星月夜




コンコン・・・と、寝室のドアをノックすると、中から元気良い香穂子の返事が聞こえてくる。飛び付いてきそうな声を聞いただけで、思わず緩んでしまう頬が止められない。ドアを開けて寝室に脚を踏み入れると、シャワー上がりの火照りが静まる、涼しい夜風が身体を通り抜けた。

正面にある大きな窓が開け放たれているから、風の通り道となったのだろう。身を乗り出しながら夜空を仰いでいたパジャマ姿の香穂子が振り返り、俺に気付くと子犬のように真っ直ぐ駆け寄ってくる。待たせてすまない・・・そう緩めた瞳で言う俺に、お帰りなさいと笑顔で振り仰ぎながら両手を差し伸べてきた。持っていた木目のトレイを彼女へ託すと、並ぶ焼き菓子たちを嬉しそうに眺めていた。


扉を閉めると二人肩を並べながら窓辺に向かう。窓際に一つだけ置かれている椅子は、先程まで香穂子が座って外を眺めていたのだろうか。背もたれを壁に向け直したライトオークルの椅子へ、持っていたトレイを彼女が置けば、寝室の窓辺は小さな星空カフェの出来上がりだ。


お茶を用意するために片膝を折って座ると、待ちきれない香穂子も一緒にしゃがみ込み、手元を興味深そうに覗き込んでくる。夜空に輝く星よりも煌く大きな瞳に微笑みかけると、間近で重なる視線が甘さを灯し、どちらともなく綻ぶ頬が温もりを生み出した。

発泡性のミネラルウォーターの瓶を開封すると、二つのシャンパングラスへゆっくり注ぎ込む。グラスの中で揺れる透明な水が星空に煌く中で、溢れる気泡たちが楽しげに踊っていた。白い皿に飾られている、濃いピンク色をした砂糖漬けのバラを一つ取り、グラスへ浮かべれば出来上がりだ。透明な水が見る間にロゼに染まり、浮かぶバラが瑞々しさを取り戻してゆく・・・。気泡に包まれた花びらが柔らかくなった頃、豊かなバラの香りがふわりと広がった。


「水に浮かんだ花がふんわり開いて、とっても素敵・・・・見とれちゃう。本物のロゼワインみたいに綺麗だね」
「本当は今夜のホームパーティーに出そうかと思っていたんだが、香穂子と二人で祝うために取って置いたんだ。香穂子、お疲れ様。ようやく二人きりで落ち着けたな」
「蓮もお疲れ様、楽しい一日だったよね。リビングの片付けとか洗い物とか、いろいろ手伝わせちゃってごめんね」
「いや・・・俺こそすまない。本当は誕生日を迎えた俺が、全てを用意しなくてはいけなかったのに。香穂子のお陰でとても助かった、ありがとう。留学中はただ菓子を配るだけで済ませていたんだが、ヴァイオリにニストとしてプロの活動を始めてからは、それだけは済まなくて困っていたんだ」


目を輝かせている香穂子へバラ色に染まる花のグラスを手渡すと、ほうっと甘い溜息を吐いて水が見せる魔法に魅入っている。夜空へグラスを掲げれば、ピンク色から生まれる雫も、輝く星の粒へと変わった。本当はロゼのシャンパンで乾杯と言いたいけれど、アルコールに弱い君がすぐ寝付いてしまっては困るから、中身はミネラルウォーターで許して欲しい。だけど何物にも染まらない水が、一番花の色を綺麗に映してくれるんだ。


そのままでも食べられる砂糖漬けのバラと、発砲性のミネラルウオーター。どちらもヨーロッパで馴染みのあるこの二つが交われば、特別な日の夜を彩るとっておきの一杯になるんだ。日本にいた時には母や祖母が好んでいたらから自然と覚えたが、香穂子もきっと気に入ってくれるだろうか。俺もグラスを持って立ち上がると、嬉しそうにグラスを眺めながら窓辺に佇む彼女の隣へ肩を並べた。







-------Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag!(誕生日おめでとう)

