二つの星

さ〜さ〜のは〜さ〜らさら〜♪


部屋の中に、香穂子の楽しげな歌声が響き渡る。

月森の向かい側に座る香穂子は、テーブルの上で折り紙の鶴を作りながら、笑みを湛えて七夕の歌を口ずさんでいた。優しく染み込む音色とメロディーに耳を澄ませれば、浮かぶ微笑と共に心の中にも音の欠片たちが楽しそうに弾け飛ぶ。

テーブルの上に溢れるのは、色とりどりの鮮やかな折り紙と短冊用の和紙。
そして笹竹に飾る二人で作った長い輪飾りに埋もれるように、はさみやのりといった文房具の他、香穂子がいつも持ち歩いている小さなソーングセットが隠れていた。


今日は七月七日、世間では七夕といったところだろうか。

授業が終ってすぐに帰宅すると、浴衣を着て小さな笹竹を持った香穂子が、俺の家にやってきた。白地に赤い大輪の花模様の浴衣に下駄を履いて、赤い巾着袋を提げながら。一緒に持っていた紙の手提げに収まっていたのが、今テーブルの上に所狭しと広げられている彼女の工作セットたちだった。


あどけなさの中にも色香が漂う艶やかな浴衣姿に目を奪われ、言葉を紡ぐ事さえ忘れていると、七夕といえばやっぱり浴衣でしょう?とそう言って、笑顔を向けてきた。
あまり縁の無い行事だったから良くは分からないが、香穂子が言うならばそうなのだろう。
彼女の浴衣姿が見れるとは良い行事だなと・・・心の中で密かに思ったけれども。


香穂子に教えを請いながら、俺も紙を折って細かくはさみで切れ込みを入れ、飾り付け用の天の川を作る。こんな工作をするのは子供の頃以来だが、やり始めると案外作業に没頭してしまうものだ。出来上がった物を広げれば、言いようの無い達成感と満足感が込み上げてくる。
どうだろうか?と目の前の君に向かって披露したら、目を丸くして身を乗り出してきた。


「凄〜い、私のよりも細かくて綺麗! 何かこういうのって性格が出るよね。一心不乱に細かく折り紙に切れ込みを入れていた蓮くんがね、ヴァイオリン弾いている時よりも真剣だったよ」
「そ、そうだろうか・・・」


ずっと手元を見られていた事を今更のように気付き、急に照れくささが込み上げてくる。
言葉を詰まらせる俺に悪戯っぽく笑みを向けると、香穂子は折りあがったばかりの折鶴を持ち、先程俺が作り上げた鶴へと寄せてきた。

何をするのだろうと見守れば、キスをするように嘴を数回触れ合わせてくる。俺も自分の折鶴を彼女の持つ嘴へと触れ合わせれば、ほんのり赤く染まった頬が、交わす瞳と共に嬉しそうに綻んだ。


「香穂子も楽しそうだな。色とりどりの飾りを自分達の手で作り、笹竹に飾り付ける・・・まるでクリスマスツリーのようだ」
「ふふっ、楽しいよ。クリスマスか・・・そうだね、賑やかな飾り付けとか、星にお願い事をするのも似てるかも。ねぇ蓮くん
どうして高校生にもなって七夕飾り作るんだって思ったでしょう? 子供っぽいって呆れてない?」
「いや・・・別に、そんな事はない。俺も君と一緒に何か出来る事が嬉しくて、楽しいから」


純真で無邪気な香穂子の発想らしい・・・とそう微笑ましく思ったのは本当だけれども。
頬を染めて僅かに俯きながら、恥ずかしそうに視線だけを向けてくる香穂子に、瞳を緩めて微笑みかけた。


「七夕ってね、私と蓮くんに深〜い関係のある行事なんだよ」
「俺たちに?」
「だから、蓮くんと一緒に七夕をお祝いしたかったの。こうして一緒に飾りを作って、短冊に願い事を書いて・・・織姫と彦星が天の川で会えますようにって」


天の川を隔てて一年の間会う事の叶わなかった織姫と牽牛(彦星)が七月七日の夜のみ・・・年に一度だけ会えるのが七夕。高校を卒業したら俺が海を渡る事を、まだ君には告げていないけれども。
きっと君は薄々気付いているのかも知れない・・・。

織姫と牽牛・・・二つの星に、俺と君の身を重ね合わせているのではと、そう思った。


胸を締め付ける苦しみに耐えながら僅かに眉間を寄せていると、短冊用の和紙を切り揃え始めた香穂子が、ふと手元を止めて視線を上げる。


「蓮くん、乞巧奠(きっこうでん)って知ってる?」
「乞巧奠? 初めて聞く言葉だ。それは七夕と関係があるのか?」
「大ありだよ。日本に古くから伝わる行事でね、私たちのやる七夕の原型みたいなものかな」


再び手元を動かして和紙を短冊形に細長く切り揃えながら、香穂子は静かに語り始める。
しかし彼女の口から語られる言葉は、俺の想像とは大分違うものだった。


『乞巧奠(きっこうでん)』

七夕を「たなばた」と呼ぶのは「棚機津女(たなはたつめ)」、つまり織物の神である織姫の呼び名から来ているのだそうだ。七月七日のこの夜に、織物や詩歌、管弦などを含め幅広く技芸の上達を祈って供物を捧げる行事なのだと。


「随分と詳しいんだな」
「日本史の授業で教えてもらったの、今ちょうど平安時代の勉強をしていたから」
「そうなのか・・・普通科と音楽科のカリキュラムは違うんだったな。いろいろな事が学べて、少し羨ましい」


