どんな味がする?

-------俺の部屋に来ないか?
学校帰りに問いかけるその言葉が、君が欲しいという意味を示すようになったのは、いつからだろうか。

少し前まではヴァイオリンを一緒に練習したり音楽を聞いたり、学校の宿題をしたり・・・ただそれだけの意味だったのに。香穂子と過ごす大切な時間である事に変わりはないが、目的はいつしか手段の一つになっていた。
誰にも邪魔されず二人っきりになる場所を求め、心の底から望む甘いひと時を過ごす為の。


部屋の中には、求め合い逸る心を表すように脱ぎ散らかされた二人分の制服。
そして遊びのように無邪気で可愛らしく軽く啄ばむものから、咥内を貪り吐息を奪う深いものまで・・・。
真っ白いシーツの上では、君とのキスが飽く事無く交わされ続ける。


呼吸を求めて僅かに唇を離すキスの合間に腕の中の香穂子が、熱く甘い溜息を零す。首筋にかかるくすぐったさは媚薬となって痺れをもたらし、生まれたままの素肌で触れ合う熱さが、背筋を駆け抜け震わせる。
浅く早く・・・妖しい程に上下する白い胸のふくらみは、呼吸を整えながら霞む意識を引き戻しているのか。ぼんやり見上げた潤む瞳に、優しさや愛しさなど・・・届けたい想いの言葉を込めて微笑みを向けた。


上気してほんのり赤く色付く頬に軽くキスを落とし、そのまま首筋へと滑らせてゆく。唇と共に髪が肌を擦る感触がくすぐったいのか、鳥の囀りのようにクスクスと小さな笑い声が耳を掠めた。腕の中で身じろぎ出す香穂子を逃がさないように閉じ込めれば、俺の背に縋りつくしなやかな手にキュッと力が込められた。
私を離さないでねと、言葉よりも強く直接伝えるように。


「ねぇ、蓮くん・・・」
「ん・・・どうした? 香穂子」
「私の唇って、美味しい?」
「・・・は!?」


とっさに理解できずに脳裏で反芻すると、珍しく積極的な香穂子の言葉に耳まで熱くなり、溶けかけた意識は吹き飛んだ。驚きのあまり白い首の根元に埋めていた顔を上げると、意識を取り戻して真っ直ぐ俺を見つめる香穂子は、きょんと不思議そうにしている。俺には甘い誘い文句に聞こえるが・・・・。

これが純粋な質問なのだと分かるのは、彼女の大きな瞳はどこまでも澄んでいるから。俺だけ勝手に勘違いして何を焦っているんだ・・・全く。愛しい無邪気さは時に大胆で、厄介なものだと思わずにいられない。

しかし心の底から疑問に思うほどキスをする俺は、美味しく味わっている満ち足りた表情に見えたのだろうか。
確かに香穂子の唇は、甘くて美味しい。触れ合わせて口に含んだ分だけ赤みと柔らかさを増す唇は、俺の中で熟してゆく果実のようで。このままずっと味わっていたい・・・いろんな君を食べてしまいたいと思う。

俺の身体で包むように覆い被さり、瞳と頬を緩めて真上から見下ろすと、額をコツンと触れ合わせた。


「どうしたんだ、突然急にそんな事を言い出して。俺を誘っているのか? 唇だけでなく言葉でも」
「ち、ちがうよ〜! も〜っ蓮くんってば、普段はいつも優しいのにベットの中では意地悪だよっ。私が恥ずかしくて困るの知ってて、いろいろ言うんだもん!」
「すまなかった。香穂子、機嫌を直してくれ」


予想通り真っ赤になった香穂子は、潤んだ瞳で睨みながら頬をぷぅっと膨らます。愛しさが募れこそ威嚇の威力は皆無に等しく、余裕で微笑を向ける俺が面白くないらしい。知らないっと拗ねてそっぽを向いてしまった彼女に、すまなかった・・・と心から詫びながら緩めたままの唇を寄せた。頬や額、鼻先や瞼・・・首筋にと羽根のように軽いキスを次々に降らせながらあやし続け、こちらを向いてと語りかけて。

やがて我慢が出来ないというように、くすぐったい〜降参だよと笑顔で見上げながら小さく笑い出す。
ゆるりと持ち上げた両手に俺の髪を絡め引寄せるように、あのね・・・と内緒話をするように囁いた。


「蓮くんのキスが私の唇を食べているみたいに感じたの、パクッてね。触れ合わせるだけじゃなくて、ぺろって舐めたり啄ばんだりするでしょう? 舌や唇をチュッて吸ったり、甘く噛んでくれたり・・・それからえっと〜」
「いや、その・・・良く分かった。改めて君に言われると、とても照れ臭い・・・」
「どうして?」
「本当の事だから。食べているみたいではなく、食べているんだ。唇だけじゃなく香穂子の全てを。だがひょっとして・・・不快な想いをさせてしまっただろうか?」
「うぅん、そんな事ないよ。とっても気持ち良くて、空を飛んでるみたいにふわふわしちゃうから、私は大好き。蓮くんにもっと私を食べて欲しいなって思ったの」
「君が望むなら、遠慮なく頂くとしようか」


視線が絡み合い、どちらともなくはにかんだ微笑を交わす。いっぱい食べてねと無邪気に頬をほころばせる君は、意味を分かっているのかいないのか。お許しが出た事には変わらないから、嫌だと言っても離しはしない。


「キスしてる蓮くんが、とっても気持良さそうだった。美味しい料理を食べたり素敵な音楽を聴いたりして、お腹も心も満たされた時の顔にちょっと似てたんだよ。だからね、美味しいのかなって思ったの。蓮くんが嬉しいと私も嬉しい、喜んでもらえて良かったって思う。でも・・・ほら、自分じゃ分からないじゃない?」