俺の誕生日だった今夜は音楽事務所や友人、恩師たちが訪れたホームパーティーの会場となり、リビングは賑わいを見せていた。音楽と生活の拠点にするこの国をはじめヨーロッパでは、誕生日を迎えた人が周りをもてしたり、ケーキやワインを用意してパーティーに招く風習がある。あるいは職場や友人達にチョコレートやケーキを振舞ったり、カフェで過ごしたりなど・・・。忘れずに声をかけるのも礼儀なら、祝ってもらうのではなく、自らも周囲に対して動かなくてはいけない。


ドイツ語での「誕生日おめでとう」の言葉には昔から不思議な力があるとされ、当日もしくは翌日以降に多く声をかけられると幸せになれると言われている。当日より前に言うと力が逆に働くそうだから、うっかり間違えると厄介だ。
来客者の為にとトイレに、自分の誕生日を記入する小さなカレンダーを置いてある家もある。この国で暮らすようになり交友関係が広がってきた俺と香穂子も、誕生日を忘れずに声をかけられるようにと、小さな専用の手帳を買い互いに記してある。


留学中は自分の誕生日を極力言わずに黙っていたが、知らせていないのに、なぜかおめでとうと祝いの言葉をかけられる事もある。嬉しいけれどもお返しをしなくてはいけないから、、誕生日というのは思いの他忙しいものだ。結婚をして始めて異国で迎えた俺の誕生日に、香穂子は日本との違いに驚いていたが、皆でお祝いできるのは嬉しいよねとそう言って、料理や飾りつけなど張り切ってパーティーの用意を手伝ってくれた。


リビングの掃除をしながら、落ちていた花びらたちを一枚一枚拾い集めれば、賑やかな光景が蘇ってくる。誕生日おめでとうの言葉と共に訪ねてきた、友人達から手渡された花束のものだ。祝いの贈りもとして皆が代わる代わる楽器を演奏してくれたお礼に、俺と香穂子でヴァイオリンを披露した。

留学中に通っていた音楽大学の仲間たちも、今では俺と同じように世界で活躍する音楽家になっていた。彼らの演奏や、現役を退いた老恩師も特別にヴァイオリンを奏でてくれて・・・だが楽しそうな香穂子が、誰よりも一番生き生きと輝いていた。どんなコンサートホールよりも充実した、素晴らしいサロンコンサートになったと思う。


全てが終わった頃にはすっかり深夜遅くなってしまったが、ようやく元の姿を取り戻したリビングに、祭りの後の寂しさや片付け終わった爽快感など・・・。いつもと変わらない二人だけの空間なのに、夜闇の静けさは様々な感情を呼び起こしてくれる。台風一過ともいえる片付けたちにもめげず、さぁもうひと頑張りだよと元気良く腕まくりをして、洗い物の山が待つキッチンに向かった香穂子。俺の誕生日と言うこの日に、誰よりも感謝を捧げ、もてなさなくてはいけないのは彼女だろう。







ようやく二人だけになったこのひと時が、本当に誕生日を祝う時間の始まりなんだ。
君に出会ったから俺が生まれた・・・自分という存在を大切に思えるようになったから。

日本のように祝ってもらうのではなく、自らが祝う場所を設けて周りをもてなす。
ヨーロッパの誕生日に留学当初は戸惑ったが、今ではこちらの方が自然に馴染んでくる。それは家族や恋人や友人たちといった大切な人や自分自身へ、ありがとうと感謝を述べる日に相応しいからだろう。


「子供の頃はケーキを食べてプレゼントもらったり、誕生日を賑やかにお祝いしていたけれど、大人になってからは誕生日にこだわらなくなるじゃない。それがね、寂しいなぁって思っていたの。でもこの国の人たちは誕生日をとても大切にするんだね。誕生日を迎えた人が皆に振舞うヨーロッパの風習には驚いたけど、たくさんのおめでとうはやっぱり嬉しいよね」
「ヨーロッパの中でもドイツ人は、最も深く誕生日にこだわる民族だと言われているんだ。日本のように喜寿や米寿の祝いはないが、区切りの良い年齢を迎えると盛大に祝う。隣国のオランダやベルギー、フランスなどでも同じようだな。香穂子がヴァイオリンを習っている先生も、先日大きなパーティーを催しただろう?」


