日だまりの猫のように



12月に入るとクリスマスを待ち望み、準備をするアドヴェントの期間に入る。市庁舎や教会前の広場など、街のあちらこちらで賑やかなクリスマス市が開かれていた。リースやガーランドなど針葉樹の装飾が施され、黄昏時になればイルミネーションも灯される。日本のイルミネーションのように青や赤など派手さは無いが、小さな電球を繋ぎ、オレンジ色がおぼろげに照らす素朴なものだ。

だが不思議と心地良くて明るく感じる・・・君と手を繋いだときに、じんわりと温もりが広がるように。

それは灰色の雲に覆われ重くのし掛かる暗いドイツの冬を、楽しもうとする人々の心が光となったもの。心の温かさが光と共に伝わるから、キャンドルのような安らぎを覚えるのだろう。今はまだ午後も早い時間なのに、既に空は黄昏色に染まりかけている。薄明かりの中でポツポツ灯りかけた電球は、何となくぼやけた感じがするが、日が落ちれば次第に鮮やかさを増して輝くに違いない。


街路樹から散った落ち葉が石畳を彩り、その上にうっすらと積もる雪が、柔らかな白い絨毯となって染め上げていた。石造りの建物や整然と並ぶ石畳が冬の空に溶けこみ、寒さを余計に際だたせているように思う。クリスマス市の周りは華やかなのだが、少し離れた街中や駅前などは、飾りやイルミネーションはあるのにどことなく寂しげだ。

目に映る景色が色褪せて見えるのは、香穂子が隣にいないからだと分かっていた。
彼女と一緒に歩いた懐かしい日本の街並みや、過ごした温かな時間を思い出し重ねてしまうから。


『蓮くん、見てみて! 道の隅っこに、ひなたぼっこしている猫がいるよ。温かそうだね』


日本にいるはずの香穂子はここにいないのに、脳裏に響く声がする・・・記憶の中もものではなく確かなもので。
視線を向ければ石畳の隅に、小さな日だまりを見つけた猫が心地良さそうに丸くなり、暖をとっていた。コートの襟を立て、マフラーに顔を埋めながら急ぐ人々が、小さな日だまりを羨ましそうに振り返ってゆく。寒がりの猫は忙しなく沈む冬の太陽の恵みを、めざとく見つけるのが上手い。彼らのいる場所は俺たちにとっても、心地良い場所である事に代わりはないから。俺にも少し、日だまりを分けてもらえるだろうか?


艶やかな黒い毛をした猫へ静かに歩み寄り、膝を折ってしゃがんだが動じることもなく、一度目を開いて俺を見たがそのまま顔を逸らしてしまった。ならば俺もここにいさせてくれるという、了承の合図だと思うことにしよう。
驚かせないように気を配りながらそっと頭を撫でると、太陽が染み込んだ柔らかい毛並みから、手の平へ温もりが伝わってくる。俺に降り注ぐ小さな日だまりが、やがて頭の先から凍った心と身体が解き解れてゆくようだ。

ありがとう・・・そう心の中で伝えた日だまりの中の彼は、一人なのだろうか?
何を思いながらまどろんでいるのだろう、通りの騒がしさを気にすることも無く、自分の世界に浸りながら。




冬の寒さの中で出会う温かな日差しは、君からメールや手紙が来たり、ふいに電話で声が聞けたときのように愛しさを覚えてしまう。そういえば以前読んだ本の中で、冬の太陽を愛日をいうのだと書いてあった。
愛すべき日・・・太陽、まさに俺にとっての香穂子だと思わずにいられない。


どこへ行っても何を見ても、香穂子を想ってしまう。この道を一緒に歩けたらと、季節が移り変わる度に想いを馳せて。見せたい景色を写真に納めながら、悪戯な君がひょっこりファインダーを覗き込むような気がしたり。
甘い物が好きだから、この店のケーキはきっと気に入りそうだ・・・など。


それだけでなく、何か足りない物がある気がする。やはり24日から飾り始める、クリスマスツリーが無いからだろうか・・・。そう街を見渡しながら考えを巡らせていると、心の中にいる香穂子が楽しげな笑顔を浮かべた。ふいに頬が緩んでしまうのは、昨夜に電話をくれた君との会話が、再生ボタンを押したように蘇ってきたからだ。
クリスマスプレゼントに何か欲しい物はあるかと、彼女の希望を訪ねた所で返ってきたのは、予想もしていない答えだった。


『蓮くん。私ね、クリスマスツリーになりたいの』
「は? クリスマスツリー?」
『うん! ピカピカで温かそうでしょう?』
「・・・・・・そう、だな」


受話器越しに感じる弾む吐息から、満面の笑顔で頬を綻ばせているのがわかる。君は変わっているなと思った事は、正直一度や二度ではないが、いったいどうやってクリスマスツリーになるのだろう?
どちらかといえばサンタクロースの方が、彼女らしいと思うのだが。まぁ俺の希望は脇へ避けておこうか。
同意を求められても、あぁ・・・と曖昧な返事しか返せなかった自分がもどかしい。


『秋になると葉の色が染まる樹は、裸ん坊になって寒そうでしょう? でも松とかもみの木とかは、寒い冬の間でも濃い緑の葉をずっと付けたままなんだよ。ふさふさしてて、温かそうだなって思うの』
「永遠の緑か・・・クリスマスにもみの木が使われるのも、そうした自然に対する憧れがあるらしい。失われない緑は生命力の源とされ、ヨーロッパでは不思議な力があると信じられている」
『蓮くん、凄いのはそれだけじゃないんだよ。雪の重さにも耐えられるし、冬は凍らないように寒さから身を守ることができる。いつでも緑だから、一番に春を感じられるの。まだ他の樹が眠っている時に、光合成して新しい命を生み出せるんだって。寒いときにも耐えて生きてゆける・・・周りに希望を与えながら。私もクリスマスツリーのもみの木みたいになりたい・・・蓮くんが傍にいない寒さに負けないように、真っ先に春を感じられるようにって』
「香穂子・・・・・」


