夕暮れ時の駅前通は、家路を急いだり買い物をする人々で賑わいをみせていた。少し前までなら星空に包まれていたのに、急速に伸びた陽のお陰でまだほの明るい空。オレンジ色の隅に藍色の星空が混ざり始めているが、ただそれだけで嬉しい気持ちになり、外へ出たくなってしまう。


放課後に練習を終えて校舎の外へ出た香穂子が毎日のように、空が明るいって嬉しいねと頬を綻ばせているから、俺も自然にそう思うようになったのかも知れないな。夕日の煌めきを映して見上げる大きな瞳に俺も嬉しい・・・とそう微笑めば、オレンジ色の空と同じくらいに頬が赤く染まっていったけれど。茜色に染まる空を見る度に君を思い出しそうで、自然に緩む頬を止められない。



「練習の後だから、すっかり遅くなってしまったな・・・・」
「でも暗くなるまでは、あとちょっとだけ蓮くんと一緒にいられるよね。これからどんどん陽が長くなって、過ごせる時間が増えてゆくのは嬉しいな。あ〜っ、早くお休みにならないかな〜」
「あと数日頑張れば休日だ。そうすればもっと長く一緒に君と過ごせる。温かくなってきたし、どこかへ出かけようか」
「うん!」


俺の話を聞いている時や話している時、ヴァイオリンを弾いている君の瞳は、光の泉のようだ。そっと覗き込むと綺麗な温かい気持ちになれる。君は俺の瞳が好きだと言うけれど、俺も真っ直ぐ見つめてくる君の瞳が好きなんだ。

繋いだ手をきゅっと握りしめる香穂子の手から伝わる、柔らかさと優しい温度。
目の前に広がるのは綺麗な夕日、街の景色・・・君が俺に見せてくれた素敵な心の風景。
美しい景色も歩く道のりも君が一緒だから嬉しいのだと、交わす瞳と手で感じ取り、言葉の変わりに見えない会話も出来る。


こうして手を繋いで帰るのはいつもの事なのに、今日ばかりは少し緊張しているのを君は気づいてしまっただろうか。昨日は大事な用事があるからと、香穂子を残して先に帰った俺が一人、残って練習していた君も一人。
今朝も日直だからと告げて先に登校してしまったから、久しぶりな気がするからだろうな。たった一日離れていただけなのに心が激しく乱れたのを、この日の為に一ヶ月間待っていたのだからと、秘めた想いを胸の中で言い聞かせてい宥めていた。


バレンタインデーのちょうど一ヶ月後。ホワイトデーの当日という事もあり、多くの店が集う駅前通にはいつもより学校帰りの男子学生や、スーツを着た男性の姿が多く見受けられた。

ケーキや焼き菓子を買おうと店に立ち入る人や、可愛らしい雑貨を扱う店のショーウインドウーを、悩みながらじっと立ち止まり眺める人。あるいは入り慣れない店に勇気を持って立ち入ろうとする学生の姿など・・・だが目的の品を買い求めた人々は、皆が達成感と幸せそうな表情を浮かべていている。


ブルーやピンクや白など、一件不釣り合いとも思える色とりどりの紙袋。それらを手に持った男性たちがみな足取り軽く浮き立って見えるのは、愛しい人へ渡すべく想いを馳せているからなのだろう。


小さな桜模様が散らされた薄いピンク色の紙袋を鞄に重ねて持つ俺も、他の誰かから見れば同じ一人なのだろうな。照れ臭さもあるけれど君の為なら勇気を出せるし、こうした環境にも正直助けられた。
そう・・・今日に迫ったホワイトデーのお返しを買おうとしていたのは、彼らだけでなく俺も同じ。

人の流れに身を任せて、どこか冷静に彼らを観察できるようになったのは、既に目的を果たし終えたからだ。
昨日までの俺なら、緊張のあまり息苦しさと高鳴る鼓動で、周りなど見えなかったと思うから。


「香穂子、どうかしたのか?」
「え!? う、うぅん・・・何でもないの! え〜っとね、可愛い紙袋だなって思ったの。それって駅前のお菓子屋さんのでしょう? あのお店美味しいよね。蓮くんの家もみんなでお茶菓子にしてたの?」
「いや、これは俺のではなくて・・・」


見る間に赤く染めてゆく顔の前で手をブンブンと振り、何でもないと慌て出すけれど、問いかけはしないが俺が持っているピンク色の小さな紙袋が気になるらしい。先程からずっと首を巡らせ覗き込んだり、視線はちらちらと注がれていた。そんなに似合わないだろうか・・・と照れ臭さが込み上げるが、いや、それだけではないな。俺に君の時間を少しくれないかと、寄り道を誘ったのは俺なのだから。


これが君への贈りものだとまだ告げてはいないが、今日が何の日かお互いに知っているし、俺がずっと練習中から落ち着かないのが伝わったようで。手を握り合う力は俺も香穂子もいつもより強いのに、交わす言葉は少なく、視線が絡めば恥ずかしさにどちらともなく反らしてしまう。

