本日の運勢チェック
香穂子と一緒にいるときは、二人の時間と会話を大切にしたいから、お互いになるべく携帯電話を取り出さないように心がけている。それは香穂子も同じように気を遣ってくれていて、よほどの急ぎでない限り、携帯に届いたメールの返信などは時間と場所を改めているようだ。
だが一日の中でたった一度だけ、君が熱心に携帯電話の文面に魅入る時がある。それは毎日昼時になると必ず届く、星占いのメールマガジン。星占いの結果を君と俺の二人分発表するのが、彼女の楽しみであり昼休みの恒例行事になっていた。女性は占いが好きだというが、目を輝かす香穂子も同じようだな。心を捕らえる興味は、総合運と恋愛運、それに小さな幸せを集めるラッキーアイテムなど・・・肝心の勉強や金運はそれほど重要では無いらしい。
昼休みの屋上で待ち合わせをした後に、日当たりの良いベンチで昼食を取り終わると、携帯電話のディスプレイが開かれる。香穂子の表情がくるくる代わり始めると、自然と期待が高まり、一緒に身を乗り出してしまう自分に気付く。俺も占いの結果が待ち遠しいから。占いの結果よりも心が弾む楽しみがあるから。笑顔になったかと思えばしゅんと悲しそうに萎んだり、そうかと思えば桃色に頬を染める、万華鏡のような君の笑顔や弾む心を間近で感じるのが好きなのだと思う。
「蓮くんは4月24日生まれの牡牛座だよね。今日の運勢は・・・と、わっ凄い! ときめき12星座ランキング、本日第一位のラッキーデーだよ。今日は素敵な一日になると思うの、蓮くん良かったね!」
「・・・そうなのか?」
「うん! このときめき星占いは、とても良く当たるって評判なんだよ。今日の牡牛座のあなたは・・・えっと、音楽や美術など芸術活動をすると運勢がアップするみたい。感性がより一層高まるうえに、日頃のストレスも吹き飛ぶって書いてあるよ。ラッキーアイテムは楽譜、ラッキーカラーはスカイブルー・・・屋上にいる私たちにぴったりだね」
「頭上に広がる青空、君と奏でる二重奏の楽譜。心を繋ぎ、音色を重ねる最高のアイテムが揃っているな。今日の練習は、特別に良い成果が得られそうだ」
香穂子の乙女思考や夢を壊さないように、俺と同じ星座の人全員が同じ運勢なのかと、そう問いたい気持は胸の中へしまっておこうか。ヴァイオリンの練習はいつもしているし、自分を磨くのは日々の努力だと俺は思う・・・だが、占いの結果に込められているのは、彼女の優しさだから嬉しく思うんだ。
香穂子が隣にいるだけで心が躍り、弾む気持ちが弦に乗るのは確かだ。温かな音色に包まれ笑顔を見ると、心が透明になるのを感じる。運勢アップという占いは、あながち外れではないだろう。
ほら見て?と、頬を綻ばせながら携帯電話のディスプレイを差し出す君と、覗き込む俺が寄せる頬がぴたりと吸いつき、鼓動が一瞬飛び跳ねた。まるでキスをするように吸い付き触れ合ったまま、熱さを募らせるのは俺の頬か、それとも君の頬なのか。シルクのように滑らかで心地良く温もりを、ずっと手放したくない・・・このままでいたい。
無邪気なスキンシップが生み出す熱と、照れ臭さに耐えるこの動揺が、触れる頬や吐息を通して君に伝わってしまうだろうか。じっと息を潜めながら横目で伺えば、顔を真っ赤に染めながら身を固くする香穂子がいる。微かに触れる吐息はくすぐったく、甘い熱さに焦がされそうだ。大好きな人はいつでも触れていたい、俺の想いを感じ取ってくれたのかと、時には自惚れてしまいたくなる。
