君の優しさに癒されて



眩しい輝きと鮮やかな色彩を放つ夏が終わりを告げると、街並はどこかクラシカルな黄昏色に染まる季節になる。閑静な通りに伸びる街路樹は、濃く深い緑から赤や黄色のグラデーションを描き始め、葉の隙間からは黄金色に煌めく木漏れ日が、整えられた足元の石畳と二人分の影へ優しく降り注ぐ。

例えるならば、二人で奏で合う甘い旋律。一雨ごとに秋の深まりを増し、六甲の山から吹き抜ける風も冷たさを増す。だが日々を重ねるごとに熱さが募るのは、お前が傍に居るからだ。星奏学院を卒業した後、俺との約束通りに神戸へやってきた、かなでと迎える初めての秋。まさに黄葉や紅葉の錦が織りなす、絢爛豪華な秋色の宴だ。


誰にでも自分だけの散歩道があり気に入った道や通りがある。大好きな場所だから私だけの秘密にしたいのだと・・・でも千秋さんだけには、特別に教えてあげますねと。繋いだ手を嬉しそうに揺さぶりながら、小さな背伸びで教えてくれたお前の秘密。賑やかな大通りから一本裏へ入った、閑静な通りには個性的な店や緑が溢れ、心が自然とほぐれる不思議な空気が流れている。


どうやら今歩いているこの路地は、かなでが最近見つけたお気に入りの散歩道らしい。車の通れない路地だからか? 神戸は俺の庭だと思っていたが、まだ俺の知らない場所があったんだな。そう言うと、神戸の街が少しずつ私の街になってきたのだと、大きな瞳を輝かせながら誇らしげに胸を張る。そんなお前が、溜まらなく愛しくて大切に思えるんだぜ。


「千秋さん、荷物重くないですか? お夕飯の買い物に付き合ってもらってすみません。千秋さん大学の課題や、ヴァイオリンの練習やライブの打ち合わせとか忙しいのに・・・」
「練習はちょうど休憩しようと思っていたし、気分転換だ。お前と過ごす時間は、どんなときでも捻出してやる。何よりも、俺がお前と一緒にいたいんだ。かなでだって、レポート提出があるんだろう? もうすぐ大きなコンクールも控えているし、練習の合間に家事もこなす・・・俺よりお前の方が大変だろうに」
「練習は千秋さんが厳しく見てくれますし、個人練習もばっちりです。それに料理や家事は私の気分転換なんですよ。美味しいって言ってくれる千秋さんの笑顔が、私の元気の源ですから」


肩にかけた大きなトートバック型のエコバックを覗き込み、「美味しい料理になろうね?」と。愛おしげに食材に語りかけていたかなでの名前を呼ぶと、頭上を覆う秋空のように澄んだ瞳で振り仰ぐ。ほっと温かくなる微笑みと共に、真っ直ぐ届けられる想いや信頼、強さや優しさなどが光に溶け込み、再びお前に降り注ぐ・・・今度は唇で語るキスとなって。


「ち、千秋さん・・・。やっぱりその荷物も、自分で持ちますからっ!」
「重い方は俺が持つから、お前はそのちっこいのを持てと、さっきから言ってるだろうが。お前の両手が塞がったら、俺と手を繋げないだろう。俺のために作る料理の食材なら、尚更大事だ」
「だって千秋さん、手を繋ぐと隣からすぐチュッと、不意打ちでキスするんだもん・・・恥ずかしいです〜」


しっとりと重なる互いの唇が名残惜しげに離れると、俺が抱え持っている方の袋にある、真っ赤な林檎と同じくらい羞恥で染まる顔。キスくらいで今更驚くな、いつまで経っても初々しいところは変わらないんだな。空の端がゆっくりと染まり始めた黄昏色の夕日が、お前の頬にも宿り熱を伝えてくる・・・。繋いだ手の平から流れる温度が俺の鼓動も奮わせるんだ。


いつもの道も、通りを一つ曲がればそこから旅が始まる・・・そう、散歩は小さな旅だ。季節の気配を察し、眼差しを自然へと向けるようになる。様々な思いを巡らせ、考えを整理するのには最適だからな。人の多い華やかな通りで注目を浴びるのも良いが、時間がゆっくりと流れる日だまりの路地を、お前と二人きりで歩くのも悪くない。


「・・・?」
「っ、あの・・・えっと」


くすぐったい沈黙を破ったのは、一瞬聞き逃してしまいそうな、でも確かに「くぅ〜っ」と聞こえた腹の虫。俺のじゃないな、じゃぁどこから? 眉根を微かに寄せながら思いついた答えに、自然と緩む頬のまま隣を見れば、予想通りキスよりも真っ赤に火を噴くかなでが小さく俯いている。やっぱりなと悪戯に笑みを浮かべれば、繋いだ手を慌ててふりほどき、収まらない空腹の音を宥めようと、必死に原を押さえている真っ最中だ。

堪えきれずに笑いを零す俺に、キッと勢い良く睨む潤んだ瞳。威嚇しているつもりだろうが、可愛さを煽っているようにしか見えないぜ?