バレンタインの時にはあんなにも無邪気に渡してきたのに、貰うとなると違うのだろうか。


よそ見をしている隙に歩きながら紙袋をそっと開いて覗き込めば、ピンク色の小箱に詰め込まれた春と花びらたちが、君の元へ早く辿り着きたい期待と喜びに胸を高鳴らせていた。 もう少しで彼女の元へ行けるから、待っていてくれ・・・自分にも言い聞かすように心で問いかければ、紙袋の中の彼らが返事の変わりに笑顔を返してくれるように見えた。


学校を出てからもう何度同じ事をしているのかと、気づかないうちに浮き立っている自分に、我に返れば熱さと恥ずかしさが込み上げてくる。こんな時間も良い物だと思えるのは、やはり君のお陰だな。
今までは気にも止めていなかったが、こうしたイベント一つ一つが俺と君・・・二人にとって大切な意味を持つのだなと思う。貰うだけではなく、贈り物を渡す時もどちらも嬉しくて、俺も君も優しい気持ちになれるから。



「このまままっすぐ向かえば香穂子の家だが・・・どうする? もう少し歩いてみるか?」


車が多く行き交う交差点で信号が赤になり、横断歩道で立ち止まると、離れたくない・・・そう伝えるようにきゅっと握りしめる手に込められた彼女の言葉。切なげな光を宿してじっと見つめる瞳に微笑みかければ、返事の変わりに頬を染めてはにかみ、甘えるように肩先へ寄りかかってくる。繋いだ手を身体ごと引き寄せながら、指先の一本一本からしっかり繋ぎ直し、青になった信号と共に二人で一歩を踏み出した。

では決まりだな、陽が暮れるまで、もう少し一緒にいようか。





落ち着ける場所をと向かったのは、港が見渡せる公園だった。休日に訪れる事は良くあっても、夕暮れ時にはあまりなく・・・昼と夜とでは景色も印象もまるで違う。見上げる空には星が見えなくとも、港を照らす灯りたちがまるで地上に降りた星のように輝いていた。


海に向かったベンチに座りながら俺を待つ香穂子の隣に腰を下ろすと、嬉しそうにいそいそと座る距離を詰めて身体を寄せてきた。二人の白い息が一つに溶け合い、冷たい身体と冷たい身体が寄り添い合えば、寒ささえ幸せに変わる。

自販機で買った二本のミルクティーのうち一本を手渡すと、ありがとうと浮かべる笑顔が、手にある温もりと同じように心まで包み込んでくれる。小さなペットボトルの温もりを頬に押し当てて、温かいねと頬を綻ばせる無邪気な君がとても愛おしく思えた。


「蓮くん、ありがとう」
「いや俺こそ、いつもより遅い時間まですまない。昼間は温かいが、夜になると寒くなるな」
「うん・・・ミルクティーがとっても温かいよ、でもね、蓮くんの手はもっと温かかった」


へへっと照れて笑う君に熱さが募り、今にも腕の中へ閉じ込めたいのを堪えながら、ベンチの脇に鞄やヴァイオリンケースと一緒に置いてあったピンク色の紙袋を手に取った。いつどうやってホワイトデーのお返しを渡そうかとずっと考えていたが、落ち着いた場所と時間、高まる胸の想い・・・ここでなら君に渡せそうだ。


「香穂子・・・今日は君に渡したい物があったんだ、学校ではどうも照れくさくて。その、バレンタインにもらったチョコレートののお返しだ。これを・・・受け取って欲しい」
「うわ〜ありがとう! チョコを渡す時は気持ちを伝えるのに一生懸命だったから、お返しなんてちっとも頭になかったの。でもね、ちゃんと受け止めてもらえて、こうして帰ってくるのは嬉しくて幸せだね。あの・・・ね、ひょっとして、用事があるって昨日蓮くんが先に帰ったのも、このお菓子を選ぶため?」
「黙っていてすまなかった、渡すまでは秘密にしておきたかったんだ。君がいつも俺を喜ばせてくれるように、俺からも届けたかったから。いつ渡そうかと考えたんだが、慌ただしい朝よりもゆっくり出来る放課後の方が良いかと思って」
「朝練習するから、日直なら私も一緒に行くって言ったのに、ゆっくりで良いからって・・・今日の朝、蓮くんが先に登校したのもこの為だったんだね。二人でいるのがいつの間にか当たり前になってたから、一人の時間を忘れかけていたのかな。ポッカリ穴が空いたみたいに長くて静かで・・・本当はね、ちょっと寂しかったの」
「香穂子・・・」
「でもそんな寂しさ、どっかに吹き飛んじゃったよ。ねぇ、開けていいかな?」
「あぁ・・・気にいってもらえると良いんだが」


香穂子が握りしめていたペットボトルをベンチの脇に置き、手提げの紙袋から中身を取り出すと、うわーっと感嘆の声が上がった。手に掲げ持ったままくるくる回して四方からじっと見つめ、膝の上に乗せると指先でピンク色のリボンを丁寧に解きにかかる。包みが剥がされる度に俺の心がさらけ出されるようで、鼓動も熱く高鳴ってゆく・・・。