「俺の好きな料理を作ってくれたり、疲れていたり体調の悪いときには、俺が気付くよりも早く君の方が、大丈夫かと心配してくれたな。こうして俺の分まで占いを見て、小さな幸せの欠片を一緒に集めてくれる。香穂子の存在が、俺にたくさんの事を教えてくれた・・・君がいてくれるお陰で、俺はこの胸にたくさんの優しさがある事に気付いたんだ」
「私こそ蓮くんに出会って恋をしたから、いろんな心を持てるようになったんだよ。蓮くんの一言で浮かれたり落ち込んだり、ドキドキはらはらしたり、時にはキュンと切ない寂しさに締め付けれることもあるの。恋って不思議だよね、心が揺れ動きながらどんどん大きくなって、私の中が蓮くんで溢れてゆく。感じる全てが音楽になるんだよ」
どんなときもくじけず、ひたむきに頑張る姿を見ていると、俺も頑張らなければと思う。香穂子の存在が、たくさんの力をくれるんだ。今は、とても温かくて幸せだ。例えるならば、紅茶を飲んだ時のようにほっと穏やかな気持だろうか。香穂子に出会わなかったら、こんなにも生き生きした心で過ごすことは無かったと思う。
触れ合わせていた身体を離し、大きく澄んだ瞳の奥を見つめながら真摯に語ると、驚きに見開かれた眼差しがふわりと緩む。私だけが嬉しい気持になるんじゃなくて、蓮くんにも幸せで楽しい気持になって欲しいから・・・そう優しい日だまりに変わった。みんなで幸せになりたい、その心が奏でるヴァイオリンに現れているから、香穂子の音楽は多くの人を惹き付けるし、親しまれるのだろうな。
ベンチの隙間を埋めるように、肩を触れ合わせぴたりと寄り添い座ながら、愛撫をするように互いの髪を絡め合う。もう彼女の携帯電話のディスプレイは閉じられているのに、近付く距離は先程と変わらない。少しずつ小さな重みが寄りかかるのは、心も身体も柔らかさを取り戻し、俺に全てを委ねてくれた証。
再び吸い付く頬から、俺が微笑むのを感じたのだろう。くすくすと零れる、甘い吐息の囀りに視線を向ければ、鼻先が触れ合う近さで瞳が交わり、俺たちを包む太陽の温もりに溶けてゆく。
そうだ、君の星占いの結果は、どうだったのだろう?
いつもは俺が聞く前に、自分の結果も嬉しそうに話してくれるのだが、どことなく元気が無いのは気のせいだろうか。
「香穂子の星座はどんな占い結果だったんだ? 俺にも教えてくれないか。いつもはすぐに、身を乗り出しながら教えてくれるだろう?」
「えっと・・・ね、私はその・・・一番最後だったの。12星座のうち運勢がワーストワンだったなんて、ついてないよね。焦って行動するとミスや怪我に繋がるから、何事にもゆとりを持って動くようにって書いてあるの」
「それは今日に限らず、常に心がけておくべき事だ。日常生活の乱れや気持の焦りは、音楽にも影響する。元気よく駆け回る君の行動力は、良いところでもあるが、急がなくても良い・・・ゆっくりで。もし香穂子に怪我があったらと思うと、心配で胸が潰れそうになる」
「そうだよね・・・気をつけるね、蓮くんごめんなさい」
しゅんと肩を落とし小さく俯く香穂子の表情を、ヴェールのように覆う髪が僅かに隠してしまう。膝の上に置いた赤い携帯電話をきゅっと強く握り締め、必死に耐えながら。でもすぐに俯いた顔を上げて、一瞬の曇り空など無かったかのように、晴れやかな笑顔を浮かべていた。強いな、君は・・・だが、微かに潤む瞳と目元の赤みは隠し切れない心を伝えてくれるから、流れる痛みに胸が締め付けられる。
どうして気付けなかったのだろう。いくら星占いだとはいえ、今日の運勢が悪いと言われたら誰だって気落ちするのに。それでも君は、自分の事よりも俺の幸せを探して喜んでくれたんだ。
