恋と愛の境界線



足元を見れば次第に色褪せてゆく草や木が、息を潜めるようにじっと冬を待つ。だが視線を上げれば木々が黄色や赤に色づき、六甲の山は艶やかな錦繍を織る季節。神戸で紅葉の名所といえば六甲山だ。錦秋の美が彩る紅葉の山は、綺麗だぜ?

毎晩欠かすことのない電話越しに、今が盛りの神戸の紅葉を話せば、「秋の楽しみといえば美味しい味覚に綺麗な紅葉、景色の綺麗な露天風呂・・・秋はお出かけの季節ですよね」と。テレビで見た旅番組の影響らしく、無邪気にはしゃぐかなでの声が離れた場所にいても空気を奮わせ、俺の心を熱く奮わせた。

そうだな、ついでに温泉も行くか。紅葉を眺めながらの露天風呂も、風情があるからな。


紅葉狩りだけじゃなくて温泉でのんびりも素敵ですねと、距離を超えて喜ぶ声が、一足先に心だけを俺の元へ運んでくる。
無邪気にはしゃいでいるのも、今のうちだぜ。携帯電話の向こうにいるお前に向かって、そうニヤリと笑みを浮かべる俺に、どうしてなのかと不思議そうに尋ねてくるが・・・。

もちろん温泉宿と言ったら、露天風呂付きの貸し切り離れで、かなでと二人きりで過ごすに決まってるからな。


楽しげに膨らます想いの風船を心で受け止めたら、土日の週末を一緒に過ごす約束をして。土曜の昼前に新幹線で到着するかなでを新神戸の駅で出迎える予定が、結局待ちきれずに金曜の放課後が終わったら、俺がそのまま横浜へ。「待ちきれなかっただろう?」と言いつつ、かなでを攫うように神戸へ連れてきてしまう。

予期せぬ訪問に驚きながらも、待ちきれなかったのは千秋さんでしょ?と出迎えのキスをくれる微笑みに、お前に会いたい想いを隠さず告げれば、もじもじと口籠もりながら視線を泳がせ、一際鮮やかな紅葉が腕の中で咲いた。秋が深まり寒さが募るに連れて、小春日和の温もりが恋しくなる。

だが、つかの間の日だまりじゃ俺を温められないぜ。俺の心と身体を温めることが出来るのは、お前だけだ。


慌ただしく荷造りをさせたら、夜のうちに神戸へ。そうすれば翌朝は早くから出かけられるし、少しでも長く一緒に過ごしたい。朝から時間を有効に活用しねぇと、秋から冬はあっという間に日が暮れちまうからな。まぁ、長い夜を過ごす楽しみは・・・まだ、遠足気分のお前には黙っておくか。




「赤、黄色、緑・・・。一つ一つの色だけでも素敵だけど、みんなが集まるともっと魅力的ですよね。何だかアンサンブルみたい。私もこの景色の中で、ヴァイオリンを演奏したくなっちゃいます」
「黄や赤と一口に言っても、日本語の色名は数多い。心で感じた数だけ色があるからな。お前の音楽をどれだけ色鮮やかにできるかも、感じる心次第ってことだ」
「千秋さん見てください、あっちの葉っぱも綺麗! お日様の光を受けてキラキラしてますよ」
「ほら、かなで。デジカメ撮りながら上ばっかり見ていると、転ぶぞ」


カメラを構えたまま、ふいに俺の顔へシャッターを切ったかと思えば、小さな舌を悪戯に覗かせ駆け出してしまう。あちらの紅葉や足元の花、枝からひらりと舞い落ちる紅葉を追うかなでの方が、まるで一枚の紅葉みたいだな。俺の呼びかけにくるりと振り返ると、大きく腕を振りながら「早く早く」と俺を手招いている。


おいおい、そんなに急かすな。楽しくてじっとしていられないなんて、お前は子供か・・・そう思いながらも、愛しさに緩んだ眼差しと頬は深まるばかりだ。転ばないから大丈夫だと満面の笑みを浮かべているが、あぁほら・・・いいから足元をちゃんと見ろ。そう呼びかけた矢先に落ち葉に埋まる大きな石へ脚を取られ、小さな悲鳴と共にゆっくり傾ぐ身体。

