風になびく洗濯物

緑鮮やかな芝生や草木に囲まれた庭に一際眩しい輝きを放つのは、心地良いそよ風に煽られて波のようにゆったりとうねる大きなシーツや、青空に浮かぶ雲のようにふわふわのバスタオルたち。太陽の光りと溢れる緑をたっぷり吸い込んだ洗濯物たちは、どれもこれも皆お腹を満たして満足そうに空を泳いでいた。



そんな彼らを見上げて手を伸ばし、乾き具合を確かめている香穂子もとても嬉しそうだ。
洗濯物が綺麗に洗い上がって乾くと気持が良いのだと言っていたから、きっと彼女にとっても満足のいく仕上がりだったのだろう。楽しげな笑みを浮かべて一つ一つに慈しみの目を向けている姿は、まるで取り込まれるのを待つシャツやタオルたちと会話をしているのだろうか。


香穂子は二つのハンガーにかかったシャツの前で立ち止まると、伸ばしかけた手を下ろし、幸せそうに頬を緩めながら見つめていた。

ぴたりと寄り添いくっつきながら揺れているそれは、俺と香穂子が寝る時に着ているパジャマの上着。
お揃いのデザインで色違いの二枚が、まるで俺たちの姿を映したように仲良くじゃれあっている。
一回り大きい俺のパジャマが彼女のシャツを背後から抱き包んでいるようにも見え、仲良く手を繋いでいるようにも見える。風になびき揺られながら俺が離れようとする君を引寄せ、あるいは甘える君が俺に擦り寄って。


何気ないけれども胸が詰まるほど愛しくて温かい光景に、目を細めずにはいられない。

君の微笑と一緒にもっと眺めていたい・・・そう思いながら、心のままに緩む頬と瞳を向けた。
両手に持った籐で編まれた大きなランドリーバスケットを抱えなおしつつ歩み寄ると、シーツに映った影に気づいて振り向いた香穂子が、揺れる俺たちのシャツを見つめていたままの笑みで俺を振り返る。


「ほら見てみて、私と蓮のパジャマががくっついているの」
「本当だ。みんな気持良さそうだが、この二枚は特に嬉しそうだな。洗濯物でも俺たちは離れがたいとみえる。まさに俺たちそのものだな、今だって俺は君と一緒にいたくて手伝いをしているのだから」
「風を通す為に少し離して干すんだけど、取り込む時にはいつもくっついて絡まり合っているんだよ。実はね、今日だけじゃなくて毎日なの・・・不思議だよね。お互いの大好きが洋服にまで染み付いちゃってるなんて、照れ臭いけど、すごく嬉しいよね」


ほんのり頬を染めてはにかみながら両手を差し出し、俺を振り仰ぐ香穂子へ、受け止めたいっぱいの微笑を返した。ありがとうとそう言って俺の手からランドリーバスケットを受け取ると、大きさのあまり顔が隠れてしまい・・・。ふらつきかける覚束無い足取りに一瞬鼓動が跳ねたが、彼女にとっては毎日の事のようで、ヨイショと言いながら、注意深く物干しの足元へ籠を置いた。ほっと安堵の溜息を吐くと、歩み寄って傍らに肩を並べる。


「大きなシーツや高い所に干してある物は、俺が取り込もう」
「ありがとう。ゆっくり休んでねって言っておきながら、せかっくのお休みなのに手伝ってもらってごめんね。でも蓮のお陰で、とても助かるよ」
「礼を言うのは俺の方だ。無理を言って、香穂子の仕事を手伝わせてもらっているんだし。こうして共に過ごす時間が増えたり、いろいろ覚えるのも楽しいから。それに、君と一緒に何か出来る事がとても嬉しいんだ」


う〜んと唸りながら一生懸命背伸びをして、高い場所にある洗濯物を取り込もうとしていた手をやんわり掴んで引き下ろした。掴まれた手と俺を不思議そうに見つめる視線に口元を緩め、代りに俺が難なく取り込んで彼女に手渡すと、パッと笑みを咲かせ弾む足取りで籠へ飛んでゆく。いそいそと俺の隣に戻ってきた香穂子は歌を口ずさみながら、手の届く高さにあるシャツやタオルを両手いっぱいに取り込んでいた。


楽しげな彼女を視界に映していると、俺も心の中では連られて歌を口ずさんでしまうんだ。
高めの竿にかけてあったバスタオルを取りむ最中にふと視線が絡むのは、真っ直ぐ振り仰ぐ香穂子が両手を差し出して受け取るのを待っているからで。用意がいいなと目を丸くすれば、夫婦の共同作業だからねと照れ臭い事を言ってくる。


夫婦の共同作業・・・という言葉が無性に耳の中に残り、くすぐったい熱さを湧き上がらせる。
どうして君はいつも、無防備な俺の心を見計らうように、大きな爆弾を投げ込んでくるのだろうか。
一緒にするのならばそうなのだろうなと自分に言い聞かせて、高鳴る鼓動を必死に押さえ込んだ。



