愛くるしい




俺の手の中にあるのは小さな青い海の世界。色とりどりの珊瑚の花畑を熱帯魚が泳ぎ、白や黒のイルカたちが楽しげに歌い合う。そして青いラグーンにはしゃぐ、笑顔の眩しい人魚は香穂子だ。とは言っても本当の南の海ではなく、先日香穂子と水族館へ行った時に取った写真たちだ。君と二人で魚になり、楽園のような綺麗な海を眺められたら、どんなにか幸せだろうか・・・そんな夢をひととき叶えてくれる。俺たちには、どの海にも負けない蒼の楽園だったと思う。


水槽に泳ぐ魚よりも、撮った写真に香穂子の笑顔が多いのは気のせいじゃない。水槽に張り付き、熱心に魚たちと会話をする君。そして触れ合いのゾーンでは、一生懸命手を伸ばしてイルカやペンギンと触れ合う香穂子が、くるくる表情を変えて現れる。君は楽しそうに写真を眺めているが、いかに俺が君だけを見つめていたかを、直接知らされ気恥ずかしい・・・。

一つの写真を君と一緒に眺めながら、思い出を二人の心にある共通のアルバムへ飾ってゆこう。
例えここが俺の部屋でも、瞳を閉じて想いを馳せれば、君とイルカになって泳げると思うから。



俺の隣にぴったりくっつく香穂子は、身体を預けるように手元を覗き込んでくる。いつの間に写真を撮ったのかと、頬を染めて照れる甘い吐息が耳元に掠めるたびに、君という熱い海が俺の身体へ溢れてくるんだ。話に夢中になるとふいに裾や腕を掴んだり、座る俺の脚にそっと添えられる柔らかい手の平。俺だけだよと、言葉の変わりに告げる愛の言葉のように、甘い苦しさが胸を焦がすけれど。ささやかな仕草が愛しくて・・・それでいて独占欲を掻き立てているのだと、君は知らないだろうな。


ひとときも目が離せない、くるくる変わる表情。好きな相手にはずっと触れていたいと、素直に表す真っ直ぐ注がれる想い。可愛い・・・と、心のままに思わずにいられない。君の気持ちがとても嬉しい、俺だって君に触れられるのは好きだ。だが溢れる可愛らしさと君の愛嬌も、高まれば胸を焦がす甘い苦しさに変わり、熱く胸を焦がすんだ。

最後の一枚を大切に眺めた写真をまとめながら、青く広がる水の世界が少しだけ恋しく思う。今すぐに飛び込み、この身の熱さを沈められたどんなにか良いだろうか。




「蓮くんも、イルカさんのクッキー食べてね。水族館の写真が出来たときに、蓮くんと一緒に見ながら食べようと思って、私たち用に小さい箱のやつを買っておいたの。写真を見ながらお土産を食べて楽しめば、楽しさも思い出も二倍だよね」
「売店でお土産を買っていたのは知っていたが、家族や友人へのものだと思っていた。まさか君と俺用のものがあったとは知らなかったな。ありがとう、香穂子。また行きたいと思う温かい余韻に浸れるのは、君の優しい心遣いのお陰だな」


小さなパッケージを器用に開封した香穂子が、どうぞと差し出した四角いクッキーには、チョコレートのイルカがプリントされていた。だが摘みとろうと指先を伸ばしたが、すっと交わされてしまう。悪戯だろうかと眉を寄せた俺に微笑むと、あ〜んと言いながら嬉しそうに輝く眼差しが、クッキーと共に迫ってきた。顔に昇る熱さをそのままに、照れる気持を押さえながらも、身体は素直に君を求め唇をクッキーへと寄せてしまう自分がいる。

いや・・・俺が手ずから食べた瞬間に、ぱっと花が咲く君の笑顔が、吐息が触れる程のすぐ近くで見たいんだと思う。


クッキーのパッケージに描かれている愛嬌たっぷりなイルカと、俺が撮った写真を差し出し、同じだね可愛いねと・・・。
小さな彼らへ頬を緩める香穂子が笑顔になれば、見つめる俺も幸せになれる。水族館でも同じだったな、笑顔には笑顔があつまるように、一つの幸せが多くの幸せを引き連れてくるのだろう。


「香穂子は、もし海の生き物になれるとしたら何になりたいだろうか? あ、いや・・・すまない、変な事をきいたな。写真を眺めていたら、水槽に張り付いたりイルカと触れ合う香穂子が、青い海の中で泳ぐ魚に見えたから」
「私ね、イルカになりたいな。蓮くんイルカさん好きでしょう? 私も大好きなの、可愛いよね。蓮くんと一緒にイルカになって、海を自由に泳ぎながら音楽でお話しをするの。きっと気持ち良くて楽しいだろうな〜」
「俺もイルカになるのか、君となら、それも悪くない」
「ね? だから一緒にまぜまぜしようよ」
「・・・・は?」


