愛し愛され恋いこがれ
待ち合わせで場所である正門にあるファータ像の前に、人待ち顔で佇む彼女の姿を捉えると、自然に早足になり、気が付けば駆け出していて・・・。早く君の元へ辿り着きたいと、気持ばかりが焦ってしまう。

朝はここで互いの校舎へと分かれるのだが、君の背中を見送った瞬間から、放課後が待ち遠しくて仕方が無い。刻々と刻まれ続ける時の流れは同じな筈なのに、一緒に過ごす時間はあっという間に過ぎ去り、なぜ会えない時間はとても長く感じられるのだろうか。



ファータ像の前に辿り着き、香穂子・・・と呼びかけるが返事は無く。正門へと絶え間なく流れてゆく、下校する生徒の流れをぼんやりと眺めながら、何やら物思いに耽っているようだった。


正面に回り込み、下から覗き込むように屈んで彼女の視線に合わせて、もう一度名前を呼びかける。するとハッと肩を震わせて我に帰った香穂子が、「ごめんね、ぼーっとしちゃって・・・」と少し照れくさそうにはにかんだ。

気にしないでくれ、物思いに耽る君の顔に、俺も魅入っていたから。
視線は合わせたままで身体を起こしながらそう言うと、言葉を詰まらせ、瞬く間に頬が赤く染まってゆく。


「先に来ていたのか。待たせてすまない」
「うぅん、私も今着たばかりだから」

「じゃぁ、行こうか・・・・」


まだ頬の赤みがほんのり残る笑顔で嬉しそうに頷く君に、甘く痺れるような息苦しさを感じて、思わず息を詰まらせた。俺だけに向けられるその笑顔が、堪らなく可愛いと・・・そう、思うから。

恥ずかしさのあまりに顔を逸らしたくなるが、あえてぐっと我慢して目と口元を緩ませれば、向けられる笑みは一層深くなり・・・・。どちらともなく互いの手が吸い寄せられ、指先から1本1本しっかりと絡められていった。
それがこの手の確かな居場所なのだと、二つで一つの手なのだと・・・繋がれた手が伝えてくれる。

しかし俺の手の中にある香穂子の手は、いつもはもっと温かいはずなのに、ひんやり冷たく感じた。今来たばかり・・・そう言っていたけれども、やはり随分待たせてしまったようだ。気を遣わせまいとする彼女の優しさが嬉しくて、俺の心の中に温かさを生み、じんわりと身体中に広がってゆく。


では今度は俺が温めよう。君からもらった温かさに、俺の想いを乗せて。
俺の手も暖かいとは言い切れないが、それでも君の冷えた手に温もりが戻るようにと、繋ぐ手に力を込めた。






オレンジ色に広がる黄昏空へ、黒いシルエットが影絵のようにくっきりと浮かび上がる帰り道。
西の空低く沈みかける赤く大きな太陽を見た香穂子が、明日もきっといい天気だね〜と、喜びを表すように繋いだ手を大きく振る。そんなに大きく振っては繋いだ手が解けてしまうぞと、無邪気な君を柔らかく宥めれば、ごめんねと小さく舌を出して可愛らしく肩を竦めてみせた。


仕草や表情の一つ一つが身を焼くほどの熱さをもたらし、俺の心を捕らえて離さない。
それに、君は俺の鏡だから・・・君が楽しいと俺も楽しくなる。

だから先程の物思い顔が尚更、刺さったままの小骨のように気にかかった。
聞いてもいいだろうか・・・・。もしも辛い事なら、俺も力になりたいと思うから。



「何か、考え事をしていたのか?」
「うん・・・ちょっとね。ねぇ蓮くん、私って前とは変わったと思う?」
「どうしたんだ急に。香穂子は香穂子だろう? 前向きで、どこまでも真っ直ぐで、いつも真剣に音楽に立ち向かう。周りを思いやる温かい心を持っていて、辛い時でも笑顔で頑張ろうとする。君に出会った頃も・・・今も」
「蓮くん・・・・」
「だから俺はいつだって君に憧れ、焦がれずにはいられない。・・・・ひょっとして、何かあったのか?」
「クラスの友達とかに言われたんだけどって、あっ・・・。蓮くん、悲しそうな顔して心配しないで。大丈夫、悪い事じゃないの。むしろその逆!」
「・・・・・・・?」


顔の前でぶんぶんと手を振って、否定を表した彼女の次の言葉を待ち、傍らに寄り添い歩く香穂子をじっと見つめる。すると頬を染めて暫く口篭っていた彼女が、上目遣いで甘くねだるように、そっと見上げてきた。


「蓮くん、言っても笑わない?」
「・・・笑わない」
「あのね最近・・・クラスの友達に、前よりも可愛くなったね、キレイになったねって良く言われるの。この間なんか久しぶりに会った中学の時の友達に開口一番、恋してるでしょう!?って聞かれたし。褒められてるのかなぁ〜これって。毎日鏡みてるけど、自分じゃ分からなくて・・・。そうなのかな〜って考えてた」



からかわれるかと思ったのだろうか・・・そんな事は決してないのに。
不安そうに眉根を寄せて俺を見上げながら、ぽそぽそと静かに語る。

何かあったのでは?という心配は杞憂に終わって安堵したのも束の間。彼女の言葉に聞き入りながら、俺の方が身の内を駆け回る熱さに焦がされそうな思いだった。まさしく、その通りなのだから。
やはり、本人には自覚が無いのだな・・・困った事に。まぁ、俺もそうだったから大きくは言えないが・・・。



