Happy Birthday Cake



ベッドの枕元に置いた携帯電話が、朝の目覚めを知らせるアラームで呼びかけてきた。まだ眠りに霞む意識の中、無意識に手を伸ばし携帯を掴み取ると、力なく毛布の中に引きずり込み、開いたディスプレイをぼんやり眺める。示す時間は目覚ましを設定した朝の7時よりも少し前、鳴りやまないアラームを不思議に思いつつ電源を切りかければ、やがてそれが目覚ましではなく、日本にいる香穂子からの電話・・・モーニングコールだと気が付いた。


いつもは目覚めの時間に合わせて俺の携帯へメールを送るのに、今日は電話なんだな。朝一番で香穂子の声を久しぶりに聞ける嬉しさに、眠気は一瞬にして吹き飛び、毛布を跳ね退けるように身体を起こした。目覚ましと勘違いして、電話を切らずに良かったと心の底から安堵の吐息を零しつつ、待ちきれない想いに急かされ通話ボタンを押した携帯電話を耳に当てる。さぁ、喜びに弾け飛びそうな心のカプセルを、深呼吸で鎮めよう。


「もしもし、香穂子か。久しぶりだな」
『Guter Morgen! 蓮くん、おはよう! ウイーンはまだ朝早いでしょう、こんな時間から電話してごめんね。まだ声が少し擦れているけど、もしかして寝ていた所を起こしちゃったかな。今話しても平気?』
「あぁ、構わない。ちょうど起きようと思っていたところなんだ。香穂子の声で目覚められるのは嬉しい。いつも寝起きはあまり良い方では無いが、お陰で今日はとても爽やかだ」
『そう言ってもらえて良かった。今朝はどうしてもメールじゃなくて、直接声を聞きたかったの。だって今日は蓮くんの誕生日でしょう? 留学中だから離れているけど、初めて二人でお祝いする記念の日だよ。蓮くん、お誕生日おめでとう!』
「誕生日・・・そうか、4月24日だったな。ウイーンに来てから毎日が慌ただしく過ぎてしまい、日付の感覚さえも忘れかけていた。君からの気持が、俺にとっては最高の贈り物だ。ありがとう、今日は良い一日になりそうだ」


窓辺に降り立つ小鳥が囀りで朝を知らせように、電話越しに感じる香穂子の吐息と温もりが、高鳴る鼓動の扉を叩くんだ。どうしても朝一番にお祝いがしたくて電話したのだと、悪戯が成功した子供みたく無邪気にはしゃぐ君の笑顔が、遠い距離と空間を飛び越え目の前にふわりと浮かび上がる。


『ウイーンと日本で離れているけれど、蓮くんの誕生日は私にとっても大切な日だもの。二人の記念日は大切にしたいから、一緒にお祝いするんだって決めてたの。これから蓮くんの誕生日を祝う、二人パーティーをしようと思うんだけど良いかな?』
「誕生日祝い? だが、どうやって?」
『ねぇ蓮くん、今からパソコンつけられるかな。パソコンのメールへさっき、写真付きのメールを送ったからメールをチェックして欲しいの』
「香穂子からのメールだな、少し待っていてくれ。今、パソコンのメールを立ち上げるから」
「うん!」


待ちきれずにそわそわと肩を揺らす気配が、心の弦を弾ませ足取りが自然と軽くなる。少しだけ彼女を待たせている間に、窓際の机に駆け寄りノートパソコンの電源を立ち上げた。椅子に座りながら起動をを待つと、受信メールをチェックすると確かに香穂子からのメールが届いていて、そのタイトルは「幸せ配達便」。誕生日プレゼントのリボンを解く時のように、嬉しさと楽しさが混ざり合う鼓動が、早くメールを開こうと俺に呼びかけてくる。

俺がどんな反応をするか楽しみな君と同じく、俺も楽しみだ。幸せ配達便ですとタイトルにあるように、一体どんな幸せを俺に何を届けてくれたのだろう。メールを開くと、 Hppy Birthday蓮くんと書かれた祝福の本文。そしてパソコンのディスプレイいっぱいに映し出されたのは、赤く大きな苺が飾られた白い生クリームのホールケーキだった。