そう言って覆い被さった俺を見上げながら、困ったように眉を寄せて小首を傾げた。君のささやかな仕草や言葉の一つ一つがとても愛らしく、俺の心を捕らえて離さない。腕の中に抱き締めた柔らかさと絹糸のような滑らかさを感じながら、軽く触れるだけのキスを唇に降らせた・・・ゆっくりと押し付けるように。


照れ臭いからキスの時は目を閉じてくれと、あれほど言っているのに・・・やっぱり見てるんだな。
キスの合間に必ず香穂子の潤んだ大きな瞳が、吸い込むように・・・物問いた気にじっと見つめてくるんだ。
俺が唇を離して瞳を開けば、蕩けたままぼんやり映している時もある。
居た堪れなさに熱さが火を噴き、溜息を吐きつつ仕方ないと諦められるのは、君に余裕のある最初のうちだけだと知っているから。

俺だって目を閉じるふりをして、キスをくれる君をそっと覗き見る事もあるのは内緒だけど。
言ったら恥ずかしさに頬を染めて、また拗ねてしまうだろうから、今は心の中に留めておこう。


「答えを言うのは簡単だが、そうだな・・・俺の唇はどんな味だろうか。香穂子はどう思う? 自分の事が見えないのは俺も同じだから、教えてくれないか?」
「蓮くんの? どんなって言われても・・・すぐには思い浮かばないよ。だっていつも夢中で、考える余裕無いし」
「俺が分かれば、きっと君自身の事も見えてくると思う」
「そうかな〜あっ! じゃぁもう一度確かめてみる。蓮くん、ちょっとの間じっとしててね。動いちゃ駄目だよ!」
「え、香穂子・・・!?」


俺の唇を指先で触れながら記憶を辿り、必死に思い出しているのか、見る見るうちに頬が赤く染まってゆく。
好奇心を溢れさせる香穂子が頬をそっと包み込み、瞬きも忘れてなすがままに引寄せられ・・・。鼻先が触れ合い吐息がかかったその時、赤い果実の隙間から愛らしく覗いた小さな舌が、ペロリと俺の唇を舐めた。


「・・・・・・っ!」


一瞬背筋を駆け抜けた痺れに脳裏が焼け付き、我を忘れそうになる。このまま返したいが、じっとしてて・・・と言われたからには、理性を振り絞ってでも耐えるしかない。彼女の頭の脇についた両腕で身体と理性を支えながら、薄く瞳を閉じて甘い感覚に浸る。やがて舌に乗った感触を考え込むように反芻し、口の中で転がしていた香穂子が、何かを閃いたらしくパッと顔を輝かせた。

やがて再び頬を引寄せられ、君の好きなアイスクリームを舐めるように、無邪気で悪戯な舌がペロペロと動き回る。くすぐったさも限界を訴えた頃にチュッと音を立てて吸い付かれ、下唇が温かい柔らかさに挟まれた。
熱く鼓動が走り呼吸が苦しさを増してくるが、頬を包んだまま離さない香穂子は楽しそうに微笑んでいる。

瞳を閉じれば余計に感度が高まり・・・キスを受け止めじっと耐える事が、これほど辛かったのは初めてだ。



もう、いいだろうか・・・。

やがて温かさが収まり、吐息だけが満ちる静けさが訪れた。
いつのまにか完全に閉じていた目をゆっくり開き、込み上げた愛しさが微笑みに変わる。
どうやら受け止める俺よりも、キスをする君の方が蕩けてしまったらしい。
頬から剥がれ落ちる両手を咄嗟に引き止めると、指を絡めながらしっかり握り締め、シーツに縫い付けた。

深呼吸のように呼吸を整え、うっとりと見上げる香穂子が、ぽそりと呟く。


「甘い・・・凄く甘いよ」
「香穂子?」
「蓮くんの唇は私を映す琥珀の瞳と同じくらいに優しくて温かくて、どんなケーキも敵わない位に甘かった。唇だけじゃなくて触れてる身体が全部・・・私の心ごと蕩けちゃいそうなの。あ!ひょっとして、蓮くんも同じだった?」
「あぁ・・・そうだ。香穂子の唇は柔らかい・・・とても心地が良いのは、預けてくれる心の証だからだと思う。触れると熱くて、口に含むと甘くて蕩けてしまう。だがら美味しさを何度でも求めて、味わいたくなるんだ」
「嬉しいっ、蓮くんに褒められちゃった。じゃぁ気持ち良くなるように、もっとキスしてあげるね」


満開に咲き誇る花のような笑顔を綻ばせて、笑みを浮かべたままの唇をそっと押し当てた。
口付けながら甘えるように擦り寄ってくる、可愛らしい君。
キスをしながら触れられると、抑えられない熱が溢れてくるのを、無意識ながらも知っているのだろうか。


捕らわれ、この手に捕らえたくて・・・弾けた意識の中で求めるのは、ただ君だけ。


背がしなるほど深く腕に閉じ込めながら、抑えていた分だけ何倍も大きくしたものを情熱という熱さに変えて、受け取った想いを唇に返していた。舌を絡め取り咥内を貪る、互いの呼吸が止まるほどのキスを---------。




君が俺にキスをしてくれた、二人は恋人なんだと実感させてくれる夢のような瞬間。
唇の柔らかさと甘さに込められた想いの言葉たちは、この上ない温かな幸せをたくさんくれるんだ。

それは君がくれた、何よりもの素敵な贈り物。
世界中でここにしかない、とびっきり美味しさは俺だけのものだから。