跳ね上がった心で気付いた




黒く艶光るステージに降り注ぐのは、天井から無数に照らす白炎にも似た眩しい照明。全てのものを焼き尽くす炎のような白い光を背に纏い、情熱的な旋律を奏でる東金たちの音色も、心を捕らえて離さない情熱の渦になる。ステージはフロアーから少し高い位置にあるが、最前列と距離は近く、ステージの端から身を乗り出せば、求めるように両手を差し伸べ跳ねる聴衆に触れられそうな近さだ。


関東での活動が実を結び、東金たちのライブは関西だけでなく関東でも着実にファンを拡大している。東金のもくろみ通り、最近では関東からわざわざライブを聴きに、神戸へ遠征にくる女性ファンも多くなった。スタンディングのフロアーに密集する聴衆たち多くは若い女性ばかりで、曲の合間に投げかけられる歓声が天井を切り裂くのでは・・・と、かなでは驚いていたな。

開放感溢れる路上ライブと違い、ひたすら箱の中で高まり続けるライブハウスの熱気と興奮は、外へ解放される事がない。音楽が空間と聴衆の心を支配し、魂の奥底から存在と音色を刻みつけるように揺さぶる・・・。神戸市内の繁華街にあるこのライブハウスは今、世界で最も熱い場所に違いない。



バックステージパスのランヤードを首から提げる小日向かなでが、フロアーの後方にある機材の脇で、スタッフに紛れながら演奏を聞いていた。ステージからの距離は少し離れるが、ぽやんとしたかなででが、フロアーに密集する混雑と興奮状態に巻き込まれる心配もない。、東金や土岐たちの演奏を最高に響く場所で聞くことができる。ミキシングブースが一段高くなっているために、客殿の落ちるステージからでもかなでの姿を常に見つけやすい・・・という利点が一番大きいが。

演奏中に目線で語りかけてきましたよね?と、ライブ後に楽屋を尋ねるかなでが顔を赤くするのはいつものことだ。
お前が聞いてくれるから、今日は俺のヴァイオリンがひときわ良く歌う。お前を、俺の音で酔わせてやるぜ。






コンコン・・・と楽屋の扉をノックする音に返事をすると、予想通りに小日向かなでが姿を現した。予想通りだなと自信たっぷりな俺に、ドアの向こう側は見えないはずなのに、どうして分かったのかと不思議そうに首を傾げている。例え背中を向けていようが目隠しされようが、お前が傍にいることは分かるんだよ。足音や扉の鳴らしかたもそうだが、俺の心がお前を求めて自然と疼き出すからな。

ノックする前にお前は、逸る気持ちを抑えながら胸に手を当てて、深呼吸をしてからドアを開けるだろう? そう悪戯に笑みを向ければ驚きに目を見開き、あっという間に顔が真っ赤な火を噴き出す。おいおい、本当だったのか・・・可愛いヤツだぜ。


ドアを閉めて二人きりの空間に変わると、紅潮させた頬と笑顔を煌めかせ、子犬のように真っ直ぐ駆け寄ってくる。すぐ抱き締められる射程距離に立ち止まったお前を、抱き締めようと伸ばした手に渡されたのは、柔らかな手触りが心地良いタオルだった。眉を寄せる俺に、満面の笑顔がくれる「お疲れ様」の言葉。

嬉しいような少し複雑なような・・・まぁお前に焦らされるのは悪くない。それでもお前の笑顔と優しさに、ステージを終えた疲労感が癒されるのが分かる。結局は、惚れた弱みなんだろう。


「千秋さん、ライブお疲れ様でした! とっても素敵な演奏でした。これ、タオルです」
「サンキュ。おいかなで、目が赤いぞ。さては、また泣いていただろう。無理もない、今日は最高の演奏が出来たからな」
「ごめんなさい・・・私、千秋さんたちの演奏を聞いたら感動しちゃって。胸が熱く震えっぱなしなんです。思い出すだけで、心に閉じ込めた音色が溢れてくるから、また涙が出てきそう・・・」
「俺よりお前の方がタオル、必要なんじゃねぇか? ハンカチの代わりに、俺の胸を貸してやろうか」


先程まで身を浸していた熱い音の響きが胸を激しく奮わせ、言葉にできないくらいたくさんの感情が溢れてくるのだと。背を浚い閉じ込めた腕の中から、真っ直ぐ振り仰ぐ潤んだ大きな瞳。そして止めどなく溢れる透明な滴・・・煌めく心の宝石たち。「目を閉じろ」と短く告げて、素直に瞳を閉じたかなでの顎を捕らえ上向かせると、唇で目の端に溜まった甘い滴を吸い取り、頬を辿る軌跡を辿った。

んっ・・・と、小さな吐息を零し、くすぐったそうに腕の中で身をよじるかなでの頬を包み込む。柔らかで心地良い感触が、手の平に感じる熱に溶け合い離すことが出来ない。桃色の頬というが、甘い滴をたっぷり秘めた、食べ頃の桃の果実そのものだ。