少し前の休日に二人揃って出席した誕生パーティーを思い出したのだろう。そう言うとポンと手を叩いた香穂子が身を乗り出し、目を輝かせ興奮気味に語りだす。凄かったね、素敵な演奏ばかりで夢の時間だったよね、人生まだまだこれからだって意気込みを感じたよねと。

確かにあの意気込みは凄かったな。70歳という節目の誕生日に、湖畔にある古城を貸切って行なわれた誕生日パーティーは壮大の一言に尽きたものだった。学長を務める音楽大学の関係者や、交流のある音楽家が世界中から集まり、オペラやオーケストラまで祝いの為に駆けつけたのだから。


普段穏やかな人柄や生活からは、想像付かない派手さに驚いた・・・といったところだろうか。恩師と古くから付き合いのある友人達によれば、年々派手になっていくそうだが・・・ヨーロッパではあまり珍しい光景ではないらしい。やはり文化や風土といった、スケールの大きさの違いなのか。


もしも俺がこのままヨーロッパで生活をしていたら・・・やはり盛大に催さなければいけないのだろうかと、そう考えるだけで頭痛を覚えてしまう。知人や友人をリビングに招く小さなパーティーだけでも大変だったのだから、勘弁して欲しい。大切な記念日は、大切な君と静かに祝いたいと思う・・・これからもずっと。



「じゃぁ改めて・・・蓮、お誕生日おめでとう」
「ありがとう、香穂子。君からのおめでとうが、やはり一番嬉しい」


姿勢を正しコホンと咳払いをした香穂子が、グラスを差し出しながら真っ直ぐ見つめてきた。吸い込まれそうになる光りの泉を受止め見つめ返すと、グラスに浮かぶ花に似た唇から祝福が注がれた。カチンと音を立ててグラスを触れ合わせると、零れた音が夜空に羽ばたき星の煌きに変わる。グラスの中で踊る気泡は俺の喜びや君への想いなのだろう。一口含むロゼの水はミネラルウォーターだから無味な筈なのに、蕩けてしまう心地良い甘さが広がった。


焼き菓子を摘み美味しそうに頬張る香穂子が、もう一枚食べたいなとそう言って皿へ手を伸ばしてきた。だが焼き菓子に触れる直前でしなやかな指先を留めると、きょとんと不思議そうに見つめる大きな瞳。緩めた眼差しを注ぎ、代りに俺が一枚摘んだ焼き菓子を彼女の口元へと運べば、頬を染めて照れながらも小さく口を開けて雛鳥のように食い付いてくれた。



開け放たれた窓の外に広がる静寂を孕む夜の闇は、星達を引きつれ空からゆっくり降りてくる。
一番星、二番星、三番星・・・初めは囁き声だった星の光りも、溢れるほどに凛と澄み渡る夜空へ現れ出し、透明な鈴の音色になるんだ。広い空を仰ぎ星たちの音楽に耳を澄ませれば、穏やかな時の流れに漂い落ち着いているのに、なぜか胸の鼓動が高鳴る。


そうか、覚えのあるこの感覚は、君と音色を重ねた時に似ているんだな。
出会い、輝き、そして互いに照らし導き合う・・・俺と君もこの星の一つだから。


「今夜は星月夜だな」
「星月夜?」
「星の光りが月のように明るく見える夜の事だ。さぁ、窓の外へ広がる夜空に、俺たちの星を一緒に探そう」


春を迎えてだいぶ温かくなったから、窓を開け放ち星を眺めていても、風邪を引く心配がなくなった。とはいえ夜はまだ冷えるから、しっかり俺が温めよう。そっと肩を抱き寄せれば、星たちの囁きのように心へ温もりが灯るのを感じる。ぴくりと肩を揺らし両手でグラスをきゅっと握り締めていたが、次第に力を解いて寄り掛かってくれた。乾燥したバラが水を含んで柔らかくなるように、俺の温もりが君に伝わったのだとそう想いたい。透明な心の水が、君という花色に染まってゆくのを感じる。


