チョコミントの恋心
アイスが食べたい!と言った香穂子の希望で、駅前近くのアイスクリームショップへ立ち寄った。
落ち着いた店内のテーブル席で、彼女と向かい合っているのだが、俺の視線は香穂子が持つ、一本のスプーンに釘付けだ。行き先を追いながら鼓動が跳ね、時には激しく高鳴るから、まるで心を操る指揮棒のようだと思う。
テーブルの上には、チョコミントのアイスが入った、シングルサイズのカップが一つ。しかもスプーンは香穂子が持つ一本だけ。俺の分もあるにはあるのだが、何故か席に着くなり香穂子に没収されてしまっている。
チョコチップが点々と混じった水色が見た目にも涼やかで、夏の暑さを身も心もやわらげてくれる。
だが・・・今の俺がカップへ触れたら、瞬時に中身が溶けてしまうかもしれない。
アイスを食べると幸せになるのだと言う香穂子は、期待と喜びに笑みを輝かせて、握り締めたプラスチックのスプーンをカップの中にあるアイスへと差し込んだ。注意深くそっと丸い山を切り崩し、彼女の口に合うサイズになった水色のアイスを、しげしげと目の前高さに掲げて堪能した後に、大きく口を開けてぱくりと食いつく。
俺まで一緒に口を開けたくなる衝動と、その瞬間ちらりと見える愛らしい舌に吸い寄せられる衝動を、ぐっと堪えて見守れば、スプーンを唇に加えたまま幸せそうに瞳と頬が緩むのだ。残さないようにと、唇に挟んだままゆっくりと引き抜かれてゆくスプーンをじっと見つめながら、彼女のスプーンになれたらいいのにと・・・。
幸せな光景に、そんな考えが脳裏に浮かんでしまう。
可愛い・・・。
君の興味がアイスにあるのは少しだけ寂しいけれども、今はもっと君を見ていたいとも思う。
気が付けは、俺も頬や瞳が緩んでいて・・・そこまでは良かったのだが。
再びチョコミントのアイスクリームを乗せたスプーンは、彼女の口元へ向かう・・・のではなく、今度は真っ直ぐ俺の方へ向かってくるのだ。
「はい、今度は蓮くんも。あ〜ん・・・」
「・・・・・・っ!」
また・・・来た!
高鳴り出す鼓動と熱くなる顔を感じて、目の前に差し出された物を見つめれば、カップの中身と共にじんわり溶けてゆくように見える。スプーンに溜まってゆく二人分の熱さが、冷たいアイスを溶かしてゆくのだろう。
まるで俺の心の中で噴出す愛しい想いを、感じているように。
溢れる想いごと俺も、一緒にアイスと君の中へ溶けてしまいたい。
零さないようにと手を添えて身を乗り出しつつ、嬉しそうな笑顔の香穂子は、さも当然のように自分が使ったスプーンのまま、俺へと差し出してくる。
しかも俺が食べたら、そのままアイスを乗せて彼女の口へと運ばれ・・・また俺へとやってきて・・・の繰り返し。
彼女は気づいているのだろうか・・・いや、気づいていないだろうな。
恥ずかしがり屋な香穂子が、知っているのにあえて人前で、自然に出来るわけが無いから。
いわゆる間接キス。 しかもこんなに堂々と何度も。
何度も繰り返される分、交わし合う軽いキスよりも濃厚に思えて照れくさいのだというのに。
嬉しいと思う反面、さすがの俺も心臓と理性の限界に達しそうだ。
早くアイスが食べ終わればいいのにとカップを見たが、ありがたい事にまだ当分の間は無くなりそうにないらいし。
思えば先程からちょっとずづ少しずつ、削るようにちまちまと時間をかけて食べているような気がしてならない・・・。
「・・・香穂子・・・・・・」
「蓮くん、どうしたの? 早くしないとアイスが溶けちゃうよ」
「俺用のスプーンもあるのに、どうして一つだけしか使わないんだ?」
「蓮くん、私からじゃ・・・嫌?」
「ち、違うんだ・・・。その・・・俺が食べている間は、香穂子は待ってくれるから食べられない。楽しみにしているのに、申し訳ないと思ったんだ」
本当の理由は違うけれども、今の意見も心の片隅にある気持の一つ。
真っ直ぐ見つめるものの、きょとんと不思議そうに向けられる瞳は純粋そのものもので、関節キスの欠片も存在しない。ひょっとして、俺が意識しすぎなのだろうか?
