跡に祝福を

多くの客で賑わう店の一角にある、大きな棚いっぱいに並べられた同じ縫いぐるみたち。
彼らを棚の端から一体ずつ丁寧に眺めながら、みんな可愛いよねと笑顔を見せる香穂子は、ふと目に付いた一体を手に取ると、何気ない仕草でそっと抱き締めて。しかし次の瞬間抱き締める腕に力が込められ、すっと瞳の色が変わったのを俺は見逃さなかった。
僅かに俯いてじっと固まったまの彼女が心配になり声をかけると、縋るように必死な眼差しで俺を振り仰いだ。


「・・・・・・香穂子、どうかしたのか?」
「蓮くん。この子、うちの子にするっ!」
「は!?」
「ねぇ、いいでしょう?」
「・・・いや、その・・・。香穂子がそうしたいなら、連れて帰ればいいと思うんだが・・・・・」



胸元に抱き締めたものを俺に向けて差し出すように見せながら、うちの子にしたいと・・・切ないほどの眼差しでそう同意を求められても困ってしまう。何だか落ち着かずにそわそわするのは香穂子のというよりも、俺たちの・・・と言われているような気がしてならないからだろうか。


彼女の腕の中にぎゅっと抱き締められているの彼は、巷で人気らしい外国のアニメ映画のキャラクターだという縫いぐるみ。犬のような猫のような青色の二頭身でちょこんと姿勢良く座っており、大きく垂れた耳と顔いっぱいに広がる黒い瞳、長い手足が印象的な生き物だ。頬をすり寄せる心地良さそうな彼女の表情からも分かるが、毛並みを見ただけでも柔らかそうな感触と肌触りの良さが伝わってくる。

先程から頬を綻ばせて可愛いを連発している香穂子によると、どうやら映画の彼は宇宙からやってきたエイリアンだそうで、一人ぼっちで寂しい女の子の元にやってきたのだという。


「最初は悪戯ばっかりして皆を困らせるんだけど、大好きだよ・・・誰よりも大切だよって女の子が語りかけるうちに、心が変わって良い子になるの」
「優しさと温かさを、その少女から教えてもらったんだな。どんな時も助け支え合える、友人よりも家族よりもたった一人大切な存在に出会えた彼は、きっと幸せ者だな」
「そうなの〜何だか他人とは思えなくて。ねぇ、可愛いでしょう? それにこの手の肉球が特にフカフカで、とっても気持がいいんだよ!」


満面の笑顔で抱き締めていた縫いぐるみの手を取り、ほらっ・・・と俺の頬へピタピタと擦り付けてくる。触れる頬がくすぐったくて熱いのは毛並みや柔らかさよりも、そんな君の方が数倍にも可愛らしいと思うからなのだろう。

俺から見れば愛らしいというよりは、個性的という表現が合うような気がするが・・・見れば見る程味が出て、飽きがこないという所だろうか? 香穂子から見てこの生き物のどの辺りが可愛いのかが俺には分からず、返答に困ってしまい・・・とりあえず彼女に合わせて、そうだな・・・とだけ呟いてみた。


しかし、欲しいのだと必死な割に香穂子はずっとこの場に佇んでいて、迷いを捨てきれないのはどうやら懐具合に合わないからのようだ。値札を見るなりぎょっとして目を見開き、棚に戻しかけたが再び腕の中に抱き寄せて値札と縫いぐるみの顔を切なそうに交互に見つめている・・・そんな事の繰り返しだ。


