惚れたんだ
「なぁ、香穂子が好きなことって、何? あ、ちなみにヴァイオリン以外で」
「えぇっ、ヴァイオリンじゃ駄目なの!? ん〜どうしよう、答えに困るなぁ」
「俺がボディーボードしたりサイクリングするみたく、香穂子にも趣味とかあるだろ?」
好きなことは?と聞かれた香穂子は、即座に目を輝かせて身を乗り出してくる。満面の笑顔で言いかけた口の形から「ヴァイオリン」という答えが容易に想像できたけれど、あんたがヴァイオリン大好きなのは俺も知ってる。困ったように小首を傾げる仕草も可愛いけれど、そうじゃなくて。まだまだ俺が知らないあんたを教えて欲しいんだ。
俺の中を、もっとあんたでいっぱいにしたい。一人で出来ることには限りがあるけれど、二人で出来ることはたくさんある。心で感じる同じ気持ちを分かち合えば、楽しさも嬉しさも、頑張る気持ちも二倍に膨らむ・・・お互いがもっと近くになる、そう教えてくれたのはあんただから。
「カラオケも行くし、美味しいデザートを食べるのも好きだよ。でも一番好きなのは、お風呂かなぁ。私ね、お風呂に入るのが大好き。可愛い入浴剤を集めたり、バスタブに溶かして使うのも楽しいの」
「風呂・・・か。カラオケやデザートは良いとして、風呂ってのはハードル高いな・・・」
「私の趣味がどうかしたの? お風呂と桐也の難しい顔には、何か関係あるの?」
「あんたは俺の趣味や行きたい所に付き合ってくれるだろ? だから俺もあんたが行きたい場所や、好きなことをもっと知りたいし、一緒に付き合えたらって思ったんだ。その・・・ヴァイオリンを弾いていない時のあんたも、好きだから・・・さ」
「えっと、それって・・・。やだもう〜桐也のエッチ!」
頬を染めながら眉を寄せる衛藤を、不思議そううにきょとんと真っ直ぐ見つめる香穂子は、大きな瞳をぱちくりと数度瞬きさせて。しばらくすると突然ポンと音をたてて弾けたびっくり箱みたく、あっという間に見えない湯気を昇らせ、真っ赤な苺色に染まった。一口食べたらきっと、甘酸っぱくて美味しそうな食べ頃果実のように。
キスもするしベッドの中で身体を重ねる熱い行為も、する。お互いの身体は知っていても、明るい中で無邪気に泡と触れ合う方が、無性にくすぐったくて照れ臭い気がするのは何故だろう。越えるべきハードルが高いほど、この手に求めたくなるんだけどさ。ということは、まだ香穂子には黙っておこうか。
顔に熱を昇らせる衛藤に、一緒にお風呂・・・入るの?と恥ずかしさのあまり泣きそうな瞳が、甘く切なげにふり仰ぐから。何かもっと普通に俺が付き合える趣味とか無かったのかと、心の中で小さく溜息をつきながら、困った顔も可愛いなんて思うのは許して欲しい。
「あぁもう、バスタブに浮かぶ泡と楽しげに遊ぶ香穂子が、頭から離れなくなっちまったじゃん。このまま心と身体に火が付いちまったら、今晩眠れなくならないように、ちゃんと責任取ってくれよな」
「責任って、そんな・・・キスだけじゃ、ないよね? だって桐也が、私の好きなことを聞いたから答えたんだもん。一緒に楽しむことなら、最初からそう言ってくれたら良かったのにっ」
「悪かったよ、ごめん。だから、拗ねないでこっち向いてくれよ。楽しそうだなって、勝手に期待しちまっただけだから」
「・・・イイよ、桐也と一緒にお風呂。お風呂場の電気を消すか、お湯の底が見えないくらい泡とか色のついた入浴剤を使っても良くれるなら。大好きな人と一緒なら、一人で楽しむよりも素敵な時間になる・・・そうでしょ?」
「香穂子?」
「やっぱり、い・・・今の無し。聞かなかったことにして〜! えっと、もう一度考えるから・・・ね?」
照れ臭そうに小さく俯くと、もじもじと前に組んだ両手を弄りながら、私の好きなことだよね・・・そう甘い吐息で囁きながら考えを巡らせている。俺を映す澄んだ瞳に取り込まれ、心も理性も溶かされそうだ。熱く弾けた鼓動だけが身体の中を駆け巡り、耳のすぐ近くで聞こえる。
あんたの一言で浮かれたり、胸がドキドキしたりホッとする・・・そして引き込まれる先は恋の穴。包まれて満たされて、最後に溢れるのは優しく温かい気持ち。振り子のように振り回されて揺れ動きながら、好きな気持ちはどんどん大きくなるんだ。
やがて目の前に両手の平を広げると、心の中で何かを言い聞かせるように語りながら、一本ずつ指を折り始めた。ニコニコ微笑んだかと思えば、突然真っ赤に火を噴いて照れたり。蕩ける眼差しで宙を見つめる瞳には、いったいどんな光景が映っているのだろう。少しばかりのじれったさを感じながら、俺がじっと見つめていることに気付けば、慌てて我に返り更に茹だってしまう。
そんなに照れると、俺まで顔が熱くなるじゃん。香穂子が思い浮かべる景色の中に、俺が絡んでいるのは間違いないな。しかも顔を真っ赤に染めるくらい、照れ臭いヤツなんだ。それでも大切な何かをしっかり掴むように、指折り数えた手の平をしっかり握り締めたら、真っ直ぐな光が灯る眼差しで俺をふり仰ぐ。
