瞳そらした困り顔



店の奥にはボディーボードやウエットスーツが並び、入り口付近にはTシャツなどのウエアー類やビーチサンダル、タオルやキャップといったビーチグッズが並んでいる。衛藤が会計を済ませている間に、香穂子は目を輝かせながらくるくると店の中を動き回り、海色に溢れた一着たちを手に取りながら楽しげに眺めていた。

ここは海岸通りにある、いきつけのサーフショップ。ボディーボードだけじゃなく、波に乗るためのいろいろな道具や海で過ごすためのウエアーとか、他の店ではお目にかかれないサーフグッズが勢揃いなんだぜ。店にはいつでも陽気な店長や仲間達がいるから、新しい海の情報が集まってくるんだ。波乗り仲間たちが集う、クラブハウスみたいなもんかな。
いい店や仲間に出会うと世界が広がる・・・それはヴァイオリンも同じだろ?


「うわ〜! このピンク色のビーチサンダル可愛いなぁ、透明でキラキラした花飾りが付いてる。軽くて履き心地も良いし、買っちゃおうかな。でも、こっちのタオル地のショートパンツと半袖パーカーも捨てがたいんだよね。う〜ん迷っちゃう」
「香穂子、お待たせ。俺の買い物に付き合わせて、悪かったな。あんたの見立てのお陰で、良い物が探せたよ」
「衛藤くんに喜んでもらえて嬉しいな。サーフョップに来るのが初めてだから、私の方がいろいろ楽しんじゃってるかも。ボディーボードだけかと思ったら、タオルやビーチサンダルとか、可愛いものがたくさん揃っているよね」
「ここはレディースものも充実しているからな。古着も豊富だし、けっこう気に入っているんだ。香穂子は、手に持っているビーチサンダルを買うのか?」
「うん! 今度の休みになったら衛藤くんと海へ行く約束をしたでしょ。その時に履きたいなと想って。あ、新しい水着も買おうと思っていたんだよね・・・このお店にもあるのかな? せっかくだから、ビーチサンダルに合わせたものを探さなくちゃ」


ボディーボードをするとき、ウエットスーツの下に水着を着るから一年中店に揃っているぞ・・・と。そう言い終わらないうちに、きょろきょろ店内を見渡していた香穂子が目を輝かせ、めざとく見つけた先へ足取り軽く駆け出してしまう。仕方がないな・・・と小さく溜息つきながらも、待てよと声をかけて足早に追いかけるのはいつものこと。

買い物に付き合わせたのは自分なのに、いつの間にか立場は逆転していて。お互いに選んで見立て合いながら、相手の好きな物を知り、自分の好みや趣味を伝えてゆく。買い物は一人でした方が気楽だけど、二人で出かけるためのものを、あえて一緒に選ぶのって、何か嬉しいよな。俺の中にあんたが増えるたびに、もっと好きになるんだ。


このサーフショップには何度も立ち寄っているけど、色鮮やかな女性の水着売り場はさすがに立ち入った事がない。落ち着かない気恥ずかしさを覚え、少し花照れて待つ衛藤とは対照的に、香穂子は選んだ数着の水着を取り替えひっかえ、鏡に向かって合わせながらご機嫌だ。気分はもう既に、夏の青空の下に広がる青い海と白い砂浜を歩いているのだろう。


「どれが良いかな〜迷っちゃうの。赤も可愛いけどオレンジも夏の太陽っぽくて良いよね。いっそ白とか、大人っぽく大胆に黒でいくとか・・・。ねぇ衛藤くん、どれがいいかな?」
「何で俺に聞くんだよ、香穂子が自分で気に入った物を選べば良いだろ?」
「衛藤くん、離れていたら分かんないと思うの。もうちょっとこっち来ようよ、ね?」
「分かってるよ。いやその・・・こっちにもあんたに似合いそうなのがあったから、つい見てたんだ」
「本当!? ねっねっ、どれかな」
「え、どれって言われても・・・。あぁそれだ、そのオレンジ色のヤツ」


肩越しに振り返り、ぷぅと頬を膨らました香穂子が、少し離れたところにいた衛藤へじれったそうに手招きをする。こっちへ来て一緒に選ぼうよと言っているのが分かるけど、行きたいのに気恥ずかしくて行きにくい・・・そんな葛藤があるのは香穂子に秘密。なるべく表情へ出さないよう頬の筋肉を理性で引き締めて、ぼんやり視界に映していたすぐ傍の水着を、咄嗟に視線で示せば、子犬のように彼女から駆け寄ってきた。

さっそく手に取り服の上に合わせて、似合うかなどうかなとすぐ目の前で愛らしく小首を傾げる・・・それって反則だぜ。

今日の香穂子は惜しげもなく白くしなやかな脚を晒したショートパンツに、身体にぴったりフィットしたTシャツ姿。身を屈める度に背中や臍がちらりと見えるって、あんた気付いてるのか? ひょっとして、俺に見せて誘ってるわけ?
それでも香穂子にはどんな水着が似合うのだろうかと、思い浮かべただけで鼓動が高鳴ってしまうから。熱さを感じる顔を逸らし、なるべく店に飾られた海や波の写真を眺めて気を逸らすのが精一杯だってのに。


