昨日よりも想える自信
今日の仕事を終えた太陽が、ほの灯りを空の端に残しながら消えてゆき、藍色のカーテンが降りれば星が瞬くまでのプロローグが始まりだ。放課後いつもの公園に寄り道をして、俺たちの指定席になったベンチに座る。触れ合う体温と温かい缶入りの紅茶で寒さを凌ぎながら、君と眺めるのは頭上を覆う大きな夜空のスクリーン。星空映画館が楽しみだねと笑顔を浮かべる香穂子は、両手に包み持った缶に唇を寄せて夕日の紅茶を一口飲むと、温もりで生まれた微笑みを浮かべながら、ほうっと白い吐息を作り出した。
ふわりと口の中で溶けてしまう、甘い綿菓子・・・君の吐息も、きっと優しい甘さがするのだろうな。
日が沈むと急に寒さが募り、すぐ近くにいる人でさえ見分けにくくなってしまい、灯りと温もりが恋しいひとときに変わる。だが以前よりも夕闇を寂しいと思わなくなったのは、昼間よりも座る距離がお互い近くなるからだろうか。ずっと横顔を見つめていた俺の視線に気付くと、香穂子は缶を握り締めながら、夜闇でも分かるほど頬を染めて小さく俯いてしまった。我に返れば俺も鼓動が踊り出し、込み上げた熱さとくすぐったさに焼き焦がされてしまいそうだ。
気持を落ち着かせなければと心に言い聞かせ、冷めかけた缶の紅茶を飲んでいると、隣の君がコートの裾を小さく引っ張り俺を呼ぶ。はにかむ瞳と交われば、どちらとも無く照れた微笑みが生まれ、街並みをシルエットに変えた夕日の紅茶は君の頬に・・・そして俺の心に注がれた。いそいそと座る距離を詰めてぴったり寄り添い、こつんと肩先を預けてくれる嬉しさに、愛しく思う心が止められず、肩を抱き寄せ腕の中に閉じ込めていた。
そっと重ねるキスは、紅茶に溶ける優しいミルクの滴。恋心はふわりと蕩けるミルクになって、甘く優しく温かい二人だけのミルクティーを作るんだ。少しずつ輝きを増し始めた星たちの中で、寄り添う俺たちもまた、地上に輝く星なのだろう。
「ずい分遅くなってしまったな。香穂子、もうそろそろ帰ろうか。毎日練習で遅くなっているし、寄り道で更に遅くなってしまえばご家族が心配する」
「蓮くん、もうちょっと・・・あと少しだけ一緒にお話ししよう? ほら見て、日が暮れるのが早くなったから、夜空の星がとっても綺麗。プラネタリウムも良いけれど、本物の星空には敵わないって思うの。星を一つ見つけるたびに、私の心にも星が増えてキラキラ輝くのが分かるの」
裾を掴みながら、ね?と愛らしく小首を傾げられては、惚れた弱みでもう俺に勝ち目はない。二学期が始まったばかりの頃は同じ時間でもまだ空は明るかったのに、冬への足音が近付いた今ではすっかり夜と同じだな。まだ遅くはないからもっと一緒にいたいと君は言い張るけれど、暗くなると心配するから早く香穂子を家に送り届けなければ・・・そう思うのに、名残惜しくてつい寄り道をしてしまう。
離れがたい気持はここだけでは終わらず、送り届けた玄関先まで続くんだ。君を見届けないと俺は帰ることが出来ないと言っているのに、どんなに寒くても送り届けた玄関先で手を振り、俺の姿が消えるまでいつまでも外で見送ってくれる。なかなか家の中に入ってくれない香穂子が心配で・・・でも受け止める気持は嬉しくて。だからこそ名残惜しくて何度も振り返りたくなるんだ。
朝会ったけれども休み時間や放課後にも会いたくて、夜にも会いたいと願うあまり夢にまで見てしまう。離れている時はいつも君を想っているのに、いざ会うと喜びと嬉しさが大きな波を生み出し、顔も見られないほど鼓動が高まってしまうんだ。
夢の中では願うとおりに君を抱き締めているから、朝一番に出会うと夢と現実の境目を漂い、僅かな触れ合いでも鼓動が張り裂けそうになってしまう。
だが強く想い夢に見るほどに心は近付くのに、あと一歩の距離が届かないもどかしさを感じるのは何故だろう。
こんなにも強く想っているのは俺だけなのだろうか、君はどう想っているのだろうか。
いつの間にか、俺の中で君が大きな存在になっていたんだな。君に出会う前は恋しく想う感情など、俺には無縁だと思っていたから、音楽と勉強の合間に楽しむものに過ぎないそう思っていた。だが実際は違っていて、いざ恋に落ちると生活そのものが恋を中心に描き始めている。見るもの全てに喜びや感動を表す香穂子のように、いつしか俺も、何気ない街の風景や小さな道端の花が嬉しいと想えるようになったんだ。
