消えない温もり
ここ数日ずっと続いていた曇りや雨の日に、ほんの一息訪れた梅雨の晴れ間。
昼休みの屋上でベンチに座って見上げると、抜けるように澄み渡る青空が広がっていた。
いい天気・・・でも今頃やっと晴れてもな〜。
今日雨でもいいから、この天気がせめてあと一日早く来てくれれば良かったのにと思わずにいられなくて、私は力なく項垂れると小さく溜息を吐いた。空は青いのに、私の心は今にも雨が降り出しそうな曇り空だ。
梅雨時の天気は変わりやすい。晴れていたと思っても、いつの間にか曇って雨が降り出していたりする。
雨の日は嫌いではないけれど、さすがに私でも恨みたくもなってくるの・・・それは、ここ暫くは休日のたびに必ず雨が降っていたから。しかも毎回土曜日曜、二日間続いての長雨・・・。
休みが明けて新たな週が始まり、ニュースで見た予報では、またもや今週末も雨のようだった。
もう〜どうしてお出かけの日に限って、いつも雨なのっ!
せっかく蓮くんと一緒に、お出かけする筈だったのに・・・。
頬を膨らまし口を噤んだまま屋上の地面を眺めて、えいっと八つ当たり気味に踵を蹴り上げてみる。
暑くも寒くも無く花も緑も眩しくて、雨さえなければ今ほど過ごしやすい季節は無いと思う。
外は気持が良いし、お弁当を持って、どこか遠くへお出かけするのは最適だよ。
蓮くんにそう言ったら、一緒に電車に乗って遠出をしようと、出かける約束をしてくれた。
もちろん日帰りだけど、蓮くんと遠くへお出かけできるのが嬉しくて嬉しくて。じゃぁ私がお弁当を作るからねと張り切っていたのに、それが先週も先々週も雨で二度も中止になってしまったの。
子供っぽいって笑われるか心配だったけど、お天気になりますようにと願いながら、快く蓮くんも一緒に作ってくれた二つのテル照る坊主も、梅雨前線の前には全く威力をなさなかった。
当日の朝目が覚めた時からもう既に雨が降っていたけれど、そこで諦めたら終わりだから。
もしかしたら止むかもしれないとの期待と大きな祈りを込めて、いつもより早起きをして作ったお弁当。結局止まない雨にお出かけは中止になってしまったけど、代わりに蓮くんの家に行き、いつもと変わらない休日を過ごした。
いつもと変わらない休日・・・例え楽しみだったお出かけが中止になっても、大好きな人と一緒に過ごせるのは嬉しいし、とっても幸せなんだよ。でも、せっかく作ったお弁当がちょっとだけ悲しくて・・・・このまま持って帰ると拗ねる私に、蓮くんはどこまでも温かくて優しかった。
香穂子が一生懸命作ってくれたお弁当を、俺も楽しみにしていた。
外ではなく俺の部屋で申し訳ないけれど、香穂子も一緒に食べないか?
本当は、お外でいっぱいに降り注ぐ太陽とフカフカの芝生の上で食べたかったけど、窓の外に降り注ぐ雨を眺めながらお部屋で食べたのが、すごく嬉しかった・・・。次こそは、晴れるといいよねって。
優しい言葉が向ける琥珀の瞳と共に温かい雨のように染み込んで、乾く私の心に潤いを与えてくれたの。
蓮くんがくれた温かくてきれいな心の雫は、今でもはっきりと私の中に煌いている・・・ずっと大切にしたい。
だからこそ強く思うの。
もう過去を悔やんでも仕方ないから、どうかこの良い天気が、週末にもやってきますようにと。
「・・・ほこ、香穂子」
「えっ・・・呼んだ?」
「香穂子、ここにいたのか」
「・・・蓮くん。ごめんね、探させちゃったかな?」
「いや・・・天気が良いからきっと屋上にいると思って、真っ直ぐここに来たんだ。そうしたら、君がいた」
名前を呼ばれて振り仰げば、視界いっぱいに広がった青空・・・青いサラサラの髪。
太陽が好きな君は、きっと一番近い場所にいると思ったから・・・と。
身を屈めて額が触れ合うほど間近で私を覗き込む蓮くんが、少し心配そうに微笑んでいた。
隣に座っても良いだろうかという彼に笑顔で頷くと、微笑を返す彼は温もりを伝えるように身体を寄せて、私の隣に腰を下ろす。手に何か包みを持っていたところを見ると、これからお昼ご飯なのかも知れない。
「香穂子はもう昼食は済ませたのか? 俺はこれからなんだが、良かったら一緒に食べないか?」
「うん! 丁度良かった。私もね、これから食べようと思ってたんだよ。蓮くんはお弁当なの?」
「あぁ・・・香穂子はもしかして、その膝の上にあるパン一つだけなのか?」
「レポートを提出してたら出遅れちゃって、購買でやっと買えたのがこれだけだったの。パン一個でも、食べられないよりはいいよね」
膝の上に乗せていた菓子パンを手に取ると、それだけなのかと驚いたように見つめる蓮くんに、大丈夫だよこれで足りるからと、安心してもらうように微笑みかけた。
いつもは私もお弁当が多いけど、さすがに昨日の今日だと、お弁当を作ったり持ってくる気分にもなれなかったの。あえて混雑する購買でお昼を買おうとした理由を、きっと勘の鋭い彼は気付いただろうか。
どこか悲しそうに・・・辛そうに瞳が歪み眉が寄せられ、優しい大きな手がそっと私の髪を撫でてくる。
手は髪から頬へと滑り、ふわりと緩んだ瞳が癒すように頬と私を丸ごと包んでくれた。
「ちょうど良かった」
「蓮くん、何がちょうどいいの?」
「朝から君に伝えるタイミングが掴めなくて、ずっと言いそびれていたんだが・・・。その・・・今日は俺が、香穂子の分のお昼を用意してきたんだ」
「えっ、それって・・・!?」
頬を包んでいた手を静かに離した蓮くんはくるりと身体を反対に向け、ベンチの傍らにおいてあった小さな包みを私の目の前に差し出した。手に持っていたままの菓子パンを脇に置いて、青と白の細かいギンガムチェックの布で包まれたものを両手で受け取ると、手にしっくり馴染む形と、僅かな重みを感じる。
これは何?と視線で彼に問いかける私に、開けてみてくれないか・・・と、少し照れたように目元と頬を赤く染めてはにかんだ。
蓮くんが、照れてる・・・!