「色もデザインも可愛いね、胸元のリボンが素敵だと思うの。私決めたよ、衛藤くんが選んでくれたこの水着にする!」
「おい、あんたそんな簡単に決めていいのかよ。さっきまで散々悩んでたのに」
「だって私も気に入ったんだもの、好きだって言ってもらえるのが嬉しい。大好きな衛藤くんに喜んで欲しいし、私に似合うよって選んでくれたものなら、きっと可愛くなれると思うの。私が買おうとしているビーチサンダルにも、合いそうだよね」


これが気に入ったのだと胸の中に抱き締めながら、へへっと照れてはにかむ笑顔が甘い疼きに変わり背筋を駆け抜ける。熱さに耐えきれずふいと顔を逸らすと、着替えてくるね・・・そう言い残して更衣室へと風のように駆けてゆく。パタパタと忙しないのも、照れ隠しだと分かるから余計に照れ臭くなるんだ。男が服を贈るのには、脱がすことも考えているって意味、確かあったよな。いやでもあれは、似合うぜと意見を述べただけで、それ以上を求める心がある訳じゃ・・・。

必死に心の中で弁解しながらも、無いとはっきり言い切れない正直な恋心と欲に、衛藤の顔へ苦笑が浮かぶ。カーテンが閉ざされた更衣室の中では、今頃香穂子が着替えているのだろう。今かまだかと目の前に香穂子が現れるのを待ちながら、時折振動でカーテンがふわふわ揺れ動くたびに、一緒に反応して身体もぴくりと跳ねるのを、店のオーナーにはしっかり見られていたらしい。



だがカーテンが小さく揺れなくなってもうだいぶ経つのに、動きを潜めた更衣室からは一向に声がかかる気配がない。腕時計を眺めた衛藤の顔にも、何かあったのかと心配そうに眉が寄る。

ひょっとして、この間の休みに香穂子の部屋を訪ねたときに残した、赤い花の跡がまだ残っているとか? それは、恥ずかしい・・・よな。甘い雰囲気のままキスを交わしていたら、そのまま熱いひとときへ移り、身体を重ねることは何度もあった。なるべく服から見えない位置に唇を寄せてはいるけど、水着じゃ隠れない・・・もんな。


「おい香穂子、まだかよ。着替え終わったのか? 何か不都合でもあったのか?」
「着替えは終わったよ、サイズもぴったりだったの。でもね、不都合というか困った事というか・・・」
「訳分かんないよ。じれったいな、おい。開けないならこっちから開けるぞ」
「開けちゃ嫌〜っ、衛藤くんのエッチ!」
「・・・なっ!」


不安は焦りへと代わる衝動のまま、衛藤の手がカーテンを掴めば、開けさせるまいとする香穂子も必死に中から閉ざそうとする。力ずくで開けるのは簡単だが、それじゃぁあんたの心が開かないよな。これ何て言うんだっけ、天の岩戸? 隠れてしまった太陽をどうしたら表に引き出せるのか、心を開けるのか考えるんだ。

カーテンが表から開けられないように、しっかり裏側から閉ざす彼女の手へ、そっと自分の手を重ね包むと、衛藤の手が伝える温もりに堅かった扉が少しずつ開かれてゆく。更衣室のカーテンを小さく開けた香穂子が、身体隠したまま顔だけをひょっこり覗かせて、泣きそうに瞳を潤ませていた。色香を漂わせ、どこか悩み思い詰めたように。


「やっと、あんたに会えた。で、顔だけ? もしかして俺を焦らしてるの」
「あのね・・・胸ちっちゃいから、がっかりしないでね?」
「・・・はぁ? もしかしてそれでずっと、着替え終わっても更衣室のカーテンを開けなかったのか」
「そんなことって言わないで! だって、すごく恥ずかしいんだもん。男の人は胸が大きい女の人が良いのかな・・・嫌いになったらどうしようって、鏡を見てそう想ったら私・・・」
「何で俺があんたを嫌いになるんだよ。ほら早くカーテン開けろよ、香穂子が着替えた姿を見たいんだ。水着を隠していたら、一緒に海に行けないじゃん」
「う、うん・・・じゃぁ、カーテン開けるね。でも、ちょっとだけだよ」


カーテンをそっと押し開いた試着室の狭い個室の中に、先程選んだオレンジ色のビキニを身に纏った香穂子がいた。女性らしいくびれや膨らみを描くシルエットや、浮き出た鎖骨に鼓動が大きく飛び跳ねる。しなやかな手足を惜しげもなく晒した白く柔らかな素肌は生まれたままの姿く、近い何度も唇を這わせた素肌や温もりの感触が、身体の奥底から蘇るようだ。