しなやかな指先を夜空に伸ばた香穂子が、冬の夜空に輝く星を辿っている。オリオン座発見と嬉しそうに瞳を輝かせると、近くの一等星を辿りながら大きなトライアングル描き、冬の三角形を見つけた嬉しさを伝えてくれた。星空の三拍子だねと楽しげに歌を口ずさむ声に、いつしか瞳も頬も緩む自分がいる。オリオン座の近くに輝く双子座を一緒に見つけると、一等星のカストルとボルックスの双子星が一際輝き、俺たちに語りかけてくれるようだ。
双子の星たちのように、いつまでも仲良しでいようねと、無邪気な笑みを浮かべる君の想いが甘く切ない愛しさとなり、胸の奥を締め付けた。夜空を描いていた手を包み、握り締めて胸元に引き寄せると、驚きに目を丸くする瞳の奥を真摯に見つめ誓いを交わす。二人で誓い合った想いは星になるから、例え離れていても煌めく夜空で君に会えるから・・・。
足下の落ち葉を舞い散らせる木枯らしが吹き抜けると、華奢な肩を震わす香穂子が小さくくしゃみをした。ピンク色のマフラーに顔を埋めながら、寒いねと呟き鼻をすすっている。ほら、だから言っただろう? 風邪を引いたらどうするんだ。
微かな隙間も作らないくらい、ぴったりと身体を寄せて座り直すと、風を避けるように香穂子を腕の中で抱き寄せた。寄り添い合って温もりを伝え合えれば、少しは寒さを凌げるだろうか。
「香穂子、寒くないか?」
「うん、寒くないよ。蓮くんがぎゅーっとしてくれるから、心も身体もすごくポカポカなの。ふふっ、ずっと寒くてもいいな〜」
「俺も、香穂子を抱き締めているから温かい。だがいつまでも外にいる訳にはいかないだろう? 一緒にいたいのは俺だって同じ気持ちだが、明日に差し支える。もし風邪を引いて香穂子に会えなくなったら、きっと寂しくて辛いと想うし、君の体調に気づけなかった自分を後悔するだろう」
「そうだよね、ごめんね。私も蓮くんが風邪引いたら、大丈夫かなって心配と寂しさで胸が苦しくなると思うの。一晩夜を明かしたら、また明日の朝会えるよね。名残惜しいけどもう帰らなくちゃ・・・でも明日の前にこれから夢の中でも会えるしね」
「夢の中?」
不思議に思って問い直すと、真っ直ぐな光を湛える純粋な瞳が、何か変なことを言った?と問いかけてくる。だが数秒してあっ!と声を上げると、触れそうで触れないもどかしい距離の頬から、見えない湯気を昇らせる彼女の熱が伝わってきた。恥ずかしさに顔を逸らしたいのだろうが、抱き寄せているから身動きが取れないらしい。真っ赤に染まった顔であの・・・あのねと口籠もり、そわそわと身じろぐ振動が腕を伝い、俺の心をもくすぐったく揺らすんだ。
「あの、変なこと言った・・・よね。ごめんね、気にしないでね」
「・・・香穂子が見る夢の中には、その・・・俺がいるのか?」
「夜眠る前にベッドに潜りながら、の中でも会えますようにって願うの。目を閉じると布団のぬくぬくが抱き締めてもらう温かさに変わるから、蓮くんの事を考えながらいつの間にか眠っちゃって。そうすると夢の中に蓮くんが出てくるんだよ。夢見た朝はお迎えに来た蓮くんを見ると、たくさん意識しちゃって・・・私の中の想いが大きく膨らんでドキドキしちゃうの」
「君もだったのか、俺だけではなかったんだな」
「私もって事は、蓮くんが見る夢の中にも私がいるの?」
「いや・・・その、実は俺も最近眠っている間に、君の夢を見るようになったんだ。香穂子と俺で不思議な世界を旅したり、一緒にヴァイオリンを奏でる。俺も君を恋しく想いながら、眠りにつくからだろうな」
一人の時間が想いを育てるというのは、自分を見つめるために一人の時間を有効に使い、自分を磨くからなのだろう。分かってはいても、ふと緩む心の隙間でいつも君を想ってしまうんだ。今何をしているだろう、同じ空を見上げているのだろうかと、時には声が聞きたくて携帯電話を握り締ることもある。苦しい想いを抱えているのは俺だけかと思っていたが、香穂子も同じだったんだな。
相性が合えば何も言わなくても分かることもあるが、言葉で説明しなくては通じ合えない事もある。片思いのように一方通行だと思っていたが実は両想いで通じ合っていた・・・そんな奇跡に近い。吸い寄せられ、好きな想いが更に深まるのを感じる。香穂子、君もだろうか?