夫婦として一緒に暮らしているのだから、出来る限り俺も家の中の事を手伝いたいし、覚えたいと思う。
俺よりも家にいる香穂子の方が朝から晩まで忙しいのだから、少しでも君の負担を軽くしたいんだ。
だが料理は得意ではないし俺に出来る事は限られているから、分担とまではいかない。すまないなとそう言うと、蓮が家事をしたら私が主婦している意味が無いでしょう!?と、彼女は目を丸くして抗議をしてきた。


それもそうだが・・・と眉を寄せれば、取り込んだバスタオルを両手に抱える香穂子は、俺のすぐ目の前で困ったように小さく首を傾ける。


「ありがとう、私を気遣ってくれる蓮の気持だけで充分だよ。それに役割分担したら、一緒に洗濯物を取り込んだり料理を作ったり、お掃除したりが出来なくなっちゃう。蓮と向かい合ってガラス窓の拭き合いっこするの大好きなんだよ。私の楽しみを取っちゃうのなら、もう口きいてあげないんだから」
「香穂子・・・・・・」
「蓮はいつでもこうして私を手伝ってくれる、何も言わなくても自然にさり気なく・・・甘えているのは私の方なのに、それがとても嬉しいの。一緒に何か出来るのが楽しいって、蓮だって言ったじゃない・・・私だって同じなんだよ」


真っ直ぐに俺を見つめる瞳が僅かに潤みかけて、そのまま吸い込まれそうになる。そう思った瞬間にふわりと吹いた風が、俺たちを宥めるようにシーツを大きくはためかせた。バサリと鳴る声に俺も香穂子もはっとシーツを振り返り、互いにどちらとも無く顔を見合わせクスリと笑みを漏らした。


今のままでも平気だよと元気に笑顔を咲かせた香穂子は、抱えていた二人分のバスタオルに顔を埋めると、瞳を閉じながら大きく息を吸い込みむ。蕩けそうな表情を浮かべて、タオルの感触と香りに浸っているようだ。


「いい匂い〜お日様と洗剤の爽やかな香りがするよ。温かくて、ふわふわして、凄く気持がいい。私洗い立ての洗濯物って大好き、だって蓮と同じ香りがするんだもん。だからね、お風呂の時にバスタオルに包まれると、蓮に抱き締めてもらっているみたいでドキドキしちゃうの」
「俺の香り?」
「うん! 蓮もやってみる?」


受け取ったのは俺のバスタオルと君のが使っているバスタオル。ずっと香穂子の腕に抱き締められていたから、風になびいていたシャツのように、二枚がしっかりと絡み合っていた。愛しさについゆる頬はそのままで俺は香穂子のタオルへ顔を寄せ、鼻先を埋めると瞳を閉じて大きく息を吸い込んだ。


肌に吸い付くようにしっとりと滑らかで柔らかくて、ふんわりと羽根のように俺を包んでくれる。この感触は彼女の言うように、確かに心地が良い。俺も洗いたてのタオルや洗濯物は大好きだ・・・きっと君が整えてくれたからだと思う。

まず最初に鼻先をくすぐるのは、香穂子の使っているシャンプーの甘い香り。同じように先程まで顔を埋めていた彼女の移り香だろうか。沸き立つ熱さを宥めるように後からやってくるのが、タオルに染み込んだ洗剤の香りだった。


それら全ては俺にとって君の香り。俺が大好きな、どこか懐かしい香り・・・。
君の隣でそっと深呼吸すると心が安らぎ、幸せでいっぱいに満たされていくのは、この香りだったのかと改めて気が付いた。いつも身近にあったこの香りの正体は、君だけでなく俺をも包んでいたんだな。

いつしか深く埋めていた顔をゆっくり離して、瞳を開ける。
どうだった?と興味深そうに身を乗り出してきた香穂子へ、想いを乗せて微笑みかけた。


「俺には香穂子の香りがした。俺を幸せにしてくれる、大好きな香りが」
「え、私!?」
「あぁ、そうだ。この腕に君を抱き締めている時のような、優しさと温かさを感じるんだ」
「私には蓮の香りがしたんだけど。う〜ん・・・ひょっとして、私も蓮と同じ香りって事かな?」
「毎日一緒に洗濯をしているし、同じ洗剤を使ったりしているんだ。一緒でも不思議じゃないだろう? だが嬉しいものだな。俺が君を、君が俺を互いに包み合っているような・・・いつでも君を感じる事が出来るのだから」


不思議そうに首を捻る香穂子へ瞳を緩めると、意味に気が付いたのか、瞬く間に頬を赤く染めて俯いてしまう。着ている服を慌てて見下ろし、恥ずかしそうに胸元をきゅっと掻き寄せながら。

そんなささやかな仕草の一つが、まるで本当に抱き締めている気分になってしまい、呼吸と共に急激に荒く高鳴る俺の鼓動。込み上げる熱を見られないようにふいと顔を反らしつつ、立ち竦む香穂子の脇を足早に通り抜けて、持っていたバスタオルをバスケットに放り込んだ。



大きく深呼吸すると、風が火照った身体の中をも通り抜けて心地が良い。
風になびく洗濯物たちを眺めていると、満たされた・・・幸せな気分になってくるのは何故だろう?