俺が驚きに目を見開くと、困ったように・・・少しバツが悪そうに小さく肩を竦めて微笑んだ。


「今でも古い家や神社では行われているんだって。祭壇の写真も見せてもらったんだけど、朱塗りの高い台にお供え物と一緒に、すずりとか綺麗な織物があって・・・。他にね、琴や琵琶もあったんだよ」
「楽器・・・だな。裁縫や読み書きだけでなく、音楽の上達も祈願すると言う訳か」
「そうなの! だから私たちもね、ヴァイオリンがもっと上手くなりますようにって・・・楽しく弾けますようにって、お星様にお願いをするの」
「俺たちに深い関係があるというのは、その事だったのか」
「えっ? 他になんかあるの?」
「・・・いや、何でもない。気にしないでくれ。その・・・古い行事も大切にしなくてはいけないなと、思ったんだ。音楽に関わりがあるのならば、俺にもぜひ短冊に願いを込めさせてくれないか。君と一緒に・・・」


慌てて語尾を濁らす俺を見て、香穂子はきょとんと不思議そうな顔で首を傾ける。しかし深くは追求せずに満面の笑みを浮かべると、切りそろえ終わった短冊の束とサインペンを俺に渡してきた。


「はい、これは蓮くんの分。お願い事、いっぱい書こうね!」
「ずいぶん沢山あるんだな、笹竹に飾りきれるかどうか」


大丈夫だよと気楽に返事をする香穂子に、欲張り過ぎもどうか・・・と苦笑を向ける。

短冊を前にサインペンを構えながら思う事・・・叶えたい俺の願い。
だが俺の願い事を全て細かく書き出したら、きっと短冊がどれ程沢山あっても足りないんだ。


「ねぇ蓮くんは、どんなお願い事を書くの?」
「ヴァイオリンに関する事と・・・それ以外は飾り付けるまで、香穂子に内緒」
「え〜っ! じゃぁ私も蓮くんに秘密。後でのお楽しみだからね」


ワクワクと興味深げに目を輝かせながら俺の手元を覗き込んでくる香穂子に、笑みを向けながら額に唇を乗せて優しくキスをする。その間に書き途中だった短冊を手で覆い隠し、他の短冊も見えないように裏返しにして。

俺からの不意打ちのキスに頬を赤く染めた香穂子も、乗り出していた身体を慌てて引き戻し、いそいそと手元を囲い出だす。見ちゃ駄目っと睨みながら牽制する愛らしさに、俺は込み上げる笑いを必死に堪えながら・・・。テーブルに身を伸ばして、再び額に掠めるだけのキスを贈った。


だが俺には見なくても分かるんだ。きっと願い事は、俺も君も一緒なのだと思うから。




静かに立ち上がって窓辺に歩み寄ると、香穂子も同じように俺の隣へ寄り添ってくれる。
窓の外には、太陽が夢路を照らす月と入れ替わり始めており、空に輝く一番星と二番星。
寄り添い輝く二つの星は、俺と君だろうか・・・。

七夕の日に晴れることが少ないというけれど、このままならきっと星空に包まれそうだ。


「今夜は晴れるだろうか? 一年に一度だけなんだ。天上の二つの星が会えるように、晴れて欲しいと思う」
「大好きな人と一年も会えないなんて、寂しいだろうな・・・その一度も会えるか分かんないんだよ」
「そうだな・・・もしも、香穂子だったら・・・どうする?」
「私だったら?」
「いっ・・・いや、その・・・例えば・・・なんだが」


しまった・・・つい、ものの弾みで。

どう言い繕うかと必死に焦る俺の心配を余所に、人差し指を口元に当てながら、う〜んと唸って考え始める。暫く黙り込んでいたが、やがて何かを閃いたらしく、ポンと手を叩いて瞳を輝かせた。


「私がもし織姫なら、川の向こうへ渡る為に船を作りたいな。天の川を横断する星の船。ジェットエンジンは会いたい気持だから、どんな急流だってへっちゃらだよ。あとね、ふわふわの雲をいっぱい集めて大きな気球を作るの。空を飛んで川を飛び越えて、いつでも大好きな人に会いに行くんだよ。素敵でしょう?」
「・・・逞しい織姫だな」
「だって・・・私は待ってるだけなんて、嫌だもん」


ポツリと小さく呟いた香穂子がもたれかかるように身体を預け、きゅっと強くしがみ付いてくる。俺の腕に顔を埋める彼女の背に、腕をまわして肩を引寄せると、大きな瞳が振り仰いだ。
潤みを湛えるその瞳は、まるで直ぐ側で輝く星のように。

そう・・・夜空に輝くどんな星よりも煌く、君は俺だけの星・・・。


「ならば俺は、流れ星となって天の川を超えよう。心とこの身を飛ばし、君の元へ会いにゆくから」


じっと見つめながら熱い吐息共に囁くと、俺は輝く星に引寄せられて身を屈め、君も僅かに背伸びをして・・・。求め会う二つの星が、一つになるように唇が重なり合う。



どんなに沢山の短冊があろうとも、共に願うことは唯一つ。


『大好きな人と、ずっと一緒にいられますように』






以前3万打のキリ番を踏んで下さった天音さんのリクエストにお応えして、七夕の創作です。
キリ番UPの順番が逆になりましたが、お約束により七夕までUPを控えておりました。
こちらはリクエストも兼ねて、同じく天音さんが企画運営されている「コルダ的七夕普及活動活動」様にも投稿したものです。企画には他にも素敵な作品が沢山揃っていますので、ぜひ伺ってみて下さいね。
天音さん、素敵なリクエストをありがとうございましたv