恋文

誰もいない放課後の教室に、今は俺と君の二人きり。
向かい合って座る彼女の机の上に広げられたのは、色とりどりの可愛らしい便せんや封筒といったレターセットたちだ。掃除当番をしていた香穂子を迎えに来た筈なのに・・・やってきた俺を見るなり君は、水色の便せんを差し出して「はい、これは蓮くんの分だよ」と嬉しそうに笑顔を向けてきた。


目の前の椅子に腰を下ろし、暫くじっと手渡された便せんと作業に勤しむ彼女を見守っていたが、意図が掴めずに困り果ててしまう。そんな俺にクスリと笑いかけると、肩から流れ落ちて揺れた髪がぐっと目の前に近づいてくる。重大な秘密を打ち明ける内緒話をするように口元に手を添え、俺の耳へ囁こうと机に身を乗り出して。
誘われるまま顔を近づければ、頬を染めてはにかむ甘い吐息が耳朶をくすぐり、吹き出す熱さに鼓動が高鳴りだした。


「私ね、ラブレターが欲しいの」
「ラブレター? 誰からのだ?」
「もちろん蓮くんからだよ。でね、私が書いた手紙も読んで欲しいな」
「こういうのは、言われて書くものでは無いように思うんだが・・・」
「蓮くん、私への手紙は読むのも書くのも・・・嫌?」


しまった・・・と気付いた時には遅く、耐えるようにペンをぎゅっと強く握りしめながら、しゅんと悲しげに曇った瞳が潤み出す。じっとひたむきに心の奥まで見つめてくる・・・俺は君のその瞳に弱いんだ。
嫌だとは言っていない、むしろ嬉しいと。そう言いながらペンを握った手を包むように重ね、温もりを伝えた。


「すまなかったな、突然だから戸惑ってしまったんだ。それに・・・手紙と言うのは普通本人を目の前にせず、家なので一人想いを馳せながら書くものじゃないのか?」
「え?だって、蓮くんからのラブレターをすぐに読みたいし、我慢できないよ。だからね、書いた手紙をお互いその場で交換するの。どう?素敵でしょう?」

「俺だって君がどう思ってるのか、何を書いてくれたのかとても気になるし、その場で読みたいと思う。だが渡した直後に目の前で読まれるのは・・・その、少々照れくさい」
「会話以上に手紙って心を隠さずに、素直な気持ちをそのまま届けるんだもの。私だって恥ずかしいよ・・・私の全てを晒すというか、蓮くんに裸を見られているみたいでドキドキするの。あっ、心の裸って事にしておいてね」
「いや・・・その、別に気にしていないから・・・・・・」


真っ赤に頬を染めながら、ぶんぶんと顔や手を振って違うのだと必死に誤魔化している。
わざわざ言い直さなくても・・・裸を見られているみたいだ言うものだから、余計に意識してしまうじゃないか。
一度言われたらもう頭から離れなくて、君が慌てる程に熱くなる顔を見られないように、口元を手で覆い隠しながら小さく溜息を吐いた。無邪気な純粋さは、時に大きな爆弾となって俺の鼓動を熱く弾けさせるんだ。


どう想っているかと本人を前に改めて告白するようなものだから、恥ずかしくて照れくさい。
好きだと・・・そう何度も口にしている筈なのに、初めて伝えた時の緊張と胸の高鳴りを感じのが不思議と心地よくて。赤くなっているだろう俺を見た香穂子も頬を赤らめ、そんな君に今度は俺が照れてしまう。
たまにはこんな風に向き合うのも良いでしょう?と、頬を染める可愛らしさに微笑みを返してペンと取った。


香穂子の手元をそっと覗き込めば覆った陰に気付き、何やら一心に書き込んでいた手を止め顔を上げる。間近に絡んだ視線に見ちゃ駄目と頬を膨らませ、慌てて覆い隠してしまった。見るなと言っても俺の手元が気になるようで、自分のは隠しつつこっそり首を巡らせてくる・・・些細なやりとりさえも心が温かくなるようだ。