くるくる変わる表情のように、目に付いた物へ会話が興味が逸れてしまうのは、いつもの事だから最近はだいぶ慣れたけれど。まぜまぜとは一体何だろう・・・しかも、一人ではなく君と二人でやることらしい。無意識に高鳴る鼓動と自分の勘を素直に信じるならば、この先に待っているのは甘い予感に違いない。フローリングの床に転がっていた鞄から何かを取り出すと、再び駆け寄りポスンと身体を預けてくる。

好物のどんぐりを胸一杯に抱える子リスのように、彼女が抱き締めていたのは、手の平サイズの小さな小袋いっぱいに描かれたファンシーな白イルカ。確か水族館へ行った時、イルカたちと直接触れ合えるゾーンの売店で、香穂子が一目惚れをして手離さなかった飴・・・イルカちゃんまぜまぜキャンディーだ。なんて恥ずかしい名前なのだろう。すぐに見つけられたから良かったものの、俺ならば店員や香穂子に、この名前を告げて尋ねることはできない。


「お口の中で二つの飴を混ぜ混ぜすると、とっても幸せになれるよって、このイルカさんが言ってるの。キャンディーが幸せを運んでくれるなんて素敵だよね。ほら袋の後ろを見て、まぜまぜした二頭のイルカさんたちが、とっても幸せそうでしょう? 私たちも二人でイルカちゃんキャンデーを食べれば、海に戻れるんだよ」
「海に・・・戻る?」
「うん! 大きなハートが浮かんでいる、ミルクブルーと苺ピンクな、仲良しイルカさんみたいになれると思うの。一緒にイルカになって、海を泳ごうね。ほら・・・大きなドーム水槽の中を、二頭のイルカさんたちがずっとくっついて泳いでいたでしょう? あの二人は恋人同士だと思うの。だってほら、写真にも撮ったけど、チュッとキスしてたもの・・・」


そう言って立てた人差し指同士を、チュッと唇をすぼめつつ触れ合わせた・・・唇を寄せ合いキスをするように。だが恥ずかしさに火を噴き出してしまい、制服のスカートを握り締めて俯くと、髪のヴェールで顔を隠してしまった。床の上に置かれたままの写真は、小さな青い海に泳ぐ二頭の白イルカ。並んで寄り添いながら泳ぐ彼らが、互いに顔を寄せ合うから、俺たちにはキスを交わし合っているように見える・・・くすぐったいけれど、心に温もりが灯る幸せな光景。


という事は俺たちもキスをしよう・・・そう君が求めていると思って良いのだろうか。
いつもは恥ずかしがる香穂子からの貴重なおねだりが愛しくて、求められている事が嬉しくて。緩めた瞳で微笑むと、身を固くする香穂子へそっと身を屈め、思う心のままに軽く啄む優しいキスを届けよう。香穂子と名前を呼びかけると、ゆっくり顔を上げてはにかみ、日差しを浴びる花のように煌めく笑顔が生まれた。


「苺も好き、ミルクも好き、でもイチゴミルクはもっと好きなの。やっぱり一人は寂しいよね。お口の中で、二つを仲良く混ぜ混ぜしてあげたいよね」
「一人で二粒を食べるには、大きいように思うんだが・・・まさか口の中で二色を混ぜるというのは、いや・・・その何でもない。きっと俺の考えすぎなんだろう」
「・・・?? 何でも無いならいいんだけど。ん〜でも確かに飴はちょっと大きいよね。でもね、最初は離れたり上手く溶け合わなくて大変かもだけど、頑張ってミルクの青と苺のピンクを混ぜ混ぜすることに、意味があるんだって思うの。私たちも同じでしょう?」
「青いミルクのイルカが俺で、ピンクの苺が香穂子なんだな」


中身はミルク味の青いイルカと、苺味なピンクのイルカの顔が描かれた丸いキャンデーらしい。それぞれ単品で味わうのも良し、二つを一緒にまぜてイチゴミルクにするも良し。

絵柄の可愛さに惹かれたのだろうが、どうやら決め手はパッケージに描かれているブルーとピンクの丸いイルカキャンディーたちが、仲良くハートを浮かべているから・・・らしい。この飴を食べれば俺たちも、ちょっぴり照れ臭いイラストのイルカのように仲良くなれると、大きな瞳を輝かせる君は純粋に信じている。そんな媚薬があるわけないだろうと思うのだが、心の中では少し期待している自分がいて苦笑してしまう。


だが君は気付いていただろうか?
お土産人気商品と書かれていたポップには、恋人同士にお薦めだと書かれていたのを。

一人で二粒を口の中に入れるのは、無理ではないが少しばかり困難だ。一人一回で一粒がちょうど良いだろう・・・という事はまさか、君と俺が二人で? 二人で食べながらキスをすれば、口の中で二つの味が溶け合うのだから、まさに恋人達のキャンディーだ。だがこれは袋に描かれたイルカたのように、軽く触れ合うだけのキスではない・・・俺たちの場合はそうとう深いもの意味しているのは間違いない。


どうして香穂子はこれを買ったのだろうか。俺はどうしたらいい?
ただ純粋に二つの飴を混ぜ合わせたかっただけだと分かっているが、考えるほどに欲と理性を試されているようで頭痛を覚えてしまう。君にキスをしても、いいだろうか? イルカと二色のキャンディーに託した、想いを受け止めよう。