「運命の出会いって思うくらいに凄く欲しいのに、これ買ったら今月のお小遣いが厳しくなっちゃう・・・どうしよう」
「衝動買いという事もある、一度冷静になって考えたらどうだ? 他にも同じものが棚にたくさん並んでいるようだし、すぐには売り切れ無いだろう」
「う〜ん、でも・・・この子はたった一人だけだからなぁ・・・。手を離した隙にいなくなったら寂しいじゃない。見た瞬間にね、この子が私を呼んでたの! でね、抱き締めたらもう駄目・・・手放せなくなっちゃったの。蓮くんは男の子だからお買い物のこういう感覚って、きっと分からないよね・・・」
「いや、そんな事は無い。 手にしたものを手放せない気持については良く分かる・・・この腕の中に抱いてしまったのなら尚更。俺が君を手放せないように、君にも手放せないものがあるのだろう?」
「もう・・・その通りだけど、ちょっと違うってば・・・・・・」


一度手に取ってしまうと・・・この腕に抱き締めてしまうと、もう二度と手放せなくなってしまうものがある。
側で見つめていただけの頃にはひっそりと影を潜めて露ほども感じ得なかったのに、一体心のどこにこんなにも熱く狂おしい想いが潜んでいたのだろうかと思う程に。

熱を持ち出す瞳でじっと彼女を見つめれば、みるみるうちに頬を赤く染め出して、胸元に抱きかかえている縫いぐるみをギュッと強く抱き締めながら、恥ずかしそうにごにょごにょと言葉を濁してゆく。くすぐったい僅かな沈黙が流れた後に、でも・・・と小さく呟くとはにかんだ笑みを浮かべて腕の中の彼をそっと棚に戻した。


「蓮くんの言う通りに、もう一度良く考えて見ることにするよ。本当に買いたいのかどうか・・・でないとこの子が可哀相だもん。連れて帰る以上は、想いを込めて大切にしてあげたいしね」


時折ちらちらと振り返り後ろ髪を引かれる想いを溢れさせつつも、ちょっと向こうの棚を見てくるねと手で方向を示しながら微笑んで、ふわりと俺の前から羽ばたき、店の中を軽やかに駆け出して行った。





香穂子は俺のいるすぐ側にある小物の雑貨が並ぶ棚の前で立ち止まると、一つ一つ小物を手に取っては可愛いと言いながら頬を綻ばせて眺めている。そんな彼女の楽しげな横顔を見ていると自然と頬が緩み、温かな風が心に吹き抜けるようだ。

さて俺はどうしたものかと思案しながらふと視線を向ければ、目の前には香穂子によって棚に戻された先程の縫いぐるみが俺をじっと見つめている・・・いや、それともこの場を離れた香穂子を見ているのだろうか?
まぁ、お互いに彼女を待つ身なのは一緒と言うところらしい。

縫いぐるみの見分け方など俺には良く分からない技や心理なだけに少しだけ理解に苦しむが、同じものは他にもたくさん並んでいるのに、香穂子はどうやらこれで無いと駄目らしい。だが彼女の事をもっと知りたいから・・・一体どこがどう違うのだろうかと、同じ棚からもう一つ同種の物を手に取って交互に眺めてみた。


どんなに見ても結局俺に見分けはつかなかったけれども、一つだけ分かった事がある。
あんなにも嬉しそうに夢中になっている香穂子がとても可愛いと思うのだが、きっとこれを手に入れたら、今日この後の時間は俺を見てくれないような気がしてならないのだ。本能がそう告げる予感なのか、ただの嫉妬なのか・・・。しかし彼女に悲しい想いもして欲しくないと、心の中で何度となく問いを繰り返して小さく溜息を吐く自分自身が可笑しくて、苦笑が堪えきれずに込み上げてしまう。


ずっと俺だけがこの場にいても仕方が無いから、とりあえず彼女の元へ行こう・・・そう思って手にした二つの縫いぐるみを戻そうとしてハッとした。重大な問題に一瞬にして背中が凍りつき、冷や汗がじっとりと流れてゆく。


あれ・・・どちらの方が香穂子が選んだものだっただろうか?


