蒼の楽園

透き通る海と私を遠くへ運んでくれそうな潮風、そして眩しいくらいに純白のパウダーサンド。
蓮がまとまった仕事の休みが取れる夏のヴァカンスを利用して、私たちは南国の小島へやってきた。


一周しても20分程の小さな島には一軒のホテルだけ・・・つまりは一つのリゾートになっているの。海も砂浜も島の緑も全てがホテルのプライベートスペースなんだと、驚いて目を丸くする私に蓮が微笑みながら教えてくれた。
もてなしを重視する為に数少ない客室は、海の上に浮かぶ一棟立てのヴィラ。
広い間隔を開けて点在する水上コテージみたいなもので、砂浜から長く伸びる木の桟橋を歩いていくんだよ。

どこを見ても絵になるねと言いながら指でフレームを作り、桟橋を一緒に歩きながら片目を閉じて広がる景色を収める私。少し後ろから呼ぶ声してそのまま振り向くと、蓮が持つデジカメのフラッシュが光り、私のフレームに納まった彼は、はしゃぐ私を楽しそうに見守っていたっけ。


天井から床までもある大きな窓に三方を囲まれた寝室には、今まで写真でしか見たことが無かった天蓋つきのベットがあって、ベッドに横たわりながらラグーンが見渡せるようになってるの。

おはよう・・・と耳に届く心地良い声と温もりと、囁く波の音と遠くラグーンから姿を見せる太陽の、優しい光りで目覚めた朝。寝室に差し込むラグーンの光りを浴びた彼の素肌が輝いて見えて・・・甘く熱かった夜を思い出してしまう。


真っ赤になった顔を見られまいと胸にしがみ付いた私の背を、羽根のように抱き包んでくれる腕に心地良さを感じながら。けれども昨夜の引き金を引いたのは私だったかもと、思い返すたびに恥ずかしくなってしまうの。
だって・・・嬉しかったんだもん。新婚旅行みたいだねと思いついたまま言った私の言葉に、自分も蓮も真っ赤に照れたけれども、はにかみつつ互いに引き寄せ合ってそのまま・・・・・・。


夢みたいで幸せなのに、朝から心臓が壊れちゃいそうなんだよ。
これから一週間、何もせずのんびり滞在の予定なんだけど・・・私は大丈夫かな?
それに朝だというのに、今だって・・・・・・。


ちゃぷんと、水が跳ねる音が聞こえて我に帰ると、後ろから抱き締めていた蓮が首を巡らせながら覗き込み、私の胸元に手の平ですくったお湯をかけていた。


「どうした香穂子、急にだまってしまって。ひょっとしてまだ、目覚めていないのだろうか?」


肩越しに振り仰げば、困ったように微笑む彼が首元に顔を埋めてキスをしてくれる。触れる髪と柔らかい唇のくすぐったさに、お湯ではない別の熱さが込み上げてくるけれども。小さく笑いを漏らしながら身を捩り、私を抱き締める腕に手を重ねて引寄せた。


「ぼ〜っとしてごめんね、ちゃんと起きてるよ。蓮のお陰で昨夜は、いつも以上にぐっすり眠れたもんね」
「・・・どこか、辛いところは無いか?」
「心配しないで、大丈夫だよ。あのね、海がとっても綺麗だなって思ってたの。ひときわ青い珊瑚礁に浮かぶ三日月形の島・・・それだけでも素敵なのに、海の色は一つじゃないんだね」
「海に囲まれていると、動かない船の上にいる気分だ。コバルトブルー、ターコイズブルー、エメラルドグリーン。様々に変化する青の世界とグラデーションは、一日中眺めていても飽きないな」
「しかもオープンエアーのジャグジーにのんびり浸かりながらラグーンを眺めるなんて、朝から贅沢だよね。
潮風がとっても気持がいいの」


甘えるように寄り掛かって擦り寄れば、ふわり琥珀の瞳が柔らいで、ちゃぷんと跳ねる音と一緒に抱き締めてくれる。バスルームとは別にある広めのジャグジーは、天井は青空という露天風呂ならぬオープンエアー。
起きてシャワーをというつもりだったけど、たまにはこんな朝もいいよね。普段だったら朝から一緒にお風呂なんて、恥ずかしすぎで絶対にやらないけど、旅先だから特別なの。


青い海に囲まれているのなら、寝室のベットや白い大きなバスタブの白さは、さながら白い砂浜みたいだね。
笑顔でそう言ってた私をきょとんと目を丸くした彼に、恥ずかしい事を言ったのだと気づいて、誤魔化すように水面を激しく波立てた。そんな私をおかしそうに見守るのが触れ合った背中の振動から伝わるから、余計に照れ臭くなってしまうじゃない・・・。


結婚してから蓮のコンサートや音楽の仕事と関係なく、海外へのんびり出かけるのは初めてだから。
南の島の楽園で二人っきりの時間。輝くラグーンを独り占め・・・うぅん、二人占めかな?


