誰よりも先に見つけた光



休日デートの待ち合わせ場所に決めた駅前に行くと、香穂さんが僕を待つ目印のように風船を持っていた。ふわりと浮かび泳いでいるのは、澄み渡る青空と同じ色をした青い風船。羽のように軽い蒼空の欠片が飛んでいかないように、頼りなげな細い糸の先を手にくるくると絡め持つ香穂さんは、すっかり風船に夢中だ。僕よりも夢中なものが目の前にあるのは少しだけ寂しいけれど、綻ぶ花も恥じらう程の可愛い笑顔が見られるのは嬉しいよね。


「香穂さん、その風船はどうしたの?」
「迷子になった男の子と一緒にお母さんを捜したら、お礼にその男の子がくれたの。風船をもらうのなんて、子供の頃以来だから嬉しいな。加地くんほら見て、今日の青空と同じ色をしているよ」
「空に浮かぶ風船が嬉しいのは、細い糸の先が空と繋がっているように思えるからなんだろうね。僕も子供の頃は、糸の先を引っ張ると、風船を通して空と話が出来るような気がしたよ。ね、香穂さんもそう思うでしょう?」
「うん、そうなの。この青空風船を持っていればね、この子が私たちを、空まで案内してくれるって言ってるよ」


それは素敵だね、じゃぁ今日のデートの行き先は広い大空に決まりかな。さぁ行こうか、と互いに笑みを交わしてゆっくり歩き出すけれど。隣を歩く香穂さんは、すっかりお気に入りの握り締めた糸の先を、リズムを付けて軽く引っ張っている。風船と話をしているのかな? ふわふわ動く返事を聞いた香穂さんの、楽しそうな瞳が日差しのように眩しくて、いつしか僕も一緒に空を仰ぎながら、目を細めずにはいられなかった。


風に揺られてふわりと靡く風船は、手の中へ握り締めていてもそよ風に誘われてしまう。握り締めても風に揺られふわりとなびく風船のように、夢中で空を仰ぐ香穂さんは、いつの間にか僕の隣からいなくなってしまうんだ。

静けさに包まれ風の通も良くなった隣を見れば、さっきまで隣にいた君の姿は消えていて。慌てて周囲を見れば、僕の少し後ろをゆっくりのんびり、楽しそうな笑顔で散歩をしている・・・緩やかな風に泳ぐ風船と同じ早さで空を振り仰ぎながら。香穂さんの温かな眼差しと心の手の平が、宙に浮く風船をそっと優しく包んでいる。まるで青空と光が風船を、大きな懐に包み込むようにね。


香穂さんと笑顔で君の名前を呼びかけると、はっと我に返って目の前に佇む僕に気付いた。きょろきょろと慌てて周りを見渡し、そして僕を見つめ・・・恥ずかしそうに頬を赤く染めてしまう。真っ赤に染まった香穂さんの頬は、熟れた林檎みたいに甘くて美味しそうだから、食べてしまおうかな。


「加地くんごめんなさい! 風船とお話しするのに夢中で私・・・周りが見えて無かったよね。加地くんが気付いてくれなかったら、きっと人混みの中ではぐれちゃったと思うの」
「香穂さんが風船を持っていれば、遠くからでも君を捜し出せるよね。でも、ちゃんと前を見ないと、ぶつかって怪我をしてしまうから危ないよ。そうだ香穂さん、一緒に手を繋ごうよ。どう? これなら君とはぐれる事もないでしょう?」


いつもと同じ早さで歩いてしまったから、君を置いて行ってしまう所だったよ。でも空を見上げてばかりいると、前が見えなくて危ないよね。香穂さんがお気に入りの風船を握り締めるように、僕も・・・僕だけのだけの風船を握ろうかな。
え?風船は一つしか無いって? そんな事はないよ、僕の目の前にもう一つふわふわ浮かんでいるよ。ふふっ・・・香穂さんは気が付いたかな。

香穂さんは風船と手を繋ぎ、僕は香穂さんの手を握るんだ。風船のようにふわふわと、自由に空を羽ばたく君が、吸い込まれる音色と一緒に大空へ飛んで行かないようにね。空へ羽ばたくときは、僕も一緒だよ。