「お前は本当に俺を飽きさせないよ。ヴァイオリン音色もお前自身も、素直で正直だな」
「千秋さん、からかわないで下さい。どっ・・・どうせ私のお腹は空腹に正直ですよーだ。色気よりも食い気だって、お子様だって思っているんでしょう。お子様じゃないですよ、だって私、千秋さんのおっ・・・奥さんじゃないですか」
「どうしたかなで、おい・・・怒ったのか?」
「だってお腹空いたんですもん、ヴァイオリンの練習見てもらっていたら、お昼ご飯食べ損ねちゃってたし・・・もうペコペコなんです〜」


いつもはぽやんと、どこかふわふわと風船が漂う穏やかさを湛えているのに、珍しく強気で真っ直ぐ意見をぶつけてくる。相当空腹を我慢していたのか、それとも羞恥心の限界だったのか。恐らく両方なのだろう。「お腹空いた」と今にも泣き出しそうに潤む瞳と勢いに押されたのは、俺の方だぜ。まったく・・・空腹でかんしゃく起こすなんて、お前は子供か。

零れかけた溜息を喉元で飲み込んだのは、確かに俺のせいだと記憶を手繰ったから。


もうすぐ大きなコンクールを控えている、かなでのヴァイオリン練習に付き合い始めたのは午前中だったのに、ふと気付けば時計の針が午後のティータイムを示していた。その間お互いずっと音楽に集中していたし、かなでも弱音を一つも吐かず曲を仕上げ、俺のペースについてきていたからな。


どこか店に寄って、かなでが好きなケーキと紅茶でも食べて帰るか・・・。そう思いながら抱え持ち直した、食材の袋を何気く覗き込むと、中から顔を覗かせていた真っ赤な林檎に視線は吸い寄せられる。まぁ、適当な物はコレしか無さそうだが、ぐずるよりは良いだろう。

手に持てばずっしり重い林檎を口元に寄せて皮ごと一口囓れば、甘い香りとみずみずしさが一杯に広がった。隣を同じ速度で歩くかなでにも伝わったのか、好奇心に瞳を輝かせながら、小さな背伸びで手の中にある林檎と俺の口元を見つめている。そんなに見つめられると、お前が欲しいのは俺の唇だと想っちまうだろう?


「しょうがねぇな。帰り道に、どこかケーキの店にでも連れてってやるから泣くな」
「わぁ、ケーキ! ありがとうございます。急に元気沸いてきました」
「現金だな、まぁいい。曲の課題をクリアした褒美だ。それに、昼飯を食い損ねたのは俺も同じだからかな。ほら、とりあえず、これでも食っておけ」
「でも千秋さん・・・この林檎、今夜のデザートにする予定だったんですけど」
「お前に倒れられたら、楽しみにしている美味い夕飯が食べられないだろうが。食べ歩きは行儀悪いと諫めるところだが、今日は特別だ」
「じゃぁありがたく頂きますね。えっと、どこから食べようかな?」


手渡した林檎を両手で大切そうに受け取ると、目の前にかざし持ち、くるくる回しながら食べ始めの場所を探している。おいおい、俺がせっかく食べやすい場所を作ってやったんだぜ? その場所が分からず、不思議そうにきょとんと首を傾げるかなでに、指先で囓った白い果肉が覗く跡を示す。


「千秋さん、あの・・・」
「どうしたかなで、林檎を抱き締めながら真っ赤になって。固い皮からだと食べにくいだろうと、俺の優しさと気遣いに感動したか」
「それもあります、けど・・・同じ場所だと千秋さんと間接キッスですよ」
「間接キスよりも熱く蕩けることしておきながら、今更照れていてどうする。二人で分け合うと美味しさが増すんだろう?」


緩めた眼差しで微笑むと、あっと驚く瞳もゆっくりほどけて笑顔に変わる。胸の中で大切に温めていた卵のように、抱え持っていた林檎を同じ場所から一口囓れば、更に増した瑞々しさと甘い香りが俺達を包み込む。甘い・・・蕩けちゃいそうなキスの味がします、と、上目遣いで俺にはにかむ可愛さは反則だぜ。林檎よりも、お前が食べたくなるじゃねぇか。


千秋さんもどうぞ?と、差し出された林檎の場所は、かなでが食べたのと同じ場所。俺達だけしかいない路地、二人だけの空間に守られながら交わし合う、林檎のキス。これからもずっと、一緒ですよね?と、手を繋ぎながら小さな背伸びで無邪気についばむ、不意打ちのキスが頬に触れた。



ちなみに、夕食のデザートが無くなる心配は無用だぜ。とびきりのデザートは、ちゃんとここにあるあからな。
え?どこにあるのかって? 相変わらず鈍いな、林檎よりもどの花よりも甘く香しいお前のことだよ。