コーヒーの砂糖は2つ

君と過ごす寛ぎのティータイム、それは心が深呼吸できる大切な時間。

リビングのテーブルに置かれた揃いのマグカップの中からはコーヒーが漆黒に艶光り、入れたての証である深い香りを漂わせている。例え向かい合わせでも互いを隔てる僅かな距離がもどかしく、結局は長めのソファーにいつも寄り添い並んで座る俺と香穂子。俺達のちょうど真ん中辺りにある白い皿には、彼女が焼いた手作りのクッキーたちが形良く盛られて甘さを放っており、ほろ苦さを漂わせるブラックのコーヒーと、見た目も香りも優しい二重奏を奏でていた。


静かな水辺や森や青空など好きな景色の中にいる時や、音楽を奏でている時と同じように全身の力がすっと抜けて、身体も心も真っ白く透明になっていくのが分かる。もっと楽しく軽やかにいかなくちゃと微笑む君は、自分で自分の事を窮屈にしていた俺に、心のまま自然でいる心地良さを教えてくれるから。

君の色に染まるように透き通る風のように空気や言葉が溶け合えば、心地良い時間がゆったりと流れていく。
生まれたままの柔らかい心でいると、いろいろな事が見えて素直に感じる事が出来るんだ。


「香穂子、コーヒーの砂糖は二つで良かっただろうか?」
「うん、ありがとう。あと・・・・・・」
「ミルクはたっぷり多めに、だろう?」
「ふふっ・・・さすが蓮だね。私が何も言わなくても、ちゃ〜んと分かってくれているんだもの、凄く嬉しい! 蓮はミルクだけで良かったよね、量は少し苦味が残るくらいに・・・だよね」
「あぁ、その通りだ。香穂子だって、俺以上に俺の事を良く知っている」


俺も君もまずは相手が先にと気遣い、どんな時も自分は後回しでと最初に手に取るから、自然と俺は君のを君は俺のを同時に用意する事になる。いつもと同じならあえて聞かなくても分かっているが、こんな些細なやり取りが嬉しくて、ふと互いに顔を見合わせれば、どちらともなくくすぐったい微笑が浮かんでくる。


白い陶器のシュガーポットから小さい専用のトングで角砂糖をつまみ、香穂子のマグカップを手前に引寄せて二つ中に入れると、黒い雫が踊るように数滴弾けた。しゅわっと音を立てて溶けていく塊をじっと見届けている隣では、シュガーポットと同種の小さなミルクピッチャーを手に取り、俺のマグカップにミルクを注いでくれている。


使い終った彼女から今度は俺がミルクピッチャーを受け取ると、期待を込めて身を乗り出すようにカップを覗き込む香穂子にクスリと笑みを漏らしつつ、希望通りに溢れるほどたっぷり注ぎ込んでゆく。銀のコーヒースプーンでゆっくりかき混ぜる水面が漆黒が茶色に、そして白へと渦を巻いて変わっていくのを眺めながら、時折響くのはカップとスプーンが触れてカチンと鳴る音。

透き通る音を聞いて嬉しそうに瞳を輝かせた君も、スプーンでくるくるカップの中身をかき回し始める。俺と君にはその音さえも会話となり、互いに語り掛けあうように響かせながら踊る渦巻きを見つめ、口元を緩ませた。


共に過ごす日々の中でいろいろな話をしたり、経験をしたり。たくさんの時を過ごしながら少しずつ少しずつ、俺は君の事を、君は俺の事をと・・・互いを知って近づいていった二人。
今では君の好きなものや行動のクセだけではなく、ちょっとした仕草や表情を見ているだけでも、考えている事がテレパシーのように伝わってくる。

そして君も同じように俺の気持や言葉、行動をまるごと分かってくれる・・・俺が君で、君が俺であるかのように。
一緒に積み重ねたものは大切な宝物で、それがとても嬉しく幸せだと思えるんだ。