夢ではない証を胸に刻めば、手を繋いでいる嬉しさと感じる温もりと柔らかさが、胸を甘く締め付ける。繋いだ手を何度も眺めずにいられないのは、風船をもらった君が嬉しさに手放せないのと同じだよね。君の気持ちが良く分かったよ、僕は香穂さんという可愛い風船を、空へ飛ばしたくなくてしっかり握り締めているんだ。くすくすと甘い笑みを零す香穂さんが、繋いだ手を軽く揺さぶりながら軽くステップを刻めば、僕の心もふわりと軽く羽ばたくのを感じるよ。


「ふふっ、加地くん楽しそう。加地くんが笑顔だと、私も楽しくなるの」
「風船に感謝をしていたんだ。だって香穂さんと手を繋ぎたい想いを、風船が叶えてくれたから。僕も風船の気分だよ」
「私ね、風船になれたらいいなって思ってた。だって気持ち良さそうでしょう? 風に乗って大好きな加地くんの所へ真っ直ぐ飛んでゆくの。あ・・・ちょっと待って! 今の私は風船になっているのかも知れない。だって加地くんと手を繋いでいるから、心も身体もふわふわ宙を浮いているような気持なの。温かくて気持ち良くて、どこまでも飛んで行けそう」
「じゃぁ香穂さんが飛んでゆかないように、しっかり僕が手を握り締めているよ。僕も飛んでゆかないように、しっかり握ってくれると嬉しいな。香穂さんはどんな風船になるんだろう。優しい彩りを束ねた花束みたいに、甘くて可憐なピンク色をした可愛い風船なんだろうね」


そよ風に揺られながら微笑む君は春の風に乗る花のようだから、きっと陽の光も喜んでいるよ・・・もちろん僕もね。

握り締める手に力を込めれば返事のように握り返す温もりと柔らかさが、甘い花束に変わるんだ。優しい色取りに心癒され、君という光が満ちた日だまりに心が解けてゆく・・・。君という風船を握り締める僕も、一緒に踊るそよ風の舞踏会。ほら、軽やかな足音が聞こえてくるよ?


「なるほど、心の風船は恋で膨らむんだね。こうして手を繋いだり、香穂さんが大きな瞳で真っ直ぐ僕を見つめている時、そして笑顔を浮かべたときに僕も胸の中が熱くなるんだ。雲の絨毯を歩いているようなこの気持を、幸せと言うんだろうね。香穂さんだけでなく僕も、風船になっていたんだね。大好きだと思う度に、胸一杯に膨らんでゆんだ」
「ありがとう、私も同じ気持ちだから凄く嬉しいの。ふわふわの風船になった加地くんと私で手を繋げば、この空に浮く風船に負けないくらい空を飛べるよね。もっともっと、ふわふわになりたいな。だから大好きって言ってみようよ」
「好き・・・香穂さん、僕は香穂さんが大好きだよ」
「私も加地くんが好き、大好きなの。ほら、心がポカポカになるでしょう? 気球が熱で膨らむみたいに、私たちの風船は、この恋のポカポカで膨らむなんて素敵だよね。私の風船を膨らましてくれるのは・・・世界でたった一人、加地くんだけだよ」


交わし合うお互いの瞳が笑顔になれば、笑顔を一緒に僕たちの風船も大きな一つに重なった。
清らかで透明な光に包まれる風船が気持ち良さそうだね、風船の気持が今なら分かるよ。君の隣にいると優しい空気と光が溶け込んで、心が透き通るのを感じるから、君と手を繋ぐ風船も同じ気持ちだよね。


好き、大好きって言うよ・・・何度でも。それは僕は君が大好きなんだと確かな想いに気付き、君のことがもっと愛しくなる恋の呪文だから。想いを形にすると、七色に透き通る光が溢れ出すんだ。僕だけに注がれる愛しさは、誰よりも先に見つけた光・・・繋いだ手の中にある温もりや優しいヴァイオリンの音色、太陽のような君の笑顔。僕たちの身体ごと空へ運んでくれるように、たくさんの光の欠片をこの手の平に集めて、心の風船を恋の想いで大きく膨らそう。

だからこの手を離さないよ、僕だけの大切な風船・・・誰よりも先に見つけた光、僕を照らす愛しい君を。