Grazie per l'ottimo



午前中の授業が終わり昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴ると、教室の空気がホッと緩み活気が満ち溢れてくる。購買のある普通科校舎のエントランスホールへ急ぐ者は授業終了と同時に飛び出し、森の広場やカフェテリアへ向かう生徒は後を追うように、友人達と誘い合わせてのんびり教室を出てく。残ったクラスメイトは、友人同士と弁当を広げはじめ、楽器を持って練習室へ・・・。

そんないつもの光景の中で、日当たりの良い窓際の席に座る衛藤が眠そうに欠伸をかみ殺し、両腕を空へ伸ばし思いっきり伸びをする。


「弁当は休み時間に食っちまったし、購買でも行くか・・・。でも、あの混雑がウザイんだよな」


面倒くさそうに眉間へ皺を寄せると、白いジャケットのポケットから携帯電話を取り出す。サイレントモードにしたままの着信を解除しようとディスプレイを開けば一件の新しいメールが届いていて、開くと同時に顔が緩んでしまうのは、送り主が普通科の校舎にいる香穂子からだったからだ。

『一緒にお昼ご飯、食べよ?』と、ただそれだけの短い文章なのに、くるくる動く絵文字をふんだんに使っており、相変わらず賑やかだ。「購買に行くから、あんたを迎えに行く。待ち合わせは普通科のエントランスホールで良いよな?」と手早くメールを返せば、すぐに愛くるしい熊が楽しげに躍る了解デコメールが届いてきた。

嬉しさに待ちきれない、あんたの気持ちが伝わってくる。


「おーい、衛藤! 昼飯食べに行くだろ?」
「いや、俺はやめておく。先約があるんだ」
「あっ! もしかして、普通科の日野先輩か? 衛藤、日野先輩と仲良いもんな。一緒にお昼食べながら『はい衛藤くん、あ〜んして?』とか、二人っきりでやったりして!」

「お返しに食べさせてあげたら、唇に付いた欠片もちゃんと食べるんだぞー。指で摘んでも良し、唇でぺろっと舐めても良いし」
「なっ、お前らに関係ないだろ! 外野、うるさいぞ。勝手に話を進めて盛り上がるな」

「これでも俺達、衛藤を応援しているんだけどな〜。ほら、日野先輩、普通科だけじゃなく、音楽科でも人気あるからライバル多いし?」


ムキになって言い返せば赤くなったとはやし立てられ、教室のドアのところで待つクラスの仲間たちが、「はい、あ〜んして」の仕草を二人で再現し始める。これ以上は羞恥心が耐えられそうにない・・・まぁ、二人っきりになったらいつもやるのは、否定はしないけど。


ガタッと勢い良い音と共に椅子から立ち上がると、熱くなった顔を必死に引き締めながら足早に教室を抜け出した。名前を呼ばれて肩越しに振り返れば、仲間達が「ごちそうさま」と笑顔で見送りながら手を振っていた。何がごちそうさまだ、まだ何も食べて無いっての。全く・・・鉄とアツといい、こいつらといい、俺の周りはどうしてこう、お節介なヤツが多いんだ。


* *


「よう、衛藤じゃないか」
「梁太郎さん・・・。梁太郎さんも、購買でお昼?」
「まぁな、ちょっと用事を済ませた帰り道だったんだが、少し出遅れたらこのザマだ。お前もこんなところでぼやぼやしてると、食いっぱぐれるぞ」
 購買のパンを求める生徒がごった返すエントランスホールの、人混みから少し離れたところで様子を見守る衛藤に、声をかけたのは、この春に音楽科へ転科した土浦だった。何か言おうと思っていたのに、それさえもどこかへ吹き飛んでしまい、緩む頬が堪えきれずにぷっと吹き出してしまった衛藤を、思いっきり嫌そうな顔で睨み付けている。

他のヤツには普通だけど、だって、だって可笑しいだろ・・・それ、やっぱ似合わないし。


「人に会った途端、いきなり笑い出すなんて失礼なやつだな。まぁ、どこ見て笑っているのか予想は付くけどな」
「なぁ梁太郎さん、その格好・・・。赤い学年色のタイを付けて、きっちり音楽科の制服着込んでるなんて珍しいじゃん。もしかして、制服あわせの時以来? 白いジャケットがようやく見慣れてきたってのに、衝撃だよな、それ」
「笑うな! だいたい衛藤、お前だって人の事言えた立場じゃないだろ。今日は卒業アルバムの写真撮影があったんだよ。一生残るもんだから、さすがにタイ無しで着崩すわけには行かないだろ。でも撮影したし、もうタイはもう終わりだな」
「あれ、外しちゃうの。似合ってるのに、もったいない」
「心にも無いこと言ってからかってるだろ、顔が笑ってるぜ。ったく、相変わらず生意気なヤツだぜ」
 衛藤と土浦が揃っているのに気付いた生徒達が、密やかにざわめき始め遠くから視線を送っているのが分かる。相変わらず人のことをひそひそと・・・そう眉を顰める土浦が周囲に威嚇の視線を振りまけば、たちどころに蜘蛛の子を散らし静まりかえってしまう。