火が灯るキャンドルに照らされたチョコメッセージには、Hppy Birthday蓮くんの手書き文字と、赤いベリーのソースで描かれたハートマーク。見た瞬間一目で俺のバースデーケーキだと分かり、押し寄せる熱い波に飲み込まれ、驚きと嬉しさに言葉を紡ぐことも忘れ、ただじっと写真のケーキを見つめていた。生クリームのデコレーションやスポンジが、少しだけ不器用なのは、香穂子が心を込めて作ってくれた手作りの証。

本当ならば、恋人同士になってから初めて二人で祝う誕生日になったはずだった。だが星奏学院の二学年を終えて旅立ったこの春からは、ウイーンに留学した俺と日本に残る君が、二つの国でそれぞれ歩む新たな一歩の始まり。香穂子の誕生日はかろうじて旅立つ前に祝うことが出来たが、もうしばらくは君と自分の誕生日を祝うこともないだろうと・・・そう思っていた。


だから、あえて忙しさのせいにして、日常に埋めてしまおうかと思っていたのに・・・確かに幸せ宅配便だな。香穂子はちゃんと覚えていてくれて、例え離れていても一緒に祝ってくれている。大切な人に存在する事の出来た記念の日、今日という日にこれほど感謝したことは今までにあっただろうか。大切に想われる気持を真っ直ぐに受け止めから、初めて自分の大切さに気付く。泣きたいほど胸が震えるこの想いを、きっと感動というのだろう。


「届いていたぞ、この写真は・・・まさか俺のためのバースデーケーキ、なのか?」
『ピンポン、大正解! 実はさっき完成したばかりの、出来たてほやほやなだよ。今日は土曜日で学校が休みだったから、朝から張り切って作っちゃった。本当は一緒にお祝いしてキャンドルを吹き消してもらった後に、食べてもらいたかったけど・・・。さすがにケーキは航空便で贈れないから、せめてメールの写真だけでもと思って。本物じゃなくて、ごめんね』
「ありがとう、香穂子。直接味わえないのが残念だが、眺めているだけでお腹も心もいっぱいだ」
『ふふっ、じゃぁこれからキャンドルに火を付けるね。私が歌を歌うから、合図をしたらメールの写真に向かってふーっと吹き消してね』


ふぅっと・・・そう愛らしく唇をすぼめる笑顔が浮かび、携帯電話越しに届いた甘い吐息が耳朶を熱くくすぐる。顔を熱く火照らせている自分を、香穂子に見られなくて良かったなと思うが、照れた一瞬の動揺は伝わってしまっただろうか。

しかしウイーンと日本、離れた二つの国を結ぶ国際電話をしながら、どうやって君の手元にあるケーキのキャンドルを吹き消せば良いのだろう。不思議に思って訪ねると、電話をしている香穂子の前にその手作りケーキがあるから、俺が写真に向かって火を吹き消すのと同時に、彼女が変わりに火を吹き消してくれるそうだ。なるほど、敏感な携帯電話は吐息の音をも拾い君に届け、こちらの様子や気配を伝えてくれるんだな。


二人の共同作業だよねと、嬉しそうに張り切る香穂子は、あっと何かを思いだしたらしく、急にごにょごにょと恥ずかしそうに口籠もってしまう。一体どうしたんだ? 心配になって優しく問いかける俺に、上目遣いでそっと見上げる君が、頬を真っ赤に染めながら瞳を潤ませていた。全ての神経を耳に集中して気配や吐息を感じていると、愛しい幻がすぐ目の前にふわりと浮かび上がってくる。


『あの・・・そのね。二人の共同作業をするケーキって、何だか結婚式みたいだよね。ふと思いついたら、急に恥ずかしくなっちゃったの』
『そ、そうだったのか。改めてそう言われると、照れ臭いな。ここには俺一人しかいないが、香穂子の温もりを電話越しに感じているから、すぐ隣にいるような幸せに包まれている。心の距離はいつでも近くにあるのだと、感じられて嬉しい』


どんなときも信じてくれる、君の中に俺がいる・・・真っ直ぐで温かな想いは、俺の中で大きな力に変わるんだ。材料を買い揃えたり、味付けや仕上がり具合を気にしながら熱心に料理する姿が浮かび、心の底から熱くなる。カレンダーを眺めながら、君の誕生日が近付くのを日々楽しみにしていたように、香穂子もこの日に想いを馳せながら手帳を眺めていたのだろうか・・・俺のために。


