抱き枕




可愛いものが大好きな香穂子が、眠る直前まで手放さず気に入っているものがある。それは小さめの水枕にタオル地の白クマが縫いぐるみカバーとなった「ひんやり熊ちゃん」。愛くるしい顔をした白クマは、紺色の半ズボンとセーラー帽子を被り、つぶらな瞳で湯上がりの香穂子に涼しい癒しを与えていた。


可愛い物を眺める時の、楽しく幸せそうな君の笑顔が好きだ。彼女の楽しみを奪うつもりはない・・・が、あまり夢中になっていると、心がざわめいても仕方がないだろう? ひんやり熊ちゃんとやらが我が家に来る前までは、風呂を終えて寝室のベッドにもぐると、君は暑かろうが寒かろうが、いつも甘えてじゃれついて来たのに・・・。今ではその冷えた熊の水枕を抱きしめたまま、気持ち良さのあまり眠ってしまうこともあるんだ。



「ん〜暑いよぅ・・・ひんやり熊ちゃん、助けて〜」
「香穂子、ずっと水枕を抱きしめていると身体が冷えてしまうぞ。いくら縫いぐるみのタオルカバーがあるからといっても、そのうち湿ってきたら君の服まで濡れてしまう」
「ん〜っ、冷たくて気持いい! しかもタオル地がほわほわで肌触りも良いの。蓮も、私のひんやり熊ちゃん、使う?」
「・・・・・・俺は遠慮しておこう」


仰向けに寝転んだまま、掲げ上げた腕に抱きしめた白クマ・・・ひんやり熊ちゃんを俺に披露する君は、本当に無邪気で楽しそうだ。そう?と小首を傾けると残念そうに懐へ引き戻し、タオルを撫で触りながら愛くるしい熊へ語りかけ、二人だけの内緒の話をしているのだろう。タオル地の白熊カバーが無ければ、ただの水枕じゃないかと思うが、ちゃぷんと揺れる水音が今日も心をざわめかす。


まだ湿り気を帯びる洗い立ての髪はアップにまとめ上げ、肌も露わなショートパンツにキャミソール。頼むからパジャマに着替えてくれと何度も忠告しているのに、風呂上がりの香穂子は「だって、暑いんだもん」と頬を膨らませてしまった。
白い肌が桃色に火照る程に長湯をさせてしまったのは、引き留めてしまった俺にも半分以上責任があるから、結局はいつも彼女が勝ってしまう。つまり彼女が大事に抱えているひんやり熊ちゃんは、湯上がりにのぼせてしまう香穂子を癒す大切な存在でもあるんだ。

火照りを冷ました身体を抱き締めると、俺までひんやりとした感触が伝わり心地がよい。だが炎の前に、僅かな水などは焼け石に水に等しい。あっという間に互いが触れ合う肌の熱さが、冷たさをかき消してまうけれど。


確か冬には、暖を取るために湯たんぽの羊を抱きしめていたな。ほわほわだね、温かいねと幸せそうに頬を緩ませて。だが大切な夜を彼女と過ごすために、俺の前へ立ちはだかる一番のライバルは、香穂子が好きな小さく愛らしい小物たちに違いない。


「香穂子、風呂上がりの汗が引いたら湯冷めをしてしまうぞ。眠るときは、ちゃんとパジャマに着替えるんだ」
「蓮とのお風呂が長かったから、身体がポクポクして熱いんだもん。このままじゃ蕩けちゃうよ。それにね、湯冷めの心配は大丈夫。眠るときにはきゅっと抱きつくし、タオルケットを二人一緒にくるまるから、短パンとキャミで寒くないと思うの」
「・・・だから、余計に駄目なんだ」
「ねぇ、どうして怒るの? こっち向いて?」
「怒ってなどいない」


ふいと顔を逸らしたのは、照れ臭さに火照る顔を見られないようにするためで、怒ってなどいないのだと。そう伝えたいが、理性と欲の狭間で思うように身動き取れない自分がもどかしい。じゃれる君を抱きしめるうちに、蕩けてしまう俺の理性が少しでも長く保てるように、出来るだけ肌の露出を抑えて欲しいから。

シーツの冷たさを求め広いダブルベッドの上を、水枕の白クマの縫いぐるみと共に、右へ左へころころと転がる君。裾からちらりと覗き、俺を誘うのは甘く白い肌。その・・・寝返りをうつのは良いが、そのたびに短いショートパンツやキャミソールの裾がめくれ上がっているのだと、君は気付いているだろうか? 


