Kiss for life




淹れたての紅茶を一口飲んだ後のように、ほうっと零れた甘い吐息。角砂糖がゆっくり溶けるような、恋人同士の甘いキス。すっぽりと抱き締めた腕の中からふり仰ぐ微笑みは、ミルクが蕩けてゆくように柔らかい。重ねて離れてまた触れ合って・・・飽くことない啄みが終わっても温もりを手放せずに、ゆるゆると髪を撫で梳きながら余韻を楽しむんだ。

たった一滴のミルクでもカップへその色が広がるように、お前の中で俺が満ちてゆくのを、すぐ近くで眺めるのが心地良い。お前とのキスは癖になるな、音色を重ねるデュエットみたいに。


「・・・・・・」
「どうしたんですか、千秋さん。あの、私の顔に何か付いてます?」
「小日向、お前リップクリーム持ってるか?」
「はい、持ってますよ。ちょっと待って下さいね。」


ころころと甘えて擦り寄る笑顔が、じっと見つめていた視線に気付いたらしい。みるまに染まる赤い頬と、ちょっぴり心配そうに戸惑う澄んだ眼差し。この手にある温もりがどうしようもなく愛しくて、自然と目元が緩むのが自分でも分かる。さっきまで重ねていた唇に指先を這わせながら、リップクリームを持っているかと問えば、素直に頷きひらりと腕から抜け出してしまう。


「あっ、ありました! チョコにオレンジ、苺に桃にキャラメルとミルクの香りがありますよ。千秋さんはどれが良いですか?」
「全部、甘いヤツばっかじゃねぇか。大体なんでそんなに持ってるんだよ、一本で充分だろうが」
「その日の気分で、使うリップを変えてるんです。でもどうしよう・・・みんな平等に使っているから、全部私の使いかけなんですよ。あの・・・間接キッスでも、良いですか?」


近くに転がっていた鞄からいそいそと取り出したのは、リップクリームやグロスの束。トランプのカードゲームのように手に握り締めて、間接キスをどうぞと羞恥を堪えて差し出す可愛さは、はっきり言って反則だ。一番良く使うのはどれかと問えば、オレンジの香りがするリップクリームだと、嬉しそうに頬を綻ばせている。俺がオレンジを好きだから大切に使っているだなんて・・・お前はどうしてそう、むやみに可愛いんだ。


「俺が使うと誰が言った。俺じゃねぇ、小日向・・・お前が使うんだよ」
「え? 私が!?」
「ほら貸せよ、唇に塗ってやるから」
「ごめんなさい・・・もしかしてさっきキスしたとき、私の唇カサカサしてました?」
「違う。馬鹿だな、なに泣きそうになってんだ」
「だって・・・・・・」 


たちまち潤み出す瞳を必死に堪えながら、しゅんと俯き唇を強く噛みしめている。ゆるゆると降ろされた手の中から、オレンジの香りだというリップグロスのチューブを引き抜くと、空けたキャップから漂うのは甘酸っぱいオレンジの香り。お前とキスしたときの味だと気付けば、急に鼓動が早鐘を打ち熱くなる。


優しく頬を包むその手を顎に滑らせ、捕らえた指先で上向かせると、今にも滴が零れそうな瞳を真っ直ぐ射貫いた。見つめる視線が逸れるのを許さない強さで・・・いや、俺が引き寄せられて反らせないまま、舌先で輪郭をなぞるようにゆっくりとリップグロスを滑らせてゆく。だが、唇が艶めきを取り戻すたびに、何度も触れ奪いたくなるのは、なぜなんだろうな。


「あっ、あの・・・千秋さん。じ、自分で出来ますから」
「動くな、塗れないだろ。いいか、少しじっとしてろ」
「んっ・・・・・・」
「どうして?って不思議そうな顔だな。ははっ、そうやって拗ねた顔も可愛いぜ。理由が知りたいか?」


動くなという言葉を忠実に守っているから、ひたむきに見つめる視線が答えの変わりに強く求めてくる。捕らえていた顎から指先を離しても、吐息がかかる近さは変わらない。

心を預けた瞬間に生まれるのは、独占欲と優しさが紙一重の静けさ。キスの前に瞳を閉じるように、熱さと穏やかさが危ういバランスで包む瞬間。言葉を交わさずともお互いが知ってる合図でお前がコクンと頷くと、自然と浮かんだ口元の笑みはそのまま、華奢な腰を捕らえ引き寄せた。零す吐息一つや、ささやかな仕草一つだけでも、お前は俺を恋に狂わせるんだ。


「取れちまったからだよ」
「取れた?」
「鈍いなお前。まぁ、鏡が無いから無理もないか」


オウム返しで繰り返しても、いまいち答えがピンと来ないらしく、きょとんと不思議そうに小首を傾げている。分からないのか?と眉根を寄せるが、どうやら本気で気付かないらしいな。じゃぁもう一度教えてやるよ、そう悪戯な笑みを浮かべたら、しなるほど背を抱き締めてキスを重ねる。これならいくらにぶいお前でも分かるだろう、と心の中で語りかけながら、塗ったばかりのリップグロスをゆっくり舌先で舐めるのも忘れない。


「ほら、唇のリップグロスが落ちてるぜ。女性は食事とキスの後には、口紅やリップを直すもんだろ?」
「せっかく千秋さんが塗ってくれたのに・・・今のキスでまた取れちゃいましたよ。千秋さんの唇に、ちょっと付いちゃった。私のリップグロス」
「じゃぁ、小日向。付けたお前が、責任持って落としてくれ」


キスしてきたのは千秋さんじゃないですか!と、頬を膨らまして拗ねるしなやかな指先が、俺の唇に伸ばされる。触れる直前でそっと握り締めて動きを封じながら、もう一度隙を狙って軽く啄み返した。指先で拭うなよ、そんな簡単なことで俺が満足すると思うのか? ははっ、そう怒るなよ。これも二人でもっとキスを楽しむ為に大切なこと、キスのゴールデンルールってやつだ。

え? 指を使わずにどうやって、俺の唇に移ったリップグロスを拭えば良いのかって?
決まってるだろ、可愛い舌と唇があるじゃないか。


美味い茶を淹れるには手間を惜しまず、時間を贅沢に使うのがコツだ。その水色は、海に沈みゆく太陽を思わせる橙赤色。ゴールデンルールのティーポットで濃いめに抽出した紅茶は、カップの縁に金色の輪を描く。俺を惹き付けて止まないお前のヴァイオリンや笑顔も、金色の輝きで香り高くほの甘い。


毎日の生活に茶が欠かせないように、俺とお前にも必要不可欠な物があるだろ?
俺とお前が奏であうヴァイオリンの音色と・・・キス。最高のものを得るには、手間暇を惜しんじゃいけないんだぜ。