いつでも抱き締められる距離を保っているとはいえ、慌てて駆け寄り背後から抱き留めるのは、予想通りで相変わらず目が離せねぇ。


腕の中でほっと安堵の吐息を零すかなでが、「ありがとうございます」と肩越しに俺を振り仰ぐ。まったくこれで何度目だと眉を寄せて諫めれば、可愛い思案顔で考え込みながら指を折り、悪戯が見つかった子供のように「三度目です」の上目遣い。だが答えを示す三本の指に、盛大な溜息を吐く俺を見て不安げに瞳を揺らす。


「えっ!?もしかして違いましたか?」
「馬鹿、四度目だ。俺が抱き留めていなかったら、間違いなく遭難してるぜお前」
「ごめんなさい・・・つい、はしゃぎ過ぎました。気をつけます」
「まぁ、お前がぽやんとしているのは、いつものことだからな。すぐ抱き締められる距離で守るのは、俺の役目だ」
「キラキラの紅葉が、千秋さんと一緒で楽しい私の気持に思えて、たくさん捕まえたかったんです。横浜で一人見る紅葉は、何だか寂しいのに・・・一緒だとすごく綺麗に輝いているんですよ」


ひたむきに見つめる瞳に吸い寄せられ、背後から抱き締めていた腕はいつの間にか解かれていて。それに気付いたかなでがワルツを踊るように、くるりと正面俺の正面へ向き直った。足元に積もった葉をサクサクと身軽なステップで踏みしめると、太陽を吸い込んだ香りがするでしょう?と無邪気な笑顔を浮かべている。


ふいにしゃがみ込み、泉の水をすくうように手の平で落ち葉を集めると、ほらね?と興味津々の輝く瞳で俺の前に掲げてくる。どこか悪戯な光が瞳に宿った気がしたが、あえて気にせず身を屈めると、すぐ目の前で広がる落ち葉の吹雪。悪戯が成功したと無邪気に笑うかなでを強く腕の中に閉じ込め、じたばた身動ぐ顎を指先で捕らえたら、唇を覆うように重ねたら、呼吸も奪う深いキスを。


「やっと大人しくなったか。子供じみた悪戯で俺をハメようなんざ、10年早いぜ」
「ごめんなさい千秋さん、ついでき心だったんです。もう悪戯しません〜」
「だが太陽の香りか、この軽やかな音は確かに心地が良いな」
「太陽の香りを閉じ込めているのは私の髪じゃなくて、足元にあるふかふかの落ち葉たちのことですよ」


くってりと胸にもたれかかりながら振り仰ぎ、すまなそうに瞳を潤ませるかなでの髪に鼻先を埋れば、。太陽と優しい花の香りを閉じ込めたような温もりと安心感が降り注ぐ。私じゃなくて紅葉や葉っぱの絨毯を見て下さいと・・・真っ赤に照れながら拗ねる仕草も愛しくて、たまらなく心地良いのは確かなんだぜ。


かなでもヴァイオリンも光の温かさが・・・太陽の香りが溢れている。山の景色が喜んでいるのは、お前自身に太陽の香りが溢れているからだろう。そう瞳を緩ませた俺の言葉を真摯に受け止めていたかなでが、ふっと頬を綻ばせ「ね、楽しいでしょ?」と。嬉しそうに耳に手を当てたら、今度は風の音に耳を澄ませていた。


「目に映る景色だけじゃない。音楽や身体の全ての感覚が、喜びに溢れているのが分かるんです。指先や目、耳、髪や鼻・・・身体の全部が、恋してますって言ってるんです。自分でも分かるってことは、周りも気付いちゃうわけで。好きな気持ちが全身に染み込んでくると、一番最初に現れるのが音楽と顔らしいんですよ」
「恋をすると音色が変わると、よく言うな。だが顔もか、そんなにいつも、俺の事を考えてニヤニヤしてるのか?」
「違います・・・えっと、ちょっと合ってますけど。千秋さんの事を想うと、自然とキラキラするみたいなんですよ。キラキラが溢れてるねって、友達から褒めてもらえて・・・ニアにはからかわれて。どっても照れるけど、千秋さんが大好きな私も、大好きだなって思えるんです」


さわさわと揺れる奏でる楽しげな秋音も、悪戯に吹き抜ける冷たい山風にかき消され、待って消えないでと泣きそうな顔が空を追う。華やかな秋と冬の境目は、つかの間の逢瀬に迫る別れの時間にも似ていて心が軋む。小さなくしゃみが響き、寒さを耐えるように自分を抱き締めるかなでを、そっと傍に抱き寄せた。