「うわ〜可愛い! ピンク色と桜、春がいっぱい詰まっているね。クッキーと一緒に桜のお茶や小さなお花も入ってるよ。食べるのがもったいないな、消えて無くなっちゃうなんて寂しいしもの」
「形は見えなくなっても、消えたりはしない。バレンタインに香穂子から貰った手作りチョコには、香穂子が胸の中で大切に温めてくれた想いと温もりが沢山詰まっていた。受け取った時に手の平に感じた温もりと、口の中へ広がった感動と喜びは、あらから一ヶ月の時が経ったが鮮やかに俺の中へ満ちあふれている」
「蓮くん・・・でもあの、ごめんね。たった一粒だったし・・・」
「大きさや量では無いと言っただろう? 受け止めた想いを返したい。普段照れくさく伝えにくい好きだという気持ちも、ありがとうの言葉と一緒に俺も伝えたかった」
「嬉しい・・・蓮くん、ありがとう。ふふっ、ありがとうって何度言っても心がポカポカ温かくなるよね」


君が好きな物、君に似合う物、何を贈ったら喜んでくれるだろうかと・・・・。駅前通りを何度も行ったり来たり歩きながら想いを馳せ、時間をかけて悩んだあげく、やっと決めたのは小さな箱に入った焼き菓子の詰め合わせだった。香穂子がお気に入りのケーキショップを覗いた時に、売られていた季節限定らしく、詰め込まれた春の優しさに一目見て、彼女に似合うと思ったんだ。


春らしい桜の花びらが生地に織り込まれた花の焼き菓子が数枚と、菓子に合うようにと組み合わされた桜の香りの紅茶が少々。一緒に添えられた花は、ピンクや白の小花を束ねた指の長さ程の小さなワイヤーブーケ。
春霞のような薄いヴェールの包み紙とリボンが、それらを優しく包み込んでいる。


「俺はいつも君から貰ってばかりだな、俺は君に何かあげられているだろうか?」
「特別な日だけじゃなくて普段の日にも、私は蓮くんからいっぱい貰っているよ。形がある物や、目に見えないまでたくさんをね。私が前から欲しかった物だったり、蓮くんが私を想って選んでくれた物だったり。蓮くんの優しさの形が何よりもの贈りものだから、贈り物だけじゃなくて気持ちがとっても嬉しい。大切にしたいなって想うの」
「いつもありがとうの気持ちと、そして誰よりも君が好きだという想いを込めて贈ろう。ホワイトデーはお返しではなく、新ためて俺から君に愛を贈る日だ」



菓子に添えられていた小さなコサージュを指で摘み取ると、頬を染めたまま照れ隠しにくるくる回して楽しげに眺めていた。作り物だから香りはしないのに、鼻先に当てながら良い香りがすると頬を綻ばせている。両手を重ねて包み込むとそっと抜き取り、制服の赤いタイの結び目に差し込んだ。胸元に咲いた花が俺だけでなく、香穂子からも優しい微笑みを引き出してくれる・・・潰さないようにそっと両手で包み込みながら。


「良く似合っている」
「本当!? 桜の焼き菓子も美味しそうだけど、お花も可愛いね。私の心の中にも消えないお花が咲いたよ。男の人が買うには恥ずかしかったでしょう? 蓮くんがね、慣れないながらも一生懸命選んでくれたプレゼントは私の大切な宝物なの。どんな風に選んでくれたのかなって思うと嬉しくて、この胸の奥が熱くなってくるの」
「もう一つ、俺から君へホワートデーの贈りものがあるんだ。これは形のある贈りもの。もう一つは見えない贈りものだ」
「え、なぁに、どんな物?」
「では・・・瞳を閉じてもらえるか?」
「うん、これで良いかな」


膝の上に手を乗せて、期待を込めながら瞳を閉じて待つ香穂子の肩を包み、腕の中へ抱き寄せた。一瞬驚いて瞳を開けた彼女に、まだもう少しだけ閉じていてもらえるだろうかと困ったように微笑めば、顔を真っ赤に染めてぎゅっと強く目を瞑ってしまう。小さく込み上げた笑いを抑えながら鼻先を寄せ、触れる寸前の唇で甘く囁く。


「香穂子、君が好きだよ-------」


何となく照れくさかったり、上手く伝えられなかった「ありがとう」と「大好き」。
どこにあるのだろう・・・どんな色や形をしているんだろう?
でもその気持ちはここに・・・俺の心の中と君の中にあるんだ、温かい物がたくさん詰まっている。




手の平に乗せて渡したプレゼントのように、綺麗に包んで君へ贈ろう。
愛しい想いを吐息と重ねる口づけに託し、君の色に染まった優しさの包み紙と、微笑みのリボンを結んで・・・。

寒さを温めるペットボトルのミルクティーよりも、温かくて幸せに満ちたものがこの腕の中にあるから。








温もりの贈りもの