あなたの代わりはどこにもいない

静かで落ち着いた雰囲気のカフェは、壁全体が温室のように大きなガラス張りになっていて日当りも良い。
白を貴重とした店内が明るく清潔感に溢れ、俺たちが座る窓辺の席からは緑溢れる小さな箱庭だけでなく、店全体が広くゆったりと見渡せる。緩やかに流れる時間に身を浸し、君と一緒に過ごすくつろぎのひと時だ。



向かい側に座る香穂子は、楽しみにしていたストロベリーのパフェを食べる事も忘れ、身振り手振りを交えながら話に夢中になっていた。赤い苺とチョコバナナのパフェのどちらにするかと、メニューを見ながらあれ程真剣に長い間悩み抜いていたのに・・・。


運ばてきた瞬間の興奮と嬉しさ弾ける笑顔のまま、パフェ用の細長いスプーンを握り締めながら、楽しそうに身振り手振りを交えて話す香穂子。ほんのり赤く染まった頬を綻ばせ、言葉や緩めた微笑で返す度に瞳は更に輝き、くるくると表情を変えてくる。それはまるで彼女が食べようとしている、彩り豊かなストロベリーのパフェ。

大き目の白いマグカップに注がれたブラックのコーヒーを口に運びながら、自然と緩む頬を止められない。


テーブルの上へ甘えるように伸ばされた手を指先で絡め取ると、窓から差し込む光りの中でそっと握り締めた。見つめ合う視線が互いに生み出す笑顔の中で、このままでは身を乗り出し額や唇まで触れ合いかねない・・・。
ぎりぎりの理性で留め意識を振り払うと、すっかり放って置かれていたデザートのグラスを、香穂子の目の前にすっと差し出した。


「香穂子が放っておくものだから、生クリームとバニラアイスの山が溶けてしまっている。可愛そうに、早く食べて欲しくて泣いているぞ」
「いっけな〜い! つい話しに夢中になっちゃった。ねぇ蓮くん。蓮くんは、パフェに入っているコーンフレークって好き? 私ね、それだけが納得いかなくて・・・コーンフレークはサクサクしたのが好きなのに」
「良く分からないが、香穂子はそれが入っていると知ってて、食べたかったんだろう?」
「パフェってね、いろんなものがいっぱい入っているから素敵なの。スプーンを入れるたびに違うのが出てくるから、ワクワクして飽きないし。でもね、アイスと一緒に入っていたら、コーンフレークがしなしなになっちゃうじゃない。溶けないうちに早く食べたいんだけど、目の前の蓮くんはもっと魅力的なんだもん」
「そ、そうか・・・・・」


困ったように小首を傾げながら、グラスの底に詰まったコーンフレークをこれだよと指し示した。俺には気にならない些細な事でも、彼女にとっては重要らしい。妙なこだわりがあるんだなと不思議に思いながらも、またひ一つ発見した新しい君が眩しく見え、そんな自分が誇らしくさえ思える。だって届かないんだもんと、頬を膨らましてスプーン片手に格闘する姿が愛らしい。


どんな時も真っ直ぐ気持を伝えてくる君に、嬉しさと照れ臭さが込み上げ、顔の熱さが更に高まるのを感じる。言葉を詰まらせていると熱さが移ったのか、ふと手を止めそわそわ身動ぎ出し、恥ずかしそうにはにかんで。
メインの大きな苺は最後のお楽しみなのと、そう誤魔化すように笑い、溶けかけたクリームの山をスプーンで突付きだした。ストロベリーのソースが白いクリームに混ざっていくように、香穂子の頬も赤く染め上げながら。


ようやく小鳥のさえずりを止めて、今までの分を取り返すように、大人しく美味しそうに食べ始めた香穂子。
見ているだけで幸せになれる姿を眺めながら、いつも手の届く愛しさに目を細めずはいられない。
途切れる事無く会話を投げかけ笑みを絶やさない香穂子は、自分が楽しいだけでなく、俺をも楽しませようとしてくれるのが分かる。時折ふと驚かされるけど、甘くて優しい・・・そんな所まで彼女はこのデザートと一緒だ。




しかし暫くして彼女がストロベリーのパフェに夢中になってしまい、今度は立場が逆転。
いつの間にか俺がさっきまでの、放って置かれたパフェになった。
さて、どうしたものかと・・・心の中で小さく溜息を吐き、コーヒーの入ったマグカップを両手で包み込む。黒く揺れる水面に映る自分を眺めながら、強く握り締めて眉を潜めた。


俺は君と一緒にいて楽しいし、幸せだと思う。だが、君はどうだろうか?
俺も君にとって、次々に飽きる事のなく楽しませ、惹き付けられる存在だろうか?
蓮くん・・・とすぐ側で呼びかける声に、はっと我に返り顔を上げれば、黙り込んだ俺を心配そうに見つめる香穂子がいた。大丈夫?と身を乗り出さんばかりに覗き込む瞳に、心配ないから・・・・とそう言って瞳と頬を緩めた。


「ごめんね、私ばっかりお話してて煩かったかな? 聞き飽きて疲れちゃった?」
「いや、違うんだ。俺こそ、心配かけてすまない。心の中を上手く言葉で伝えるのは難しいなと思ったんだ。はっきり思うままに、淀みなく気持ちを表現できたら・・・君に伝えられたらどんなにかいいだろうかと。もっと会話で楽しませたいが、口下手な事は自分が一番良く分かっているから」