そんな筈は無いと自分に言い聞かせれば、拗ねたように頬を膨らましてしまう。
「だって蓮くんにスプーンを持たせると、遠慮して殆ど口をつけないんだもん。だから私が、ちゃんと半分こするの」
「そうだろうか。香穂子にたくさん食べてもらいたいから、俺は別に少しでも構わないのだが」
「確かに一人でも食べられるけど、一緒に半分こすると、もっと美味しくなるんだよ。心の中がポカポカするの。あっ・・・それとも蓮くん、チョコミント味は苦手?」
「そんな事はない・・・美味しいと・・・思う」
「良かった。ほら溶けちゃうよ、垂れてくるから早く食べようよ」
「あ、あぁ・・・・・・」
アイスごと予め半分にするという考えは、どうやら香穂子の中には存在しないらしい。
彼女の気持も分かるし俺も嬉しいから、ここはありがたく頂くことにしよう。
照れくさいが、滅多に味わえない幸せなひと時には変わりないし、本当の事を直ぐに伝えて動揺させる必要も無いだろうから。
首を伸ばすように唇にスプーンを挟み、舌でアイスを掬い取れば、ふわりととけるひんやりとした食感と、ミントの透き通る爽快感が身体を通り抜けた。冷たさの中にも、後味がほんのり優しいのはチョコレートのせいだけでなく、香穂子が食べさせてくれるからなのだろうぁ。
君はいつも当たり前のように「半分こしようね」と、そう笑顔で俺にくれる。今は夏だからアイスだけれども、寒かった冬は、学校からの帰り道に買った肉まんを半分ずつ食べながら帰ったりしたものだ。
あの時感じた温かさも肉まん以上のもので、君の優しさが俺の心とお腹を、いっぱいに満たしてくれた。
半分になったそれに、君の優しさを添えて一つにして。
一人で美味しいと感じるよりも、俺も君と一緒に嬉しさを分かち合いたい。
だが・・・それとこれとは話が別だから。
アイスを半分ずつ食べるのと一緒のスプーンで食べ合うのは、同じようでいて全く意味合いが違う。
気づいていない彼女の意見に流されそうになる意識を、薄皮一枚で繋がれた理性で引き戻した。
満面の笑顔で美味しいと俺に伝えながら、緩む頬が落ちるとばかりに手が添えられていて、可愛らしい事この上ないのだが。しっかり彼女の口に加えられたスプーンを見て、何とも言えず複雑な気持になる。
さっきまで俺の口に運ばれていたのに・・・と。
でも次には俺のところに来るのだろうな・・・今は君の口に入っているそのスプーンが。
「蓮くんって、チョコミントのアイスみたいだよね」
「チョコミント!? 俺が?」
「うん。このね、水色でチョコの混じったアイスクリーム。食べるたびにそう思うの」
しげしげとアイスを眺めながら、ふと思いついたように呟くと、一口すくって嬉しそうに俺の元へと運んでくる。
差し出されつつあ〜んと口を開けられると、砂の様に理性も決意も崩れ溶けてしまい、結局は一緒につられてしまうから不思議なものだ。口の中に溜まる唾をごくりと飲み込んでから、周囲を気にする事も忘れてそのままパクリと食いついた。冷たさに我に返ればアイスが俺の舌の上に乗っていて、顔と身体中に感じる熱に、先程よりも早く溶けてゆくのが分かる。
しかし、このアイスが俺とは一体どういう事だろうか。
もしもクールだとか、冷たいとかだったら・・・と、嫌な考えが浮かんでしまうが、香穂子はどこまでも無邪気にアイスを突付いている。
考え込むうちに止まらなくなって眉を潜めていると、ふと顔を上げた香穂子が「駄目だよ蓮くん、眉間の皺」と、そう言って上目使いにメッと視線を向けてきた。
ささやかな仕草にさえ鼓動が跳ねるのに、心配しないでと微笑を向けられる微笑みに、見抜かれていたのかと焦りを覚えてしまう。収まりかけた熱が、恥ずかしさで急速に込み上げた。
