どうか伝わってくれ
登校する生徒が大勢溢れた学校近くの交差点で、同じく信号待ちをしている日野を見つけた。
俺の少し前にいて、人垣の隙間から見える後ろ姿だけれども、ヴァイオリンケースを持ち、普通科の制服を着た赤い髪は確かに君。誰かを探しているのか、首を伸ばしながら、きょろきょろと周りを見渡している。
大勢の中に埋もれていても、君だけに目がいってしまうからすぐに見つけられるのは何故だろう。
今も一瞬俺の視界に小さく過ぎっただけのに、日野だとすぐに分かったんだ。
俺とは登校時間が近いようだから、今日もきっと会えると・・・会いたいと、そう思っていたからかも知れない。
信号が変わり、横断歩道に止まっていた人の波が一気に動き出した。月森は流れに乗ってぶつからないようにと器用にすり抜けながら、少し前を歩く香穂子へと足早に歩み寄っていく。今日も会えたという喜びと、同時に込み上げる、誰かが彼女に声を掛ける前に辿り着かなければ・・・という密かな焦りが急がせるのだ。
目の前を歩いている彼女は、手を伸ばせば触れられる距離にいる。
だがいつもより、心なしか歩く速度も遅く、重く肩を落としているように思えるのは気のせいだろうか?
彼女に何かあったのだろうか? 背中を見つめながら、俺はどう声をかけようかと想いを馳せていた。
声をかけたらきっと君は何事も無かったように、「おはよう」と笑顔で俺を振り仰でくれるだろう。
いつも真っ直ぐ向かってゆく君は、辛い時でも周りを思いやって、笑って頑張ろうとするから。
君が笑顔でいられるようにと・・・彼女がいつも俺にくれるように、俺からも伝えたいと思った。
そんな君が好きだから・・・俺だけに、心の底から微笑んでほしいから。
願いをそのまま言葉にするのは難しいが、ほんの僅かでも気持が伝わるように、大切なこの想いを形にしよう。
俺と君の過ごす今日一日が輝くものであるようにと、始まりの挨拶を笑顔と想いの声音に添えて。
気持を落ち着けるために大きく深呼吸すると一歩を踏み出し、目の前を歩く日野に肩を並べた。
日野と呼びかけると、隣に並んだ俺を見上げた彼女の頬と瞳に、ふわりと綻んだ笑みが浮かぶ。
しかし口を開きかけたものの、何故か頬をほんのり赤く染めたまま、じっと俺を見つめていた。
「おはよう、日野。・・・どうした? 顔が赤いようだが、熱でもあるのか?」
「・・・月森くんおはよう! な、何でもないの。私は元気だよ」
「そうか、ならばいいのだが」
いつもと違う月森の笑顔に見とれて釘付けになっていたなど、香穂子から言い出せる訳もない。
不思議に思いつつも月森はそれ以上は彼女を追求せず、瞳を緩めて笑みを向けた。
すると慌てて誤魔化すように、顔の前でばたつかせた手をピタリと止めて、更に顔の赤みが増してくる。
「・・・じゃぁ、行こうか」
良ければ一緒に行かないか?そう訪ねなくとも初めから約束をしていたかのように、俺たちは自然と肩を並べて歩き出していた。隣を歩く日野と、ふとした拍子に触れる肩先や絡む瞳が、どことなくくすぐったい。
身振り手振りを交えて楽しそうに話す彼女の足取りは、先程の重いものと違い、軽く飛び跳ねるように変わっていた。
良かった・・・少しは元気になったようだと、見つめる頬も瞳も自然と緩んでしまう。
「毎日ここで月森くんに会って、一緒に学校行くでしょう? 今日も会えるかなって、月森くんの事探してたの。だからね、おはようって言ってもらえて嬉しかった。交差点とか、もうちょっと手前で会えてたら良かったよね」
「いつもと同じくらいの時間だから、今朝も会うかなと・・・俺も少し期待していたんだ。本当は交差点で君を見かけたんだが、人ごみで離れてしまって・・・すまない」
「つ、月森くんが謝る事じゃないよ! 少しでも一緒にいられる時間が長い方が楽しいから、早く会いたいなって思ったけど・・・その、えっと・・・・・・。だっていつもの偶然というか・・・ちゃんと約束してたわけじゃないんだし」
「交差点で誰かを探していたのは、ひょっとして俺の事を?」
「え? やだ・・・もしかして見てたの? どうしよう〜恥ずかしい。もう!気づいてたなら、声かけてよね!」
言葉を濁しながら、恥ずかしさに頬を染めて俯いてゆく。そんな彼女の熱さが移ったのか、俺の顔にも燃えるような熱さが噴出してきた。信号待ちをしていた交差点で誰かを探していたのは、俺の事だったのか。