俺をじっと見つめる香穂子の瞳が切なげに細められ、苦しさに耐えるように見えたのは、きっと俺が同じ顔をしているからなのだろう。熱く絡める視線を反らせぬまま、店内のざわめきも遠く聞こえる、短いようで長い静寂が互いを包み込む。あっ!と思い出したように小さな声を上げた彼女が、細長いスプーンでパフェのグラスの中をかき回し、大粒の苺を器用に取り出した。紙ナプキンで生クリームを丁寧に拭き取ると、片手を添えつつそっと俺の前に差し出してくる。真摯な光りを宿した瞳で、ひたむきに見つめながら。


「これ・・・私の大切なものだけど、蓮くんに受け取って欲しいの。だから、元気・・・出して?」


驚きに目を見張り、最後の楽しみに取っておいたものじゃないかと言えば、微笑を浮かべて静かに首を横に振った。本当は食べたい筈なのに、漂いかける名残惜しさを必死に笑顔で隠しながら・・・俺の為に。
差し出される両手ごとしっかり包み込み、大好きな苺に込められた香穂子の温かい気持を受け止めた。
今すぐに重ねたいと願う赤い唇の代りに、託された苺へ口付けると、新たに取り出した紙ナプキンの上に置く。


心の底から湧き上がる温かさが、自然と笑みを生み出し優しい気持になれる。
求めるように片手を差し伸ばし、再び互いに指先からしっかり握り締めれば、テーブルの上で絡まる視線も想いも甘く熱を含み出す。想うままに「ありがとう」と伝えれば、彼女の頬にも優しい微笑の花が咲いた。


「ふふっ、蓮くん気が付いていないんだね。蓮くんは、私といっぱいお話してくれているよ。いろんな仕草とか表情を見せてくれるの。確かに言葉は少ないかも知れないけど、言葉に重みがあるし想いがぎゅっとたくさん詰まっている。心に染み込む温かさがじんわり広がって、優しい気持になれるのは、蓮くんだけだなんだよ」

「香穂子にそう言ってもらえると、不思議と安心する」
「上手く言葉にならない思いに気づいてくれるし、ちょっとした仕草や表情の変化も見逃さないでしょう? 例えば私が嘘ついたって、直ぐに蓮くんには分かっちゃう。言葉と言葉だけの会話よりも、お互いを良く見て心と心でお話が出来るのは、凄く素敵だなって思うの」
「いつだって深い触れ合いが、俺たちには出来るという事か」



うん!と大きく頷く笑みが、窓から差し込む日差しに溶け込んで見えた。
迷ったり立ち止まったりするたびに、ポンと背中を押してくれる君の優しさ。

俺の言葉や気持、大好きな君に共感してもらえると、とても嬉しくてホッと安らぐ。そのままでいいんだと・・・優しく響く言葉が、変わらなければと焦りもがき、自己嫌悪になりそうな心を柔らかく包んでくれる。


たくさんの人がいる中で、なぜ俺は香穂子が好きなのか-------。
知らない事はたくさんあるのに、それでも君が好きだと思うし、惹かれずにはいられない。
確かなものは純粋で素直な心・・・真っ直ぐに向けられる瞳と笑顔。
この手の中にある繋がれた手の平の、柔らかさと温もり・・・。

君が君らしくあるから、俺は君に恋をしているんだと思う。


「好きという二文字だけじゃ気持が収まりきらないから、言葉で伝えるのは難しいな。でもこうして確認し合うと香穂子も自分も、もっと大切に思えてくる・・・近くなると感じるんだ」
「伝えたい事や一番欲しい物を、ちゃんとわかってくれる。言葉も想いも身体も・・・私を丸ごと受け止めてくれるのは、蓮くんだけだよ。他の誰も、代わりにはなれないの。私は蓮くんが蓮くんだから、好きなんだよ」
「だが、やはり言葉でないと伝えられないものもあるし、言葉によって生まれるものもある。もっと君が好きだと思えるから・・・ゆっくりかも知れないが、心にある想いを少しずつ形にしたいと思う。俺と君が共に笑顔でいられるように」

「蓮くん自分で口下手だとか言ってるけど、私が恥ずかしくなるような照れ臭い事は、するするって言えちゃうのは不思議だよね。ねぇ蓮くん。あの・・・ね、今私が何を想っているか、分かる?」


そう言ってテーブルの上で繋いだ手にきゅっと力を込め、上目遣いで見つめてくる。
ほんのりと頬を赤く染めて恥ずかしそうに、何処までも甘く誘うように・・・。

笑みを湛えたまま僅かに上を向き、赤く柔らかい唇をねだるように差し出して。


「もちろん分かるさ、香穂子が欲しいものが」


瞳と頬を緩めると、人差し指と中指の二本を伸ばして揃え、まずは自分の唇に押し当てる。
そして離れた指の行き先は、俺からのキスを待つ君の唇へ・・・。
柔らかさの中心へと触れ合わせると、舌で鳴らした音と共に軽く押し付けた。
答えは合っていたか?と囁けば、指を受け止める香穂子の唇が笑みを湛えて緩み、ゆっくりと瞳が開かれる。




言葉にしなくても俺には分かる。
キスをして欲しいのだと、俺におねだりをしているのだろう?
心に直接伝わる「好きだよ」という言葉ごと、飛び込む君の全てを受け止めよう。


今は人目のあるカフェの店内だから、これくらいで許して欲しい。
その代わり本物は二人っきりになってから、たっぷりと君に贈ろう。
君の願いでもあり俺の願いでもあるように・・・腕の中へ君を深く抱き締めながら。





彼女が食べかけのストロベリーパフェは、窓からの日差しの温かさを一人浴びながら、再びゆっくりと溶け出していった。