「千秋さん・・・私、考えたんです。恋って何だろう、愛って何だろうって」
「ほう・・・で、答えは分かったのか?」
「恋は出口が見えない迷路みたいですよね。でも恋の迷路はドキドキしたりキュンとしたり、とっても心地が良いの。千秋さんがこうして、私をぎゅっと抱き締めてくれるみたいに。だから、同じようにキラキラ輝いている紅葉が、嬉しかったんです。私も恋色に染まって居るんだよ・・・今、大好きな人と一緒だから、キラキラなんだよって。やだもう、恥ずかしい〜!」
「今のお前は、この山を彩るどの紅葉よりも綺麗だぜ。俺の前で、俺のために磨かれ染まるお前が、愛しくて堪らない」


素直に告げた恋の告白に改めて照れたかなでは、真っ赤に茹だった顔で瞳を潤ませながら、きゅっとしがみついてしまう。はっとするくらいに大胆だと想えば、鈍いのかと呆れるくらいに純真で。見ていて飽きない・・・ずっと眺めていたい、この腕の中で抱き締めながら。俺の心を染める想いの数を色に例えたら、数え切れない彩りが溢れる、この山を染める錦秋さえも敵わないだろう。


抱き締めた腕の中からちょこんと振り仰ぎ、千秋さん耳かして下さいと、甘い吐息で内緒話の囁きを誘う。どうした?そう言って身を屈めた鼻先が小さなキスで触れ合うと、合図のように背伸びをしたかなでの唇も、優しいキスを届けるんだ。いつもは何かと恥ずかしがるくせに、意外と大胆だよな。不意打ちとはやるじゃねぇか、ドキッとしたぜ。

俺の背に回した腕できゅっと抱きつき返しながら、「千秋さんも温かいですか?」と、服越しに伝える早い鼓動と体温。恋が自分のドキドキなら、愛は相手を第一に思う気持ちや、一緒に溶け合う心・・・そう告げて真っ直ぐ見つめる瞳が、木漏れ日から差し込む光のように俺を射貫く。


「俺達の出会いは夏だから、想いを深める恋を例える季節は秋という訳か。色づく葉や燃える想いは、同じ赤をしているな」
「そうなんです、恋がこのキラキラな秋だとしたら、愛は冬なのかなって・・・」
「おい、いくら俺達が遠距離恋愛とはいえ、恋が冬とはえらく悲観的じゃねぇか?」
「そうですか? だって、冬の次には春が来るんですよ。積もった雪の下はとっても温かくて、春に芽吹くために土がたくさんの栄養を蓄えているんです。千秋さん知ってます?足元にある、ふかふかの落ち葉を“望み葉”っていうんですよ」
「望み葉・・・春を彩るために土を肥やし、一回り大きく再生する希望の葉か。かなでが神戸に暮らすまでに、俺達もお互い成長しなくちゃいけないな」


自信溢れる笑顔で頷くかなでが、ふと視線を逸らすと、慈しむ眼差しを足元に積もる落ち葉へと注いだ。なるほど・・・だから愛が冬か、前向きでお前らしいな。光が弱まる冬だからこそ、光がありがたいと思えるのもその季節だ。光があるだけで温かく感じるように、離れているからこそ抱き締められる温もりや、傍にあるお前の笑顔や音色を大切に感じることができる。


「それにほら、冬はぴったりくっつきたくなるし。恋人達に大事なバレンタインもあるんです。だから、千秋さんとその・・・」
「やけに積極的じゃねぇか、いいぜ。寒さに凍えそうになったら、俺がいつでも抱き締めて温めてやるぜ。これ以上蕩けないくらい、かなでが気持ち良くなるように・・・氷や雪などが、あっという間に蒸発するくらいの熱さで。雪を解かさない事には、春が来ないんだろう?」
「私、そんなつもりじゃ・・・! 手を繋ぎたいって、言いたかったんです」


真っ赤に頬を膨らませながら、可愛く睨む唇を啄み、大人しくなったところでもう一度重ねキスを味わった。名残惜しげに離れてゆく唇は、まるで枝にしがみつく落ち葉のようだ。お前の手は、ずっと離さないから覚悟しろよ? そう差し出した手に、拗ねた瞳が潤みを湛えた笑顔の花に変わる。

凍えそうな寒さを耐えながらも、温めてやりたいと願い寄り添うように、厳しい中に愛しさを最も感じる季節。
秋から冬と移りゆく季節のように、しっかりと心で繋がれた手と音色は恋を愛に深め、更にその先へある春に向かうために。