キスとキスの合間に




練習がしたいから付き合って欲しいと、小日向から携帯にメールをもらい、待ち合わせたのは街中にある練習スタジオだった。待ち合わせが練習スタジオで、やってきた小日向がヴァイオリンケースを持っている。練習と言われたらヴァイオリンのだと、普通誰もが思うだろう。俺もそう思っていたんだ、その時点では。


片付けたばかりの愛器を、ヴァイオリンケースから取り出そうと動きかけたときに、背中へ飛びつく小さくな衝撃。脚を止めて肩越しに振り返れば、待ってと俺を留める小日向が背中へ必死にしがみついていた。どうしたのかと驚きの波が去れば、しがみつく背中へ制服越しに押しつけられる、二つの膨らみと肌の柔らかさに身体が熱く火照り出す。

いつもはぽやんとして鈍感なのに、時々大胆に迫ってくるんだ。それも無意識に煽るから余計にたちが悪いぜ。

しがみつく腕をゆっくり解きほぐし、正面から向き合った額に、微笑みを浮かべたままの唇を振らせる。慌てて額を抑えながら、耳まで真っ赤に染まる小日向は、暫くじっと額を抑えたまま小さく俯いて。どうしたのかと顔を、覗き込もうと身を屈めたその隙に、ぱっと嬉しそうな顔をあげた唇がふわりと頬へ重なった。

ほう・・・ふいうちとは、やるじゃねぇか。


「小日向?」
「あの・・・練習、したいんです」
「ヴァイオリンの練習は、今終わっただろ。まだやるのか、熱心だな」


巧くなるために熱心なのは嫌いじゃない、練習に付き合ってやる。そう言うとホッと安堵の吐息を零して、緊張で固まった頬が柔らかく綻んでゆく。だが無意識に零れた溜息が、少しだけ肩すかしを食らったものなのは嘘ではなくて。人を見る目には自信がある、キスが欲しいとねだるように思えたんだが・・・違ったのか?


ぱっと嬉しそうに瞳を輝かせた小日向が、前に組んだ手を、もじもじと照れ臭そうに弄りながら、あの・・・と口籠もるささやかな焦らしさえ、俺を煽る火でしか無くて。じれったさに身体が疼きかけたときに、意を決して真っ直ぐ振り仰いだ瞳に視線が絡み合う。


「東金さん、違うんです。ヴァイオリンの練習じゃなくて、次はその・・・キスの練習が・・・したいんです」
「は? キスの練習?」
「私、まだまだ上手じゃなくて・・・その、ヴァイオリンと同じようにキスも、上手くなるためには練習が必要だと思うんです」
「俺とするキスに、練習も本番もねぇだろ。さては新手の誘惑か? うぶなお前らしいキスの誘いだな」


祝福のキスは頬だが、恋人のキスは唇・・・小日向が上手くなりたいと願うのは、恋人同士のキスに違いない。ひしとしがみつく腕に力が籠もる。前に回された腕に自分の手を重ねて、そっと優しく解きほぐし、正面から向かい合えば、これ以上はない赤さで照れる熱さが伝わり、自然と顔が火照り出す。練習といえども、キスには変わりないじゃねぇか。

そわそわ落ち着きが無かったから、きっと何かをねだりに来ると思ってたぜ。だが、いつもは俺からしかけると真っ赤に照れてしまうのに、今日は真剣な眼差しを崩そうとしない。本気なのか?


「東金さんがくれるキスは、私を蕩けさせてくれるんですよ。だから私からのときも、気持ち良くなって欲しい・・・もらってばかりだけじゃ、だめだから。音楽が魅せるマエストロフィールドみたく、ちゅっと触れる唇からも、たくさんの大好きや心で想う景色を届けたいって、思うんです」
「上手い下手よりも、どれだけ小日向の気持ちが籠もっているかが、大切なんじゃねぇのか? 好きだと唇に乗せて届けてくれる想いが、どれけ俺を熱くさせるか、お前は知らないんだな。ちゃんと受け取ってるから、俺からも返してるだろ、お前の唇へ」
「小日向・・・。全く、どれだけ俺を惚れさせたら気が済むんだ、お前は?」


二人きりになれる場所は限られている、だから今しかないのだと・・・眼差しに宿るのは、揺らがぬ信念が生む強い光。その光に捕らわれ魅せられて、好きだと直球を投げ込まれたら、俺はもお前に敵わない。

愛しさが溢れて、堪えきれない甘い痺れが理性をいとも容易く砕き、全身を熱く駆け巡る。想うよりも身体が先に動き、背をしなるほど腕の中へ抱き締めたら、振り仰ぐ小日向の大きな潤む瞳が心の引き金を引く。頬を包む指先を滑らせ顎を捕らえると、鼻先の角度を変えながら覆い被さるように唇を重ねた。