「ねぇ蓮・・・」
「どうした? 寒いのか?」
「蓮が抱き締めてくれるから寒くないよ、とっても温かいの。朝はいつもより長くて甘いキスをくれたり、簡単だったけど朝食が用意してあったし。午後のティータイムにはお茶を入れてくれただけじゃなく、リクエストに応えてヴァイオリンを弾いてくれたでしょう? とっても素敵で充実した一日だったなって思うの。でも私が蓮をお祝いしなくちゃいけないのに、甘やかされてばかりだったな・・・ごめんね。私も蓮におめでとうって言葉だけじゃなく、何かしたかったな」
「どうして香穂子が謝るんだ? 誕生日を迎える人がもてなすんだと、そう言っただろう? 俺はもう香穂子からたくさんの物をもらっている。こうして二人揃って誕生日を祝える事が、何より物もの大切な贈り物だ。君と初めて共に迎えられた誕生日なのだから・・・」
「蓮・・・」


君と出合った星奏学院の学内コンクールは春先だったから、すでに俺の誕生日は過ぎていた。まだ知り合ったばかりだったから、誕生日を祝う間柄でもなかったというのもある。その後想いを通わせ、アンサンブルのコンサートなど共に学院生活を共にしたけれど、三月の終業式を終えて俺は留学先へ旅立った。


香穂子の誕生日を祝ったとき、春になったら二人で一緒に俺の誕生日を祝うのだと・・・君も俺も楽しみにしていたのに。想いを通わせ合ってから初めて迎えた誕生日は、海を越えて香穂子から届いたバースデーカードと、電話越しに歌う君のハッピーバースデーの歌声だった。まだ慣れない異国での生活や、会えない寂しさの中でどんなにか心の支えになっただろうか。あの時はそれでも、電話越しに伝わる吐息と確かな存在が温かくて、充分に幸せだったのを覚えている。


留学の数年を終えてプロのヴァイオリニストとなり、香穂子と将来を誓い合って生活を共にした今、心の底から想う。ようやく君と俺の道が交わり、こうして一つの窓から同じ景色を見る事が出来た。側にいるという当たり前のようだけど素敵な奇跡・・・幸せを一緒に感じる事ができる喜びを、日々の生活の中で大切にしたい。

じっとひたむきに見つめる彼女の瞳にも、透明な雫が潤んでいる。きっと互いに耐えて育んだ数年間が蘇っているのだろうか・・・伝わる想いが熱く心を震わせる。反らせぬ瞳から零れた一滴の涙が、手に持つピンクローズの浮かぶグラスへと注がれた。


抱き締めていた手を一度解き、頬を包み込みながら指先で涙の雫を拭う。だが想いが堰を切ってしまったらしく、止まらずに透明な煌きが溢れてくるばかり。どうか泣かないで欲しい、俺はここにいる・・・もう君を離しはしないから。再び腕の中に抱き寄せると、唇や頬などキスを降らしながら何度も囁き、目尻に寄せた唇で甘い雫を吸い取った。


「ごめんね、心配しないで? 悲しいんじゃなくて嬉しいの、幸せでも涙は溢れてくるんだよ」
「そうか、安心した。ゆっくり寛ぐならリビングでも良かったんだが、どうしても香穂子と一緒に星を見たかったんだ」
「星を・・・? 蓮といつも夜空を眺めながら、星の事を教えてもらってるけど、今日が特別な日だから?」


ほうっと甘い吐息が零れる唇や頬が、グラスの中で揺れる砂糖漬けのバラや、ピンク色と同じように染まっていた。バラもそのまま食べることが出来るが、俺は花よりも甘い君が食べたいと思う。不思議そうに小首を傾げる香穂子に微笑みかけると、肩を抱き寄せ星空を振り仰いだ。


「そうだな、俺という星が生まれた日・・・俺たち二人にとって特別な日。この日にちょうどタイミング良く来るのは、まさに奇跡だろうな。今日は流れ星が多く見える日なんだ、早い時間から見えるそうだから、君と一緒に見つけたいと思った。今日は星も多く満月に近いから難しいかも知れないが、きっと見つけられると思う」
「うわ〜流れ星! お星様から蓮への誕生日プレゼントだね。そういえば蓮と結婚式をするために日本へ帰ったときに、二人で籍を入れた日もたくさんの流れ星が来たんだよね。あの時は冬だったから夜空が凛と澄み渡って、輝く星が宝石みたいだったよね」
「夜食まで用意して張り切っていたのに、香穂子は待ちきれずに眠ってしまったんだったな。今回は眠る前に見つけられると良いんだが・・・」
「もう〜思い出すと凄く恥ずかしいから、それは言わないでね。だって後ろから抱き締めてくれた蓮が、とっても温かくて気持ち良かったんだもの。流れ星は見えなかったけど、蓮からお星様をプレゼントしてもらったから幸せだよ」