滅多に見れない蓮くんの照れ顔に私の頬まで熱くなるのを感じる。いつもは穏やかで冷静な彼をここまで照れさす程の素敵な物が入っているんだと思うと、早く開けたくてウズウズしてしまう。
逸る気持を抑えつつ包みを膝に乗せて布の結び目を丁寧に解くと、中から現われたのは・・・・・・。
「うわ〜っ、おにぎりだ! 小ちゃなおにぎりが、三つもあるよ。蓮くん、これ・・・もしかして、蓮くんが作ってくれたの!?」
「本当は香穂子の為に、きちんとしたお弁当を作りたいと思うのだが、どうも料理は苦手で・・・。俺に出来るのは、これくらいが限界だった・・・すまないな。味も形もいびつで。綺麗ではないけれど・・・」
「そんな事無いよ! ちゃんとどれも、可愛い三角形だよ。とっても美味しそう! でも、どうして急に?」
私の膝に乗っているおにぎりたちを、慈しみを込めた眼差しで見つめていた蓮くんの視線がふと上がり、私と正面から絡み合った。はにかんでいた表情がすっと光りを帯びて、真摯なものになる。瞳の中にある真っ直ぐな輝きに吸い込まれて息を詰める私に、ふわりと・・・少し切なそうに微笑んだ。
「昨日の休日も、その前の週も。せっかく香穂子が早起きして作ってくれたお弁当を、無駄にしてしまったから・・・。君の為に、何かしたいと思ったんだ」
「無駄なんかじゃないよ! 雨でお出かけ出来なかったけど、お部屋で一緒に食べたじゃない。蓮くんが食べようって、そう言ってくれたから・・・私、すごく嬉しかった。美味しいって言ってくれたから、諦めないで作って良かったって、心からそう思ったんだもの!」
「だが本当は外で・・・今日みたいな天気の下で食べたかったんだろう? その為に香穂子が作ったのだから」
「も、もちろんそれが一番の希望だけど・・・天気に関しては我侭言えないよ」
「それに・・・雨だったとはいえ、香穂子が心を込めて作ってくれた手料理を食べられて、俺は幸せだった。外で食べるのと違って家の中だと・・・その、いろいろと夢を見させてくれるから。だが俺ばかりが温かく満たされているのに、今も君だけが悲しい想いをしている。だから、その・・・・・・」
次第に言葉尻を濁し口篭りながら、少しずつ頬から顔全体へと赤さが広がっていった。そんな顔を私に見せまいとするように、フイと視線ごとそらした耳や首筋までも真っ赤に染めて。
もう・・・・・・。
どうして蓮くんはいつもいつも、私が何も言わなくても欲しいと思ったものを、欲しい時にくれるんだろう。
風のようにそっとさり気なく、ちょっとだけ不器用だけれど、たくさんの温かさと溢れる優しさを乗せて・・・。
私の胸の中に灯った彼がくれた温かさを、微笑みに変えながら視線をそらす彼の手を取り、私の両手で包むように挟む。蓮くん・・・と呼びかけると、始めは探るように視線だけ。そして背けられていた彼の横顔が、再び私へ真っ直ぐに向けられた。
「・・・蓮くん、このおにぎりの中身は何が入っているの?」
「あ、あぁ・・・梅と鮭とおかかの三種類だ。おにぎりの具といえばこの三種類が譲れないのだと、以前君がそう言っていたから」
「私が好きなのを覚えていてくれたんだね、嬉しい! 蓮くんの手は大きいから、私に合わせて小さめに握るの大変だったでしょう? 蓮くん朝弱いのに、早起きしてくれたんだよね・・・ありがとう」
「香穂子の為なら、辛い事は何もない。それよりも・・・楽しかった。喜んでくれるかと・・・食べている君を思い浮かべながら作るのが。君もこんな気持で作ってくれたのだなと思うと、俺の胸が熱くなった」
「ねぇ、蓮くんのお昼ごはんは?」
「俺か? 俺のもちゃんとある。ほら・・・・・・」
そう言って蓮くんは私の手を離し、隣に置いてあったもう一つの同じ布の包みを私に見せると、照れくさそうに頬を染めて微笑んで、膝の上に乗せて器用に結び目を解き出した。
中から現われたのは、私のよりも大きめな三つのおにぎり。これもきっと、蓮くんのお手製なんだね。