別の誰かかと思ったから、一刻も早く彼女の元へと気ばかりが焦っていた自分が、思い起こせば恥ずかしい。
これでは独占欲の塊ではないかと苦笑が込み上げるが、気づいた想いは本当だから否定は出来ないが・・・。
隣を歩く日野が下から見上げるように、ひょいと顔を覗かせた。
「ねぇ月森くん、今朝は嬉しい事があったの?」
「嬉しい事? 君にはそう見えるだろうか?」
「うん! 何かね、雰囲気というか・・・とってもイイ顔しているよ。いつもの月森くんも好きだけど、今朝の月森くんはもっと素敵。・・・ふふっ実はね、さっきちょっと見とれちゃった」
「そ、そうか・・・ありがとう」
今度は俺が照れる番だった。きっと顔を赤くしているだろう俺に小さく笑い、頬を綻ばせる君の方が嬉しそうに見えるのだが・・・。無防備な心の中に、真っ直ぐ飛び込んでくる君を受け止めながら、困ったように言い淀む。
嬉しい事・・・そうかも知れないな。こうして君が、俺の隣にいてくれるのだから。
ふいと視線を逸らすと、日野はクスクスと笑いながら前に駆け出し、数歩先でくるりと振り返った。
月森くんと呼びかける声に視線を向け、口元を緩めてゆっくりと歩み寄っていく。
「私もね、いいことがあったの」
「日野は、いつもでも元気で楽しそうだな」
「いつでもって訳じゃないよ。今朝も一限目から数学当てられてて、ちょっと憂鬱だったの。でも月森くんに元気をもらったから、一気に吹き飛んじゃった。月森くん、ありがとう」
「別に、礼を言われる事ではないが。君に喜んで貰えたなら、俺も嬉しい」
俺を待っていた彼女の正面に辿り着くと、互いに瞳を交わし、再び肩を並べて歩き出した。
目の前に見えてくる正門とファータ像に、少しの名残惜しさを感じながら。
「声は心のご馳走なんだよ。明るかったり、穏やかだったり、優しかったり、弾けるように元気だったり・・・。相手を想って声をかけたり挨拶をするだけで、する方もかけられ方も、心が前に向いてプラスへと働くの」
「心のこもった言葉は、最高のもてなしなんだな」
「そうなの。月森くんに、心のご馳走をもらっちゃった。今凄〜く嬉しくて、幸せだよ」
眩しい朝日のように輝く笑みと君の声。
冬の日の毛布のように・・・夏の木陰のように全てが柔らかく優しさで包み込まれ、癒されるのが分かる。
元気を出してと励ましたのは、俺の方だったというのに。
大丈夫だよ、ありがとう・・・。心地良く響く、君の言葉が心に直接届いてきた。
そうか・・・だから俺は日野の笑顔が好きなんだ。俺の名前を呼んで、輝きに溢れた元気な声が。
どんな時も折れることが無い、真っ直ぐでひたむきさがそのまま現われているから。
どうしても、君に焦がれずにはいられない。
俺に向けられる瞳と言葉と・・・その奥にある想いを、信じてもいいのだろうか。
ならばもう一言、君に伝えたい言葉がある。
伝わるだろうか・・・? どうか伝わって欲しい。
正門を抜けてファータ像を通り過ぎると、やがて見えてくる、音楽科と普通科校舎へと続く分かれる道。
じゃぁまた、放課後に。そう言った後に背中を向けて普通科校舎へと歩み出した日野を、呼び止めた。
きょとんと不思議そうに首を傾ける彼女を真っ直ぐ見つめ、抱き締める腕の代りに瞳で強く射抜いて引寄せる。
「月森くん、どうしたの?」
「・・・日野、呼び止めてすまない。その・・・もしよければ、明日から一緒に登校しないか?」
「・・・・・・!」
驚きに目を大きく見開かれた瞳が、俺を真っ直ぐ見つめたまま、僅かに潤みを湛えて揺らめきだす。息を詰めて見守っていると、やがて柔らかく深く緩んで微笑みに変わった。
「月森くん、私・・・・・・・」
伝える一言・・・言葉に込める想い。
どんなに笑顔でも弱々しかったり、不機嫌な言葉なら気持は伝わらない。その逆も同じ。
心の底から全てで伝える笑みと言葉。その二つが最高の状態で奏でられた時に、心が相手へ届くのだ。
だから、君に届けたい・・・伝わっただろうか? 君の返事が聞きたんだ。
甘い吐息と共に、俺だけに聞こえるように紡がれたその言葉は、俺の想いが伝わり、受け止められた証・・・・・。
(Title by 恋したくなるお題)