クスリと小さく笑う俺に、笑わないでと頬を膨らまして拗ねる君が可愛らしい。照れ隠しにグラスを傾け一口飲み干した香穂子は、窓の外に広がる夜空を眺めながら、流れ星見えるかなとはしゃぎだした。

大丈夫、今夜は君を眠らせないから。
そう言ったら声を失うほど頬を赤く染めるだろうから、今は心の中に秘めていよう。


「あっ・・・北斗七星発見!」
「冬の空に輝くのはオリオン座だが、春に輝くのはおとめ座と牛飼い座だ。今ちょうど正面にみえているな」
「牛かい座の一等星がオレンジ色をしたアルクトゥルス。翼の映えた乙女の姿をした乙女座の一等星が、純白の真珠星スピカ・・・でしょう? ふふっ、この前蓮に教えてもらったら覚えたの。でねさっそく見つけちゃった。北斗七星とアルクトゥルス、おとめ座のスピカを繋ぐと・・・ほら、大きなアーチができるんだよ。ヴァイオリンの弓みたいだよね」
「ヴァイオリンの弓か・・・凄いな、香穂子は。星の弓で夜空のヴァイオリンを奏でたら、どんな音色がするだろうか」
「きっとね、お星様みたいに優しくてキラキラした音色だろうな。でも蓮のヴァイオリンには敵わないと思うの」


星を辿った指がアーチを描くと、煌く君の音色が聞こえてきそうだ。またひとつ見つけた新しい発見に心ときめかせているのは君だけで無く俺も同じ。ね?と笑みを浮かべて星空へ延ばされた指は、俺の心にある弦を震わせ、星空に散りばめられたスコアを奏でるんだ。オレンジ色のアルクトゥルス、真珠星のスピカ・・・そう言って一つ一つ星を辿りながら、俺が語った事を一つ一つ思い出してくれている。


「牛かい座のアルクトゥルスと乙女座のスピカ、一際大きく輝くこの二つの星は、春の夫婦星といわれているんだ。俺が生まれた春の夜空に輝く夫婦の星・・・香穂子とこの星を眺めたかったんだ。俺たちも二つの星のように寄り添い、輝きけたらいいな」
「お星様が羨ましがるくらいに、私たちも仲良く輝こうね。どっちが私で蓮の星かな? 純白に透き通るスピカは、綺麗な心を瞳や音色に映す蓮みたいだなって思うの」
「そうだろうか・・・乙女座は女性の星だ。清純な乙女を表す真珠の星は、香穂子にこそ相応しいと俺は思う」
「照れ臭いけど、真っ直ぐな蓮の気持が嬉しいな。ふふっ、乙女座ばかりに構っていると、牛飼いさんの星が寂しくて拗ねちゃうかもだよ。牛飼いさんのオレンジの光りが優しくて、私は好きだな。じっと見つめていると蓮に抱き締められているみたいに、温かくなるんだもの」


ささやかだけれども、こうした触れ合いが嬉しくて幸せだと思わずにいられない。抱いた肩を深く引寄せれば、問いかけに返すように、甘えて擦り寄る小さな重みを感じた。互いに寄り添う温もりを感じながら、星の歌に耳を傾けていると、夜空の一点から生まれた光りが弧を描きながら流れ落ちてゆく。


「あっ・・・流れ星!」
「光ったな・・・」
「空のお星様から、蓮に誕生日の贈り物だね」


息を潜めた一瞬後、ほっと緩めた吐息を絡め合いながら、鼻先が触れ合う近さの瞳で語り合う。お願い事はしたのかと訪れば、笑みを浮かべた唇で静かに首を横に振った。願い事は神様ではなく、自分の力や二人で力を合わせて叶えるのだと。今は俺と二人で流れ星をたくさん見つけたい・・・そう真っ直ぐ告げる瞳が、俺の中で新たに輝く星を生み出した。