沸き上がる想いを全て形にしたいのに、上手く言葉に紡げないのがもどかしい。小さな箱へぎゅっと閉じ込めた想いにリボンをかけて、大切に君へ贈ろう・・・ありがとう、と。自然に浮かぶ微笑ごと届ければ、携帯越しに伝わる君の吐息が幸せな桃色に染まり、電話越しに二つの吐息が一つに溶け合う。

これから蓮くんの為にに歌を歌うね、そう言ってすっと大きく息を吸い込んだ香穂子が、優しく静かな声音で歌い出したのは、 Hppy Birthday to youから始まるバースデーソング。瞳を閉じて耳を澄ませば、奏でるヴァイオリンと同じく、温かさに満ちた音色が身体中にふわりと広がり、ずっと一人で耐えてきた辛さも寂しさも、透き通る光に包んでくれる。


歌声が終わり優しい余韻が部屋を満たすと、おめでとうの祝福共に拍手の音が聞こえてきた。パソコンに映る写真のケーキ越しに、君も向かい合っているんだな。火を吹き消してねと合図をもらったから、ディスプレイに顔を近づけ、揺れる灯火をそっと吹き消そう。香穂子にも聞こえるように、少し強めに吐息を吹きかけると、受話器越しにキャンドルが消えたとはしゃぐ楽しげな声が聞こえた。

『火を消し終わったケーキは、ナイフでカットしてお皿に盛りつけるの。でも・・・今日はここまでだよね。一緒に食べようねって言いたいところだけど、電話じゃここまでが精一杯だもの。後で蓮くんの分まで、私が食べるね』
『写真ではずいぶん大きなホールケーキに見えるが、香穂子が一人で食べるのか? いや・・・その、君は甘い物が好きだったな』
『うん、甘いものは大好きだよ。ケーキだけじゃなくて、蓮くんのキスもぎゅっと抱きしめてくれる温もりも大好き。大きく見えるけどね、実際は直径が10pくらいの小さなものなんだよ。本当は大きなケーキ作りたかったけど、一人でも食べきれるようにって・・・実は最初から、そこまで考えていたの。だから、キャンドルが年の数だけ飾り切れなくて、ごめんね・・・』
『香穂子・・・』


一人で食べるのだと明るく告げた後に、香穂子は声を詰まらせてしまった。震える沈黙は唇を強く噛みしめ、嗚咽を堪える気配や、微かに鼻をすする音を伝えてくる。俺と一緒に食べるために・・・誕生日を祝うために作ってくれたケーキなんだ。

二人で食べるからこそ楽しいし、笑顔が美味しさの調味料となると、君が教えてくれた。一人で食べる食事が味気ないものだと俺は知っているから、この電話を切った後、香穂子がたった一人で食べるのかと思うだけで、痛いほど締め付けられ胸が潰れてしまいそうだ。


抱えた寂しさと切なさに耐えながら、たった一人・・・君は何を想いケーキを食べるのだろう。息も出来ないこの痛みは、香穂子に会いたい・・・強く抱きしめたいと願う俺の心。そして心配をかけないように、どんな時も笑顔で強く信じてくれる君が、奥底に隠す本当の心。会いたい、寂しいと震えながら涙を瞳に溜め、自分で自分を強く抱きしめる指先の強さが、俺の痛みとなって伝わるから。


すぐにでも抱きしめてやれない距離のもどかしさに、拳を強く握り締めるしかできない。
だが見えない心の手は奏でる音色のように、時間や距離を超えて君を抱きしめることが出来るから。かじかんだ手の平をそっと吐息で温めるように、緩めた瞳と微笑みで語りかけた。

パソコンのモニターに映るケーキの写真へ、愛しい頬に触れるようにそっと指先を伸ばし、電話の向こうで固く閉ざす気配、窓の外に広がるウイーンの朝日を届けよう。

「香穂子、君が俺のために作ってくれたバースデーケーキを、食べても良いだろうか? 君と一緒に食べたいんだ。一緒に誕生日を祝いたいのは、俺も同じ気持ちだから」
『もちろん蓮くんに食べてもらえたら嬉しいけど、でもどうやって?』
「さきほど香穂子が、俺の代わりにケーキのキャンドルを吹き消してくれただろう? 俺の代わりに食べてくれる間、贈ってくれた写真を眺めながら、紅茶でも飲もうと思う。その・・・一緒にいさせて欲しい、君を一人にさせたくないんだ」
『・・・っ蓮くん、ありがとう。お誕生日をお祝いするのは私なのに、逆に蓮くんから素敵な贈り物をもらっちゃったね』