「はい蓮、できたよ」
「ありがとう、香穂子。ではこれが君の分・・・熱いから気をつけて」
「蓮もありがとう。コーヒーとかお茶って、自分で入れるより相手に入れてもらう方が、美味しいって思わない?私は蓮が入れてくれるのが、世界で一番大好きだよ」
「君にそう言ってもらえて、俺も嬉しい。俺も、香穂子と同じ事を思っていたんだ・・・君が入れてくれたコーヒーやお茶は心の底から俺を温め、満ち足りた気分にしてくれる・・・君自身と同じように。こうして君が入れてくれたコーヒーを飲みながら、一緒に寛げる時間がある事に感謝している」


作ったコーヒーを香穂子の前に置くと、照れくさそうに頬を染める彼女も、マグカップを一度俺の目の前に出来たよと差し出して掲げテーブルに置く。コーヒーの入ったマグカップに手を伸ばすのも、口元に運ぶタイミングまで君と一緒で、こんなところまで気が合っているのだなと、嬉しさを感じずにはいられない。


マグカップを両手で包みながら、美味しいねと向ける香穂子の笑顔は眩しい太陽のようで。君が入れてくれたコーヒーと同じくらい身体の中で温かく満ち広がる言葉は、スッと心に染み込む優しいそよ風だ。
君の笑顔を見ているだけで、俺は君という風に乗って自由な柔らかい気持になれる。
隣で・・・あるいは向かい合って共に笑っていられるのが、俺にとっては一番の幸せだから。


君にとっての俺も、そうだといい・・・。
そう思って瞳と頬を緩めて受け止めた笑みに愛しさを乗せて俺も返すと、振り仰ぐ頬にそっとキスを掠めつつテーブルにマグカップを戻した。




コーヒーの後は紙ナプキンが敷かれた小皿を取り、白い皿に盛られた一口大のクッキーを互いにそれぞれ相手のものを取り分ける。俺が取るのはプレーンを2個とチョコレートの生地を2個、紅茶の茶葉を練りこんだものを1個。香穂子の好きな組み合わせだ。そして彼女はプレーンの生地だけを2個つまみ取り、チョコと紅茶のクッキーは1個ずつ乗せていく・・・そう、おれが好きな組み合わせ。


「今日はとっても嬉しいから、もう一つ食べたいな」
「では・・・俺も・・・・・・」


俺が手に持っていた彼女の分の小皿に、コトンとクッキーがもう一枚乗せられ、触れ合った互いの肩先に小さな重みを感じて視線を巡らせれば、もたれ掛かるように身体を寄せながら、ほんのり赤く染まった頬ではにかみつつ見上げてくる。ささやかなおねだりを見せて甘える香穂子に微笑み、俺も彼女が持つ小皿に一つクッキーを追加して乗せると、嬉しそうに頬を綻ばせて喜んだ。


「香穂子、口をあけて?」
「あ〜ん・・・・・・」
「美味しいものを食べている君は、とても幸せそうだな」
「だって幸せなんだもん、ほっぺが緩んじゃう。じゃぁ今度は、蓮が幸せになる番だね。はい、あ〜んして・・・・・」


小皿から一枚クッキーを摘むと、待ってましたと言わんばかりに大きく開けた口を俺へ差し出す香穂子の口元へ運んでいく。満面の笑みで俺を見つめたまま、もぐもぐと口を動かしながら飲み下すと、今度はニコニコしながら俺の口元へも指先で摘んだクッキーを運んでくる。身を屈めて唇に挟めば、どうかな?と小首を傾げて愛らしく訪ねてくる彼女へ、美味しいよと返事の代りに瞳と頬で深い微笑を向けた。

一体いつのまにそうなったのだろうか。
食べたい時には君は俺の手から、俺は君の手から。

コーヒーの入ったマグカップとは違い、クッキーは互いの食べさえ合うので自分の手で食べる事がないから、用意が終っても取り分けた小皿は自分ではなく相手の手元に置かれたままなのだ。
ひょっとして、甘える口実を作りたかったのかも知れないな。