これは困った・・・同じものを同じ場所に戻さなくてはならないのに、すっかりどちらが彼女が選んだのかを忘れてしまったらしい。眉を寄せて記憶の糸を手繰り出したり、あれ程強く抱き締めていたなら跡がついているだろうかと眺め回したものの、一度複雑に絡まった糸は容易に解く事が出来ず。俺が二つの場所を覚えていればいいのだからと、そう心に言い聞かせて空いているスペースに戻してみた。願わくは正解である事を祈りつつ・・・。






「蓮くん、やっぱり買う! 家に連れて帰るっ!」
「香穂子、戻ってきたのか」
「うん、もう決めたから! ねぇ、さっきの子まだいるかな? もしかして蓮くんが、無くならないようにずっとここで見ていてくれたの?」
「あっ・・・いや・・・その・・・・・・」


まだ棚の前にいた俺の元に駆け戻ってきた香穂子は、ありがとう蓮くんと、大きな瞳を膨らませた期待でキラキラと輝かせながら、純粋に信頼の眼差しを向けてくる。瞳を受け止めながら、経緯をどう答えたら良いものかと言葉を選んでいるうちに、ふと棚に視線を移した彼女が驚きに目を見開き固まってしまった。晴れやかな笑顔が急に厚い雲に覆われて悲しそうに顔を歪ませ、今にも雨が降り出しそうな潤んだ瞳が揺らめきかけている。


「あれ、いない・・・。どうしよう・・・さっきの子、いなくなっちゃったよ・・・・・」


しまった・・・! 先程俺が戻した時に、場所を入れ違えていたようだ。


やっぱり手放すんじゃなかったと力無く呟き、唇をかみ締めて後悔に項垂れる香穂子にチクリと胸が痛み、深い罪悪感に襲われる。こんなにも、君を悲しませるつもりは無かったのに・・・。
己の過ちに激しく悔いて拳を強く握り締めると、もう一つの場所がある事を・・・真相を伝えようと、手を伸ばしうずくまる華奢な肩を覆い包んで口を開きかけた。


「・・・香穂子、その・・・実は・・・・・」
「あっ! 良かった〜ここにいたんだね。もう、いなくなったかと思っちゃったよ」
「えっ!?」


雲が晴れたようにパッと明るい表情を見せ、俺の腕をするりと抜け出した香穂子は、棚に駆け寄り今まで視線を向けていた一段下の棚にちょこんと座る縫いぐるみを嬉しそうに手に取った。それはまさしく先程俺が入れ替えてしまった、最初に香穂子が選んだもの。もう離さないからねと吐息と共にそう言って、ギュッと胸に抱き締め愛しそうに頬をすり寄せている。


「・・・・・・どうして分かったんだ?」
「どうしてって、それは・・・あっ!? もしかして場所をこっそり入れ替えたの、蓮くんでしょ? もう、どうしてそういうイジワルするのっ!」
「すまない。悪気や深い意味は無いんだ、俺も手に取っていろいろ眺めているうちに、返す場所が分からなくなってしまって、つい・・・・・・」


俺が伝えるまでも無くピタリと本物を探し当てた香穂子を、超魔術でも見せられている思いで目を見開いていると、何かを悟ったのか次第に俺を不審そうな眼差しで見つめ出し、赤く染めた頬をプウッと膨らませて睨んできた。言ったらもっと怒るから黙っているけれども、怒っているそんな顔も可愛いと、もっといろんな君を見せて欲しいと思ってしまう。だが、それよりも・・・。