「蓮ってば絶対嘘ついてる! 機嫌が悪いって、はっきり顔に書いてあるんだからね。ここ毎日眠る前になると、ご機嫌悪くなるんだもん」
「は!? 俺のどこが機嫌が悪いと・・・」
「ほらっ、眉間に皺寄せてるー。それにね、何も言わなくても分かるもの。呼吸ごと奪うようなキスとか、抱き締めてくれる強さが、俺は怒ってるぞって言ってるの。ちゃんと言ってくれなくちゃ分かんないよ」
「・・・っ、それは」


それは機嫌が悪いのではなく、独占欲が溢れて君を激しく求めたのだと・・・。そう言いかけたものの、寝転んだままじっと俺を見上げる瞳に捕らわれ、言葉を詰まらせてしまう。ぷぅと頬を膨らましながら睨んでいたが、やがて潤みだし、真っ赤に顔を染める香穂子が先にふいと寝返りを打ってしまった。小さく丸めた背中の向こうでは、懐に白クマの水枕を抱き締めて。

すまなかったと背中へ語り、こちらを向いて欲しいと優しく呼びかけながら、そっと手を伸ばし肩先に触れる。ぴくりと小さく跳ねた身体の、柔らかさと温もりから君の心と表情を感じ取ろう。


「着替えないから怒ったのではない。腕の中へ君を抱きしめたら、互いの素肌が熱く一つに溶け合うから。今がパジャマでもキャミソールでも、本当はどちらでも良いんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「自分の欲深さを思い知らされたんだ。俺だって、眠るときは君を抱きしめながら眠りたい。だからそろそろ熊を手放して、こちらを向いてくれないか?」
「蓮・・・」


背を向けた身体が再びピクリと震え、静かに語る言葉が手の平へじんわり熱さを伝えてくる。ゆっくりと振り返るまだ少し尖った唇へ覆い被さり、身を屈めた影と共にキスを重ねれば、ずるいよ・・・そう拗ねる頬の果実が赤く染まっていた。


「あ〜もしかして、蓮ってば。私がひんやり熊ちゃんばっかり抱き締めているから、焼き餅焼いたんでしょう」
「否定はしない。俺とその熊とどちらが良いのかと訪ねたら、きっと君は焼き餅だと笑うかも知れない。だが、日々傍にいるほど愛しさと同じくらい、独占欲も大きく膨らみ溢れてしまう。ベッドの中では余所見をせず、俺だけを見て欲しいから」
「ちょっと待って! 違うの・・・蓮は、誤解してるよ」
「誤解?」
「私がお風呂上がりに、ひんやり熊ちゃんの水枕を抱き締めていたのはね・・・」


反論する勢いで身体を起こした香穂子は、膝の上できゅっと拳を握り締めながら、言葉の途中でひたむきに見つめてくる。大きく澄んだ光の泉・・・君の瞳に吸い込まれた自分と見つめ合ったその一瞬、止まった時が一気に流れ影が動き出した。香穂子が飛びついてきたと悟ったときには既に遅く、視界が回りシーツを背に受け止めながら、スプリングにシンクロする波へ身を任せているのはいつものことだ。


「・・・っ! 香穂子、いきなり飛びついたら危ないじゃないか」
「・・・・・・い?」
「は!?」
「ね、冷たくて気持が良いかな? こうしてきゅっと抱きついたときに、お風呂上がりだったり夏だと、暑くて汗かいちゃうでしょう? 可愛いから抱き締めているというのもあるけど、本当はね。眠る前に私がひんやり熊ちゃんを抱き締めていれば、水枕が身体のポクポクを冷やしてくれるから、抱き締めてくれる蓮もきっと気持ち良くなるかなって思ったの」
「俺のため、だったのか?」
「うん・・・。私もちゃんと言わなかったし、冷たくて気持ち良すぎて、結局そのまま寝ちゃったから、蓮が困っちゃったんだよね。ごめんね」


ありがとう、そう微笑みながら腕を持ち上げ、胸の上に乗ったまましがみつく香穂子の髪に指先を絡めた。まとめ上げた髪がふわりと解けて花開くと、穏やかな呼吸を導く早さでゆっくり撫で梳いてゆく。ちょこんと首を持ち上げふり仰ぐ、背伸びをして優しいキスを届けてくれた。


きゅっと懐にしがみつく柔らかな身体と、背中には回した彼女の手が握り締めている冷たい水枕とタオルの感触・・・香穂子の大切なひんやり熊ちゃん。水枕の冷たさは君の熱さを吸い取ったように、抱きつく冷えたその身を、今度は俺が熱に変えよう。

一つに絡まり合いながらなって広いベッドのシーツへ倒れ込み、跳ね乱れるシーツへ身を沈めるのは夜の始まり。グラスの中に心へ熱いひと滴を落とす、ミルククラウンのように。