香穂子の手元にあるのは、ピンク色に春らしい花模様がプリントされており、まさに彼女そのものな選択に自然と緩む頬が止められない。俺が渡された便せんは薄い水色に、楽譜の五線譜が紙に透かし彫りされていて、周囲に音符が装飾されている。蓮くんみたいでしょう?と頬を綻ばせる君も、俺と同じ事を想っていたのだろう。




言葉や音楽、文章など・・・気持ちを目に見えるように表すのは、自分自身に向き合う難しい作業だ。
それでもやり遂げた暁には、今までぼんやりしていた物がはっきり色や形を帯びて、好きな想いがもっと深まり確かな絆となってゆく。だから君の想いを形にして残したいし、俺も君へ届けたい。


不器用さがもどかしくて苦しい時もあるけれど、何でも切り取れるはさみがあったらいいのにと思う。
上手く言葉に出来ない想いや心に浮かぶイメージも、そのまま切り取って届けられるから。
ぽっかり空いた所に切り取った君の俺の中へ埋めてゆけば、いつでもお互いを感じていられるし、自分の一部として共有できるだろう?


そう話した直後に香穂子は「はさみが欲しいの?」と呟き、きょとんと小首を傾げたけれど。変なことを言ってしまっただろうかという焦りや動揺は、パッと嬉しそうに浮かんだ笑顔に包まれ消えてゆく。心を切り取るはさみが欲しいだなんて・・・どうも最近、思考や言葉が香穂子に似てきているような気がしてならい。

悪い物ではなく、むしろ望んでいた良い変化だと俺は思う。
心地良いと思うのは、受け止めたものを大きく膨らませて返してくれるからなんだ。


「ちょうど良かった。私ね、何でも切れる魔法のはさみを持っているんだよ」
「え?」
「良いこと思いついた! ねぇ蓮くん、そのはさみを使ってお手紙を書こうよ!」


瞳を輝かせた彼女がいそいそと鞄の中から取りだしたのは、手の平にちょうど納まる小さなはさみ。香穂子が好きなピンク色だ・・・君の色、恋の色。まさか本当にあるとは・・・と驚きを隠せないが、もちろんただのはさみだというのは頭の片隅で分かっている。だが君が言うと、本当に何でも切り取れるのだと思えるから不思議だ。

だが ペンを使ってなら分かるが、香穂子がお気に入りだというピンクのはさみを使い、どうやって手紙を書くのだろうか。はさみで文字は書けないと思うのだが・・・。




白紙の便せんに向かい合っていると、聞こえてきたのは紙を切るサクサクという音。
ふと顔を上げれば、先程のピンク色のはさみを持った香穂子が、工作をするように便せんを切り取っている。
机の上へ次々にこぼれ落ちてゆくのは、小さなものから大きなものまで、様々な大きさをしたハート型の紙。

彼女の手から・・・心から、生み出されたピンクのハートを指に摘めば、どこか温かく優しくて愛らしく。
君を好きだと想った時に浮かぶ、心の欠片に似ているな。


「香穂子、手紙を書くんじゃなかったのか?」
「このはさみね、何でも切れちゃう魔法のはさみで私のお気に入りなの。ちっちゃくて可愛いでしょう? 私の心を切り取って、蓮くんにいっぱい届けようって想ったの。大好きな想いの数だけ、たくさんいろんなハートを作るから楽しみにしててね」
「それではさみを使って手紙を書こうと言ったんだな」
「ハートを作るのは簡単そうで難しいんだよ。だから心を込めて大切に、まずは丁寧に一つずつ書くの。もちろん欠けないように、切る時も細心の注意が必要だよ。蓮くんが好きっていう私の心を、崩さずにそのまま伝えるんだもの」
「ハートの一粒一粒が、香穂子の分身なんだな」