「イルカに会えるかな。お部屋のバトラーさんやメイドさんの話だと、朝によく見かけるって言ってたよね」
「あぁ、島の西側の海がイルカの通り道らしい。ちょうどこのジャグジーから見渡せる方角なんだが・・・」


それにこうして待っているのは、島の目の前の海がイルカの通り道になっているから。私と蓮がここを気に入ったのは環境もあるけれど、愛らしいイルカに間近で出会える、豊かな自然を残す島だからなんだよ。
静かな波が漂う周囲の海を見渡し、目を細めて遠く先を見つだす彼の視線を追って、私もイルカを探そうと首を伸ばして気配を探してたけど・・・影も形も見当たらない。


時間はたっぷりある、気長に待とうか。
そう言った微笑みに私も笑顔で返すと、再び広い胸にを背預けてもたれかかった。




静かだな・・・本当に誰もいない。


聞こえるのは穏やかな波と、私たちがパシャパシャじゃれ合うジャグシーのお湯の音だけ。
街の騒がしさから隔絶されたこの島は、静かな空気に満ちている。
波は何処までも穏やかで、頬をなぶる潮風が心地い良い・・・このまま眠ってしまいそう。

あまり人を見かけないのは、私たちみたいにヴィラの中で過ごす人が多いからなのかな。
海の上に立つ一棟立ての建物や内装は木の風合いを生かしていて、アンティークの調度品のナチュラルな雰囲気の中にも漂う贅沢さが、細部にまでのこだわりが感じられた。

寝室やバスルームの他には、ガラス板がはめ込まれたリビングからは熱帯魚が眺められるし、テラスからは直接海へ入る事も出来る。どの部屋からも海が広く見渡せて、至れり尽くせりとはまさにこの事。
桟橋を渡って島に行かなくても、一日室内で楽しんでいられるんだもの。


「静かだね。時間の流れがゆったりしているように思えるの。この島だけの・・・私たちだけの時間があるよね」
「俺たちだけの時間・・・か。ここは一般の観光客には、まだ知られていないらしい。まさに隠れ家と言ってもいいだろう。たまには、何もかも忘れて過ごすのもいいものだな。今俺には何が必要なのかを、広い海と空が問いかけてくるようだ」
「蓮の必要なものって、何?」
「それは香穂子、君だ。君の事だけを考え、共に過ごす時間、君自身・・・・・・」


お湯に戯れる手を掴まれて肩越しに振り仰げば、優しく微笑んでいた琥珀の瞳の奥からすっと色が変わった。
パシャンと跳ねる水音と共に深く抱き寄せられて、真っ直ぐに見つめられる。

息が詰まりそうなほど熱く苦しくて・・・でも嬉しくて。
私も同じだよというこの想いを、どうあなたに伝えたらいいだろうか。


「約束・・・覚えていてくれたんだね」
「約束?」
「まだ私たちが高校生だった頃、海水浴に行きたいって私が言った事があったでしょう? 結局は行かずに、いつか二人っきりになれる海へいこうねって。そういえば初めてデートした時も海だったね、イルカの話してくれたの今でも覚えてるよ」
「誰にも邪魔されずにお互いを独り占めしたいから・・・という理由だったな。君を独り占めしたい気持は、今も昔も変わらない。だが願いを叶えるまでに随分時間がかかってしまって、すまなかったな」
「また一つ蓮と一緒に夢を叶えられて、すごく嬉しいの。それに一気に全部叶えちゃったら、後の楽しみが無くなっちゃうじゃない。今ね、私はとっても幸せだよ・・・ありがとう」


上半身を後ろに捻ると、肩に両手を添えて支えにしながら見つめる瞳を受け止め、そして私からも返す。
私の為にとヴァイオリンの練習や忙しいコンサートの合間を縫って、遅くまで調べたり手配してくれたのを知っているもの。蓮の気持が・・・想いが私は何よりも嬉しい。

そんな事ないよ・・・と静かに首を横に振り、申しわけ無さそうに寄せられる眉をそっと指で触れる。
緩んだのを見届けてから目線の高さまで少し背伸びをすると、ありがとう・・・唇に言葉を込めて触れるだけのキスを唇に重ねた。


ほんの一瞬だけのつもりだったのに、すぐ離れる事を許されず、受け止めていた唇が今度は上から覆い被さってきた。吐息や唇だけでなく手や足や身体の全てが絡み合い、返されるキスがどんどん深くなっていく。