「私ね、桐也が好き!」
「・・・っ、突然告白されると、嬉しすぎて照れるだろ。あんたが俺に惚れてるの、知ってる。そうじゃなくて何が好きとか、どんなことをしている時が楽しいとか、あるだろ? 俺だってあんたが・・・好きだ」
「うん! 私ね、何が一番好きかなって考えたら、やっぱり桐也が大好きなの」
「あのなぁ、香穂子。俺が質問した意味、ちゃんと分かって・・・か、香穂子っ!」
ポスンと胸に飛び込む小さな衝撃を受け止めれば、しがみつく柔らかな温もりに変わる。予想もしないタイミングで突然心に飛び込む香穂子は、俺の中を一瞬で満たしてしまうんだ。例えるならば恋色に染める可愛い爆弾。恋はするものじゃなく落ちるというから、ピンク色の落とし穴かもしれないな。驚くことを承知なのか、いつも照れるのに、腕の強さを増して離さない。
洋服越しに触れ合う身体から感じる鼓動の言葉に、じっと耳を澄ませていた香穂子がちょこんとふり仰ぐ。掴んだ二の腕を支えにしながら、つま先立ちの背伸びで届けてくれたのは、優しい春風みたいな柔らかなキス。ふわりと浮かべた笑顔で、気持ちイイ?って聞かれたら、もっとあんたが欲しくなるじゃん。
「ね? 気持ち良くて、楽しい気持ちになったかな?」
「香穂子、イイ香りがする・・・。こうしていると、柔らかくて温かいな」
「私も桐也にぎゅーっとしているから、すごく気持ちいいよ。桐也とヴァイオリン弾いたり、ご飯食べたりおしゃべりしたり・・・一緒にいる時が楽しい。手をぎゅっと繋いだり、温かい腕の中へ優しく抱き締めてもらったり、たくさんキスをするのも大好き。桐也と二人でやることや感じる全部が、大好きなの。」
「あんた・・・ズルイ。どうしてそんなに可愛いの。俺が言おうとしてたこと、全部先に言うんだもんな。また、あんたに惚れちまったじゃん」
「ふふっ、だからね。私が好きなことは、桐也なの。二人ならどんなことも、きっと楽しくなるよね」
じゃぁ楽しいこと、一緒にしよう? そういって後ろ手に組みながら、遊ぼうよと無邪気に誘いかけて。瞳を閉じると少し上を向いて唇を差し出しす・・・無邪気にキスをねだる可愛さに、理性が崩れるのも時間の問題だ。
腕の中へすっぽり収まる身体を、壊さないようにそっと抱き締めながら、身を屈めてすぐ下にある頭の髪へ鼻先を埋めた。花の香りに鼻腔をくすぐられ、大好きなの・・・そう吐息で囁きながらきゅっとしがみつくしなやかな腕に、心も身体も甘い痺れに戒められる。頬も唇も緩めた微笑みのまま、柔らかな唇にキスを重ねれば、ほうっと吐息を零しながら、俺だけに聞こえる内緒話を囁くんだ。
「・・・・っ!」
口元に手を添えながら、小さくつま先立ちで背伸びをする香穂子へ、顔を近づけると悪戯に耳朶を舐める甘い舌。ごめんねと子供みたいな笑顔でふり仰ぐあんたが、ふわりと優しい春風を届けてくれた。桐也とこうしてキスする時が、一番幸せだし大好きなの・・・心で一緒に音楽を奏でようねと。
捕らえ捕らわれ惚れ、キスをするたびに心の中は熱く白く光りを放つ。
生まれ変わるように何度でも、あんたに惚れる・・・恋に落ちるんだ。
ちょっと慌ただしかったり煮詰まると、つい自分だけが努力しているような、狭い気持ちになりがちだった。だけどあんたの頑張る姿を見ていると、俺だけじゃない・・・あんたに負けないように、俺ももっと頑張らなくちゃと思う。何も言わなくても香穂子の存在が、俺にたくさんの力をくれるんだ。
あんたの笑顔を見ると元気になれるし、その笑顔の前で笑っている自分の心が、太陽の光を受けた海みたくキラキラしているのが分かるんだ。例え嫌なことがあっても綺麗に消え去ってしまうくらい、あんたのスマイルは無敵。ちょっと褒めると子供みたくはしゃいだり、からかえば頬の風船を膨らませて拗ねるけれど。そういう素直な所が可愛いし、俺は好きだぜ。
どこに惚れたのかって言われれても、一言じゃ答えられないな。一緒にいると楽しいし、すっげえ落ち着く。カッコつけたいなんて肩に入った力も、いつのまにかどこかに消えていて、俺の全てをさらけ出したくなる。そう思えるのは、香穂子だけ・・・カッコイイところも悪いところも、強さも弱さも、全部知って受け止めてくれるから。ありのままの自分でいられるっていうのかな、ホットするし安心するんだ。
俺だけを見つめるあんたの笑顔が最高に可愛いと感じる瞬間、自然と緩む頬みたく、頬も口元も笑顔を浮かべている自分に気付く。だから・・・きっと俺と同じように、気持ち良いのかなって思ったんだ。ほら、ヴァイオリンの音色が一つに溶け合う瞬間みたく、さ。その気持ちイイ時間を、俺はいつでもあんたと感じていたい。あんたは、どう?