くすんと鼻をすすりながらも、雨上がりの晴れやかな笑顔で微笑む声が、耳から伝わる優しい波動となって俺を温めてくれる。香穂子に笑顔が戻って良かった、電話越しでも君の笑顔は見えるんだ。君が笑顔でいてくれることが、俺にとって一番最高のプレゼントだから。


『ねぇ蓮くん、私いいこと思いついたの。蓮くんにもケーキを食べてもらえる方法だよ、電話越しでも二人でバースデーパーティーをするの。今デジカメを用意するから、カットしたケーキの写真をこれからパソコンのメールに送るね。それから紅茶も用意しなくちゃ! 一度電話を切るね、メールを送ったらまたすぐに電話するから!』
「あぁ分かった、香穂子からのメールを楽しみにしている。ケーキを切るときに刃物を使うんだろう? 慌てて手を怪我しないように、くれぐれも気をつけてくれ」


はーい!と元気よく返事を返すと電話がぷつりと途切れ、再び静寂が訪れた。通話ボタンを切って携帯電話のディスプレイを閉じれば、香穂子が残してくれた想いの在りかを教えてくれるように、熱を宿している。両肘を机に支ながら手の平に包み込んだ携帯を額に当てて、耳に閉じ込めた声の余韻を思い出す余韻も、幸せなひとときだ。


電話を切った今頃は、ぱたぱたと忙しなく家中を走り回っているのだろうな。次に電話をしてくるときは、弾ける笑顔と共に息を切らせているのかも知れない。そうだ、君が作ってくれたバースデーケーキをメール越しに味わうべく、俺も紅茶を用意しよう。

ディスプレイに映し出された手作りケーキの写真に微笑みかけ、椅子から立ち上がるとキッチンに向かい、用意したマグカップに紅茶のティバッグを淹れてお湯を注ぐ。ティーポットとカップで優雅に紅茶を入れたいところだが、今は一人暮らしだし朝だからこれで乾杯を許して欲しい。透明な湯気を昇らせる紅茶の香りを楽しみながら部屋に戻ると、さっそく香穂子から写真付きのメールがパソコンに届いていた。


「メールのタイトルは・・・召し上がれ、か。今度はどんな写真を送ってきたんだ?」


幸せ宅配便に続き、香穂子がパソコンに送ってきたメールのタイトルは「召し上がれv」。語尾にはハートマークが飾られている所に、否が応でも期待が高まってしまうんだ。添付ファイルを開けば、一枚目にカットされたケーキの写真。白い皿には赤いベリーのソースで描かれた、「れんvかほこ」と赤いハートで繋がれた二人の名前に、思わず緩む頬が止められない。

カットしたスポンジの中にも、彼女が大好きな苺がたっぷり詰まっており、ベリーのソースで描かれた二人の名前は、たっぷり愛情込めて混ぜ合わせてから、ケーキに絡めて食べるのだそうだ。恋する甘酸っぱいベリーソースのように、俺たちも想いを溶け合わせようか。


そして二枚目に添付された写真には・・・召し上がれというタイトルの意味はここから来たんだな、香穂子らしい。パソコンのモニターいっぱいに映し出されたのは、ケーキのひとかけらをフォークに乗せて、手の平を添えながらあーんと口を開けつつ差し出す、香穂子の笑顔。このまま画面に顔を寄せ、食べさせてくれるフォークを唇に含んでしまいたくなるな。


愛しさが溢れてしまうこの想いを届けたい。抱きしめて、キスをしたいけれど今だけは・・・指先を唇に添えて温もりを託し、画面に映し出された香穂子の唇へ、キスの変わりにその指先を重ねた。




この世に生まれ、たった一人の大切な君に出会えたことに感謝する日。幸せを共に感じることの出来る喜び、その幸せがいくつも重なる特別な日が、誕生日なのかも知れない。

椅子の背もたれに寄りかかりながら、マグカップの紅茶を一口飲み、ほっと零れる吐息が朝日の中へ溶けてゆく。また電話をかけると言っていたけれど、待ちきれないから今度は俺から、ありがとうの言葉を電話で伝えようか。そして、誰よりも君を愛していると。