「んっ・・・・」


抱き締める身体を密着させて、お互いの体温を感じながら一つに溶け合うキス。唇から流れてくる、激しい波に飲み込まれそうなのに、身体を包む優しい熱を感じることで生まれる安心感。二つの温度が一つになれば、心までもが一つに通じ合えるような感覚になってくる。


「さて、と。次はどにキスして欲しい?」
「・・・っ、東金さん。あの、えっと・・・」
「お前の望むところに、俺が華を咲かせてやる。なぁ・・・かなで?」


抱き締めた腕の中すっぽり収まる小日向は、真っ赤な火を顔から噴き出し、これ以上ないくらいに茹だってしまう。言葉を失うくらいに照れているのは、キスを求められているのと、名前で呼ばれたのと・・・どっちだ? シャツの裾を掴みながら、両方だと呟いたお前がそわそわと身動ぎ始める。華奢で柔らかな身体を両腕で戒めれば、溶け出す熱が俺とお前を一つにする。

吐息が熱く交わる近さで、囁きと共に頬を包み、手の平にしっとり吸い付く感触を楽しむ。ゆっくりと滑らせ捕らた顎を上向かせれば、向けられた潤む瞳と艶めく唇。俺だけを見ていろ・・・そう強く引き寄せた筈なのに、お前の輝きに捕らわれ引き寄せられているのは、俺なんだ。


真っ赤だな、そうからかいながら見下ろせば、乱れる息を肩で整えながら、ぷぅと頬を膨らます可愛さで睨むんだ。精一杯の威嚇のつもりらしいが、俺には甘い誘惑でしかない。それを知っての上目遣いなら、期待に応えてやらねぇとな。
ミルクの霞がかかる蕩けた瞳。そのまま吸い取ってしまいたくなる、甘いシュガーみたいな零れる吐息。どこにキスが欲しいのかと質問しながらも、結局は答えを待たないうちに「じゃぁ次は・・・ここだな」と、再び唇を寄せてゆく。


「・・・っ、もう駄目です。熱くておかしくなりそう・・・」
「なんだ、もう根を上げるのか。理性なんか捨ててしまえ、いっそおかしくなってみろ。気持ち良くさせてやるぜ、お前が乱れる姿を見てみたい」
「んっ・・・千秋さんばっかり、ずるいです」
「ずるい? 俺が?」
「練習させて欲しいって、お願いしたじゃないですか。それなのに、千秋さんばっかり楽しんでる・・・これじゃぁ練習になりません。私、なんにもできないじゃないですか。私からも千秋さんに、キスしたいのに・・・」


だからしてるじゃねぇか。小日向の願い通り、二人っきりでキスの練習を。悪戯を秘めながらニヤリと笑みを注ぎ、抱き締めた腕の中から振り仰ぐ唇が、何か言葉を言おうとする隙を狙って深く重ねた。んっとくぐもった声さえも重なるキスの中へと消えてゆき、驚きで逃れようとする背中を難なく腕の中へと抱き戻す。そう簡単に、俺がお前を手放す筈がねぇだろ。


「照れ屋なのか大胆なのか、分からんやつだな。いいぜ、そんなに言うならキスしてみろ。俺を蕩けさせたら、お前が気を失うくらい、とびきり甘いヤツをしてやるぜ」
「ありがとうございます! ん〜と千秋さん、じゃぁどこにキスしてほしいですか?」
「馬鹿、そんなこと俺に聞くな。音楽と一緒で、自分がどうしたいかを考えろ。されるがままに、じっとするのは性分じゃねぇ。欲しけりゃ、かなでから奪うんだな、これも、練習だろ」


抱き締めた腕の戒めを解き、指先を髪に滑らすように頭を包み込んだら、鼻先を傾けながら角度を変えてもう一度深く重ねて。薄く開いたままの唇から舌をすべり込ませ、わざと唾液の音を立てて挑発して羞恥を煽る。キスの最中には目を閉じるし、軽く耳も塞がれているから、否が応でも頭の中で俺の音が響くんだ。


さぁ、全ての感覚を閉ざし、俺のキスだけに身を委ねてみろ。
ほんの一瞬、呼吸をするキスとキスの合間でも、他の何も目に映すな。
そう・・・俺だけを見ていればいい、もっと俺が欲しくなるから。


唇が一瞬離れた息継ぎの合間に、小日向が肩で荒く息を整えながら振り仰ぎ、涙目で訴える。小日向からのキスが欲しい欲求もかなりあるが、それ以上に、もうそろそろ俺の理性も限界に近い。競い合って高めるのが、理想だろ?