「そ、その事だったのか・・・安心した。君がまた、俺の知らないところで辛い目に合ったのかと思って、心が縮む思いがした。だが・・・その・・・・・そうだな。確かに変わったと、俺も思う。皆が言うように・・・・・・」
「本当に? 蓮くんもそう思う!?」
「あぁ・・・・・」


先程までの不安は一瞬のうちに消え去ったのか、ぱっと瞳を輝かせて、背伸びをするように迫り。
勢いに押されつつ、照れくさいが事実なのだからと心に言い聞かせて返事をすると、手に彼女の力がきゅっと込められた。喜びを押さえきれずに、握った手を俺の腕ごと、嬉しさ一杯の笑顔で振っている。


「ふふっ。照れくさいけど、凄くうれしい! もし私が変わったんだとしたら、それは蓮くんのお陰だから」
「俺の?」
「恋するとキレイになるんだって、いい恋すればなおさら。だからね、私を変えてくれたのは蓮くんなの。それに女の子は、大好きな人のためにいつでも可愛くしていたいんだよ。蓮くんにそう言ってもらえて、とっても幸せ」
「・・・・・・・・つっ!」



満開の笑顔と真っ直ぐに語られる熱い言葉の数々が、俺の心をいとも簡単に打ち抜いた。
突き崩される理性を必死に繋ぎとめつつ、顔に集まる熱を隠すように空いている手で口元を覆うと、我慢できずにふと視線を逸らした。火が噴出しそうな熱と耳から聞こえる鼓動を、落ち着かせるために。

大好きな人・・・つまりは俺の為にと。愛しい人にそう言われて、喜ばない男がいるだろうか。


胸がはちきれそうな程に嬉しいが・・・・。
よく俺の事を「真っ直ぐで恥ずかしい〜」と顔を真っ赤にしながら言うけれど、香穂子の方がよっぽど照れくさいと、俺は思う。きっとお互い様・・・という事なのだろうな。




彼女の奏でる音色が日ごとに甘く優しくなるにつれ、向けられる笑みも甘さと深さを増してゆく・・・。
胸の内に抑え切れない喜びや嬉しさが溢れて、音色だけでなく、彼女の表情をも変えていった。
柔らかく、包み込むように優しく穏やかに、けれども明るさと元気さはそのままで。
俺だけを見て欲しいと願っていた眩しいその笑顔が、今は俺だけを向いている、その幸せをかみ締めずにはいられない。



「でも、他の人にはすぐに分かっちゃうんだね。恋しているのは、蓮くんだけに知ってもらえればいいのにな」
「自分の事は見えにくいものだと思う。他人から指摘されて始めて気付く事も多い。戸惑う気持は、良く分かる。それに、嬉しい事や楽しい事は、自然と表面に出てしまうものだ。俺も・・・そうだから」


困ったように小首を傾げる香穂子へ、宥めるように柔らかく微笑みかける。
そんな仕草も可愛いと・・・何をしてもそう思えてしまい、まるでなけなしの理性を試されているかのようだ。
すると微かに驚いているのか、大きな瞳をきょとんと丸く見開いて。


「蓮くんにも戸惑う事があるの?」
「どんなに遠くからでも君を見つけると、どうしても見つめてしまう・・・吸い寄せられてしまうのだろうな、そして目が離せなくなる。だから、君の近くにいると、周りの人に気付かれてしまうんだ。視線の力とは凄いなと思う。眼差しの強さに、俺自身が戸惑ってしまうんだ。これも香穂子の言うところの、恋の力なのだろうな」
「私は、蓮くんの瞳が大好き。ずっと見ていたい・・・そっと覗き込むと、とっても綺麗で光の泉みたなんだもの。心の中を言葉と同じく、そのまま私に届けてくれるから」


時々恥ずかしくて、照れちゃうけどね。
そう言って手を引き寄せられ、甘えて拗ねるようにピタリと肩先に擦り寄ってくる。
腕に触れる柔らかさと温もりを離したくなくて、もっと感じていたくて・・・。
静かに繋いだ手を解き、その手を香穂子の腰に手を回しすと、俺の腕に擦り寄る彼女をそっと抱き寄せた。






歩む速度を緩めながら互いに身を任せ、温もりと甘さの漂う空気に浸って、ゆっくりと家路を歩む。


「真っ直ぐで素直で、情熱的な蓮くんが大好きだよ。もっと見つめて欲しいなって、思うの」
「俺も変わったと思う・・・音楽も、俺自身も。変えてくれたのは、香穂子だ。君のために・・・いや、君と共に、もっと変わってゆきたいと思う。変わらない大切なものは、そのまま守りながら」
「私も頑張らなきゃ。でもきっと平気だよね、だって恋には完成品が無いんだもの。毎日二人の想いを積み重ねて、どんどん大きくなるんだよ」
「大きくなった分だけ俺も君も二人で、今よりもっと理想に近づいていけるといいな」





変わらずにいて欲しいもの、そして身も心も成長するために変わってゆくもの。
身に宿るどちらの輝きも、君に恋して焦がれるその炎によって、更に輝きを増し磨き上げられてゆくのだ。
きっと深く・・・どこまでも甘く優しく、溶け合うように。


消える事の無い恋の炎によって作られる、終わりの無い恋の形。
海よりも深く・・・空よりも広く・・・・太陽のように暖かく・・・・。
俺と香穂子の想いが一つになり、大きく積み重なったそれは、一体どんな色や形のものになるのだろう。


想いを馳せながら、彼女の腰に回した手に力を込めて強く引き寄せ。
驚いて目を大きく見開く瞳を横顔に見つつ、頬に掠めるだけのキスを降らせた。


まずは一つ。君との想いが積み重なるようにと・・・・・。