なるほど、だからクリスマスツリーになりたかったんだな。クリスマスツリーに使う、もみの木のように強くしなやかにと。君の発想は一体どこから来るのだろうかと、時には頭を悩ませいつも不思議に思いながらも、惹かれずにいられなくて。無邪気な君はいつしか俺の扉を開き、少しずつ世界を広げてくれた。

最初は楽しげに語っていたものの、途中で何度も声を詰まらせ、微かに鼻をすする音が漏れ聞こえてきた。俺にそれを伝えないようにと気を使い、辛いときこそ一生懸命笑顔でいようとするひたむきさが、胸を熱く沸き上がらせた。衝動のままに抱き寄せたいのに、目の前に君がいないのがどれほど辛かったか。君の身体を抱き締めるように想いを込めて、伝わる鼓動や気配ごと受話器を握り締めた。


滅多に弱音を吐かない香穂子が伝えた寂しさが、切ないほどに俺を締め付けた。
君に会いたい・・・声が聞きたい、ヴァイオリンを聞きたいと。冷たさと寒さで、心まで砕けそうになる事は何度もあった。俺も、君の隣に寄り添うもみの木になりたい・・・そう思う。受話器の向こうで、涙を堪えているだろう香穂子の頬を見えない手で包み、そっと雫を拭いながら微笑みかければ、くすりと零れた甘い吐息が耳をくすぐった。



「・・・・・・っ」


だが恵みの太陽も長続きはしないものだ。あっという間に日陰に覆われてしまい、温かさを払う強い北風が吹き抜け頬を切り裂くように嬲ってゆく。丸くなっていた黒猫がゆったりと身体を起こし、人混みの中へ消えてゆくのを、思わず背けた視界の端で捕らえていた。落ち葉が風に舞い上がり、かさかさと鳴る音が響く頃には猫の姿も無く、俺を束の間の夢から引き戻し現実を見せる。そうだ・・・俺は、香穂子へ贈る綺麗なクリスマスカードを求めて、街やクリスマス市を散策していたのでは無かったか?


前を向かなくては、君に向き合うのに恥ずかしくないような自分でいたい。一人でも生きてゆける・・・そう思っていた俺に、二人で歩む幸せを教えてくれた君と、微睡みの中ではなく、確かなものとして消えない日だまりを手に入れるために。


君に会いたくて面影を探し、繋がる物を求めて彷徨うように、俺も君という日だまりを求める猫だったんだ。だからどことなく親近感を覚えて近寄り、こうして膝を折っていたんだろう。雲間から差し込む太陽は、遠く海を離れた君が俺を照らし包んでくれる想い・・・だから束の間であっても幸せに満ち溢れているのだと思う。


日だまりの中で目を閉じ、浮かぶのは花のように綻んだ君の笑顔。
真っ直ぐな光を集めて輝く、大きな瞳。
照れてほんのり紅潮した頬や、柔らかく甘い唇。
素直で優しい心をそのまま現した、ヴァイオリンの音色が俺を包む。
俺を熱くする、たった一人の愛しい存在。


香穂子を想いながらヴァイオリンを奏でているときに、見えない音色が重なるのは。
君を想いながら街を歩いているときに、心から飛び出した笑顔の君が、俺の前で楽しげに駆け回るのは・・・。
俺が海の向こうに呼びかけているように、君も同じように俺を想っていてくれるからだろう・・・日だまりに包まれながら。俺の日だまりも君へ届いていると、信じている。



あの猫はきっと新たな日だまりを求めて彷徨うのだろう。俺も行かなくてはと立ち上がれば、嬉しそうにはしゃぐ君の幻が軽やかに駆けだしてゆく。くるりと肩越しに振り返り、早くと手招く君に微笑み、背を追うように歩き出した。

香穂子へ贈る今年のクリスマスカードは、君が望んだ緑色に茂るクリスマスツリーの絵にしよう。

彼女の強い願いと祈り、諦めない強さと希望。その姿と輝きは、俺に力と安らぎをくれる・・・。
不思議な力を秘める、失われない永遠の生命の象徴であるもみの木に、君は相応しいと思うし俺もそうありたいと思うから。

駅に近い街中には気に入ったのが無かったから、クリスマス市に脚を運んでみようか。きっと良い物が見つかると思う。彼女が気に入りそうな小物やキャンドルがあったら、いくつか見繕っておこう。写真や贈り物と一緒に添えるのも、良いかも知れないな。受け取った君の笑顔を思い浮かべながら、浮き立つ俺の気持ちごと箱の中へ閉じ込めて。


クリスマスは誰にでもやってくるのだろう? 今は海を越えて互いに一人でいる、俺と君にも。離れていても、心の距離はいくらでも縮める事ができると、教えてくれたのも君だから。素直な気持ちで接するとき、きっと奇跡は起きる・・・満ち足りた優しい時間を過ごせるように。
君への感謝と愛しさと、そして俺の願いが形になるようにと願いを込めよう。

Frohe Whihnachten.
カードに添えて贈るのは、ドイツ語でのメリークリスマス。
君だけに注ぐ想いを、日だまりと優しく包む月明かりに乗せて、遠く海の向こうから守り抱き締めるから。