「すまない、その・・・責めている訳ではないんだ。良いと思っていても悪い結果になる事もあるし、気を引き締めているからこそ、悪い予想であっても好機に転じる事だってある・・・そうだろう? 結果は自分の力で生み出すものだ」
「ありがとう、蓮くんにそう言ってもらえると嬉しい。頑張ろうって、元気になるの。例え私の星占いの結果が悪くても、蓮くんが一番のラッキーデーになんだよね。大好きな人が笑顔でいてくれるから、私もラッキーデーになるの」
幸せをありがとうと、眩しい笑顔で真っ直ぐ見上げるけれど、同じ言葉を俺から君にも届けよう。大切で誰よりも愛しい君の笑顔がある一日が、俺の幸せなのだと。俺の星占いの結果が悪いと、君は自分の結果がどんなに良くても、寂しそうに肩を落としていたな。占いの結果など気にもとめない俺以上に、自分のことのように親身になってくれる・・・。大切にされているのだなと実感するたびに、甘い痺れが愛しさに変わるんだ。
そうだ、伝えようか・・・どうしようか。朝からタイミングを見計らっていたが、伝えるのは今しかなさそうだな。耳から聞こえる心臓の音を深呼吸で宥めると、ぴったり身体を寄り添わせる香穂子の膝に置かれた手を包み、そっと握り締めた。
「あのっ・・・蓮くん!?」
「香穂子、その・・・今日はずっと君の手を握っていても、良いだろうか?」
「えっと・・・うん、凄く嬉しい。でも、どうして?」
「今日が良い結果だという星占いの俺と一緒にいれば、悪い運勢が半分になると思う。君がいつも、俺の傍にいてくれるように。それにその・・・今朝、テレビのニュースを見ていた時に、俺も星占いを見たんだ。俺がみたものは、香穂子の星座が12星座の中で一番良かった。青空の下で、好きな人と一緒に手を繋ぐと良いらしいから・・・」
「蓮くんもしかして、それで今日は練習室じゃなくて、屋上で練習しようって言ってくれたの? 朝から顔が赤かったから、風邪で具合が悪いのかなと心配したんだよ。だって上の空だったし、何か言いたそうだったし・・・でも違うお熱だったんだね。蓮くん、ありがとう・・・今日は最高の一日だよ」
人の数だけ音楽があるように、星の導きも結果は一つではないんだな。幸せや幸運の形も、人それぞれで違う。俺たちは、俺たちの手で幸せを見つけよう。
心から弾けた熱が全身を駆け巡り、顔へと一気に集まってゆくのを感じる。想像するだけでも照れ臭いが。今の俺は真っ赤に染まった顔をしているのだろうな。素直に認め小さく頷くと、恥ずかしさにいたたまれず、ふいと視線を逸らしてしまった。だが優しく静かな余韻に包まれると、握り締めたままの手に温もりと柔らかさを感じ、慌てて視線を引き戻す。
泣きそうな笑顔を煌めかせる香穂子が、握り締めた俺の手を更に重ね包み、心の在りかを知らせるように強く力を込めてくれていた。はにかみながら緩めた眼差しで微笑めば、じっと見つめる甘い眼差しの強さや光と共に、更に輝いて・・・。
自分だけでなく好きな人の幸せを願い、相手の星占いが真っ先に気になるのは、君だけじゃないんだ。
香穂子の影響だが、君が俺に溶けてゆく良い変化だと、幸せを噛みしめずにはいられない。
音色に導かれた幸せが、俺たちの空へ降り注ぐように、今日は青空の下でヴァイオリンを奏でよう。
君の好きな曲を心を込めて奏でさせて欲しい。そして二人で心と音色を重ねないか。
だがもう少し、このまま君の手を握り締めていても・・・温もりを感じていても、良いだろうか?
これでは君の運勢アップというよりも、俺の幸せ集めだな。星占いの結果がどうあれ、君の手を握っていられる口実があるのは、嬉しいから。