「さっき舞台袖で土岐さんから千秋さんにって・・・伝言を頼まれました」
「蓬生から、俺に伝言? 用件は何だって?」
「えっと“今日の千秋はとってもご機嫌やから、いつもより多めで15分な”・・・だそうです。千秋さんに伝えれば分かるって言ってたんですけど、15分ってどういう意味ですか?」
「15分経ったら楽屋に戻る。それまでは俺とお前の二人きりにさせてやる、という意味だよ。でないと、お帰りなさいのキスが出来ないだろう?」
「あのっ、千秋さん。ほ・・・本当にするんですか? ライブ前にも“行ってらっしゃい”の、お見送りキスをしたばかりなのに〜」


早く二人きりになりたい俺が待っているから、早く楽屋へ行ってこいと送り出されたんだろう? 送り出されたのなら、期待には応えないとな。ニヤリと笑みを向ければ、きょとんと不思議そうに小首を傾げていたかなでの顔が、たちまち真っ赤な火を噴き出した。ポスンと胸に伏せた顔の下で、シャツの裾をしっかり握り締めながら、恥ずかしそうに口籠もっている。


「バックステージのパスをやるかわりに、楽屋で見送りと出迎えのキスをする・・・そういう約束だったじゃねぇか。関東も神戸もライブのチケットが完売だったと、泣きついてきたのはお前だろう?」
「パスを頂ける代わりに、私に出来ることで何かお礼がしたいとは言いましたけど・・・でもっ! 私が神戸に遊びに来ている間は、おはようと、おやすみなさいのキスもしてるじゃないですか。新婚さんみたいで恥ずかしいです」
「キスくらいで照れていてどうする。お前が神戸に嫁入りしたら、毎日するんだぜ? お前はすぐ照れるから、今から慣れておいて損はねぇだろう。それに、“ドキドキしているのは自分だけ”だなんて思うなよ?」
「きゃっ! 千秋・・・さん」


背に回した腕に力を込めると、胸へ押しつけるように強く抱き締めた。照れるお前の俺へと流れるから・・・鼓動の音色はいつの間にかユニゾンを奏で、同じ速度で鼓動が高鳴っているのが分かる。お前の音が、触れ合う肌から熱さと振動で感じるように、俺の音も感じるだろう?

それに、こうして抱き締め合えるのも、キスが交わせるのも、傍にいられるからだぜ。本当は横浜へ帰したくねぇが・・・腕の中に閉じ込めることが出来る今だけは、好きなだけお前を感じていたい。息を潜め、ただじっと振り仰ぐかなでの頬を、手の平でそっと包みながら、心に宿る温かなくすぐったさに頬を緩めた。シルクの滑らかさで吸い付く頬と手の平が、熱に溶けて一つになれば心まで引き寄せられる。


「あの、千秋さん・・・目、閉じてもらえますか?」
「ん? どうした、かなで。ようやく気持ちの整理が付いたのか? いつでもいいぜ」


真っ赤に照れるだろうと予想し煽るつもりで、自然に色づくグロスの艶めきへと唇を寄せてゆく。だが俺が目を閉じ、触れるよりも早く、かなでが両腕を掴みつま先立ちの背伸びをして・・・ふわりと優しいキスが唇へ届いた。しっとりと甘く重なる唇が名残惜しげに離れても、背伸びで二の腕を掴んだままで。「お疲れ様でした」と、吐息を絡め合いながら浮かべる照れた微笑みに、大きく跳ねた鼓動が理性を揺らす。


「胸に沸くステージの感動と、手を伸ばせば傍にいる、大好きな想いを伝えたい。言葉に納めきれないたくさんの想いは、キスがちゃんと伝えてくれるって、教えてくれたのは千秋だんだから・・・。ヴァイオリンも千秋さんも、私だっていっぱい感じていたいんですからね」
「恥ずかしがるかと思えば、突然大胆になる・・・まったく、これ以俺を上惚れさせてどうする気だ。素直なお前は、可愛い過ぎだぜ」


自分からキスを奪いに行くよりも、予想外のタイミングでお前からくれるキスが、一番俺の心を揺さぶるんだ。羞恥心を堪えながらぎゅっとしがみつく桃色の頬が、触れた唇を伝って俺の中を駆け巡る。驚きに目を見開く俺をみつめる、かなでの顔が見えない湯気を昇らせ、見る間に赤く染まり出す。それを見ている俺の身体も、じんわり熱を帯び始めるんだ。

お前に、毎日可愛いキスで出迎えられたら、きっと俺の理性が先に焼き切れちまうだろうな。


「さて、今夜は早めに撤収だ。せっかく神戸にきたお前を、一人にするわけないだろう。俺もお前と早く二人きりになりたい」
「本当ですか、嬉しいです! 実はライブハウスへ来る前に、お世話になっている別宅のキッチンをお借りして、夕飯の仕込みをしておいたんです。帰ったらすぐに料理を温めて支度しますね。あっ・・・でも。ライブでたくさん汗を掻いているなら、先にお風呂へ入ってさっぱりした方が良いのかな? 千秋さん、ご飯とお風呂はどっちにします?」


人差し指を顎に当てながら眉を寄せ、ん〜と小さく唸る悩み顔。気付いていないようだが、お前の方がよっぽど照れ臭いことを言ってるぞ。

究極の二択だな。可愛いキスで迎えられた愛しい相手に、だが食事か風呂かと問われたら、返事は決まっている。
それは「お約束」だろう。俺が一番先に欲しいのは、かなで・・・お前だ。どんなに照れようが、嫌とは言わせないぜ?