毎日一緒に暮らしていても、気づけば香穂子の姿をいつでも追い求めている自分がいる。
家の中を慌しく駆け回り家事に勤しんだり、共にヴァイオリンを奏でたり、俺に寄り添い甘えてくれる君を・・・。
温かい笑顔や真っ赤になって恥ずかしそうな照れ顔、好奇心に目を輝かせたり、時には涙を見せることもあるけれど。鮮やかな万華鏡のようにくるくる変わる表情は一瞬たりとも見逃せず、惹き付けられてしまうんだ。
いつだって俺の心を浮き立たせ、熱さを呼び起こし、微笑を引き出してくれる君。
ずっと見つめていたい・・・この瞳と心に焼付け閉じ込めてしまいたいと思う。
自由でいて欲しいと願いながらも、少しでも手を離れれば、求める想いが強い程に不安が闇となって覆い尽くす。
同じ家の中に・・・俺の側にいると分かっているのに、君の姿が見えないと理由も無く不安に襲われる瞬間がある。二人で過ごす時が何よりも幸せに満ちているからこそ、一人の時間が遠いものに思えて、静けさが痛いほど突き刺さるから。こんな時はただ君を抱き締め存在を確かめたくて、何処にいるのかと彷徨わずにいられない。
香穂子、君は何処にいるのだろうか?
いつもなら夕飯の支度を始めているのに、キッチンやリビングにも香穂子は見当たらなかった。
日が暮れているから庭にはいないだろうな・・・となると後は寝室だろうか?
君がいないだけでこんなにも俺の周りは静かで、火が消えたように寒風が吹き抜け凍えそうになる。
リビングを後にして二階へ上がると、鼓動が高鳴る心の扉を開くように期待と祈りを込めて寝室のドアを開けた。
良かった、ここにいたのか------。
捜し求めていた香穂子を見つけ、ほっと込み上げる安堵感に頬も緩み、肩の力も抜けていくのが分かる。
寝室にもいない・・・と諦めかけ背を向けかけた拍子に、ベットの隅から這い出るようにひょっこり姿を現したのだ。
俺たちの大きなベッドのシーツも交換し終えたらしく、枕や毛布を整えたりなど皺を丁寧に伸ばしながら、仕上げをしていたようだ。忙しく動き回ってるからなのか、どうやら俺には気づいていないらしい。
綺麗に整えられたベッドを眺め、片手を腰に当てながら額に浮かんだ汗を拭い、達成感に満ちた笑みを浮かべている。声をかけようかとタイミングを見計らっていたのだが、しかし何時まで経ってもその場から動こうとしない。
じっとベッドを見つめたまま顔を赤くしたり、頬を両手で押さえながら慌ててジタバタしてみたりと。
まるで誰かと話しているように一人で百面相を始めた君は、側で見ていても面白い。いや・・・可愛らしいと思う。
どんなに香穂子が頑張って整えてくれても、夜になれば熱く想いを交わしながら、二人で一緒に乱してしまう。
ベットに染み込んだ俺たちの記憶に包まれているのか、それともこれからに心を馳せているのだろうか。
込み上げる愛しさに心に灯る炎が少しずつ大きくなり、身体の奥からじんわり熱くなってゆく。
君が何を見て恥ずかしがっているのか、俺にも教えてくれないか?