見て!と満面の笑みで香穂子が俺の目の前に掲げたのは、便せんを丸ごと一枚使った特別に大きなハート。
一番大きいハートだから、大好きという言葉の形なのだろうな。
紙の中央に唇を寄せると、微笑みを浮かべたまま想いを閉じ込めるようにキスをして。机の上に散らばった小さな紙のハートたちを集めてその上に乗せてゆく。


大きなハートの上にぎゅっと詰まった、大きさも様々なピンク色のハートたち。
いろんな大きさや形の好きが一つに集まって、“大好き”になるんだな。


だから君の想いや言葉は、いつも真っ直ぐに俺へ届くのか。
このはさみで切り取られた想いの欠片は、パズルのピースのように心の中へぴったり収まり溶けこんで。温かさや安らぎ、蕩ける甘さや身を焦がす熱さ、時には切なさまでも・・・君は俺と一つになる。

ピンク色の固まりを愛おしそうに見つめていた香穂子の眼差しが、真っ直ぐな光を湛えて俺を振り仰いだ。



「好きはたくさんあったけど“大好き”ってあまり無かったの。けれど蓮くんに出会ってから、たくさんの大好きが私の中に生まれたんだよ。ヴァイオリンや一緒に過ごす毎日、何よりも蓮くん自身が大好き。あなたががいてくれて良かったって、今まで何回そう思っただろう」
「俺にも、君のはさみを貸してもらえるだろうか?」
「うん、良いよ」
「香穂子のように上手くできるか分からないが、俺も君を想う数だけ作ろうと思う。切り取った俺の心を・・・その、完成したら受け取ってもらえるだろうか?」


受け取ったはさみのピンク色にも負けない花が頬に咲き、便せんはたくさんあるからねと。
嬉しそうにいそいそ広げて用意するのを見守りながら、俺の心も君の色に染まってゆく。
今この瞬間ごとあれもこれもと切り取って届けたいから、きっと紙が何枚あっても足りないかもしれないな。


慣れないハート描くのは確かに難しく、一体これは何の形だと眉をしかめる程に、最初は潰れていびつになってしまった。消そうかと思ったがこれも俺も一部ならと、そのままにしてもう一度書いてみる。君の唇のようにふっくらとやさしく、温かくなる笑顔のようにふわりと丸い形にしたいのだが、なかなか上手くいかないらしい。


君の好きな所を一つ一つ浮かべながら、小さい好きから大きな好きまでたくさんのハートを紙に描いてゆく・・・想いを込めて大切にゆっくりと。数を重ねるうち次第に形が綺麗になって自分の理想に近づいていくのは、まるで俺たちの歩みと同じだ。


嬉しくて自然と緩む頬のまま何枚もの紙にペンを走らせ、気付けば脇目もふらず夢中になっていて。ふと我に返り顔を上げれば、吐息がかかる近さで机に身を乗り出し、俺の手元を覗き込んでいた香穂子がいた。
互いの前髪が絡み、鼻先が触れ合うと、小さく鼓動が飛び跳ね言葉にならない熱さが溢れ出す。




心を切り取るピンク色のはさみが生み出すのは、大小様々な水色のハートたち。
君の作ったピンク色へと俺の水色たちが、静かな滴のようにはらはらと優しく降り注ぐ。
一枚一枚が語りかけるように、そっと抱きしめるように・・・心の色をも重ねながら。
机の上で仲良く混ざる色合いにまるで俺たちのようだなと、どちらとも無く絡んだ視線に微笑みが浮かんだ。




君の事を想う度に胸一杯に膨らんで、君の隣にいるだけで心から溢れだす、温かなこの想い。
七色に輝き透き通る想いの欠片たちを、俺も大切な君に届けたい。
最後にはとびきりの“大好き”を込めて、便せん一枚まるごと使った大きなハートを届けよう。
もちろん俺の口づけを一緒に添えて---------。