「お星様も蓮にプレゼントをしたのなら、最後は私の番だね。パーティーに集まった皆と同じように、私も音楽の贈り物なの。一生懸命練習したんだけど、まだ発音とかあまり上手くないから気にしないでね」
「歌なのか?」
「うん! 誕生日といえばバースデーソングでしょう? 本当はドイツ語が良かったけど歌詞が無いから、フランス語のハッピーバースデーソングを教えてもらったの。メロディーは同じでも国によって歌詞が違うんだね。しかも蓮が作ってくれた、このお花の飲み物にぴったりなんだよ。想いのこもった歌詞がとても素敵だったの」
「それは楽しみだな、聞かせてもらえるだろうか」


にっこりと頬を綻ばせた笑みを浮かべると、手に持ったグラスを俺へ掲げてくる。瞳を閉じ深呼吸を一つしてから聞こえたのは、香穂子の優しい歌声だった。
Happy Birthdayのメロディーに合わせて歌う、たどたどしいけれど、耳にすっと染み込むフランス語の言葉が、温もりとなって広がってゆく。


Bon anniversaire, nos veux les plus sinceres
Que ces quelques fleurs vous apportent le bonheur
Que l'annee entiere vous soit douce et legere 
Et que l'an fini, nous soyons tous reunis
Pour chanter en chelur :"Bon Anniversaire !"



普段聞き慣れない言葉で意味も分からないけれど、香穂子が何を伝えたいのか朧気に意味が伝わってくる。
優しい想いが籠っているのは分かるんだ。泣きたいほどに心が震え、いつしか頬も瞳も緩んでいる自分がいる。
窓の外にいるたくさんの星達も静まり輝きを潜め、今は彼女の歌声に聞き惚れているに違いない。


穏やかな余韻を残して歌が終わり、ゆっくり開かれた大きな瞳に、優しい眼差しをした自分が映っていた。
それが少し照れ臭くもあるけれど、優しい気持に気づかせてくれた君のお陰だから、誇らしい気持にもなるんだ。


「Herzlichen Glueckwunsch zum Geburtstag!」
「香穂子・・・」
「ドイツ語でお誕生日おめでとう! お友達やヴァイオリンを習っている学長先生ご夫妻から、この言葉には幸せになる力があるって聞いたの。だからたくさん声をかけるんだね。私も蓮に、何度でもたくさんおめでとうを言いたいな」
「今とても温かい気持に満ち溢れているんだ、ありがとう。流暢な発音歌えていたと俺は思う。良ければ歌詞の意味を教えてくれないか?」
「意味はね・・・お誕生日おめでとう。この花が、あなたに祝福をもたらしますように。一年間穏やかに過ごせますように。そして一年後の終わりにこうして集い、誕生日おめでとうと歌えますように・・・だよ。ね、ピッタリでしょう? 私の想いをこのグラスに咲くピンクのバラの花に込めて、大好きな蓮に贈るね」


恋色なピンクロゼの発砲水に、絶え間なく生まれる幸せの気泡が楽しげにワルツを踊る。
私にも素敵な贈り物をありがとう、誕生日おめでとう・・・心に温かさが弾ける君の声を乗せて。

微笑む香穂子が花の咲くグラスへしっとり口付けると、一輪の花を捧げるようにグラスを差し出してきた。熱さの宿る瞳を射抜きながら、そっとグラスを受け取り同じ場所へ口付けると、窓辺の椅子に乗せたトレイに置く。
心の底からありがとうの言葉を伝え吐息も甘く溶け合わせて、溢れる愛しさのまま唇を重ねキスを贈った。


最初は触れるだけだったが、次第に溢れる想いは熱さを増し、深まる口付けとなる。舌を絡めながら深く腕の中に閉じ込めて、しがみ付く腕の強さ感じながら、互いの全てが欲しいと呼吸をも奪い合う。
この心に溢れる星の欠片を、唇から君へ届けよう・・・いや、俺の全てで刻むから。




目の前に広がるのは、窓枠を写真のフレームに見立てて広がる一枚の星空写真。
俺たちの生活という大きな船が迷わないようにと導く、夜に煌く星たち。
そして共に心を重ね輝こう。冬を越えてやってきた、温かい春の夜空に輝く夫婦の星のように。