二人で笑みを向け合い、膝の上に乗せたおにぎりに手をのばす。
蓮くんは左側だったから、じゃぁ私はまず右端にあるおにぎりにしようかな。
「さっそく、蓮くんが作ってくれたおにぎりを頂こうかな。買ったパンは後で食べられるから、今日は止めておくね。じゃぁ、いただきま〜す!」
「では俺も、いただきます」
天気の良い屋上のベンチに二人並んで座るお互いの膝の上には、揃いのランチョマットが青空を映し、大きさは違うけれども海苔が巻かれた三つのおにぎりたち。同じなようで、ちょっとずつ形が違う可愛い三角形。
私を照らす太陽よりも、貴方の笑顔と手の中にある三つの白さが、眩しくて温かい。
おにぎりの形だけじゃなくて、丁寧にくるまれているラップにまで何だか彼の性格が現われているようで、くすぐったくなってしまう。込められている想いも、形も全てが彼そのものなのだ。
食べやすいように剥がして私は一口かじりついた。蓮くんを丸ごと頂きま〜すと、そう心で唱えながら・・・。
この中身は鮭だね。かじった白いお米から、ピンク色の欠片が覗いているのが見えるよ。
ゆっくり噛み砕けば、焼いた鮭が丁寧にほぐしてあるのが分かった。
ちょっと塩っぽいかもとか、そんな事は全然気にならなくて・・・自然と緩む頬が止められない。
ふふっ、男の人の手料理なんだね。
どうしよう・・・凄く嬉しい・・・幸せだ。いろんな気持や想いが溢れてぐるぐる渦巻いて、上手く言葉にならない。
それは大好きなあなたが、私の為に始めて作ってくれた料理だから。
大好きな人が私の為にと作ってくれた手料理は、おにぎり一つでも私には最高のご馳走なの。
ありがとうと感謝の気持と大好きだよと溢れる想いを込めて、じっと私の反応を伺っている隣の蓮くんに、精一杯の笑顔を向けた。
「美味しいよ・・・」
「・・・香穂子!?」
あれ? どうして蓮くんは、そんなに慌てた顔で私を見ているのだろう?
あ、そうか。雨が降ってきたからなんだね、だって私の視界がじわりと潤んで、歪んでいるんだもの。
きっと雨の雫が目に入ったのかな・・・こんなに空が青いのに?
違う・・・私が、泣いているんだ。
困ったように微笑む蓮くんが、持っていた食べかけのおにぎりを膝の上に戻すと、私の頬を両手でそっと包み込んだ。親指で目頭から目尻へ、そして頬へとなぞり伝う涙の跡を優しく拭ってくれている。
でも私の目からは止まる事無く雨が次から次へと降り注ぎ、あなたの指先を濡らしていくの・・・。
「すまない・・・君に泣かれると、俺はどうしたら良いか分からなくなってしまうんだ」
「ごめん・・・ごめんね。蓮くんを困らせたかったんじゃなくて、本当に美味しいんだよ。嬉しくて、心の中から温かくて満たされて・・・。でもどうしてだろう、涙が止まらないの・・・・・・」
「きっと、次の休みは天気になる。週末に来るはずの雨雲は、いま香穂子の瞳にやって来ているのだから、もう来ないだろうし。天気ならば俺も嬉しい。またお弁当を作ってくれるだろう? 君の手料理が食べたいんだ」
しゃくりあげる私の肩を、彼の腕に頭ごと包み込まれて抱き寄せられた。
髪を撫でる指先の心地良さと、額をすり寄せ互いの髪が絡まる感触・・・そして身も心も包み込んでくれる温かさに浸りながら。厚く覆われた心の雲も、少しずつ晴れて透明な光りを取り戻してゆく。
「私も・・・・・・」
「香穂子?」
「私もまた・・・蓮くんの作ってくれたおにぎりが、食べたいな」
「ではお互いに作った物を持ち寄ろうか、君と俺とで。きっと楽しくなる・・・今度こそ、晴れると良いな」
「うん!」
蓮くんの制服の白いジャケットを涙で濡らさないようにと、押さえていた額を肩先から離してゆっくり振り仰ぐ。
二〜三度軽く瞼を瞬いて頬を緩めると、雨上がりの煌く雫が眩しく彼の笑顔を包んでいた。
もう雨が降っても、悲しいなんて思わない。
私の心と瞳に雨が降る・・・貴方がくれた優しい温かさが、煌く消えない雫となって降り注ぐから。