恋の駆け引き

俺と香穂子の寝室に置かれたキングサイズのダブルベットは、二人が寝てもまだ十分な広さと余裕がある。どうせ寝るときもくっついているのだから多少狭くても・・・という彼女の意見をあえて押し込めて、大き目なものを選らんだ。君の意見も最もだけれど、広くて寂しさを感じてしまう分、余計に寄り添いたくなるのが心情というものだ。それに・・・その・・・、後でいろいろと身動きしてしまうのだから、不自由が無い方が良いだろう?


たいていは俺が先に入って香穂子を招きいれ、そのまま腕の中へ閉じ込めてしまう事が多い。一緒の寝具に包まって、唇が触れるほど額を寄せながら、熱い吐息に混じった囁きを交し合う。

しかし無邪気でどこまでも自由なうえに、俺を驚かせるのが大得意な彼女の事だ。
毎日が、そう上手くいく訳も無く・・・。腕の中に納まっているだけを良しとせず、するりと器用に抜け出して、時には逆に俺を捕らえようとしてくる。互いに押しつ押されつ、抜け出すものならば手元に引き戻すまで。


身も心も捕らわれるのは俺か、それとも君なのか。

眠りにつくまでのひと時、この場所は一番心休まるのと同時に、最も甘く危険な駆け引きが交わされるのだ。





「おいで、香穂子」
「うん!」


起こしたままの上半身を捻って枕元に佇む香穂子に向けると、入りやすいようにと寝具を捲ってスペースをつくる。少し頬を染めてはにかみながら、けれども嬉しそうに頷く彼女に手を差し出すと、白くしなやかな手が重ねられた。優しく握り締めると、手を支えにしながら身を屈めてベッドに潜り込み、這うように胸の中へと擦り寄ってくる。

早く、君を抱きしめたい・・・・。
俺の手がその背中に届くまで、あともう少し・・・・その時だった。


「隙アリっ!」
「わっ・・・・・!」


思いっきり正面から、勢い良く飛びつかれた。
ふいの柔らかい衝撃に耐えられずに体勢を崩してしまい、飛びついた香穂子も一緒にそのまま後ろへと崩れるように倒れ込む。くるりと視界が回って背中をベッドに押し付けられ、一瞬何が起きたのか分からず驚きに目を見開けば、押し倒すような形で香穂子が俺の上に覆い被さっている。振動で激しく上下するスプリングの波に呑まれながら、またいつもの悪戯だと気付くと、胸に彼女を乗せたまま、瞳を閉じて大きく溜息を吐いた。


確か昨日と一昨日は背中から飛び掛られて、結局一緒に倒れ込んだのでは無かったか? 
だから背後には気を配っていたのに、まさか正面から来るとは。
まぁ、同じような手に何度も引っかかる俺もどうかしているんだが・・・・。


「香穂子・・・・・」
「ごめんね〜。目を真ん丸くして驚く蓮の顔が可愛くて、止められないんだもの」


小さく舌を出して肩を竦めながらそう言うと、クスクスと楽しそうに笑い出して、きゅっとしがみ付きながら胸に擦り寄ってくる。パジャマ越しに触れ合った胸から伝わる鼓動と振動。それに上から押し付けられる柔らかさと温もりを感じてしまえば、愛しさと熱が激しく高まり、怒る気も失せるというものだ。


「香穂子は子犬みたいだな。ちっちゃくて元気良くて、ご機嫌だとこうしてすぐに飛びついてくる」
「じゃれたり飛びつくのは、嬉しくて楽しい時なんだよ〜。しかも大好きな蓮だけにね。蓮は子犬は嫌い?」
「いや・・・子犬のような君が可愛くて、とても愛しいよ。だから、我慢できずに抱きしめてしまうんだ」


俺の上に覆いかぶさったまま、小首を傾げてすぐ真上から覗き込む大きな瞳。赤い髪がヴェールのように幕を下ろして、二人だけの空間を作り出す。片腕を持ち上げて額の髪を書き上げ、もう片腕は背中にまわすと微笑みを向ける。額にまわした手を後ろに滑らせて、頭から包み込むように優しく引き寄せた。


「蓮は、猫っぽいよね」
「猫?・・・俺が?」
「凛としているところとか、私が寂しい時にずっと側にいてくれたり。後ね、甘えると凄く可愛いところ!」
「あ、甘える・・・・・?」
「擦り寄ってきたり私の膝枕で丸くなってる姿なんて、陽だまりの猫そのものなんだもん。もう〜可愛くって可愛くって、頬刷りしたくなっちゃうくらい。私も猫になろうかな〜。それでね、蓮のお膝で丸くなるの」


その様子を思い出しているのか、俺の胸の上で頬杖を付きながら幸せそうな笑みを浮かべている。しかし、これまで何度「可愛い」を連発されたのだろうか・・・少し複雑な気持だ。今の君もまるで小動物そのもで、愛らしい事この上ないのに。どうしたものかと眉根を寄せていると、猫になろうかな・・・そう言った君が猫の鳴き真似をした。


にゃん。


耳に吸い込まれた響きに、思わず身体がピクリと反応した。
身動きがとれずに目を見開いていると、右の拳を猫の手のように柔らかく丸めて、ニャンと鳴きまねをしながら俺の鼻先を数度軽く引っかいてくる。鼓動が高鳴り、身を焦がす熱が溢れ出して、息が止まってしまいそうだ。


駄目だっ・・・このままでは・・・・!



抱きしめる腕に力を込めてじゃれ付く香穂子を閉じ込めると、寝返りを打って身体を反転させた。俺の上に乗っていた香穂子を、今度はシーツに強く押し付けて。そのまま首元に顔を埋めると、熱くなった吐息を吹き込みつつ耳朶を軽く甘噛みする。


「んっ・・・・やっ・・・! ちょっと、蓮!?」
「・・・猫は、突っつきすぎると爪を立てるんだ・・・・・・・」


身を捩る彼女の腕を掴むと頭上のシーツに縫いつけ、唇は首筋をゆっくりなぞり降りてゆく。首の根元に辿り着くと音を立てて吸い付き、小さな赤い花を咲かせた。香穂子の視線に絡ませながらゆっくりと顔を上げると、真っ赤に染められた頬と、煌を放って潤む瞳。


「本当に、困った猫さんなんだから・・・」



形勢逆転か?
荒く乱した息を胸と肩を上下させながら整えてる彼女に覆い被さりながら、口元をにこりと笑ませて見下ろす。すると、ゆるゆると両腕が持ち上げられて、俺の頬をそっと包み込んだ。


「もう・・・おイタしちゃ駄目っ」


めっと、上目遣いに向けられる視線は飼い猫を諌めるように・・・けれども優しく、どこまでも甘く。
駄目と言いつつも、言葉と潤んだ視線に含まれるのは、その先をねだる響きさえも感じられるようで・・・・。


俺の理性は、その瞬間ぷつりと途切れた。






夜ごと繰り広げられる恋の駆け引き。
今宵の勝敗は、君に捕らわれ溺れた俺の負け。


そういえば、君に勝ったと思う日は今までにあっただろうか。いや、無いな・・・・俺の連戦連敗。
君には勝てないと分かっているし、初めから勝つつもりが無いのかも知れない。
いつも君に捕らわれていたい・・・。痺れるほどの甘美な海に、ずっと溺れていたいから。