「嬉しいな、すごく嬉しいの。私の夢の中にも蓮くんがいて、蓮くんが見る夢の中にも私がいる・・・私が蓮くんの夢に出てくるのは、強く大切に想ってくれる証だもの。眠っていても心の赤い糸電話で繋がっているなんて素敵!」
「どちらか一歩だけでなく、夢の中をお互いに行き来できるからこそ、両想いの恋人同士なんだな。香穂子が見た夢を、俺も知りたい。別々の夢の中ではなく、一緒に同じ光景を分かち合えたら楽しいだろうなと思う」
「朝になったらまた合えると分かっていても、一人になる夜が寂しかった。でも今は眠っていても蓮くんに会えるから平気だよ。今夜は二人で星空デートをしようね。私がキラキラ星の街を案内してあげる!」
「・・・キラキラ星の街? 香穂子が見た夢の話か?」
うん!と満面の笑顔で頷く瞳は、藍色のカーテンに輝く夜空の星よりも煌めきを放っている。キラキラ星の街は羊雲が橋を造る、天の川を渡った向こう側にある素敵な場所なのだとか。全てが太陽や月だったり、星の形をしている星空マーケットの話や、縁日では金魚すくいではなく星を釣るのだと・・・身振り手振りで語る姿はまさに夢中、夢の中だ。君がみた景色・・・二人で散策した街の景色が俺の脳裏に広がってゆく。
香穂子と一緒に過ごすようになってから、最初は戸惑った彼女の不思議な会話にも、随分慣れて楽しむ余裕が出来た自分に驚いてしまう。夢の中で見る景色もくるくる変わる表情のように移り変わり、色鮮やかで優しい気持ちになるのは、きっと俺の中に香穂子がどれだけ大きな存在かを示してくれているのだろう。
「蓮くん、月の花って知ってる? 見たことある?」
「月の花? いや、見たことはないが」
「月の花を大好きな人に贈ると、二人は幸せになるんだって。夢の中にいたお花屋さんが教えてくれたの。鉢に植えられていたんだけど、白くて小さくて可愛かったな〜お花が三日月の形をしているんだよ。育てる人の心で花の形や色が変わるらしいの。私が育てたらどんな色になるんだろうね。まん丸で黄色く輝く、優しい蓮くんみたいなお月様に育てばいいな」
「愛しく思う人の事を、月の花というのだと聞いたことがある。俺にとっての月の花は香穂子、君だ。胸にある想いごと恋の花を君に贈ろう・・・夢の中で」
瞳を緩め微笑みを注ぎながら、いつしか彼女が語る夢の光景に聴き入っていた。蓮くんが見たキラキラ星の街には、どんな場所があるの?と身を乗り出す香穂子は興味津々だ。思い出すのは簡単だが、口にするには照れ臭くて難しい・・・どうしたらいいのだろう。僅かな躊躇いもあるけれど、二人で夢の地図を分かち合ったした今夜には、同じ景色の中で出会えるだろうか。俺だけに向けられる笑顔が力に変わるから、君に伝えよう。
「香穂子が好きな遊園地やコンサートホール、星の海が綺麗に見渡せる公園があったな。星空のスコア奏でるヴァイオリンの音色が、新しく生まれる星の粒なるんだ。星空が音符の代わりになり、みんなが夜空を見上げて楽器を奏でるんだ」
「音楽がいつでも空にあるなんて素敵! 星空のスコアは実際にも出来そうだよね。そうだ、じゃぁ今夜の夢の中デートにはヴァイオリンも持って行こうよ。待ち合わせはキラキラ星一丁目の駅前広場だよ。今夜の夢の中デートは月の船に乗って、青い流れ星イルカさんがいる水族館に行くの。イルカさんにもヴァイオリンを聞かせてあげたいな」
「流れ星のイルカがいるのか、海や水族館は好きだから楽しみだ」
二人で訪ねた場所や、デートの散策コースがそのまま夢の中でも再現されているらしい。キラキラ星一丁目の交差点はどこだと訪ねると、あれだよとそう言って自信たっぷりな笑みを浮かべ、しなやか指先が夜空を示した。視線と指の先にあったのは、一際輝く大きな星。星空も音楽も心の目を開いた時に、本当の美しさが見えるのだろう。
さぁ帰ろうか、今夜は天気が良いから、俺たちの進み道には星が敷き詰められている。そう言ってベンチから立ち上がり手を差し伸べると、ぴょと元気よく飛び上がった香穂子が駆け寄り、笑顔で手を握り締めてくる。柔らかさと温もりを感じられる今が一番恋しいけれど、離れるひとときはせめて夢の中で。
俺の夢の中に君がいて、君の夢の中にも俺がいる・・・それはお互いが強く想い合う証。
離れている間にも相手を信じて自分に自信を持ち、愛しい想いをもって過ごせれば、きっと俺たちの道は長く続くと信ている。眠ってから見る夢だけでなく、生きて想い描く未来の夢も俺たちの想いも、素敵な輝きを秘めた星でいよう。