視界の端に映る青のように、どこからが海でどこからが私なのか・・・。

遠のきかける意識を繋ぎとめようと、しがみ付く指先に力を込めれば唇が首筋を辿り、抱き締めていた蓮の手が私の身体へと這い回り出す。これいじょうは駄目っ・・・まだイルカ見てないし、今日はこれから砂浜を散歩するんだから! あなただけでなく私も、やっと収まりかけた火が付いちゃうじゃない。


「んっ・・・! や! ちょっと待って!」


覆い被さる蓮の胸を慌てて両手で押し留めると、熱くなった頬と耳から聞こえる鼓動を必死に宥めつつ、乱れる息を整えた。キスを途中で拒まれたからなのか、ちょっと不機嫌そうに眉を潜めて、何故?と言葉無く私に伝えてくる。熱い熱に溶かされそうになるけれど、負けないもんねんと心に言い聞かせて膨れて見せる。


「香穂子?」
「い、今は・・・駄目なの。だって今日は砂浜や島を散歩するんでしょう? 水着になるのに跡がついたら恥ずかしいじゃない」
「ここはプライベートビートだから、俺たちの他には誰もいない。もともと部屋数が少ないリゾートホテルだし、他の客と遭遇する確立も低い。君を見るのは俺だけだ」
「あの・・・そのね、私が恥ずかしいの! 私を見ているのが蓮だけだから・・・蓮と二人っきりだから余計に!」
「うわっぷ・・・こら香穂子っ!」


大好きな人だからこそ恥ずかしいって、どうして分かってくれないのっ?

しれっとしている蓮に向けて、思いっきりパシャパシャとジャグジーのお湯をかけながら睨んで膨れてみた。
濡れた前髪を片手で掻き揚げる仕草は、何度見ても見とれてしまうけれど、眉を寄せつつ拗ねたように渋々納得してくれた。もう〜こんな時だけ、甘えた子供みたいなんだから・・・。
気づかれないように小さく溜息を吐きつつも、拗ねたあなたも可愛いから、結局は許しちゃうけどね。


「見えて困るのなら、では見えないところに・・・」
「え!?」


ホッと安心して気が緩んだのも束の間。
きょとんと目を丸くしている向かい合わせに座った私の両肩を掴み、素肌の胸元へと顔を寄せてきた。
甘く熱い囁きが耳元を掠ったと思ったら、白いふくらみに唇を寄せて強く吸い付いてくる。


「ん・・・・・・っ!」
「ここなら、水着でも見えないだろう?」
「・・・確かに隠れるけど。もう〜蓮のエッチ!」


私の胸のふくらみに咲いたのは、小さく赤い花。
慌てて両手で隠すと触れられた場所が熱く疼き、恥ずかしさが一気に溢れてくる。きっと全身ゆでだこみたいに真っ赤になりながら、火を噴出しているに違いない。くすくす笑う彼を上目遣いにムッと睨むと、すまないなと瞳を緩めて頬に優しくキスをしてくれる。

南の島と海がもたらす空気が、心を開放的にさせてくれるのだろうか。
私だけでなく蓮もいつもより楽しそうなのが分かるから、まぁいいかと思えて、何も言えなくなってしまうの。



「あっ!」
「蓮、どうしたの?」
「今、向こうの水平線に何かが光った」
「本当!? イルカかな?」


目を凝らしてブルーラグーンを見据える瞳を追うと、白ジャグシーの白いバスタブや木のテラスの先に輝くようなものが見える。水面から高く飛び跳ねているようにも見えるそれは・・・・・。


「うわー! イルカだ。ねぇ見えたよ、本物だー!」
「イルカの通り道だとは聞いていたが、こんなに間近で見れるとは思わなかったな」
「イルカたちのお話、聞こえるかな」


抱き締められていた腕を解いて、泳ぐように一番海に面した大きなバスタブの先端に移動すると、半身を乗り上げるように精一杯身を海へ乗り出した。水族館ではなく海で見る自然のイルカは初めてだから、興奮気味にはしゃぐ私を、こらこら・・・落ちてしまうぞと。宥めるように優しく彼の腕がバスタブの中へと引き戻してくれる。


ごめんねと小さく肩を竦めてぺろりと舌を出すと、息が触れるほど近くで絡み合う甘い視線が引寄せ合い、微笑を交わして額と鼻先を擦り合わせた。青く輝くラグーンに姿を見せた、二頭の愛らしいイルカ達のように。

楽しそうに泳いで飛び跳ねる二頭のイルカ達が、まるで私たちに挨拶をしている見えたから。
イルカの声が聞こえたねとそう言えば、俺にも聞こえたと彼の瞳も微笑み、くすぐったい吐息が唇に振りかかる。


音で会話をする彼らのように、音と想いの心で会話する私たちの歌も、あななたちに届けばいいな・・・。
きっと彼らは私たちを、開かれた楽園の扉の向こう側へ誘ってくれる、案内人なのかもしれない。