彼女の背後に歩み寄ると、自然に緩んでいた瞳と笑みを湛えていた口元のまま微笑を向けた。
そっと背後から包み込むように抱き締め、香穂子・・・と優しく名前を呼びかける。しかし突然の事に驚き、腕の中でぴくりと身を震わせ大きな声をあげてしまう。目を大きく見開きながら肩越しに振り仰いだ彼女は、俺だと分かると深く安堵の溜息を吐いた。すまない、君を驚かせるつもりは無かったんだ。
「・・・・蓮!? やだもーびっくりさせないでよ。心臓止まるかと思っちゃったじゃない。タイミング良過ぎると言うか悪いというか・・・恥ずかしいよ〜。ねぇ、もしかしてさっきからずっと私の事見てた?」
「驚かせてすまなかった。いや・・・その、今部屋に入ってきたんだがどうしたんだ? それにタイミングとは?」
「だって・・・ちょうど蓮の事考えていたら、いきなり抱き締めてくるんだもん」
「俺のこと?」
「う、うぅん何でも無いの! えっと今ね、ベッドメイクが終ったんだよ。ほら見て、今日も上手く出来たでしょう?」
ほんのり赤く染まった頬はそのままで、誤魔化すように一生懸命笑みを作りながら、話しの矛先を反らそうとベッドを指し示す。何でも無いのと言いながらブンブンと手をと首を振ってるが、嘘の吐けない香穂子は本当だと余計に強調しているのを気づいていないらしい。そんな真っ直ぐな君が、俺は好きだ。
腕の中にある柔らかく華奢な身体を更に引寄せると、カーテンを締めたいから手を離して欲しい・・・と。耳や首まで真っ赤に染めながら恥ずかしそうに俯き、おずおずと切り出してくる。前に抱き締めた腕に伝わる彼女の早い鼓動がもう一つの言葉を伝えてくれるから、名残惜しさを感じつつも力を緩めた。
どうしてここにいるのかと君に問われたら、俺も何と答えて良いか分からないから。
特に用事も無かったけれど、ただ君を探していたのだと・・・本当の理由を伝えるには照れ臭すぎる。
俺が行こうと、そう言って甘い花のような香りを放つ髪に軽くキスを降らせて、窓辺に向かった。
まだ夕方というより午後の時間だが、冬場は日が沈むのが早く、明かりのついた部屋の外には暗闇が広がっている。窓辺に立てば微かに届いてくる強い風の音と、叩き揺れるような振動。凍てつく風に凪ぐ草木が震えているようにも見え、俺の身体と心まで凍ってしまいそうだ。
明るさを増して輝く冬の星たちが、煌きのカーテンを作っている。星が綺麗だねと背中で聞こえる楽しげな声に、そうだな・・・とだけ返して肩越しに微笑を向けた。閉じてしまうのはもったいないが、いつもは好きな星に君が心奪われるのは、少しばかり心が焼ける。ベットの上では俺だけを見ていて欲しいと願うから、遮光カーテンに手をかけゆっくり閉じていく・・・星空のスクリーンをゆっくり覆うように。
冬の寒いこんな日は、暖かな家の中で君と二人で過ごしていたい。だが同じくらいに、心の中も温まりたいと思うんだ。身体も心も寒さが厳しい時ほど、愛しい人の温もりが恋しくなるのは、お互い昔も今も変わらない。
暖房は身体の表面を温めてくれるけど、芯から・・・心の底から温めてくれるのは人の心だからなのだろう。
窓の両側から引寄せたカーテンを合わせて重ねると、瞳を閉じて小さく深呼吸をして背を向けた。
ベットの脇へ佇んでいた香穂子が、ありがとう!と笑みを浮かべ髪を靡かせながら、俺の元へ駆け寄ってくる。
「今日はいちだんと冷えるな、このまま雪でも降りそうだ。香穂子は・・・寒くはないか?」
「私ね、今そんなに寒く無いの。ちょうど良いか、ちょっと熱いくらいだよ。きっと動いてたからかな?」
「そうか・・・」
「蓮がきてからドキドキしたままなの、特に顔とか火照ってポカポカしてるんだよ。でも蓮が寒いなら、 ベッドに毛布をもう一枚用意しようか? あ、それともお部屋の暖房強くする?」
「あ・、いや・・・その。香穂子が寒くなければいいんだ。我慢出来ない程じゃ・・・ないから。今はそうでも、寝る時になったら、きっと平気だろうし」
「夜の方がぐんと冷えるのに、今よりも平気なの? お風呂に入って温まるから?」
これは・・・何と言ったら良いのだろうか?