国際コンクールで優勝歴もありヴァイオリンの腕も確か、年下なのに自信家で生意気な衛藤と、学内コンクールにも出場し音楽科に転科した土浦は、学院ではちょっとした有名人。それだけはなく、秋にあった体育祭では土浦と衛藤の二人が、初めて対抗リレーで普通科を下し、音楽科に勝利をもたらしたとなれば注目されない訳がない。

凄いなと、感心したように見渡す見渡す衛藤を気にした様子もなく、深く溜息を吐いた土浦は首元に指をかけ、襟元にひらひらする学年色のタイを解いてしまった。しゅるり響くシルクの音ごと無造作に、白い音楽科のジャケットのポケットへねじ込むと、シャツの第一ボタンも外し、やっと落ち着いたぜと肩の力も緩んでゆく。


「おい、衛藤、パン買わないのか?」
「ん、止めておく。混雑してる中に飛び込むの面倒くさいし、あいつを誘ってカフェテリアでも行くとするよ」
「情けないな、リタイヤか。日野なら、勇猛果敢にいつも飛び込んでいくぜ。っておい、あいつ・・・って、日野か? なんだ、衛藤も日野と昼飯食べる約束してたのか」
「も、って事は遼太郎さんも? 俺はさっき香穂子から、メールで誘われたんだけど。」
「俺もだ。ひょっとしてあいつ、俺と衛藤、二人とも『一緒にお昼ご飯、食べよ?』って誘ったのか」
「そうそれ、賑やかなデコメとかテンプレつきのメールでさ。なんだ、二人きりじゃないのか、残念。なぁ遼太郎さん、あんたってさ・・・」

「何だよ、衛藤。言いたいことがあったら、はっきり言えよ。俺が一緒だと分かった途端、あからさまに残念な顔しやがって。それは俺のセリフだ」
「あいつの事話すとき、すっげぇ嬉しそうだよな。あいつが頑張ったこと、自分のことのように嬉しがっちゃってさ。マジで惚れてて、けっこう純情なんだな」
「・・・っ! 本当、お前って生意気だよな」


言葉を詰まらせ、睨みながらも頬をうっすら赤く染める土浦に、よく言われると自信たっぷりに返すけれど。俺の知らないあいつを知っていることに少しばかり嫉妬を覚えたり、アイツのことに関しては誰にも負けたく無い・・・渡さないと、心の奥底では熱い炎が揺らめき出すのを感じる。



「余裕ぶってそういうお前は、どうなんだよ」
「俺、もちろん本気だよ。遼太郎さん相手でも、あいつに関しては負ける気はしないね」
「ライバルってとこか、上等。受けて立とうじゃないか」


だからこそ、真っ直ぐ正面から挑んで見つめ返すんだ。
俺も負けないぜ、香穂子の事、好きだからさってね。同い年とか年下とか、出会いの早さなんて関係ないだろ?


「しっかし日野のやつ、俺と衛藤二人を同時に呼び出したって事は、あいつ絶対何か企んでるな?」
「俺も梁太郎さんに同感。三人でアンサンブルってのも考えられるけど、香穂子って無邪気だから、楽しいこと思いつくとすぐメールに出るんだよな。昼飯だけじゃ済むとは俺も思えない。きっと何か新しくて楽しいお菓子でも見つけたから、実験台・・・じゃなくて一緒に試したくて、仕方ないんじゃないの?」
「あり得るな、それ・・・。この前はロシアンルーレットのジェリービーンズだったな。同じ色なのに美味しい味とマズイ味が両方入ってるヤツ。衛藤、アメリカ仕込みの変な菓子、アイツに面白がって教えすぎるなよ」
「俺は・・・チョコレート味のジェリービーンズしか、香穂子に教えてないぞ」


確かにあの檄辛と顔が歪む鉛味には参ったぜ。菓子がもたらす恋の甘さと、悪戯からくる苦みが脳裏をぎるけれど、香穂子の可愛い無邪気さにには逆らえないのは、惚れた弱みというものだろう。



「じゃぁどこで昼を食べるかは、香穂子が来てから決めればいいよな?」
「そうするか、もうすぐあいつも来るだろうし。しかし遅いな・・・」


とりあえず邪魔にならない場所へ移動しようか・・・そう衛藤が動きかけたところに、二人を呼ぶ声が遠くから響いてきた。心にストンと降りてきて染み渡る、声を聞いただけで心も頬も自然と緩み心が躍る・・・この声はあいつだ。


「衛藤くん〜土浦くん〜!」
「おっ、噂をすれば日野がやって来たみたいだぜ。お〜い、日野、こっちだ」
「呼び出しておいて遅いぞ、香穂子」
「へへっ、二人ともごめんね。体育の授業があったから、着替えに手間取っちゃって。いっぱい動いたからお腹ぺこぺこだよ」


