清く正しく見目麗しく

シャーペンの芯を切らしていたのを思い出し、午後の授業が始まる前に仕入れようと、練習を早めに切り上げて購買に立ち寄った。昼休みという事もあり、普通科校舎のエントランスにある購買には、普通科だけでなく音楽科の生徒も大勢溢れている。用事をすませたものの、何となくすぐ戻る気になれず、暫くエントランスの隅の方で壁に寄りかかりながら佇んでいた。


活気ある風景を、ぼんやりと視界に映しながら想う。
ここは普通科校舎だから、もしかしたら日野に会えるかもしれない・・・と。


それは希望や願望というより、本能が告げる直感に近かったと思う。
やがて名前を呼ばれたような気がして、ふと周りを見渡すと、赤い髪をなびかせながら軽やかに走り寄ってくる彼女がいた。俺の前で立ち止まり数度呼吸を整えると、疲れを見せない大きな瞳がきらきらと見上げてくる。


「良かった、見つかって。教室や練習室にもいないから、あちこち探しちゃったよ。珍しいね、月森くんがエントランスにいるなんて」
「探させてしまって、すまない。購買に用事があったんだ。日野は俺に用事なのか?」
「じゃーん! 見て。新しい携帯電話買ったの!」
「・・・・携帯・・・電話・・・」


制服のポケットをごそごそと探ると、彼女は折り畳みの携帯電話を取り出した。時代劇で良く見かける印籠のように、どううだと言わんばかりに俺の目の前に掲げてみせる。それは先日発売されたばかりの、最新機種だった。学校中を駆け回って俺を探してたのは、わざわざこの携帯を見せるためだったのだろうか?
じっと携帯電話を見つめていると、ふとそれが遠ざかり、両手で握り締めるように胸へと引き寄せられた。
思わず一緒になって引き連られそうになるのを、ぐっと堪える。すると胸元で携帯電話を両手で持ちながら、おねだりをするように可愛らしく小首を傾げて微笑んだ。


「ねぇ、月森くん。これで一緒に写真撮ろう?」
「俺と・・・一緒に?」
「一番最初に取る写真は、月森くんと一緒が良いな〜って思ってたの。あっ・・・もしかして写真とか嫌かな?」
「いや・・・別に構わないが。もしかしてそれで、昼休み中ずっと俺を探してくれていたのか?」
「うん!」


力強く頷く彼女は、嬉しさ満開の笑顔で携帯電話を握り締めている。
俺と一緒に・・・しかも一番最初に撮りたいという。何故? いいのだろうか・・・・俺で。
だが不安や彼女の本心と言った疑問よりも、心に湧き上がる喜びや嬉しさの方が数倍勝るのは確かだ。
コンクールが終わってから・・・そう心に決めているからまだ君には伝えていないけど。心の中にある、君へと向ける想いの名前を、俺はもう知っているから。
交わされるささいなやりとりでさえ、君ももしかしたら・・・そんな淡い期待を抱いてしまう。


俺の心中なぞお構い無しに、日野はいそいそと携帯の画面を開くと、ボタンを操作してシャッターを押す準備を始めた。隣に肩を並べ、画面を前に差し出す。


「まさか、今ここで撮るのか!?」
「ここじゃ駄目? もうすぐお昼休み終わっちゃうんだもの。大丈夫すぐ終わるから。画面ちっちゃいから顔しか映らないし、どこでも一緒だよ」


この人が周りに大勢いるところでか?と驚いて目を見開くと、不思議そうにきょとんと見上げてくる。
既に遠巻きに注目を集め出しているというのに、彼女はその気配にも気付く様子は無いらしい。
もう・・・どうにでもなれ。これも君に惚れた弱みだ。
腹をくくって聞こえないように小さな溜息を吐くと、画面を見つめる彼女の表情が、困ったように歪められた。


「あれ、一緒に画面に入らない」
「俺と君では、身長差があるからだろうな」
「月森くん、少し屈んでもらえる?」
「あ・・あぁ・・・。これでどうだ?」
「今度は並んだよ」


隣に並ぶ日野と同じくらいの高さまで腰を落とす。少々辛い体勢だが、ここは日野の為に我慢をするしかない。だが彼女は携帯電話の画面を、難しい顔で見詰めたままだ。まだ何かあるのだろうかと思って、目の前の画面を覗き込むと、高さは揃っているものの、互いの顔が半分くらいしか収まっていなかった。
この小さな画面に二人分映すには、今よりも更に顔を近づけなければならないだろう。