きょとんと不思議そうに小首を傾げて俺を見上げる瞳は、何処までも真っ直ぐな輝きを宿し透き通っている。
敏感に悟り気づいているようでも、いつも肝心な部分が疎いのかもしれない。俺も人の事は言えないけれど・・・。
真っ赤になって恥ずかしがるのは目に見えているが、正直に君が欲しいのだと伝えてしまおうか。
「でも後の事よりも、蓮が今寒いのならすぐに温まらなくちゃ駄目だよ。身体も指先も凍えていたら、ヴァイオリン練習するのにも弾けないでしょう? あ、そうだ! じゃぁ私が温めてあげるね」
「え、香穂子が!?」
うん!と満面の笑顔で頷くと、両手を俺の頬へと差し伸べてくる。しかし触れる寸前で慌てて留まり引き戻すと、自分の吐息を吹きかけ始めた。愛らしい唇から一生懸命ハーッと吹き出される甘い吐息で、温めるように。
触れ合う程すぐ真下で振り仰いだ香穂子が、背伸びをしながら再び両手を差し伸べると、俺の両頬をそっと優しく包み込んだ。頬にぴたりと触れた手の平から伝わる温かさが、全身に広がっていくのを感じる・・・。
鼓動が大きく飛び跳ね、息を詰まらせ目を見開く俺に、ね?温かい?と無邪気に微笑む君。
天使なのか、それとも俺を惑わす小悪魔なのか・・・いや、どちらでも構わない。冷えて凍えた心と身体が、少しずつ溶き解れるようだ。頬を緩めて大きな瞳を見つめながら、ありがとうと微笑みを返す。
「香穂子の手は温かいな。とても心地が良くて安らぐと、いつも思うんだ。それに比べて俺の手は冷たいから」
「そんな事ないよ。最初はひんやりしているけど、触れているうちにだんだん温かくなるんだよ。照れ臭いけど、私それがとっても気持ち良くて嬉しい。だって、蓮の気持も熱く高まっている証拠だもん。蓮だけが私を温めてくれるように、私だけが蓮を温める事が出来るんだなって思うの」
「俺を温め、熱くするのは香穂子だけだ。君にとっての俺が、そうであるように」
「ふふっ、嬉しい! 二人でもっと温かくなろうね」
真っ直ぐ見上げた瞳・・・奥に宿した光りの泉に惹き込まれる。
二人でもっと温かくなろうと、そう言って嬉しそうに瞳を輝かせると、俺の胸に飛びついてきた。
背に回された腕に力を込め、離さないとばかりにぎゅっとしがみ付いて。君の事も温めたいと願いながら優しく抱き締め返すと、深く閉じ込められた腕の中からちょこんと振り仰ぐ。温かいねと、幸せそうに頬を綻ばせながら。
伝わる鼓動と温もりは、君の声。優しい温度で俺の事を温めてくれる。
励ましてくれる声、労わってくれる声、慰めてくれる声、好きだと真っ直ぐに言葉を届けてくれる声・・・。
君の想いの数々が包む空気を震わせて、触れ合った胸の奥まで届くんだ。
脈打つ鼓動に耳を澄ませば子守唄のように穏やかになって、安心して・・・硬くなった心を柔らかくしてくれる。
「ねぇ蓮・・・熱くない? ずっと抱き締めあってるのも、温かくて気持良いんだけど。どうしよう、だんだん熱くなって汗かいてきちゃったよ」
「それはいけないな。汗をかいたままだと、風邪を引いてしまう、すぐに脱いだ方がいい」
「うん、そうだねって・・・え!? ちょっと待って? 着替えるじゃなくて、脱ぐって言った?」
「あぁ、俺が手伝おう」
「やーっ、蓮ってば降ろしてっ! 着替えなら一人で出来るから〜お願い。私これから、夕ご飯の支度があるの」
「暴れると落ちるぞ。俺は夕飯の前に、香穂子が食べたい」
難なく軽々と抱き上げると、じたばたともがく香穂子の頬に、笑みを湛えたままの唇で宥めるキスを送った。
身動ぎを止めて大人しくなったのは抵抗する力が無くなったのか、それとも抵抗しても俺を止められないと諦めたのだろうか。茹だこのように真っ赤に染めた頬を膨らまして、拗ねてしまうそんな君も可愛いと言ったら、もっと拗ねてしまうだろうな。
運ばれる先は、もちろん彼女が整えたばかりのベッドの上。
視界に広がる真っ白いシーツの上に優しく降ろすと、そっと覆い被さり柔らかな身体を心ごと抱き締めた。
俺の心に溢れる君への愛をシャワーのように、瞳と微笑で注ぎながら。
「温かいな・・・ずっとこうしていたい」
「うん・・・私も、温かい」
俺は君を・・・君は俺を閉じ込め互いに抱き締め合っていよう、温もりを伝え合いながら。
君の腕の中は一番安らげる場所、身と心と焦がす熱さが生まれる場所であり、君が好きだと感じられる場所。
時間の流れもゆっくり進む、二人だけの世界で---------。