小袋から取り出した二粒の飴を、両方口に放り込んだ香穂子は、両頬をぷっくり膨らませ、幸せそうな笑みを浮かべていた。まるで大切などんぐりを胸に抱え、木の実を両頬に蓄える子リスだな。どんぐりではなく彼女が抱えているのは、お気に入りの「イルカちゃん混ぜ混ぜキャンデー」だけれども。

ほら、頬がぷっくり大きく膨らんでいるじゃないか。口の中で下を転がす度に、眉を寄せたりきょろきょろ視線を動くから、百面相になっているぞ。堪えきれずについ小さく笑いを零してしまうと、真っ赤に顔を染めた香穂子が更に頬を膨らませ拗ねてしまった。


「も〜っ蓮くん笑わないで。イルカさんのキャンディーが大きいから、口の中で二粒をくっつけるのが大変んなんだからね。もう少しちっちゃいと舌で転がせるのになぁ。どうしても両頬に分かれちゃうし、苦しいの」
「大変そうだな、では俺も手伝わせてくれないか?」
「手伝うって、どうやって?」


不思議そうにきょとんと小首を傾げた香穂子に微笑むと、伸ばした腕で背を捉えそっと腕の中に抱き寄せた。戸惑い揺れる瞳と鼓動を落ち着かせるように、俺の温もりを伝えながら包み込み穏やかさをめば、次第に身体の重みを預けてくれる。心までを委ねてくれたのを合図に、抱き締める腕に力を込めると、深く閉じ込めたま唇を重ねた。


最初は軽く重ねるキスを・・・そして舌先でゆっくり輪郭をなぞり、薄く開いた扉から侵入して熱く柔らかな君を捉えた。髪に指先を絡めしっかり頭を抱き包みながら、吐息も奪い深く深く・・・。息苦しそうに喘ぐ香穂子が、背にしがみつく指先の力制服のジャケットに絡み、心地良さが胸を熱く振るわせる。

腔内を彷徨わせ舌先にふれた飴の一つを攫い取り、ゆっくり唇を離せば、優しいミルクの味が口の中一杯に広がった。ということは、今俺の中にあるのは青いミルク味のイルカなのだろう。香穂子が溶け合わせてくれたから、、ミルクの表面にほんのり甘酸っぱい苺味が感じられて嬉しくなる。君の中に残っている苺のイルカにも、ミルクが包み込んでいるのだろうな。


キャンディーの甘さに緩む頬を止められずにいると、切れた息を肩で整える香穂子が、潤んだ瞳で俺を睨んでいる。頬を膨らませ唇を尖らせているから、怒っているというより拗ねているのだろうか。色香の増した紅潮した頬で睨まれても、余計に愛しさが募るのは惚れた弱みだ。もしかして、突然キスをしてしまったことに、怒っているのだろうか。
キスをして欲しいと君の言葉が聞こえたのは、やはり俺の願望が生み出した錯覚だったのか?


「すまない、香穂子。その、嫌・・・だっただろうか?」
「蓮くん・・・ひどいよ。私のイルカさん、取った・・・・横取りしちゃ嫌っ」
「香穂子?」
「私の口の中にいるいちごピンクのイルカさんが、寂しいって泣いているの。ミルクの青いイルカさんと引き離されちゃったから・・・もっと溶け合いたいって、言ってるよ。いつでも真っ直ぐな想いを届けてくれる、蓮くんのキスは大好きだよ。熱い心が唇から伝わって蕩けちゃいそう。でもね、この二粒は一緒じゃなくちゃ駄目なの・・・私も、もっと蓮くんと混ぜ混ぜしたいな・・・」


潤んだ瞳でひたむきに見つめる君が、堪らなく愛おしい。愛しくて、胸が苦しくなる・・・。
苺味のピンクのイルカは、俺のキスが離れてしまった、苺の要に赤くて甘酸っぱい君。
キスをして? と心に届いた言葉を胸に抱けば、また大きな想いとなって熱く駆け巡るんだ。


「香穂子、もう一度君にキスをしても、良いだろうか。今度は少し、長くなるけれど・・・」
「う、うん・・・。蓮くんと一緒に、イチゴミルクが食べたいの」


フローリングの床の上に置いたクッションに、ちょこんと正座をした膝の上で、組んだ手をもじもじと弄りながら。照れ臭そうに見つめながら、小さな赤い舌をちょこんと覗かせた。抱き締めてキスをして・・・再び交わる熱い舌の間で、ゆっくり混ざり合う二つの飴が、とびきり甘いイチゴミルクを作り出す。喘ぐ息苦しさも、全てが甘く甘美な愛おしさに変わった。


愛嬌があって可愛らしいものを愛くるしいというそうだ、海に泳ぐイルカたちのように。
愛くるしい・・・まるで香穂子のようだと俺は思う。それだけではなく、愛しさは、時には熱く胸を焦がし甘い苦しさとなるから。

さぁ俺たちも、イルカになろう・・・白い波と熱い海に身を委ねて。