その事実に気付いて欲しいような、欲しくないような・・・。
複雑な心境に、胸の鼓動が次第に高鳴り出してゆく。


「でも今度は、顔が半分ずつしか入ってないね。距離が離れてるからなのかな?」
「そっ・・・そうだな・・・・・・」
「じゃぁ、もっとくっつかなくちゃ」
「ひっ・・・日野!?」
「う〜ん、まだもうちょっとかな〜」


耳元を掠めるくすぐったい呟きが聞こえて、肩にトンと軽い衝撃とが加わった。ハッとして隣をみれば肩先を擦り付けるようにして、腕をぴったりくっつけて寄りかかっている。腕に直接感じる柔らかさと、息も掛かりそうな近さに顔に熱が集まるのを感じて眩暈がしそうだ。俺はこんなにも動揺して必死に自分を抑えているのに、日野は相変わらず困った顔で携帯の画面を見つめたまま。なぜ君は平気でいられるのか?


距離が近づくのと同時に、肩と腕に少しずつ重みが加わってゆく。
もうどれくらい肩を寄せ合っている事だろう。俺としてはもう良いのでは?と思うのだが、彼女の中ではベストポジションではないらしく。携帯電話を近づけたり離したり・・・画面にお互いを納めようと一生懸命だ。
正直早く終わって欲しい・・・でなければ、俺の理性にも限界がある。


これならどうかな? と嬉しそうに何やら閃いた君が、背伸びをして更に身体ごと寄せてきた。
瞬間頬にピタリと触れたのは、柔らかくて上質の絹のように滑らかな感触。それは君の頬だった。
見て月森くんと、無邪気にはしゃぐ君と俺の頬が画面の中でぴったりくっついて重なって。
頬に感じる焼けそうな熱さは俺のものなのか、それとも君のものなのか・・・。


「・・・・・・・っつ!」
「あ、上手く入ったよ。じゃぁ撮るね〜。月森くん、笑って?」
「えっ・・・!?」


突然言われたものの、笑顔を作れたかなんて全くわからないまま、カシャリとシャッター音が鳴った。
呆然としたままの俺の傍らで、ようやく身体を離した日野が画面を確認して保存の操作をしている。


「ありがとう! 後で月森くんに、撮った写真をメールで送るね」
「日野・・・っ!」


呼び止めて手を伸ばしかけた俺の返事を待たずに、実に清々しい満足そうな笑顔を残して、弾けるように教室に戻るべくエントランスの階段を駆け上がっていった。駆け上がる背中を下から見送りながら、まだ火照る頬を冷ますように手の平で押さえつつ、感じていた柔らかさを逃がさないように閉じ込めた。
彼女にはいつも驚かされる。けれども、向けられる瞳のような真っ直ぐさに吸い寄せられ、それが心地良いと感じてしまう。驚きの後にいつもやってくる、愛しさや温かさが・・・。




嵐が去ったエントランスで立ち竦んでいると、遠巻きに注目していた生徒達がざわめき始めた。しかも誰もが目を見開き、照れたように顔を赤く染めているようだ。気にはしないが、見ているこちらが照れくさくなってしまう。あの二人って・・・そんな囁きまで聞こえてきて、ゴホンとわざと大きく咳払いをする。


それもそうだろう、端からあれだけを見ると立派な恋人同士。
そうでありたいのだが、まだ俺達は清く正しい間柄。
でも、いつの日かきっと・・・・。


ざわめきの余韻を残しつつ散り始める生徒達に大きく溜息を吐くと、ジャケットのポケットに閉まっていた俺の携帯電話が着信の振動を告げた。確認をすると送信者は日野から。さっそく送ってくれたらしく、「良く撮れたでしょv」という可愛らしいコメントつきで、先程の写真が添付されていた。


画面いっぱいに映し出されるのは、仲良さそうに寄り添い合う二人の顔。
温かくて眩しい笑顔の君と、少し緊張してはにかんでいる俺。
恥ずかしさのあまり、思わず反射的に画面を閉じてしまいたくなったが、不思議と見れば見るほど愛おしさが募ってくる。とりあえずは・・・・・。


「画像は保存・・・・と」


自分の携帯を操作しながらふと思い立ち、手元をじっと見つめた。
君の手元に残るのなら、もっと良い笑顔でいたかったな・・・・。携帯電話・・・俺も新しい機種に変えようか。
もしそうなら、やはり最初に撮る写真は、心に大切に想う君と一緒なものがいいと思う。
君と携帯で写真を撮りたいと言ったら、どんな表情をしてくれるだろうか。


いつの日か今日撮ったこの写真が、自然な笑顔で寄り添い合う二人に、変わっていますように・・・・・。