元気な笑顔と夏の太陽を思わせるビビットなオレンジに大輪の花模様は、肌が白いだけに鮮やかさを増す。前に組んだ手を握り締めながら羞恥に耐える頬は桃色に染まり、唇はきゅっと噛みしめて。本人は小さいと気にしている胸も、程良い膨らみをしていてバランスも整っていると思うのに。手の中へちょうど収まる丸みは形が整い、少し触れただけでも脳を焼き焦がす甘い吐息を零すのに・・・どれだけ魅力的か、あんた自分で分かってないんだな。


綺麗だと、似合っていると言いたいのに、感情の波に攫われて上手く言葉が出てこない。見つめ合ったまま沈黙だけが、緩やかに二人の間を流れ、驚いたように目を見開き立ちすくむ衛藤に、不安な光を宿した香穂子の瞳がじんわり潤みだした。似合わないのかな・・・泣きそうな心を叱咤しながら、精一杯の笑みを浮かべる瞳と頬が、今度は衛藤の呟きに一瞬で空気の色を変えて驚きに変わる。


「やっぱり似合わないのかな、胸ちっちゃくてがっかりしてるんだね。すごく気に入ったけど、これ・・・辞めるね」
「・・・いいじゃん」
「へ!?」
「似合うって言ってんだよ。さすが俺の見立ては完璧じゃん、綺麗で見とれちまった」
「衛藤くん、それ本当? がっかりしてない?」
「だから何でがっかりするんだよ。小さいとか大きいとか俺は気にしないって、前にも言っただろ。あんたはあんただ、全部好きってこと。お互い身体の隅から隅まで知り尽くしてるんだから、今更だろ。もういちどじっくり語ってやろうか、あんたの部屋で」
「やっ、もう〜恥ずかしいこと言わないで。困らせて楽しんでるでしょ?」


耳や首筋まで真っ赤に湯立つ香穂子が、ぷいと顔を背ける拗ねた可愛らしさに、打ちのめされそうになる。あんただって、俺を困らせているんだぜ。熱さに顔を逸らしてしまいたい照れ臭さと、すぐにでも腕の中へ抱き寄せたい衝動がせめぎ合うから、必死で押さえる葛藤が苦しくて仕方がないんだ。

だけど耳を掠めた聞こえた甘い囁きに逸らした顔を戻せば、卵を温めるように心を包むはにかんだ微笑みが俺に降り注ぎ、火照りを冷まし優い気持ちにしてくれる。


「衛藤くん、ありがとう・・・」
「香穂子・・・」
「衛藤くんが私を好きになってくれる・・・好きだって伝えてくれるとね、自分が大好きになれるの。ふふっ、不思議だよね。さっきは取り乱してごめんね、私選んでくれたこの水着を買うよ。早く海に行きたいな〜」
「・・・やっぱり、海水浴じゃなくてボディーボードしないか? その上に着るウエットスーツも、俺が見立ててやるよ」
「ちょっと待って衛藤くん。ボディーボードもやってみたいって前に言ったけど、もしかして私の水着姿は一目に晒せないって・・・事?」
「何一人で勘違いして、落ち込んでんだよ。違う、もったいなくて他の誰にも見せたくないんだ。ウエットスーツの内側は俺だけが知っていればいいだろ。二人っきりならいいぜ」


開いた更衣室のカーテンを表から見えないように閉ざし、今度は自分が中へ顔だけを覗かせる。独占欲強いんだねと頬を染める香穂子に、どう言ったものか困り果てた衛藤がふいと顔を逸らしたまま、指先を胸の谷間に向けてきた。笑顔が真っ赤に染まるまであと僅か・・・心で鼓動をカウントダウン。困った衛藤くんも可愛いと、あとどれくらい無邪気に喜んでいられるだろう。


「あっ・・・これって・・・! やっ、衛藤くん見ちゃ駄目っ」
「隠したいのは、そういうわけ。かといって、夏の間ずっと我慢は出来ないし」
「恥ずかしいよね、見せられない理由が分かったよ。でも、これじゃぁ海で泳げないよ。ボディーボードもやりたいけど、夏だからプールとか海水浴にも行きたいもん。もう〜、跡つけちゃ駄目って言ったのに〜」
「・・・とにかく、早く着替えて出てこいよ」


水着から覗く白い膨らみにあったのは、数日前に抱き締め柔肌に咲かせた、薄く残る赤い小さな花。ポンと火を噴き出した香穂子が慌てて胸元を押さえれば、熱さが移った衛藤の顔も赤く染まってゆく。照れ隠しに少しだけ手短に伝えると、覗いた顔を戻し後ろ手にカーテンを閉めて大きく深呼吸。

俺を惚れさせたんだから、覚悟しなよ。
いや・・・覚悟するのは、あんたに惚れた俺の方かも知れないな。


夏・・・心を恋も身体も、全てを焦がし熱さが増す。