「凄いな、君は・・・」


心の底から感心する俺に怒りの矛先を失ったのか毒気を抜かれたのか。きょとんと不思議そうに見上げつつ、そう?と縫いぐるみを抱き締めたまま愛らしく小首を傾げてくる。


「いっぱいいる中で、この子だけが私に呼びかけてきたの・・・お家に連れて帰ってって。だから私も、うちの子になる?って呼びかけたんだよ。みんな同じように見えるけど、良く見ればちゃんと別々でこの子はたった一人だけ。きっとどこにいても分かると思うな。蓮くんだってそうでしょう?」
「俺?」
「たくさんの中から、私を見つけてくれたじゃない・・・。いつもどこにいても間違えずに、あっという間に探し出してくれるじゃない。それがね、私はとっても嬉しいの」
「そうだな・・・どんなに姿を変えていようとも埋もれていようとも、遠くへ行ったとしても。君の事なら、音色も君自身も俺が探し出してみせる。香穂子が俺の事をすぐに見つけて、笑顔で駆け寄ってくれるように」
「蓮くんとかヴァイオリンとかその他にも・・・心でお話ができる大好きな人や大好きなものは、すぐに見つけられるんだよ。それはね、ここにいるよって、いつも私に呼びかけてくれるんだもの」



真っ直ぐに俺を見つめて言葉を伝える香穂子の一言一言が、熱い雫となって心に染み渡ってゆく。
増した熱さを瞳に乗せて返せば、やがて想いの熱さが甘さとなって漂い出し、香穂子は絡まる視線に頬を染めて恥ずかしそうに俯いてしまう。そんな彼女に愛しさ湧く心のままに緩んだ瞳と頬で柔らかく微笑みながら、しっかり腕に抱き締められたまま俺を見ている、縫いぐるみの鼻先を指で突付いた。


「蓮くん?」
「奇跡・・・だな」
「えっ、奇跡?」
「俺もこの縫いぐるみの彼も、たくさんの中から君と出会う事が出来た・・・そして、君が選んだ。この出会いこそが奇跡・・・いや、出会うべくして出合った必然なのかも知れない。俺が君を待っていたように、彼もここで君に貰われるのを待っていたのだろうな」
「それにね、例え出会ったとしても、大切なものは一瞬でも絶対に手放しちゃいけないんだよ。この手も心の手も両方とも。でないと目を放した隙にいなくなったら困るでしょう?」


俺を見上げてふわりと微笑む香穂子が飛びつくように身体を寄せ、俺の手をしっかり握り締めてきた。
柔らかい温もりが大きな羽となって、手だけでなく心や身体全体を・・・俺の全てを彼女の想いで包まれてゆく。
穏やかさに身を浸しながら、そうだな・・・俺は絶対に離さないからと、瞳を絡めたまま強く手を握り返した。



「もしも香穂子が・・・」
「なぁに、蓮くん」
「君の腕の中にしっかり抱きかかえられた彼のように、家に連れてってと、もし君に呼びかけられたら、俺は迷わずいつでも連れて帰るから」
「も、もう・・・蓮くんってば・・・・・・」


会計をする為レジへ向かって歩きながら、繋いだ手を引寄せ僅かに屈みつつこっそり耳元で囁けば、横目で見える耳や首筋までも真っ赤に染めて視線をそらしてしまい。返事のように肩先から触れ合わせた腕から熱が伝わり、握った手にキュッと強く力が込められた。







星の数ほどたくさんいる人の中、出会った俺達。互いに強く惹かれ合い、出会うべくして出合ったと言ってもいいかも知れない。出会いはいろいろあるけれど、巡り合った星と星が更に大きな宇宙を創るように、俺と君と・・・自分だけでなく相手の人生をも変えてしまう出会い・・・それこそが、まさに奇跡だと思う。


最終セレクションが終わり、君が屋上で奏でる愛の挨拶が俺に届いたあの日をきっかけに、二人は特別になった。それは君が真っ直ぐな気持を伝えてくれたから、俺も君に飾らない心のままの想いを伝える事が出来たんだ。あの日の君の音場・・・音色・・・想いは色あせることなくいつまでも輝いていて・・・これからもずっと大切にしたい。

いや・・・出会いはそのずっと前から。
小さな奇跡が少しずつ積み重なって、揺ぎ無い大きなものへとなっていったのだから。


この先もっと輝く二人になれるように・・・そして幸せになれるように。
出会の奇跡がもたらした全てに感謝を捧げ、祈りを込めて。