「ミントのスーっと透き通る感じがね、蓮くんの瞳とか心の中みたいに透明だなって思ったの。青い色は、好きな海みたいでしょう? アイスやチョコが甘くてふんわりなのは、いつも優しく私を包んでる蓮くん。食べるとホッと落ち着けて、一緒にいるような・・・キスをしたような幸せな気分になるの。ふふっ・・・蓮くんがいっぱい詰まってるんだよ」
「そ、そうだったのか・・・・・・」
「蓮くんってミントの香りがするんだよね。シャンプーの香りかな? だからミントっていうと、私の中では蓮くんのイメージがあったの。知ってた? だからチョコミントのアイスはね、私が一番大好きなアイスなんだよ!」
頬を綻ばせて嬉しそうに笑うと、チョコミントのアイスを乗せたスプーンに香穂子がぱくりと食いついた。
大好きだよと伝える、甘いキスの代わりのように。
俺が・・・君の中へ溶け込んでゆく。君の想いも俺の中へと・・・・・・。
「俺も、チョコミントのアイスが・・・大好きだよ」
想いの限りを込めて微笑を向けると、香穂子の動きがピタリと止まり、頬が瞬く間に真っ赤に染まっていった。
彼女を手を包み込んでそっとスプーンを抜き取ると、あっ・・・と小さな声が上がり目を丸くして俺を見たけれど、言葉の代りに口元を緩めて返事をする。
まずは一口アイスを掬い取って俺の口へ運び、香穂子が息を詰めて見守る中じっと見つめ返しながら、舌の上でゆっくり溶かしてゆく。君にキスをするようにスプーンへ優しく唇を触れ合わせると、ふと悪戯心が疼いてしまい。
見えない口の中でもたっぷり舌を絡めたがもう一度、君の前でぺろりとアイスの乗っていたスプーンを舐めた。
俺の気持の分だけたっぷりと山盛りにアイスを掬い取ると、ゆでだこのように真っ赤になって固まる香穂子の口元へ差し出した。どうか俺を食べて欲しい・・・と、君が好きだよと想いを込めて。
「さぁ、今度は香穂子の番」
「えっと・・・・あの・・・・・」
「早くしないと、アイスが溶けてしまう・・・俺と君の、二人分の熱さで」
今さっきまでは平然としていたのに、僅かに俯きながら、もじもじと恥ずかしそうにテーブルの上で組んだ指をいじり出す。どうやら、やっと気づいてくれたようだな・・・目の前で延々と交わされる、濃厚な間接キスに。
自分も同じ事をしていたのだと気づいてくれたのは嬉しいが、同時に俺も同じくらいに恥ずかしくなってしまう。
ほら、やはり・・・・・・。
知っていたら君は、こうなってしまうだろう?
恥ずかしがる君から食べさせてもらうのは、もう難しそうだけれども。
心配は要らない、その分俺が食べさせてあげるから・・・今までも分、もたっぷりと。
暫くはそわそわと落ち着きなく周囲の様子を見渡し、落ち着かなくしていたけれども。
やがて手をギュッと強く握り締めると、意を決したように勢い良く、スプーンへパクリと食らい付いてきた。
触れ合わせた唇のように・・・握り締め合った互いの手のように、俺が吸い付いてしまいたい唇へ、離さないと伝えながらしっかり挟み込まれて。
名残惜しげにゆっくりと離れてゆくと、熱く甘く潤んだ瞳が絡む中、吐息のように囁きが零れ落ちた。
「すごく、甘い・・・。美味しいよ」
「良かった。じゃぁもう一口・・・と言いたいところだが。香穂子の前に、俺も食べてもいいだろうか?」
「う、うん・・・・・・」
「香穂子の言う通り、スプーンは一本で充分だな。俺たちには二本もいらない。今日も、これからも」
一緒に食べると、もっと美味しい。
君の趣味や好きな食べ物、考え方・・・いつの間にか俺も大好きになっている。
いつも一緒にいるうちに、君の性格が少しずつ俺に溶け込んでいるのだろうな。
それもいい・・・と思う。
もっともっと好きになりたい、君の大好きなもの。
そのおかげで一緒に笑ったり楽しんだり、感動したり・・・想いを伝え合えるのだから。