上手く言えないが、大切な人と共に歩む生活や、温かい家庭の象徴のような気がするからだろうか。
俺のもの、君のもの・・・そして互いに共有しあうものまで。別々のように見えても同じ香りを纏っているように、見えない印が・・・確かな繋がりがそこにはあるんだ。


「・・・・・・!」


視界いっぱいに揺れる白いシーツの眩しさに目を細めていると、ふいに感じた軽い衝撃にはっと我に返った。
とんと軽く押されるような感覚と共に、背中へ感じる温かい温もりと柔らかさは香穂子のもの。彼女が俺の背中に飛びついてきたのだと分かり、肩越しに振り返りながら頬を緩め、前に回された手に重ねて引寄せる。


「蓮、どうしたの? ぼーっとしていたら日が暮れちゃうよ」
「あぁ・・・すまない、何でもないんだ。じゃぁ一番の大物を取り込もうか、俺も一緒に畳むのを手伝おう」
「私が反対側の端っこを持つね。ふふっ・・・私、蓮とシーツを畳むのも大好きなの。一人だと結構大変な事も、二人なら楽しくできちゃうんだよ」


早く早くと揺すってせがむ香穂子を瞳で宥めて手を離すと、竿にかかっていたベッドのシーツを取り込んだ。ベッドに合わせてシーツも大きいから、一人だと白い波にバサリと呑まれてしまう。香穂子は毎日一人でやっているのかと思うと、彼女の仕事振りに頭が下がる。いや・・・毎日交換するような事をしなければ良いのだが、夜ごと君を求めずにはいられないから、そればかりはどうしようもない。

何とかして頭を出すと、シーツを頭から被ってしまった俺を楽しそうに笑っていた香穂子が、反対側の端を持ってくれた。俺の両手いっぱいに広げてもまだ手に余る横幅を、出来る限り二人で広げて大きく伸ばしてゆく。


「うわ〜柔らかくて、お日様の光りがいっぱいだね。ベットに敷いたら気持ち良く眠れそう」
「きっと今夜は特別だな。一緒に取り込んだシーツと、同じ香りのパジャマに包まれて。だが香穂子は寝つきが良いから、すぐに眠られては俺が困ってしまう」
「も、もう・・・お布団が気持良いからって、すぐに寝ないもん。そんな事言って、蓮が寝かせてくれないくせに」


少し離れても分かるほど頬を赤らめた香穂子は、恥ずかしそうに視線をそらして、拗ねるように俯いてしまう。
だがそのまま静かに畳める訳が無く、さっそく君は持っていた腕を上下に揺らし始めた。
すると白いシーツの波が次第に大きなうねりとなって、弾き飛ばすほど俺に襲い掛かり始める。


「見て、波だよ〜白い波!」
「香穂子、もっと静かに揺らしてくれ。これでは小波というより津波だな。手の中から飛ばされてしまいそうだ」
「ごめんねー。でもまだ大きな波がくるから、しっかり持って受け止めてね!」


はしゃぐ香穂子はそう言うと、シーツの端を持ったまま勢い良く俺へと駆け寄ってくる。互いに持ったシーツの端を揃えて畳もうという事なのだが・・・。 君はシーツを畳むというより、揃える為にこうして飛び込むのが楽しいのだろう。変わらず無邪気に甘える君が愛しくて、もちろん抱き締める俺も楽しくて仕方が無いのだが。

両手を広げたまま飛び込んでくる彼女をしっかり胸で受け止めると、シーツを一緒に端を持った手をも包んで握り締めた。一枚のシーツを挟んで見つめ合いながら、引寄せあった唇がふわりと重なる。
ならば今度は今までのお返しとばかりに、そのまま君を包み白い波に込んでしまおうか。


この腕ごと俺の中に、情熱の熱い波へ・・・。
シーツが大きいから小さく畳み終わるまで、あと何回君を抱き締められるだろうかと。
柔らかい唇を甘く噛みながら、閉じた瞳の裏で想いを馳せた。



芝生の上に広がった一枚のシーツは、まるで風を受けて船の進める帆のようにも見える。
俺たちの家や生活を船に例えるならば、シーツや洗濯物たちは、まさに象徴である船の帆なのだろう。

受け止めた愛しさや想いを更に深め、共に日々を歩む為に-------。