この瞬間の精一杯

夏祭りで賑わう神社の参道には、沢山の人と屋台が溢れていた。

お母さんに着せてもらった浴衣とアップにまとめた髪型で、今日はちょっぴりおしとやかな気分・・・そう言い聞かせていたのに。闇に浮かぶ提灯の灯りや身体が踊り出す祭り囃子、それにいろんな屋台にときめいてはしゃぐまるで子供みたいな私がいる。駆け出す度に繋がれた手をやんわり引き戻され我に返り、そっと様子を伺うように隣を振り仰ぐの。危ないだろうと眉を寄せて怒るのかな・・・と首を竦めて覚悟しながら。

でも月森くんが楽しそうだなって優しく微笑んでくれるから、怒られるより余計に恥ずかしくなっちゃう。


「香穂子、人混みが多いから、走っては危ない・・・ただでさえ浴衣で歩きにくいのだから。それに手に持っているラムネが瓶から零れてしまう。君との時間を楽しみたいから、急がずゆっくり行かないか?」
「うん・・・そうだね、ごめんね」


私が飛んでいかないように手がしっかり繋ぎ直され、注がれる微笑に頬と同じく手の平も熱くなる。
冷たい氷水のプールに浸かっていたラムネが温まらないように、雫で濡れないように包み持つ、ハンカチから伝わるひんやり感が気持ちいい。買ってもらったラムネを早く飲みたい待ちきれなさと嬉しさで、何度も眺めてしまうの。


お祭りや夏に欠かせない飲み物といえば、ラムネだよね。
レモンやライムの香りがするほんのり甘い炭酸水が、青く透き通ったガラス瓶に入っているの。
届きそうで届かないラムネの玉が欲しさに、早く飲み干したくて。
もどかしさと期待を併せ持ちながら、何色が出てくるんだろうって取り出す瞬間が一番ワクワクする。

海や空をぎゅっと閉じ込めた青い玉や、海の気泡を思わせる透明な雫は、光に透かせて眺めるだけで心が穏やかになってゆく。私を遠い世界へ連れて行ってくれるんだよ・・・そう、まるであなたみたいに。
中に入っているラムネ玉は、子供の頃も今も私の大切な宝物なんだよ。


浴衣で歩きにくい私を気遣ってゆっくり隣を歩いてくれる月森くんが、いつもよりぎゅっと強く手を握ってくれるのは、落ち着き無い私が夜と人混みにはぐれない為かな? 離さないという言葉になって、強さと熱さが心に直接伝わるからドキドキする。私の熱で瓶の中身が温まってしまいそう。


「ラムネの瓶の形はヴァイオリンに似ているなって思うの。丸みを帯びたヴァイオリンが女性なら、スマートに引き締まったボディーのラムネはきっと男の人だよ。青くて透き通ったガラスや中身に吸い込まれそう、早く飲みたいな」
「香穂子がそういうと、ラムネ瓶を持たせたくない複雑な気分になる・・・」
「あ、何か勘違いしてるでしょう。私はね、このラムネを見たら月森くんみたいだなって思ったの。上の方にある窪みがウエストだとしたら、真ん中に埋まるガラスのラムネ玉はハートかな?」
「そう、だったのか。すまない、早とちりをしてしまったらしい」
「外から見たら凜と静かな水に見えるけど、一口飲んだら強い刺激にびっくりしちゃうとことか、熱さを秘めてる所に似てるよね。私ね、ラムネが大好きなの」


ラムネが大好き、ラムネみたいな月森くんも大好き。
海の中にいるような、ブルーのラムネ瓶に想いを馳せるのはただ一人。
私もあなたの海に包まれて、ころんと転がり踊るラムネ玉になりたいな。

難しそうに眉を寄せる月森くんを笑顔で振り仰げば、頬がほんのり赤く染まり、フイと顔を背けてしまった。
買ったときに栓を開けて貰ったから、飲み口を塞いでいたラムネ玉は瓶の中に落ちている。
カランコロンと響く下駄の音、歩く振動に合わせてころころ揺れ動くラムネ玉。


もしかして照れているのかな? 滅多に見れられない照れ顔に嬉しさを押さえきれず、月森くん?と名前を呼びかけながら、繋いだ手を小さく揺らしてみる。ラムネ瓶を耳元に掲げて小さく揺らすと、ようやく見つめ返してくれた微笑みが深まり、琥珀の瞳が甘く揺らめいた。さぁ私たちも触れ合う心で響かせ、一緒に音楽を奏でましょう?




祭りの人混みが落ち着いた神社の石段にやってくると、ポケットから出したハンカチを引いてくれた。月森くんのハンカチが汚れちゃうよと心配する私に、香穂子の浴衣が汚れる方が大問題だと真剣な眼差しが返ってくる。休める場所が無くてすまないなと、申し訳なさそうに微笑む優しさが嬉しくて、胸がキュンと甘く締め付けられてしまう。


ちょっぴり汗をかき始めたラムネの瓶をハンカチで拭き直し、二人でカチンと触れ合わせれば、今夜の私たちにささやかな乾杯だね。口をつけてゆっくり傾けると、流れ込んだラムネ水の強い炭酸がいっぱい弾けて踊り出す。気泡の粒を身に纏うラムネ玉の輝きにみとれていると、悪戯にコロンと音を立てて転がってきた。

あっ・・・駄目、飲み込んじゃう!