甘えるのはとても心地が良いのだと、穏やかな空気が自然にそう思わせるのか、甘える君が可愛くて・・・俺ももっと君に甘えたくて。気が付けば互いの小皿に、いつのまにか焼き菓子の量が増えていたりする事もある。
だが俺の場合は君を求めるあまり、つい困らせてしまう時もあるけれど・・・。



マグカップの中から漂うコーヒーの香りを楽しみながら、ゆっくりと味わうようにすすっていると、隣に寄り添う香穂子がポンポンと俺の脚を叩いてくる・・・次の菓子を俺の手からねだる彼女の催促だ。

思わず緩む頬を止められずにカップから口を離して視線を向ければ、予想通り口をあけた香穂子が嬉しそうに待っていた。少し上を向くように身を乗り出す姿がまるで親鳥に食事をねだる雛のようで、可笑しさと愛しさとが混ざったような想いが胸の中いっぱいに溢れて、俺を温かくしてくれる。


小皿からクッキーを一つ指先で摘み、口の中を覗きつつ舌の上にそっと乗せれば、指が引き抜かれるのを見届けて彼女の口が笑みを湛えて閉じられた。美味しいと語る瞳と頬で俺を見つめたままもぐもぐと飲み下す彼女を見ている俺も自然と笑顔になっていて、絡む視線が潤んだ甘さを漂わせていく。

しかしテーブルに置かれたマグカップをいそいそ手に取り、慌しくコーヒーを飲んで渇きを癒すと、ふーっと息を吐いて再び俺の方へ捻った身体を向けてきた。先程と同じように、俺の脚の上にちょこんと置いた手をポンポンと軽く叩いて合図をすると、ねだるように開いた口を上向きに差し出してくる・・・今度は瞳を閉じて。


ペースが早いな・・・お腹が空いているのだろうか?
いや、これは違うな。
香穂子が欲しいのはこのクッキーなのか、それとも・・・・・。


愛らしくねだる彼女に口元と頬を緩めると、俺は片手に持っていたままだったマグカップを静かにテーブルへ戻した。小皿から甘さとほろ苦さが後を引くチョコレート生地のクッキーを一枚取って自分の唇に挟み、華奢な肩をそっと包んで引寄せると、上から覆うように身を屈めて、口をあけて待つ彼女へと直接運んでいく・・・。


君の唇までもう少し・・・その時、パッと瞳を開いた香穂子が背伸びをして、俺が唇で挟んだクッキーの反対の端を唇で挟み、パクリと勢い良くチョコレートのクッキーに食らいついてくる。突然の事に驚いて目を見開き、危うく唇に挟んだものを落としそうになっている俺に、鼻先を触れ合わせて悪戯が成功したような笑みを向ける君は、口の中へ少しずつクッキーと一緒に俺の唇をも引寄せて。


やがて重なる、柔らかく温かな唇。
ならば・・・君に食べられてしまう前にまずは俺から、甘くてほんのりほろ苦いビターチョコのクッキーと一緒に、君の唇を食べてしまおうか。


肩を包んだ手を滑らせ君を腕の中に深く閉じ込めれば、キチリと小さな音を立ててソファーが軋み。
俺の背に縋りつくように回された手にきゅっと込められた力は、君の言葉を俺が受け止めた証。
そう、コーヒーの砂糖のように・・・。




想いが音楽や言葉のように空気を震わし、心に直接伝わってくるから、何も言わなくても、伝わる空気で分かり合える。いつもこんな気持で・・・こんな穏やかな甘い時間でいられたらいいと思う。

もっとお互いを知って、素敵な関係を築いていきたいから、まずは・・・。
笑顔で暮らしていけるような、優しい場所を一緒に作っていこう。




(Title by Apharea)