軽やかな足取りで駆け寄る香穂子は、髪のツインテールを揺らしながら頬を綻ばせ、満面の笑みで衛藤と土浦をふり仰ぐ。購買でパン買ったの?と、二人の手元をきょろきょろ覗き込む香穂子に、まだだと伝えればほっと安堵の吐息がこぼれ落ちる。


「今から三人で購買の人混みに突入しても良いけど、めぼしいパンは売り切れてそうだよな。どうする香穂子、カフェテリアに行くか?」
「うん! あのね、カフェテリアで昨日から新作のデザートが三種類発売されたんだよ。だから一人一種類ずつ買って食べようね。拒否権無しだよ」
「なんだその横暴さ。やっぱり狙いはそれか、一口私にちょうだいねって言うんだろ。お前、一度に全部味見しようなんてちゃっかりしてるぜ」
「土浦くん、すごい〜大当たり!」


褒められても全然嬉しくないと憮然と返す土浦に、じゃぁ私のも一口上げるねと宥めるように見上げれば、そういう問題じゃないだろ・・・と照れたように頬を染めてしまう。香穂子も無邪気だけど、遼太郎さんも分かりやすすぎてこっちが照れるっての。
俺? 俺はもちろん頂くさ、あんたが食べてる甘いデザートだけ。


「私ね、あれやって欲しいな。あ〜んってやつ」
「・・・は!?」
「マジかよ、おい。生徒が大勢いるカフェテリアでか?」
「ダメかな。こっそり素早くやればきっと気付かないよ。二人に食べさせてもらったら、もっと美味しくなると思うの。私もお返しに、あ〜んして上げるから、ね?」
「ね?って日野、お前な・・・」

「衛藤くんはやってくれるよね、あ〜んって。誰かが創ってくれた料理や淹れてくれるお茶が美味しいように、食べさせてもらったらきっと美味しいと思うの」
「理屈は分かる・・・けど、可愛く頼んでもダメだね。ほら急ぐぞ、香穂子。カフェテリアの席が無くなっちまう」
「えぇっ、そんな衛藤くんまで!」
「俺は、あんたと二人っきりなら、良いぜ? いつもやってるみたいに、さ」
「えっ・・・! あっ、二人とも待って〜!」
 


少しの沈黙の後で、香穂子の頬がポンと音を立てて真っ赤に茹だってしまう。その熱が伝わったのか、心臓の音が耳から聞こえて顔が熱く疼くのは、気のせいじゃないよな。

きっと今の俺は、照れた赤い顔してるんだろう。押さえきれない溜息を小さく吐き、ちらりと横目で遼太郎さんを見れば、同じように困った顔で照れている。どうしてダメなのかと頬を膨らます香穂子が、恋に関してニブイと分かっているけれど、どうしたらこの葛藤を気付いてもらえるだろうか?

あんたと二人っきりなら、やっても良いぜってね。それは二人だけで味わいたい、とっておきのごちそうなのだと。自分が香穂子にしたり、やってもらうのはいいけれど、俺以外の男にするのを見ていたら、きっと冷静じゃいられなくなる。あんた、俺に焼き餅焼かせる気?


「新作のデザートは、苺のムースにカボチャプリン、ガトーショコラの三種類だって、俺のクラスメイトが言ってた」
「げっ、どれも甘そうでハードル高いな。苺は絶対に、日野が取りそうだ・・・まぁ、俺が苺でも困るんだが」
「となると俺と梁太郎さんで、カボチャプリンとガトーショコラを分担か。俺甘いの平気だから、遼太郎さんが好きな方どっちか選んでよ」
「サンキュ、衛藤。助かるぜ」


行くか、と視線を合わせどちらとも無く足早に歩き出した衛藤と土浦を、髪のツインテールを軽やかに躍らせる香穂子が、待ってと呼びかけながら追いかけてくる。ポスンと俺達の真ん中に飛び込んで、両側を挟む俺達の腕を片方ずつ掴み、笑顔でふり仰ぐ。温かで優しい空気が調和を生む、これもあんたが好きなアンサンブルなんだろうな。



「ねぇ衛藤くん、土浦くん。お昼ご飯たべたら、三人でアンサンブルしようよ」」
「おっ、日野と合奏するのは久しぶりだな」
「梁太郎さん、俺もいるんだけど、忘れてないよな?」
「もうもう、衛藤くんも土浦くんも、仲良くしよ?ね? あ! 私、素敵なこと閃いたの。二人であ〜んし合ったら、もっと仲良くなるかもだよ」
「「断る・・・!」」


その時は俺があんたに言うよ、ごちそうさま・・・ってさ。クラスメイトが冷やかしたように、二人っきりなら大歓迎だけどね。あぁでも、二人きりなら理性の歯止めが利かずにあんたごと全てを食べているかも知れないな。