「・・・・・・っ!」
「香穂子、大丈夫か!?」
「・・・っけほっ、こほっ・・・!」


刺すように痛いきつめの炭酸と咳き込む苦しさに胸を押さえ、涙が滲んでくる。瓶の中にいるラムネ玉みたいに水で視界が歪む私を抱きかかえながら、温かい手の平が必死にあやし背中をさすってくれている。指先で涙を拭い呼吸を整えると、心配そうに覗き込む月森くんに大丈夫だよの笑顔で答えた。


「まさかと思うが、転がるラムネ玉を飲み込むのではと驚いたのか?」
「えっと実は・・・そうなの。だって綺麗だなって見とれていたら急に口の中へ入ってくるんだもん。瓶から出ないって分かってても、びっくりするよ。でもね、水の中で泳ぐ魚みたいにキラキラして気持良さそうだった」
「炭酸の気配が無いから、普通の水のつもりで一気に飲んたせいもあるんだろうな・・・慌てずゆっくり飲むといい。突然驚かせてくれるところは、君に似ているな」
「もう! どうせ私は落ち着きありませんよ〜だ」


悪戯な微笑みに頬を膨らませ拗ねていると、目尻に残った涙の雫を伸ばした指先がそっと拭ってくれる。くすぐったい照れ臭さを隠したくて、仲直りの笑顔を浮かべながら瓶を揺らし、踊るラムネ玉を眺めてみたり真上から覗き込んでみたり。

でも目に見えるラムネ玉は、届きそうで届かない・・・あと一歩の所で近づけないの。
瓶の口には触れるのに、飲み終われば一瞬だけで離れてしまう。
あなたというラムネ瓶に、私というラムネ玉がずっと触れ合っていられるにはどうしたらいいの?


「ねぇ月森くん。ラムネ玉って、ラムネにとってはどんな存在なのかな?」
「突然どうしたんだ? そうだな・・・あまり詳しくはないが、瓶の中の炭酸が逃げないように閉じ込める為のものだ。中身を注ぎ、間髪入れず逆さまにすると内圧でラムネ玉が密封され、蓋の役割をするらしい。買った時に押し開けて貰っただろう。瓶とラムネ玉は、隙間無く寄り添えるものでなくてはならないそうだ」
「そうなんだ・・・二人ともお互いが大切なパートナーなんだね。私もなれるかな、この透明なラムネ玉に」
「香穂子・・・?」
「今はラムネ瓶の飲み口がプラスチックだから、ラムネ玉が取りやすくなったよね。子供の頃は全部ガラスだったから、瓶を割って取り出したらお母さんによく怒られたよ」
「怪我でもしたら大変だ、リサイクルの世の中に感謝だな。俺も同じだ・・・欲しくてもなかなか手に届かなかったものが、こうして今は手の届くところにある。まるで君のように」


隣で月森くんが黙って見守る中、咳き込まないように気をつけながら、ゆっくり時間をかけてほんのり甘い優しさの炭酸水を飲み干し終えた。先端のプラスチックキャップを外してようやく取り出したラムネ玉は、瓶と同じように海の雫のような青色をしている。持っていたハンカチで丁寧にラムネの雫を拭き取り、摘んだラムネ玉を月明かりにかざし眺めれば、温もりに寄り添うのと同じ穏やかさが心に満ちてきた。


届けたいな・・・胸いっぱいに感じる満ち足りたこの想いを、大切なあなたに。
掲げた指先を膝の上に降ろし、じっと見つめる琥珀の瞳に私が閉じ込められている。


「君はこのラムネが俺みたいだと言ってくれた。ならば、小さな気泡のドレスを身に纏い、楽しげに踊るラムネ玉は香穂子・・・君だ。瓶を傾けた時に沸き立つ小さな気泡たちは、想いのラムネ水に溶け込む音色であり、笑顔や優しさ。時には涙もあるけれど、嬉しさも悲しみも全部飲み込んでしまおう、俺の中へ」
「あのね、もし私が月森くんのラムネ玉なら、塞いでも・・・いいかな。永遠に空気を閉じ込めるラムネ玉みたいに」
「全て飲み干せたら、無邪気に転がる君を手に包むことが出来る。だがずっと満たされ塞がれたままなのも、良いかも知れないな。いや、俺が俺が離せなくなってしまいそうだ」


取り出したラムネ玉は、握りしめていたからすっかり温かくなってしまっていた。
青いガラスの中へ想いを注ぎ、閉じ込めるように時間をかけて唇を触れ合わせキスをして・・・それを月森くんの唇へそっと押し当てる。飛び出しそうな心臓を宥め押さえながら、微かに震える自分を励まして。
時が止まったように驚きに目を見開く唇へ、今度はゆっくり顔を寄せ自分の唇を触れ合わせた。


永遠に空気を閉じ込めるラムネ玉ではなく、ほんの一瞬かすったかどうかも分からない、私からの初めてのキス。
でも、今の私の勇気はこれが精一杯だから・・・ちゃんと伝わったかな、感じてくれたかな?
強く握り合わせた両手の中に、分身のラムネ玉をお守りのようにしっかり抱きしめながら、ただ祈るしか無くて。
上目遣いに見上げたが熱く絡まれば、勢いよく背中を攫われ、あっという間に腕の中へ閉じ込められた。


「・・・・・・っ!? 月森くん・・・んっ!」


塞がれたのは私の方だった。
息が出来ない程、熱く塞がれる唇・・・初めて感じる性急なキス、それは小さなキスが届いた証。
瓶の中へ飲み物を注ぎ、間髪入れずひっくり返すと、ラムネ玉が永遠に空気を閉じ込めてくれるんだよね。
注いだ想いがあなたから返されると、互いに吸い付き合う瓶とラムネ玉のように、私たちも離れなくなってしまうの。


あっ・・・今、心の中のラムネ水がしゅわって弾けたみたい。
いくつもの炭酸が小さな気泡をいっぱい立てて、私が煌めきの粒に包まれてゆく。